第14話 マック日ノ沢駅東口店
「で、ミハルは何しに駅に行くのさ」
僕とミハルは日ノ沢駅東口行のバスに一緒に乗り込んだ。一番後ろの席に並んで腰を下ろす。思わずミハルと呼んでしまったが、めんどくせーし、誰も知り合いいないからまあいいだろう。僕の問いかけにミハルはゆったりと微笑みながら僕を見つめる。
アルカイック・スマイル。
僕は昔からミハルの笑顔はずっと、それこそ飽きるほど見てきた。しかし、今、こうやってその笑顔を見ても、彼女の考えはまったく読み取れない。いつの頃からだろう、その笑顔の裏の感情が読み取れなくなったのは。昔はミハルが何を考えているか、顔を見ればだいたい分かっていたのに。
もともとミハルは感情の読み取りづらいやつではあった。無表情なんじゃなくて、その逆。いつもにこやかな顔をしているからだ。僕はそんなミハルの表情を読み取るのが昔は特技だった。みんなが気が付かないミハルの機嫌の悪さを見抜いて、ショウタローに不思議がられたことも一度や二度ではない。
それなのに、今、ミハルが何を考えてるのか、僕にはさっぱり分からない。
中学の終わりごろからその傾向はあった。付き合っているという油断があったとしか思えない。そのころから僕はミハルの感情に注意を向けなくなっていた。いや、それは表現が適切じゃないかな。ミハルの気持ちに無頓着になっていた、のだろう。それではダメだと気が付いたのは、ミハルの別れの言葉を聞いてからだった。
僕は今、ミハルの笑顔の裏でどういう感情が動いているのか、まったく分からなくなっている。
「装飾品の買い出しだよ」
「ふうん」
「それと、ちょっとね……」
そう言ってミハルは目を伏せた。あの顔は何かを言いかけている顔。僕はミハルのその表情を知っている。しかし、その裏でめぐる彼女の本当の感情は、もやがかかったようにまったく見えて来ない。
バスは大通りの大きな交差点をゆっくり右折し、ビルの谷間にある駅前のバスターミナルに入って行った。まだ午後三時を回ったばかりなのに、もう陽がかげってきている。
「古田くんが……、うちに来たいってしつこかったから、ちょっと逃げてきちゃった」
ミハルはえへっ、という表情で顔をあげた。ビルのすき間の低い位置に浮かぶ夕陽がミハルの表情を朱に染めて、でもそれもすぐにまたビル影に遮られる。突然出てきたイケメンヤローの名前に僕は固まった。
「文化祭の開会式で私、ピアノ弾くんだけどね、それを聞きたいって。そんなの音楽室でいくらでも弾いてあげるのに、なんか『北ちゃんの家の方がゆっくり聞けそうだからさ』とか言って聞かないのよ。わざわざうちまで来るのなんて時間の無駄じゃない?」
あー、さっき自転車置き場でにこやかに喋っていたのはその話か。
「ってことは、なんだ。ミハルの家にそんなに頻繁に出入りしているのか。古田は」
「ううん、一回も来たことない。うちにグランドピアノがあるんだっていう話をしたら、聞きたいって言い出したんだよねー。男の子でグランドピアノ聞きたがるの、珍しいよね」
あー、あのクソイケメンヤロー、なんという露骨な接近策。イケメンにだけ許される必殺技じゃねーか。クソ、許せん。
「それよりカズヤくん、お母さんが最近カズヤくん来ないけど大丈夫なの、って言ってたよ」
ミハルの両親は二人とも歯科医だ。星が丘ニュータウン中央のバスターミナルの近くで北浦歯科医院を二人でやっている。僕も小学生からずっとミハルのお母さんに診てもらっていた。しかし、高校生になってからは一度も北浦歯科に行っていない。理由? んなの聞くなよ。ミハルにフラれたからに決まってるじゃねーか。
「うーん、奥歯が冷たいもん飲むとしみるから、行きたいとは思ってるんだけどなあ」
「ほっておくと痛みに慣れちゃってますます悪化するよ?」
行けなくなったのはミハルにフラれたせいだぜ、とはさすがに言えない。代わりに僕は一つため息をついた。
「ああ、そのうち行くよ。でも、おばさんのハードな治療受けるのにはちょっと覚悟が……」
おばさんの治療はものすごく痛い。小学生のころ痛すぎて泣いたほどだ。「これぐらいの痛みに耐えられないと人生やっていけないわよ!」と言ってたけど、勘弁してほしい。正直トラウマだ。
「ふふふ、最近はお母さんも麻酔使うようになったから、もうそんなに痛くないと思うよ」
てゆーか、今まで使ってなかったのか! 怖ろしい。でも近いうちに北浦歯科には行かなきゃならんとは思っている。
果たして僕の歯が手遅れになるのが先か、わだかまりなく北浦歯科に行けるようになるのが先か。
