第11話 バス停「日ノ沢本通り」
翌朝。
「おいこら、カズ。起きろ!」
アヤネの怒号ないしは罵声で目が覚めた。カーテンの向こうは明るい。ああ、今日もいい天気だな、と安心してもっそりと枕元の目覚まし時計を見ると6時20分。
6時20分? クソはえーじゃねーかよ。
僕はぼやけた頭でさらに考える。
あ、そうか。昨日自転車置いてきたから今日はバスで学校行かなきゃならないんだった。それにしても……、いくらなんでも6時20分は早すぎるぞ、アヤネ。
「なんだよ、……まだ全然はえーよ。もう少し寝る。……7時になったら起こして……」とつぶやいてふとんにもぐりこんだ。アヤネの蹴りの追撃が来てもそのまま寝続けるつもりだった。
ところがアヤネの口からは予想外の言葉が出た。
「早く起きろって、カズ。女の子が迎えに来てるよ!」
バカじゃねーの、アヤネ。同じ手に二日連続で引っかかるもんか。
「そりゃ朝からご苦労さんなこって。……適当に待たせといて。じゃ7時になったら起こしてくれよな」
僕はふとんをかぶったまま眠気まじりでぞんざいに答える。
「いや、ホントにサナエちゃんが迎えに来てくれてるんだっての!」
ところが、アヤネは大声でふとんをめくって、文字通り僕を叩き起こした。アヤネの後ろから、通学カバンを持った制服姿のサナエちゃんがおそるおそるという様子で顔を覗かせている。
「す、杉津君、お、おはよう」
?
通学カバンを持った?
制服姿の?
サナエちゃん????
僕はガバっと飛び起きた。
「なんでサナエちゃんがここにいるんだよ!」
「ほお、うちの愚弟は、お姉さまが、や・さ・し・く・起こしに来ても知らん顔するクセに、サナエちゃんだったら1.2秒で起きるんだー」
アヤネはさらににやにやと下卑た笑いを顔面に浮かべながら続ける。
「ミハが迎えに来たよって言った時は2秒かかったのにー、サナエちゃんだったら1.2秒で起きるんだー」
アヤネ、計ってたのかよ! そりゃこんな状況になったら飛び起きるだろ、ふつう。
「じゃあ私はもう行くからね。せっかくだからベッドでいちゃいちゃしてけば? 学校遅れない程度にね!」
「しねーよ! 余計なこと言うな!」
「じゃあね、サナエちゃん」
そう言い残してアヤネはヘルメットを持って部屋を出て行った。サナエちゃんは赤い顔ではにかみながらアヤネを見送っている。
「……はい、遅れないように気を付けます。アヤネさん、行ってらっしゃい」
サナエちゃん! いちゃいちゃはするつもりなのかよ! 嬉しそうにもじもじするな!
◇
大混乱しているが、起きたからには仕方がない。僕はパジャマのままキッチンに立った。
「サナエちゃん、朝ごはん食べたの?」
「まだなの。学校の近くのコンビニでなんか買おうかと思って」
「じゃあ、俺と一緒のもんで良かったら適当に作るよ」
僕は食パンを二枚トースターに投げ込み、電気ポットのスイッチを入れてから、卵を二つとベーコンとコーンビーフ缶を冷蔵庫から出した。フライパンを軽く暖めて、ベーコンを四切れ放り込む。その上からコーンビーフ缶をぎりぎりねじ切って、どさっと塊のままぶち込み、箸で適当にほぐす。ベーコンの油がにじんできたら卵を二つ割り入れる。そして、綴じ蓋をしてしばらく放置。僕は目玉焼きに差し水はしない派だ。白身が焦げるって? それがいいんじゃないか。
トースターのピピという出来上がり音と、お湯が沸いて電気ポットの電気が切れるパチンという音がほぼ同時に響いた。フライパンの目玉焼きを二つに分けて皿に盛る。冷蔵庫からヨーグルトを二つ出してきて、最後にマグカップのインスタントコーヒーにお湯を注ぐ。これででき上りだ。
ここまでわずか五分。朝食は手早く、が僕のモットーだった。使ったのはフライパンだけ。包丁も調味料も油も使っていない。
「サナエちゃん、俺着替えてくるから、適当に食べといて。箸はここ、スプーンはここにあるから」
「杉津君、片手で卵割るのすごーい。あっという間に朝ごはんできたね」
サナエちゃんは目をキラキラさせて喜んでいる。そんなの誰だってできるようになるよ、と僕は苦笑するしかない。
顔を洗って歯を磨いて制服に着かえてダイニングに戻ると、サナエちゃんが食パンにマーマレードを塗っていた。
「あれ? まだ食べてないの?」
「杉津君待ってた。パンに何つける?ジャムとバター両方あるみたいだけど」
「その日の気分。今日はバターにしようかな」
「じゃあ私が塗ってあげるね」
