第10話 バス停「美倉橋」


「なんでミハルがうちにいるんだよ!!」


 僕は思わず大声を上げた。あ、やべえ、思わずミハルって呼んじゃったじゃねーか。


 後ろを振り返ると、呆然とミハルを見つめるサナエちゃん。この人誰? という顔のユカ。事情は分からないけど、とりあえずヤバそうなことは理解しているショウタロー。


「杉津君、おかえり。アヤちゃんに楽譜借りにお邪魔してた。今、アヤちゃんにご飯作ってあげてるの」


 ミハルはさらっと流し目で微笑んだ。このミハルの説明は、分かるようでいて、そのくせまるで事情が把握できない。とりあえずミハルがアヤネのピアノの楽譜を借りに来たことだけしか理解できない。なぜわざわざ今日? なぜ料理をしてる?


「あ、そうなのか」


 僕は得心の行かない顔であいまいに相槌を打った。そこへ、ダイニングテーブルからアヤネが立ち上がってひょいと顔を覗かせた。まだ外着のままでカバンも持っている。どうやらアヤネも帰ってきたばかりのようだった。そのままアヤネはミハルのすぐ後ろから上がり框に突っ立っている僕に一言。


「たまにはミハのご飯が食べたいもんね。誰かがイヤイヤ作るやる気のないご飯ばっかじゃ、美容に悪いからね」


 なんだ、こいつ。いちいち喧嘩売らないと弟と会話できねーのかよ。


「あらー、みなさん、いらっしゃい。ショウタローくん、久しぶりじゃない」


 アヤネは僕の後ろの三人に気が付くと、途端に外向けのきらびやかなトーンの声に変った。変わりすぎてキモいぜ、アヤネ。


「電車に乗ってたらミハから家に寄ってもいいか、ってメールが入ってね。わざわざメールしなくても合鍵で入ればいいのにと思ったけど、せっかくだから天津飯作っといてってお願いしたのよ」

「なに客人にへーきな顔でメシ作らせてるんだ、アヤネ」


 たまには自分で作れ、という意味で言ったのだが、アヤネは別の方向に食いついてきた。


「ミハが客人なわけないでしょ。なに寝ぼけてんのよ、カズ。あ、みなさんどうぞ。とりあえず座って」


 アヤネは狐につままれたような顔のみんなをリビングのソファに座らせて、「ちょっと着替えてくる」と言い残して自分の部屋に消えた。ミハルはキッチンに戻り、慣れた手つきで天津飯に乗せる卵焼き作りを再開している。フライパンの上で卵が焼ける音と匂いが鼻をくすぐった。


「ちょっと、カズヤ。どういうこと? なんでキタウラさんがあんたの家で新妻よろしくお料理してるわけ?」


 ソファに座るなりユカが僕を睨んで小声でささやいた。そんなひそひそ声で言わなくてもフライパンで焼き物してるミハルにはどうせ聞こえてない。


「俺にも分かんねーよ。アヤネがミ……キタウラさんに天津飯をリクエストしたことだけは分かった」

「ああ、ユカは知らないのか。アヤネさんとキタウラさんはサクラピアノ教室一緒に通ってたんだよ。二人ともサクラピアノのレッスン免許持ってるんだぜ? なあ、カズ」


 ショウタローがユカの隣から助け舟を出してくれた。


「えー、そうなの? じゃあ、カズヤとキタウラさんは昔から知り合いだったってこと?」


 あー、ユカ、頼む。それ以上ツッコまないで、と僕は表情に出ないようにして祈る。少しずつ真相に近づいてくるユカが不気味極まりない。コイツをこのままにしておくといずれ正解に行きつきそうだ。さも当たり前のように僕の隣に座ったサナエちゃんの顔をちらっと見ると、表情でユカと同じ問いかけを僕にしていた。


「アヤネさんとキタウラさんは昔から姉妹同然なんだよ」

「そうなんだ。でも、……その割にはカズヤ、教室でよそよそしすぎない? キタウラさんに対して」

「そうか?  そうでもないぞ」


 ヤバい。ホントにこいつは目ざとい。僕は生きた心地がしなくなってユカの追求を適当にかわす。


「でもアヤネさんて、ホントにさーみんに似てるね」

「だろ? 俺、アヤネさんのためなら死ねるもん」

「ショー、曲がりなりにも彼女の前でそういうこと言う、ふつう?」

「言うぞ、何度でも。せっかくだから今日はアヤネさんにプロポーズして帰、ぐえっ」


 言い終わらないうちにユカの右腕が閃光のように突き刺さって、ショウタローは腹を抱えてソファーにうずくまった。僕は話題が逸れたのをこれ幸いと、「何か飲み物取ってくるわ」とソファーを立った。



