第9話 バス停「月の瀬神社」
十分ほどかけてたぬき坂を上ってきたバスは、たぬき坂上のバス停をそのまま通り過ぎた。ショウタローは降りる素振りを露ほども見せず、ユカとなごやかに談笑している。バスはほどなく月の瀬神社のバス停に到着した。ショウタローの家は神社の近くで、ヤツはいつも月の瀬神社からバスに乗っていた。ヤツにとってはたぬき坂上よりも月の瀬神社で降りる方が慣れているのだろう。どちらで降りても、うちまで同じぐらいだから大勢に影響はない。
バスを降りた僕たちは、ショウタロー、サナエちゃん、僕、ユカの順に並んでうちのマンションへ向かった。ショウタローは何度もうちに来ているので、ほっといても道を間違う心配はない。十メートルほど先でサナエちゃんのトートバッグの中身を見て、ヤツは興奮して叫んでいた。
「おお! これは三周年記念コンサートの大阪ドーム限定サイリウムうちわじゃん、こっちはちせっぽオリジナルマグカップ! これカズに全部あげちゃうの? ただで? それずるくね? 俺ももらってもいい?」
「え? あ、池田君、それ、あの、杉津君にあげようと思ってたんだけど……」
その様子を若干軽蔑気味に一瞥していたユカが、僕の隣を歩きながら低い声で言った。
「さっきの話だけどさ」
「どの話だよ」
「ヨネハラさんと付き合う気があるのかって話」
「ああ」
「そもそもいつの間にあんたたちあんなに接近したのよ」
ユカと僕は一年生の時に同じ2組だった。多分クラスの女子の中で一番良く話をしていたと思う。二年生になってクラスが離れてからも、ユカはしょっちゅう僕のクラスに顔を出していて、サナエちゃんの顔と名前ぐらいは知っていた。
だから、ユカは僕とサナエちゃんはそれほど親しくないと思っている。急にごく親しげな雰囲気で家に行きたいとサナエちゃんが言い出したこと、それに対して僕があっさりOKしたことが、ユカには腑に落ちなかったようだ。
「一学期はほとんど挨拶もしてなかったじゃない。なんかきっかけがあったんでしょ?」
相変わらずこいつ鋭いなあ。よく見てるよ、ホント。
「一学期の最後の調理実習でさ、同じ班になったんだよ。それでちょっと話すようになったって感じ」
嘘は言っていない。
ただ極めて重要な事実が抜けている。
僕は七月の調理実習のことを思い出していた。
◇
「杉津君、あと何がいるかな」
七月の始めのある日の放課後、美倉橋のバス停の近くのスーパータケナカでカゴを押している僕に、ミハルが話しかけてきた。僕とミハルとサナエちゃんの三人は、連れ立って調理実習の材料の買い出しに来ていた。
ミハルに杉津君と呼ばれるようになって三か月。違和感と疎外感と拒絶感しか感じないその呼び方は正直やめてほしい。が、話しかけてもらえるだけでも圧倒的進歩だと言える。
調理実習の班はミハル、サナエちゃん、トモアキ、僕の四人。買い出しに行かないかとミハルに誘われた僕は、嬉しさを隠すためにわざとぶっきらぼうに「どうする?」とトモアキに一応お伺いをたてた。トモアキは極めてめんどくさそうに「暑いからパス。俺は食べ専に徹するよ。料理はキタウラさんとヨネハラさんに任せた」と答えたが、僕はヤツがどう答えても既に行く気満々だった。
「……なんか買い物しづらいな」
「ふふふ。そうだね。野菜が右側に並んでいるのがどうにも変な感じ」
僕とミハルが話している後ろをサナエちゃんがとことこ付いてきている。僕が冷蔵ケースからひょいっと食材を取ってカゴにぼこぼこ入れていく横で、ミハルが中通りの棚から調味料を拾ってきて入れる。言葉は交わさなくても、お互いの役割分担みたいなのは、中学生の付き合っていた当時のままだった。
「サラダオイル、塩コショウ、ゴマ油。なんか、イチから買い揃えると案外大変だね」
「オイスターソースと醤油もほしいところだけど一瓶買うほどじゃないなあ。うちから持ってくるか」
「杉津くん、私、天津チャーハンが食べたい。天津チャーハンにしない?」
「えー、ミハ……、キタウラさん、まじで言ってる? でもまあチャーハンだけじゃ一瞬でできちゃうからな。よーし、天津チャーハンにするか。卵と片栗粉とチキンスープの素、あとカニカマがいるかな」
「取ってくるね。ちょっと待ってて」
ミハルがカートを残して食材を集めに行った。サナエちゃんはあうんの呼吸で進む僕たちの買い物に圧倒されていた。ミハルとサナエちゃんは一年の時から同じクラスで親しくしていたらしいが、僕たちがもう何百回も一緒に買い物をしていることは当然知らなかった。
「あ、あの、杉津君……」
