第8話 バス停「下美倉三丁目」


 その日の放課後。今日は部活の日だ。


 部活に行こうと荷物をまとめていると、背後からドンと衝撃を受けた。思わず前のめりになってかばんを取り落としてしまう。


「いてーなー!」

「この変態ヤロー! 鈴ちゃんの授業でやらかしたんだって?」


 振り返ると、ゆるい天パ(と本人は言い張っている)の女子がショルダーアタックをかました体制で、こちらをいたずらっぽい笑顔で見ていた。柏原友加。同じ部活の女子だ。


「なんだよ、情報はえーな。なんで4組まで話が伝わってるんだ。あれは事故なんだよ、事故」

「むふふふ。まあ、カズヤのことだからあ、なーんかあ、不穏な夢でもお、見てたんでしょっ! えーい、何の夢を見てたんだ! 吐け! ここで、今すぐ!」

「別に何の夢も見てねーよ」


 これは嘘。がっつりミハルにフラれた時の夢を見ていたとは、この場でこいつ相手に話せるわけない。


「ほおー? まあ、いいけどお。今日の部活さ、ミユもヒナも来れないって。一年生は全員合唱コンクールのステ練だって。私とショーとカズヤの三人だけなんだけど」

「あら、そうなのか」


 僕たちの部活は「現代音楽研究会」。たいそうな名前だが、中身はただのアイドル研究会だ。僕たちが一年生として入学した時には、三年生の幽霊部員が二名だけという実質的に廃部寸前のクラブだった。


「おい、カズ、こりゃいいぞ。ここ入ってちせっぽ研究会にしてしまおうぜ」


 ショウタローは盛り上がって、無理やり僕を連れて入部した。もともとシンセサイザーを使った曲なんかを鑑賞していた部活だったようだが、ショウタローは同級生たちの同じアイドル趣味の人間を嗅覚鋭く探し出し、男子四人女子三人で勝手に「現代音楽研究会」をアイドル研究会にしてしまった。簡単に言うとクラブを乗っ取ったみたいなもんだ。略称のGOKもこのときノリでユカが付けたものだった。細かく言うとGOK37なんだけど、後ろの数字はその時のユカの気分でコロコロ変わる。特に意味はないらしい。


 意外だったのは女子にも結構な人数のアイドルの隠れファンがいたことだった。ユカはその時にショウタローと意気投合して入部した女子だったが、なんだかんだで去年の秋ぐらいから二人は付き合い出している。つまりユカはショウタローの彼女だ。


 今年の春、女子三人がちせっぽたちの歌とダンスを完コピ、男子はオタ芸とコールを完コピしたパフォーマンスで新入生の勧誘を行い、男子三名女子五名が入部して、すっかりにぎやかな部活になっていた。


「でね、今日はさ、PVの編集やろうと思うんだけど」

「機材どうすんだよ」

「カズヤの家でできない?」

「あー、うちなら一応できるな」


 今年の文化祭では、ちせっぽたちのグループ「セイントアージュ」のPVをパロったGOKのPVを作ろうということになって、夏ごろからコツコツとPVのシーンを撮りだめしていた。撮影と音入れはあらかた終わっているのであとは編集だ。学校の視聴覚室にあるパソコンを使って編集をするのだが、文化祭前は映像を扱う部、つまり放送部とか映研とかその他にも科学部や鉄道研究会などで取り合いになる。弱小部のGOKはなかなか順番が回ってこない。そこでうちにあるオヤジが使っているパソコンをちょっと拝借しようというユカの算段だ。


「でも、今日は姉貴が家にいるからなー」

「まじ? それならなおさら行きたい! ね、カズヤ、行ってもいいよね?」

「えー、俺自転車で来てるんだけど」

「学校に自転車置いてバスで一緒に行けばいいじゃん!」


 ユカはぐりぐり押してくる。こいつはとにかく押せ押せ系怖いもの知らずJKの標本みたいなヤツだ。そんなユカとアヤネを会わせると、どんな化学反応(主に悪い方向の)が起きるか分かったもんじゃない。