「なあ、カズ。実際なんでみーちゃんが来てるんだよ。おまえが呼んだのか?」


 僕の自室でパソコンをいじりながらショウタローが呟いた。人前では僕に合わせてミハルのことを「キタウラさん」と呼んでいるが、ヤツはミハルのことを「みーちゃん」と呼ぶのがデフォルトだ。「カズを差し置いて俺がみーちゃん呼びすんのもなんか違うだろ」と、高校入学以来自発的に呼び方を変えてくれている。そういうささやかな気遣いはホント嬉しい。


「んなわけあるか。それができたら苦労してねーよ」

「だよなー。高校に入ってからみーちゃんをカズの家で見たのは初めてかもしんねー」

「初めてだよ。少なくとも俺は。アヤネを訪ねて俺のいない時にたまに顔出してたみたいだけど。……しかしなあ、楽譜借りに来たって言ってたけど、そんなのわざわざ今日のこの時間じゃなくても帰りに寄ればいいし、なんなら俺が学校に持って行って教室で渡してもいいし。ショウタロー、あいつ何がしたいんだと思う? 俺にはさっぱりわからん」


 僕は正直に答えた。ぶっちゃけ今日のミハルの行動は理解を超えている。


 僕とショウタローは二人で部屋にこもって、パソコン相手に編集作業に取り掛かっていた。アヤネはミハルの作った天津飯を食べながら、女子二人とミハルはコーヒーを飲みながら、ダイニングで四人でおしゃべりを続けている。


「おまえさ、カズ。ユカにはみーちゃんと昔付き合っていたってこと、言っといた方がいいかもよ? アイツ、性格的に正解にたどり着くまで聞き続けるぜ?」

「うーん。そうだな。誤魔化しきれる気がしないなあ」

「付き合ってるから言うわけじゃないけど、アイツ、秘密をばらまくようなことはしないから。それよりも口を割るまでいつまでも追及してきてウザいぞ」

「おい、ショウタロー」

「ん? どうした?」

「ノロケんのはいいけど、付き合ってる彼女のことをウザいって言うのはよくないぜ」

「……分かったよ。気を付ける。しかしあいつら何話してるんだろ。気になるなあ。ちょっと聞いてくるわ」


 ショウタローはリターンキーを叩いて立ち上がった。ショウタローに言ったのは、僕がミハルとの付き合いで学んだ人生の経験則の一つ。ショウタローに同じ後悔を味あわせるのは忍びない。それを冷やかすことも疑うこともしないであっさり聞き入れるあたり、やっぱりこいつはいいヤツだ。


「ユカが振り返るシーン、2分14秒あたりなんだけど、頭出ししといてくれよ、カズ」


 そう言い残して、空のグラスを載せたお盆を持って、ショウタローは部屋を出て行った。


 僕はマウスを握って動画の2分14秒のユカが振り返るシーンを画面に広げる。左にさーみんたちのPV、右に制作中のGOKのPVを並べて同時に再生。左の画面ではさーみんが夕暮れの橋の上でゆっくり振り返って一瞬驚いたあと、わあーと喜ぶ。


 これをコピーするために僕たちは、何回も学校の近くの美倉橋に撮影に行った。ちゃんとPVと同じようにバス停の標識が映り込む角度で撮影していたが、上手く行ったと思ってもタイミングが微妙にずれていたり、バスがカメラの前を通り過ぎてしまったり。このシーンは苦労したなあ、とNGカットのファイルを整理する手を止める。消すのはさすがにもったいない。


 そんなことしているうちにNGカットのうちの一つが目に留まった。まだ撮り始めた時期のテイクだ。振り返ったユカの目の前で、ちょっとしたいたずら心で僕はカメラを持ちながら思い切り変顔をしていたのだった。ユカは一瞬本気で驚いた後、思わず吹き出して「なにやってんのよー! 笑っちゃったじゃん!」と大笑いしたところで録画が終わる。


「パロディPVだからこっちの方がいいんじゃないかな」


 ちょうどPVと同じぐらいの夕陽になっているし、ユカが振り向くタイミングもばっちり。振り返ったユカが一瞬ガチで驚いた後、吹き出して大笑いしているのが違いだ。部活の楽しさをPVで表現するなら、これぐらいの違いは問題ないだろう。何よりユカの笑顔が心底いい。言っちゃなんだが、さーみんの演技くさい「わあー」よりも、圧倒的にいい。まあ、ショウタローが戻ってきたら聞いてみるか。