日ノ沢駅東口、終点です、というアナウンスが流れて、車内の乗客が一斉に降り口を目指して立ち上がる。僕たちも席を立って、先頭の降り口に向かった。
考えてみたらミハルと一緒にバスに乗るのも久しぶりだ。少しだけ僕は感傷にひたる。
それはほんのり甘くて、少し苦くて、そして何よりそのぬくもりが心にしみて仕方がない。夕暮れ間近の街の中、ちらっと見えるミハルの横顔は、僕の知らない表情だった。
◇
バスのステップを降りると、冷やっとした空気が頬をなでた。ミハルも僕を振り返って首をすくめている。
「随分冷えるようになったね」
「そうだなあ。ミハル、寒くない?」
「ん、大丈夫。それじゃ、行こうよ」
え? という表情の僕を置いて、ミハルはすたすたと歩きだした。
「ミ、ミハル、装飾品買うってロフトじゃねーの? ロフトそっちじゃないぜ?」
「知ってるよ。ロフト行く前に、おやつ、食べよ?」
ミハルはにんまりと笑いながら、かばんを後ろ手に持った。
……そんな顔されたら断れるわけねーじゃん。
しかし、今日はまずい。今日だけは激マズだ。ほいほいとミハルと一緒にいるわけには行かない。今日の僕にはサナエちゃんの穴埋めという超重要なミッションがある。
「あー、わりーけど、俺、今日約束あるんだ。……友達と待ち合わせしてて」
サナエちゃんと、とはなんとなく口に出しづらくて、どうにも微妙な言い方になってしまった。
「ふふふ。大丈夫。私、すぐ行くから。おやつ食べるだけ。サナエちゃんが来る前に退散するよ。ふふふ」
「なんでサナエちゃんが来ること、ミハルが知ってるんだよ!!」
「昼間、学校でサナエちゃんがうれしそうに言ってたからねー。今日、カズヤ君とCD買いに行くんだよー、って」
◇
十数分後、サナエちゃんとの待ち合わせ場所のマックで、僕はなぜかミハルと向かい合って座っていた。スマホのクーポンを使ってポテトのLとドリンクのセットをそれぞれ注文した。そして、僕たちは店の奥の席で向かい合って無駄話をしている。なんでこうなったのか、自分でも分からない。
会話はあちこち飛び跳ねながらも、不思議と尽きることはなかった。僕たちはまるでそれが日常であるかのように、ポテトをかじり、ドリンクを飲みながら、額を突き合わせるようにして話をしていた。
「アヤちゃん、顔面血だらけでびっくりしたってお母さん言ってたよ」
話をしているうちに、虫歯の話から、アヤネが原付で転んで歯を折った時の話になった。深夜に近い時間だったけど、おばさんが緊急で見てくれたおかげで大事には至らなかったらしい。
「そんな話始めて聞いたぜ。それいつの話?」
「夏休みの前、7月ごろだったね。でもたぬき坂で転んでそれだけで済んでよかったよね」
「うちの姉がホントご迷惑おかけしました」
僕は平身低頭で謝るしかなかった。アヤネ、何やってんだ。そんな話、全然知らなかったぞ。バケツ三杯あるかと思えた二人分のLLポテトは、気づけば残り二本だけになっている。ミハルは残りを一度にくわえてもぐもぐと飲み込み、にこやかに口を開いた。
「ねえカズヤくん、2組の城田さんって知ってる?」
「城田さん? 知ってるも何も一年の時同じクラスだったよ。まじめな堅物ちゃんだろ?」
「まあ、そういう雰囲気だけど、そういう言い方よくないよ。城田さん、一年の時に古田くんと噂あったのは知ってる?」
「ああ、知ってる」
城田涼子さん。ひっつめ髪に黒縁メガネという、およそ現代のJKとは思えない出で立ち。高1の最初の自己紹介でクラスの大半の男子に「こいつはねーわ」と思わせるほど、見た目は強烈に野暮ったかった。
ところが、城田さんは口数は少ないけど決して根暗ではなかった。見た目通りのまじめな性格、学年でもベスト10に入る優秀な成績、責任感が強くて筋の通った話ぶり。城田さんは、すぐにクラスで一目置かれる存在になり、2学期にはクラス委員を引き受けることになっていた。西高では各クラスのクラス委員から学年委員長が互選される。その時学年委員長になったのが、例のイケメンイインチョ―ヤローの古田。
副委員長に選ばれた城田さんと古田のヤローはいつしか噂になり、冬休み前にはカップル成立間近と目されるほど親密になっていた。城田さんは、そのころからトレードマークの黒縁メガネを外して、コンタクトレンズをしてくるようになった。まとう雰囲気が格段に明るくなり、もともとの清楚な顔立ちと合わさって「やっぱ涼子ちゃんいいよな」と節操なく手のひらを返す男子が続出する事態になる。関係ないが、ショウタローもその時の節操ない面々の一人だ。
ところが高2になり、古田のヤローはクラス委員を突然辞任して、文化祭実行委員の方に鞍替えしてしまう。城田さんはそのまま学年委員長にスライドした。