「あ、ヨネハラさん、ごめん。勝手にメニュー変えちゃった」
「それはいいんだけど、なんでそんなにお買い物早いの?」
「ああ、俺、鍵っ子だから。料理は俺の当番だったんだよ。食材の買い出しもね。チャーハンなんて課題としては簡単すぎだよ。いつもアヤネ、……姉貴に作ってやってるからさ」
嘘は言っていない。
しかし、ミハルと買い物に来るのなんて何百回目か分からないとはさすがに言えない。
「す、すごーい。私、料理はおろかスーパーでお買い物とかもあんまりしたことない……」
「別にそんなたいそうなことでもないし、ヨネハラさんも買い物ぐらいすぐできるようになるって」
「杉津君てミハルちゃんと同じ中学なんでしょ?」
「……うん」
「家も近くなの?」
「そんなに近くない。バス停で四つ分ぐらい離れてる」
嘘は言っていない。
しかしニュータウンの中はバス停がこまめに設置されているから、実際はサナエちゃんのイメージする距離の半分ぐらいしかない。しかし、こんなところで叙述トリックをかますのも、情けなくて嫌になるな。
僕はカートを押しながらサナエちゃんに尋ねた。
「ヨネハラさん、チャーハンの具何がいい? ベーコン? えび? 好きなの作れるから選んでくれていいよ」
「え? チャーハンの具? うーん、杉津君の好きなのでいい……」
サナエちゃんは僕に丸投げした。いつもはアヤネが僕の要望を一切聞かずに具を指定してきて、選択の余地がないことが多い。この反応は僕にとって新鮮だ。まあ無難にベーコンにするか。僕はブロックベーコンを冷蔵ケースから取ってカートにほりこんだ。あとはめんどくさいからミックスベジタブルでいいや。
そこへ食材をかかえたミハルが戻ってきた。
「こんな感じかな。杉津君、料理酒いる?」
「うーん、みりんの方がいいかなあ。買わなくていいよ。うちから持って行くから」
「スープはどうしよう?」
「あ、課題で作んなきゃいけないんだっけ。スープの素買ってるからそれで作るか。キタウラさん、玉ねぎとほうれん草買い足しといて」
「うん。分かった。サナエちゃん、行こ? あっちだよ」
◇
調理実習当日。フライパンにサラダオイルを引いて温めている僕の横で、ミハルはサナエちゃんに片栗粉の溶き方を教えていた。
僕は鍋に水を入れて、スープの素とみりんを合わせて強火にかけ、醤油を少しだけ入れる。吹いたら火を止める。入れ替わりにミハルが鍋の前に立ち、サナエちゃんに「冷めたらゆっくり入れて行ってね。入れ終わったらちょっと強めの中火で温めるの」と片栗粉のボウルを渡している。サナエちゃんの料理の手つきは、いろいろ危なっかしい。正直言って、見ていられないレベルだった。ミハルはそんなサナエちゃんに、懇切丁寧に一から教えていた。
僕は、そんなミハルを横目に、もう一口のコンロに置いてあったフライパンを持ち上げた。横からミハルが溶き卵の入ったボールを取って、手渡してくれる。溶き卵をフライパンにあけて菜箸で真ん中に寄せていると、今度はいいタイミングでミハルが皿に盛ったベーコンを寄こしてきた。僕が無言でフライパンを少し傾けると、ミハルはベーコンを固まり始めた卵の上に撒いて行く。軽く焦げ目がつくぐらいまで卵が焼けたところでフライパンを火から降ろす。
「サナエちゃん、フライ返し。杉津君に渡して」
「……え、こ、これ?」
ミハル、僕がフライ返しがほしいのがよく分かったな。焼けた卵をフライ返しで一旦お皿に退避。フライパンの焦げ目をガリガリ削り落としていると再びミハルの声が飛んだ。
「サナエちゃん、次はサラダオイルだよ!」
「は、はい」
サナエちゃんがおずおずとくれたサラダオイルを再度フライパンに。あ、入れすぎちゃった、と思ったら横からミハルがキッチンペーパーで手早くふき取ってくれた。
ミックスベジタブルとさっきのベーコンの残りをフライパンで炒めて、塩コショウをがっつり振ったところで火をとめる。隣ではミハルが炊き上がったご飯をほぐしている。
「後はご飯ごと炒めるだけだな」
「そうだね。もう作っちゃおうよ」
結局、僕たちは制限時間を十五分も残して天津チャーハンを作り上げた。
ちょっと味が濃かったが、我ながらいい出来だと思った。
◇
調理実習の翌日。
朝教室に来るとやけに暗い顔をしたサナエちゃんが席に座っていた。このころは窓側の最後尾がミハル、その一つ手前が僕。僕の隣がサナエちゃん、サナエちゃんの後ろにトモアキという席配置だ。
「ヨネハラさん、体調悪いの? 顔色良くないよ?」