「いいって。自分でやるよ」
「目玉焼きには何もつけないの?」
「それ塩味付いてるからそのまま食べられる。そのためにベーコンとコーンビーフ入れたんだよ。アヤネはコショーかけるけどね」
「そうなんだ」
そう言いながらベーコンを一口かじったサナエちゃんは、また暗い顔になって言った。
「私、今日ね、杉津君にお弁当作ってあげようと思ったの。なのに朝起きたら、なぜかご飯がうまく炊けてなかったの」
「そんな気を使ってくれなくていいのに……」
しかし炊飯器なんてタイマーセットするだけじゃないか。なんであれで失敗するか不思議だ。ははあ、さてはサナエちゃん、水加減間違ったな。タイマー炊飯すると普通に炊くよりもご飯が柔らかくなる。だから水は少な目でいい。お弁当に入れるならなおさらだ。感覚的には0.5合分ぐらい少なくてもいいはずだ。
「せっかく早起きしたのに悔しかったからね、杉津君の家に来ちゃった」
サナエちゃんは、えへっと照れた顔をした後、にこにこ顔に戻って「おいしいね」と目玉焼きをつついた。
僕はそんなサナエちゃんを唖然として見つめていた。同級生のクラスメートと、僕の作った朝ごはんを、僕のうちで、二人で食べている。これはもしかしてものすごくアウトなシチュエーションなんじゃないか? ミハルとですらやったことない。異常なシチュエーションと言わざるを得ない。
……来ちゃった系女子か。うーん。
僕の頭の中で昨日のユカのセリフが蘇った。
―――きっとあの子の中じゃさ、もうカズヤと付き合ってる気になってるんじゃないかな。
やっぱり先月の週末、ほいほい軽い気持ちでサナエちゃんの家に手料理を食べに行ったのはマズかったなあ。やっぱり僕は見通しが甘い。いろいろと。
この状況への対処法は二つしか思い浮かばない。一つは、手段や方法はいろいろあるけど、とにかくサナエちゃんから無理やりにでも距離を置くこと。もう一つは、甘んじてこの状況をこのまま受け入れて、既成事実を積み重ねること。
……こりゃあ、まいったな。
◇
「で、カズヤはサナエちゃんから逃げてくるのに、この私をダシに使ったわけ?」
「逃げてくるってのは言葉が悪いけど、まあ、おおむねそのとおり」
「せっかくミハちゃんにCD持ってきてあげたのにー。渡せなかったじゃん」
放課後、部室へむかう渡り廊下でユカはむくれている。
僕はサナエちゃんと文字通り朝からずっと一緒にいて、気疲れしてしまっていた。何か理由を付けてでもサナエちゃんから離れたくなっていた。
そこへ一日の授業が終わってすぐ、ユカがうちのクラスに顔を出した。教室の入り口で「ミハちゃーん」と声を上げたのを聞いて、僕はミハルが反応するよりも早く「ユカ! 部室行こうぜ!」とユカを引っ張って部室へ向かったのだった。まさに、逃げるように。
「なんだよ、そのミハちゃんってのは」
「キタウラさんのことに決まってるじゃん。私たちね、三姉妹になったから。長女がミハちゃんで、次女が私、三女がサナエちゃん。順番から行くと次女がサナエちゃんのはずなんだけどさ、なんかキャラじゃないって言ってアヤネさんが順番入れ替えたのよねー」
心底どうでもいい序列の変更だ。しかし、一日でここまで距離感縮められるのもユカの美点なんだろうな、とは思う。こいつは歌も踊りも得意だし、顔もスタイルもアイドル向きだ。根っからのアイドル気質なのかもしれない。
実際、中学生の時はダンススクールに通っていて、上級クラスにスカウトされたこともあると言っていた。その上級クラスはほとんどセミプロみたいな実力者ばかり。プロになった人も何人もいたらしい。行けば良かったのに、という問いかけにユカは「私、そこまでガチじゃないんだ。エンジョイ派にはちょっとキツすぎたのよね」と屈託なく笑っていた。そんなユカにとって、僕たちの現音研はちょうどいい活動の場だったようだ。
僕は、事態を呑み込めないまま後ろを付いてくるユカに言った。
「まあ、俺の身の安全のためだと思って大目に見てくれよ」
「むしろ私が身の危険を感じるわよ。このシチュエーションだと、ふつう。で、どこ行くの?」
「だから部室だって」
「誰もいないよ? 今日は部活の日じゃないから」
「むしろ好都合」
「……カズヤ」
ユカは立ち止まって上目遣いで僕を睨む。ユカの切れ長のまなざしが心持ち緊張している。
「あんた、まさか私に告白でもするつもりなんじゃないでしょうね? 一応、念のため、先に言っとくけど、お・こ・と・わ・り、だからね!」