二人の間に何かあったのか、それともなかったのか。噂でしか知らない。が、結果として古田のヤローは、高2になると今度はミハルをターゲットにし始めたは衆目の一致するところだった。
「私ね、古田くん、いい人だと思っているの。でも、城田さん見てるとね、んー、なんか腑に落ちないんだ」
「へえ。ミハルが他人の恋愛ごとに興味を示すのはなんか意外だな」
古田のヤローのカノジョに、今一番近い候補はお前じゃねーかと言いかけた僕は、ミハルの真剣な表情に圧倒されて言葉が継げなかった。代わりにどうでもいい感想を投げる。ミハルはふっと視線をそらした。少し思案に暮れた顔をして続ける。
「カズヤくん、城田さんに何があったか、聞いてない?」
「知らねーよ。興味もない」
「そっか。どうしたらいいんだろう、私……。ごめん、ちょっと、お手洗い行ってくるね」
ミハルはそう言い残して席を離れた。僕はポテトとコーラが載ったトレーを睨みながら、去り際のミハルのセリフが残した苦みを反芻する。どうしたら、って、具体的に古田からアプローチがあった、ってことだよな。んー。悠長なことしてる場合じゃなさそうだ。
これは……、ユカに聞いておいた方がいいか。とりあえずユカにメッセージを打とう。なんかこそこそと隠し事ばっかりしてるようでイヤだけど、仕方がない。あ、そう言えばアイツ、バス停までミハルの動きを監視してたんだよな。
『自分でもよく分からんけど、今待ち合わせ場所のマックにミハルといる』
すぐ既読が付いて、ユカから大量の怒り顔のスタンプと返信が来た。そのあまりの勢いにドン引きしてしまう。
『なにやってんの!サナエちゃんももうすぐ着くよ!』
『ユカはサナエちゃんと一緒なの?』
『バカ、見つからないように尾行してるんじゃない。私の苦労も知らないで鼻の下伸ばしてんじゃないわよ! ミハちゃんがそこにいちゃ絶対ダメだからね! あと十分で着くから、それまでになんとかしてよ!』
文面に憤怒があふれているぜ、ユカ。アイツ、バス停でミハルと僕がバスに乗るのを見送った後、サナエちゃんを待ち伏せして、ここまで付いてきてくれたんだ。まあ興味本位だろうけど、手間取らせて申し訳ないのは申し訳ない。後でなんかおごってやるか。僕は、了解、と手短に返事をしてミハルの戻りを待った。
さて、なんと言って切り出したものか。まさか邪魔だから帰ってくれとは言えないし。ミハルとポテトつまみながら話をすることを僕が心底楽しんでいたことが、話をさらにややこしくしている。こんなことならサナエちゃんの待ち合わせと同じマックに来なけりゃ良かった。僕は腕組みをしてうなる。うーん。
結論が出ないままうなっているうちに、ミハルが手洗いから戻ってきた。どうするかまだ決めてない。しょうがない。ここはストレートにごめんなさいしておくか。
「ミ、ミハル、悪いけど、そろそろ時間が……」
ミハルは、ハンカチをセーラー服のポケットにしまいながら、ゆったりした笑顔で僕を見て、席に座らずにカバンとトレーを手に取った。
「カズヤくん、私、そろそろ行くね。サナエちゃんが来る前に退散した方がいいでしょ?」
おお! ありがたい。そういう察しのいいところ、サイコーだぜ、ミハル。
しかし、ふと僕の頭に疑問がかすめる。
ミハルは何を察したんだろう。
まさか、サナエちゃんの勘違いをそのまま信じてるんじゃないだろうな。
「じゃあ、また明日ね」
ミハルはおじぎっぽく腰をかがめて小さく手を振り、店の出口へと軽やかに歩いて行った。
気が早いことに、店には既にクリスマスソングのBGMが流れている。そのオルゴールチャイムの音を耳にしながら、僕は席に座りなおして、ストローで氷をつついて残りのコーラをすすった。
そう言えば今日は始終ミハルと呼んでいたな。ミハルも僕をずっとカズヤくんと呼んでいた。
呼び方が違うだけで、こうも空気感が変わるものなのか。僕はそのことに感心していた。それと同時に湧き上がる何かに口元が緩んで仕方がなかった。
「杉津君! 遅くなってゴメン!」
僕の一人の思索を切り裂くように、サナエちゃんが転がり込んできた。肩で息をしているところを見ると、バスターミナルから走ってきたらしい。
「ああ、全然大丈夫。まあ、座りなよ」
サナエちゃんは椅子にかばんを置いてちょこんと腰掛けると、目の前のポテトの空箱をしばらく見つめた。そして不思議そうな、不審そうな、そして少しだけ心配そうな顔をして僕に尋ねた。
「誰かと……一緒だったの?」
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