「ううん、大丈夫。体調は悪くないけど、私、あまりにもお料理できないなあって。昨日の調理実習、ショックだったの。お手伝いですらまともにできなかった……。杉津君、私にお料理教えてくれない?」
僕は苦笑してしまった。ま、たしかに全然できてなかったけど、そりゃやってないからだよ。僕が料理ができるのはアヤネに作らされてるからだし。
「それならキタウラさんに教わるといいんじゃない? 俺なんかより料理上手だし」
「うん。あと杉津君、お願いがあるんだけど……」
「なに? ミハ……キタウラさんに頼んでほしい?」
「いや、それは自分でできるから。あの……、私のこと、ヨネハラって呼ばないでほしいの。私、コメでハラでナエじゃない? あまりにも田んぼっぽい名前がイヤで」
……なんだ、変なこと気にするんだな。ま、お安い御用ではある。
「じゃあ、サナエ……ちゃんでいい?」
「うん!」
サナエちゃんはにっこり笑った。
◇
うちの学校は一学期ごとに席替えをしている。
二学期の最初の席替えで中央列の前から三つめがサナエちゃん、その廊下側の隣が僕、ミハルは僕の列の一番前、トモアキはもともとミハルが座っていた窓側最後尾という配置になった。
くじ引きで窓側最後尾を引いたサナエちゃんが「私チビだから最後尾だと黒板見えない」と言ってトモアキを含む何人かとトレードをしていた。再び僕の隣席に座ることになったサナエちゃんは僕にそっとささやいた。
「あのね、杉津君、私、夏休みの間、お料理特訓したの。ミハルちゃんにも教えてもらったし、お母さんにも教わったんだ」
「へえ」
「それでね、食べてみてほしいの」
「え?」
「ミハルちゃんがね、杉津君の好きな食べ物とか好きな味付けとかいろいろ教えてくれたから」
「えええ??」
「この味なら大丈夫って、ミハルちゃんも言ってくれてるから」
うーん、飯を食べるだけならまあいいかな、とその時僕は思った。
相変わらず僕は見通しが甘い。いろいろと。
◇
「ホントにそれだけ?」
ユカは猜疑心百パーセントで聞いてきた。
「うん、それだけだって。マジで」
「ま、いいけどさ」
なぜか呆れたような様子でユカは僕を見る。ユカに呆れられる心当たりがまったくない僕は、どう反応したらいいか戸惑うばかりだ。
「あんま女の子に気を持たせるのやめときなよ? カズヤのそういうとこ、良くない」
全否定しなくたっていいじゃねーかよ、と思ったが、断言されると返す言葉もない。気を持たせたつもりはまったくないけど、女子に直接そう言われた以上僕の方が立場ははっきり悪い。
「でもさ、ユカ。好きだとも付き合おうとも言われてないのに断るのっておかしくね?」
「何言ってるの。『あなたのためにご飯作りました。食べてください』ってさ、告白してるのと同じじゃない。それ、料理じゃなくて『私を食べてください』ってことなんだよ? きっとあの子の中じゃさ、もうカズヤと付き合ってる気になってるんじゃないかな。じゃないとあんな露骨なことしないよ、ふつう」
「えー、そんなのどうすりゃいいんだ、俺は」
「付き合っちゃえばいいのよ。このまま。それとも何? カズヤ、あんた他に誰か好きな子でもできたわけ?」
うぐっ。こいつホント鋭すぎて扱いずれーやつだな。僕はやられっぱなしなのも癪なので反撃してやることにした。
「今ごろ気が付いたのかよ。……ユカ、おまえだよ」
さすがにユカは歩みを止めて僕に顔を向け、目を見開いたまま固まった。あまりに驚愕の表情で静止しているユカに向かって、僕はさらりと言ってやる。
「へへへ、うそだよ」
途端に僕のみぞおちにひねりの効いた右ストレートがめりこんだ。
◇
そんな話をしているうちにマンションに到着した。エントランスのカギをリモコン解錠して「ここだから」とみんなを中に招き入れた。ユカはさっきの冗談が気に障ったらしくまだぷんぷん怒ってる。ショウタロー、後は任せた。
三階のうちの前まで来て、アヤネのやつソファに半裸で寝転んでたりしねーだろうな、と一瞬心配になった。バイク置き場に赤い原付があったから、アヤネはもう帰ってきている。まあ、たまには恥ずかしい思いをするのもいい薬だろ、とインターホンを鳴らさずに鍵を開けて中に入った。
「ただいまー」
「おかえりなさーい」
軽快な声が玄関に響いて、半裸のアヤネではなく、制服にエプロン姿のミハルが顔を出した。
?
制服に?
エプロン姿の?
ミハル????
「なんでミハルがうちにいるんだよ!!」
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