僕は斜め上から飛んできたユカの突飛なセリフにあきれ果ててしまった。なんでここで僕がユカに告白するという発想が出てくるんだ。こいつ恋愛脳かよ。
「さすがにそれはねーよ」
僕の嘲笑を含んだ返答に、なぜかユカはますます不機嫌になって「ふんっ!」と鼻息荒くずかずかと歩いて行ってしまった。
どう反応してほしかったんだ。「プロポーズなら受けてくれるのか?」とか言えば良かったのかよ。扱いづれーヤツだな、まったく……。
◇
「まじで!?」
部室のテーブルに座った僕は、やっとのことで怒りが収まったユカに向かって今朝からの一連の出来事をとつとつと語って聞かせた。起きたらサナエちゃんがいたこと、一緒に朝ごはんを食べて登校したこと、今日一日中サナエちゃんにまとわりつかれたこと。ユカは飛び上がらんばかりに驚愕して絶句する。
「カズヤ、それって……」
そこまで驚かなくても、と僕は違和感を禁じ得ない。
「ああ、ユカの言う通り、サナエちゃんの中では俺たち、もう付き合ってることになっているっぽいな」
「ぽい、じゃなくてもう完全付き合ってるじゃん、それ。もう手遅れだよ」
「んでさ、俺、今日授業中ずっと考えたんだけどさ」
「うん」
「やっぱ、この段階でこんだけアタックされて『困った』っていう感想が出てくるってのはやっぱさ」
中2のバレンタインにミハルがチョコレート持ってきたときとの決定的な違いは、そこだった。あの時はどう反応したらいいか戸惑ったけど、ただひたすらに嬉しかった。今回のサナエちゃんの一連の行動は、とりあえず嬉しくなくはないけど、ぶっちゃけ困っている。
それがすべてだ。それだけで十分だ。もう僕の中で答えは出ているってことなんだ。
多分それだけ言えばユカは分かってくれるだろうと思っていた。ところが……。
「カズヤ、そんなのダメだよ!」
思いがけずユカの口から出たのは強い否定の言葉だった。
「そりゃ、サナエちゃんやりすぎだなーとは思うけど、そこまで覚悟したんだったら、もうカズヤに選択の余地なんかないよ。むしろこの状況からサナエちゃんのことフッたりしたら、私、カズヤを許さないから!」
ユカは厳しい口調でまくしたてる。
ん? なんか話が微妙に嚙み合ってないような……。
んー? こいつ、さては……。
「あ、あの、ユカ。おまえ、もしかしてさ……」
「なによ」
「サナエちゃん、うちに泊まっていって俺と一つのベッドでエッチなことしながら一夜を過ごした、とか勘違いしてない?」
「え? だって朝起きたらサナエちゃんがいて、一緒に朝ごはん食べて、一緒に登校してきたんでしょ? そんで教室でべたべたされたんでしょ? ひょっとして朝一緒にシャワー浴びちゃったりしたわけ? 『杉津君、私、今とってもしあわせなの♡』 とか耳元でささやくサナエちゃんの肩を、やさしく抱きしめたりしちゃったんでしょ! カズヤ、サイテー!」
あーあ、なんだ、こいつ。昼ドラ脳かよ。そーじゃなけりゃ、ラブコメ脳かよ。自分のセリフに恥ずかしくなったのか、ユカは真っ赤な顔で僕を睨んでいる。
「んなことしてるわけねーだろうが。だいたいアヤネがいるのになんでそんなことになるんだよ」
「えええ? じゃあサナエちゃん、朝バスに乗ってあんたの家に行ったってこと?」
「うん。なんか俺の分まで弁当作ろうとして朝早起きしたけど、炊飯に失敗して時間余りまくったから来た、らしい」
ユカは腕組みして唸り始めてしまった。
僕はカバンの中からペットボトルのお茶を出してユカに渡す。
「まあ、これ飲んで落ち着け、ユカ。口つけてないから」
「うーーん、うーーん、私、今すっごい混乱してる」
「だろ? 朝クラスメートが突然家に迎えに来るとか、想像するだけで混乱するだろ?」
ユカはペットボトルのキャップをひねってお茶を半分ぐらい一気飲みすると、「ふう」と一息ついて僕に言った。
「カズヤ、今からうちに来ない?」
はあ?
来ちゃった系女子の次はウチくる系女子なの?
ユカの家は日ノ沢駅から二つ目、日ノ沢本通りのバス停からすぐの、落ち着いたエントランスの都市型マンション。日ノ沢駅の方からのバスに乗って、僕たちとは反対向きにバス通学をしている。
「ちょっといろいろ聞きたいことがある」
戸惑う僕にはおかまいなしに、それだけ告げてユカは部室のテーブルから立ち上がった。
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