 それに、いまだにショウタローは「ユカとは付き合っているけど、結婚するならアヤネさん一択。最悪ちせっぽとなら妥協できる」と訳の分からないことを普段から言い放っている。それを言うたびに額に青筋を浮かべたユカの右ストレートがショウタローのみぞおちに食い込んでいた。僕はくだらない痴話喧嘩だと思っていつも聞き流しているが、ユカとショウタローとアヤネの三人が修羅場ってるところなんて正直見たくない。ま、ユカもショウタローもその辺は冗談だとわきまえているとは思うけどね。


 実際、ユカはアヤネにそれほど悪感情はなくて、純粋にさーみんに似ていて聖アゼリア女学院から有名な大学に進学したことに憧れているようだった。前々からアヤネに会いたがっていたが、去年はアヤネが受験生だったので今まで会わせる機会が無かった。これは確かにいい機会かもしれない。


「うーん」

「決まりね!わたし、ショー呼んでくるからそれまでに準備しといて!」

「あのー」


 よく響く声で勢いよく喋るユカの話に口を挟んだのは、隣席で帰る準備をしていたサナエちゃんだった。


「もしよかったら、私も杉津君の家お邪魔していいかな? 部活の邪魔はしないから……」

「え?」


 僕とユカはそろって目を丸くしてサナエちゃんを見つめた。


「なんで、ヨネハラさんがカズヤの家に行きたがるの?」


 ユカの疑問はもっともだ。僕もそこは疑問に思う。同級生の女子がでかい声で僕の家に行くと言ってるのに対抗心が湧いたのだろうか。なんかタテマエがないとなかなか普通は言い出せないもんだと思うけど。サナエちゃん、一体何を考えてるんだ?


「じ、実は、杉津君にちょっと渡したい物があるんだけど、学校ではちょっと……」

「おお! サナエちゃん、もしかしてさーみんのアレ!?」


 言いよどむサナエちゃんに僕は食い気味に聞いた。僕の声が大きすぎたのか、カバンを持って教室を出ようとしていたミハルが思わず遠くから僕を振り返っていた。ああ、ミハルも今日は委員会なのか。


「うん。他にもいくつかグッズがあるから、よければ一緒に持って行こうかなと思って」

「まじ! それは率直に言って、ほしい。喉から手が出るほど」

「ホント!? じゃあ、家に寄って取ってから行くね」


 サナエちゃんは嬉しそうに歓声をあげた。ふと見るとまだミハルが教室の入り口から僕たちを眺めている。アイツ、なにやってんだろう、と僕は少し不思議に思ったが、とにかく、期せずして今日の放課後はショウタロー、ユカ、サナエちゃんの三人が僕の家に来ることになった。



 先週、さーみんたちのグループ 「セイントアージュ」がニューアルバム「キミに悲しい話は似合わない」をリリースしていた。最近の音楽業界の慣例に則って、通常盤の他に初回限定A盤、B盤という二種類の限定盤が発売されたのだが、どうやら公式にはアナウンスされていない「幻の初回限定C盤」が存在していたらしい。


 見た目は初回限定B盤と同じ。しかし、CD盤の色がピンク色で、さーみんのソロ曲「キミと真っ赤な自転車」とさーみんのボイスメッセージが隠しトラックに収録されている。しかもライナーノートには直筆のサイン入りだ。噂では初回限定B盤千枚に一枚の割合で混じっているとのこと。それ目当てにB盤を千枚まとめ買いするオタクが続出していた。そりゃ、あんな暴力的プレミアが付いている物を学校に持ってきたらえらいことになる。


 僕はさすがに千枚まとめ買いとかクレイジーなことをする気はないし、そんな金もない。だってB盤千枚ってことはひと声三百万円だぜ?


 しかも、話によると千枚買ったからと言って必ずC盤が入っているというわけでもないらしい。これはあくどい。ツイッターでは千枚買ったのにC盤が一枚も入っていなかった、と暴れるオタクがこれまた頻出。その一方で、街中のCD屋でたまたま買った一枚がC盤だったという、とてつもなくヒキの強い人もいるようだった。


 先日サナエちゃんと街に出かけたとき、話題のつなぎにそんな話をしていると、サナエちゃんは「それってCDがピンク色のやつのことでしょ? うちのお父さんが広告代理店に勤めててね、それうちに何枚もあるんだよ。開封品で良かったら一枚あげるね」とさらっと言った。僕は驚愕のあまりサナエちゃんの顔にあと三センチメートルのところまで顔を近づけて「ホントに、いいの?」と聞いてしまった。