 そんなことを考えながら、NGテイクのユカとPVのさーみんの顔が同じ角度になるように調整していると、ショウタローがペットボトルを二本抱えて戻ってきた。


「お、そのユカの笑い転げてる顔いいなあ。でもそれNGテイクの映像じゃねーの、カズ」

「あのさーみんが振り向くシーン、これにしようぜ。こっちの方が楽しそうだ」

「ああ、たしかにこっちの表情の方がいいな」

「よし。じゃあ、こっちで決まり。それよりアイツらなんの話してた?」

「受験勉強のやり方と、今は大学生活の話。思ったより和気あいあいだった」

「サナエちゃんも?」

「ヨネハラさん、もともとみーちゃんと仲良かったんだろ? 別に普通だったぜ」

「仲良かったらなおさら、どうしてミハルがここにいるのか不思議に思いそうなもんだけどなあ。女子の思考はわかんねーからな」

「まあ、とりあえず最後まで作っちゃおうぜ。あと少しだ」



 動画の編集が終わって僕とショウタローはリビングに出てきた。ダイニングテーブルでは、アヤネを囲んで四人でお菓子をかじりながら談笑していた。


「ユカはなんもやってねーじゃん。食って飲んでしゃべってただけかよ」

「あはは、カズヤ、ごめーん。でも私、アヤネさんに一生ついていくことにしたから。アヤネさーん、私も妹にしてー」


 ユカはダイニングの椅子から立ち上がるとアヤネに背中からがばっと抱き着く。アヤネ、一体この数時間でどんな調教したんだ。


「いいよー、ユカちゃん。私にはミハとユカとサナエの三つ子の妹がいるということね」

「わーい!」

「わーいじゃねーよ、ユカ、なにやってんだ。そんなこと言うとアヤネが調子に乗るからやめろよ」

「バカカズは黙ってろって。カズの姉はいつでもやめられるけど、三姉妹の姉は死んでもやめないからね、私は」

「アヤネ、何調子に乗ってんだ。ほら見ろユカ。ちょっとおだてるとすぐ付けあがるんだ、こいつは」

「ところで、アヤネさーん。せっかくだから聞いちゃいますけど、カズヤってガキっぽくないです?」

「ユカちゃん、何当たり前のこと言ってんのよ。がっつりガキじゃない」

「いや、カズヤってね、ガキっぽいくせにやたら女の子扱い慣れてるんですよー。もしかして彼女いたことあるんじゃないかなーって」


 うわっ。こいつ、なんてこと聞きやがるんだ。僕だけでなく、ミハルもサナエちゃんもショウタローも固まってしまった。それぞれいろんな思惑がある。そんな一瞬で冷えたリビングの空気を無視して、ユカは無邪気にアヤネに抱き着いていた。


「いたわよー。かわいい子がねー」


 アヤネ! 何さらっとホントのこと言ってるんだ! ユカはやっぱりそーなんだ、としたり顔をしている。おそるおそる首を振って周りを見ると、ミハルは心持ち赤くなっていた。サナエちゃんは心持ち青ざめていた。ショウタローは俺の責任範囲外です、と無表情になっていた。


「フラれちゃったみたいだけどねー」

「アヤネ! いい加減にしろ、ぶち殺すぞ!」



「……キタウラさん、ホントの話、今日うちに何しに来たの?」


 ニュータウンのバス通りで正面に沈みかけの夕陽を見ながら、僕は鼻歌まじりで少し前を歩くミハルに聞いた。サナエちゃんとユカは月の瀬神社から日ノ沢駅東口行きのバスに乗って帰って行った。僕は食材を買いにYマートに行くついで、という口実でミハルを家まで送ることにした。


「ん?  楽譜借りにだよ?」


 ミハルはにこりと笑ってそう答える。いや、それは知ってる。


「今日じゃなくてよかったんじゃないの?」

「まー、早い方がいいかなと思ってね。それより杉津君、ユカちゃんに何も話してないんだ。私たちのこと」

「あー、そりゃしないよ。ていうかできないだろ、ふつう」


 ミハルはいたずらっぽい顔で僕の顔を覗き込んで言う。


「アヤちゃんが言ってたアレ、私なんだよー、って言ったら、みんなどういう反応するかなあ」


 楽しそうに含み笑いしたミハルは、くるっと前に向き直ると、かばんを後ろ手に持って、また鼻歌まじりに歩き始める。僕はなんだか知らない人を相手に話している気分になった。


「ガキっぽい癖に妙に女の子に慣れている、かー。いいところ見てるよね、ユカちゃん。ショウタローくんの彼女じゃなかったら、カズヤ君……杉津君にお似合いかも、とか思っちゃった」


 ミハルは楽しそうにスキップでもする勢いでどんどん歩いていく。

 ミハル、それはどういう意味なんだよ。

 僕は問いを声にできないまま、少しずつ距離が空いていくミハルの背中をただ黙って見つめている。


 日暮れの時間はどんどん早くなってきた。西の空にほんのり赤みを残すだけの夕陽の抜け殻が、僕たちの帰り道をふんわりと柔らかくグラデーションに包んでいた。



 

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