 少し息を飲んで、潤んだ瞳で、少し唇を突き出して、「うん。……いいよ」とささやき、そっと目を閉じるサナエちゃん。

 僕は素で「イヤッホー!!」と叫んでガッツポーズで飛び跳ねていた。


 この時、僕が非常に紛らわしい行動を取っていたこと、そしてサナエちゃんが重大な勘違いをしていたことに気が付いたのはその日の夜、家に帰ってベッドに入ってからだった。



「ヨネハラさんてさあ」


 ユカはバス停の標識にもたれながら、片側一車線のバス通りをぼんやり見ながらつぶやいた。時折自転車通学のうちの生徒が通り過ぎる。住宅街の昼下がりはことのほか静かだ。


「なんか、不思議な人だよね。カズヤ、仲いいの?」

「んー、仲いいか悪いかで言うなら、悪くはない」

「まあ、カズヤも不思議なとこあるんだけどね。ヨネハラさんとは違った不思議さが」

「俺の何が不思議なんだよ」


 僕たちは下美倉三丁目のバス停でサナエちゃんを待っている。サナエちゃんは例の初回限定C盤を取りに一旦家に帰って行った。彼女の家はここのバス停からすぐだ。僕たちは四人で学校からここまで歩いてきた。と言ってもバス停一つ分、数百メートル程度なので大した距離ではない。ユカは僕の質問には直接答えず独り言のように話を続ける。


「カズヤさ、あの子と付き合うつもりなの?」


 うっ、答えにくいことをずばっと聞いてきやがる。こいつは何も考えていないようで結構鋭い。とっさに反応できなくて目を白黒させてしまう。


「付き合うつもりならいいけど、そのつもりないなら、もう少し距離取った方がいいんじゃない?」


 いやいや、ユカに言われなくたって……。ショウタローはベンチの端に座り、イヤホンで音楽を聴くのに没頭していて、僕たちのことはまったく視野に入っていない。そして、ユカの独白はさらに続いた。


「だいたいカズヤはさ、ガキっぽいくせに妙に女の子の扱いに慣れてるとこあるからさ、私、前から勘違いする子が出てきちゃいそうだなー、と思ってたのよねー」


 ユカはバス停から離れると、僕の正面に立って、射すくめるような視線で言った。


「カズヤ、あんた、彼女いたことあるでしょ」


 ショウタローはユカに僕の話を何もしていないのか……。なんて答えるべきか、はたまた何も答えざるべきか。迷っていると背後からやわらかい声が聞こえた。


「ごめんなさーい、ちょっと準備に手間取っちゃって」


 バス停横の道からサナエちゃんがぱたぱたと走ってきた。制服のままだが、少し大きめのトートバッグを持っている。いいタイミングだ。助かったよ、サナエちゃん。このままユカに尋問されるのもツラいものがあった。


 ちょうどそこにバスが来て、僕たちの前で車体を震わせて止まる。赤の38系統、ニュータウン中央行右回りのバスだ。


「ほら、ショー、バス来たよ。乗るよ」


 ユカはイヤホンのせいでバスの到着にまるで気が付いていないショウタローを左フックで小突いている。僕たちはわやわやとバスに乗り込んだ。


 動き出したバスの中で、僕の隣でサナエちゃんが一生懸命つり革を握っている。


「それ持つよ」

「あ、ごめんね。ありがとう。私、ちびだからつり革とトートバック両方持つときついの」


 僕はサナエちゃんのトートバックを肩からかついだ。僕たちの背後ではショウタローとユカが並んで二人掛けの席に座っている。ユカはショウタローを小突いて小声で説教しているようだ。やれやれと言った表情で耳からイヤホンを抜いてユカに顔を向けるショウタロー。なんだかんだでカップルらしい空気感が漂っている。あの二人はああいうペースでずっと来ているんだろう。


 僕はつり革にぶら下がりながら、たぬき坂の上り坂に差し掛かったバスの車窓を眺める。


 友人たちと連れ立って行く、僕の帰り道。

 案外悪くないもんだ。


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