第6話 県立梅谷総合運動公園 芝生広場
そして思い出すのは問題の日曜日。
約束の時間に間に合うように僕が出かける準備をしていると、スマホが震えた。もう出なきゃいけない時間だったが、画面を見るとショウタローからのメッセージだ。ショウタローは数少ない星中から西高にいっしょに進学する友人。明るく気が良くて裏表がない。僕とは小学校以来の親友だった。ヤツを無下にすることもできない。
「カズ、ビッグニュースだ!」
おもむろに開いたメッセージの吹き出しの中に派手な絵文字が並ぶ。開かなきゃよかった、と思わずため息が漏れた。ヤツの言うビッグニュースがビッグだったためしがない。僕はそっけなく返信を打った。
「なんだよ。今忙しいんだよ。あかりちゃんのサイン会とか俺興味ねーぞ?」
ショウタローはとにかくいいヤツなのは間違いないが、問題点が二つある。一つはやたら話がうさん臭いこと。もう一つは筋金入りのアイドルおたくだったこと。
ショウタローからは速攻で折り返し音声通話が入ってきた。画面いっぱいにアイドルの笑顔が広がる。着信音は彼女たちのグループ「セイントアージュ」の最新シングル。どっちもショウタローに半ば強制的に仕込まれたものだ。
「バカ、違うよ。いいかカズ。よーく聞けよ? ニュータウン中央でなあ、今度ちせっぽの出るTVドラマの撮影やるんだって!」
「まじで?」
思わずガチで聞き返してしまった僕はだいぶヤツに毒されている。
「ちせっぽが出るドラマということは、つまりあれか …… 」
「そう。カズの愛しのさーみんも来るってことだ!」
ショウタローはドヤ声で高らかに宣言した。
「どうだ、カズ。行きたくなったか?」
「……三ミリぐらい行きたくなったかも」
「バーカ、何カッコつけてんだよ。行きたいんだろ?」
「行きたいか行きたくないかで言えば、行きたい」
そう。実は僕はさーみんのファンだった。
少し前の中学校での昼休み、ショウタローが持って来たセイントアージュ全員の写真集を見ているとき、その中から 「この子がいいな」 と僕が指さしたのがさーみんだった。僕の指さしたアイドルを見て、ショウタローはとんでもないことを言い放った。
「そうだろうな。カズならさーみん推しだと思ってたよ。だってさーみん、アヤネさんに似てるし」
「おまえなあ、アヤネに似てるかどうかで推しメン決めるわけねーだろ。キモいこと言うな! だいたいアヤネに似てるなんて、この子に対する最大の侮辱だ。失礼だぞ!」
「そんなこと言ったって、似てるんだからしょーがねーよ。さーみんの髪伸ばしてポニーテールにしてみ? そのままアヤネさんじゃん。ホント言うと俺、ちせっぽよりもアヤネさん推しなんだよ。このままカズの義理の兄になってもいいと思ってるからさ、わりとガチで。どうだカズ、俺のことお義兄さんて呼んでくれねーか?」
照れくさそうにはにかんだ笑いをするショウタローに向かって僕は叫んだ。
「クソきめーよ! 友達やめるぞ!?」
そんな少し前のヒトコマを思い出しているとスマホ越しにショウタローの声が続いた。
「実はな、カズ。ビッグニュースはもう一つあってな」
「なんだ?」
「そのロケ、今日もやってるらしいんだ。総合運動公園の芝生広場で」
「まじかよ! ちょうど今から行くとこなんだ!早く言え!」
「なんだ、みーちゃんと
「いや、そんなんじゃねーけど、ミハルと約束はしてる。あ、いけねー、くだらねーこと言ってるから遅くなっちゃったじゃねーかよ。俺はもう行くぜ。じゃあな!」
僕は通話を一方的にオフにしてスマホをリュックに突っ込むと、慌てて家を飛び出した。
ショウタローは小学生の時からうちにしばしば出入りしている。うちの家の中であまりにも普通にくつろいでいるミハルとも何回も遭遇していた。最初、ショウタローはミハルのことを僕の従姉だと思っていて、同級生に僕とミハルとの関係を訝しむ人物が出るたびに、快活に「あの二人はいとこ同士なんだよ」と笑い飛ばしてくれていた。
おかげで煩わしい同級生たちの冷やかしがかわせていたので、僕はあえてずっとヤツの勘違いを正さなかった。しかし、中3になって僕たちが付き合うようになると、さすがに黙っておくわけにはいかない。僕はヤツにだけはこっそり僕たちはいとこ同士ではないこと、実は付き合いだしたことを打ち明けた。
「へえー、なんだ、カズはみーちゃんみたいなのが好みなのか。てっきりアヤネさんみたいにぐいぐい来るお姉さん系がいいのかと思ってた」 と聞き捨てならないことをほざいたが、その後もヤツはそれまでと変わらず僕とミハルに接してくれて、その上ほかの同級生たちにはいとこ同士という設定のまま上手にはぐらかしてくれた。その点に関しては大いに感謝している。基本的にヤツは典型的ないい奴だった。
そういうわけで、ヤツは高校生になった現在、僕たち二人の関係の変遷の歴史を正確に把握している数少ない一人だ。そして、この時の電話で僕とミハルの関係に重大な影響を与えた主犯でもある。
◇
総合運動公園には星が丘ニュータウンから直接行くバスはない。梅谷町で乗り換える必要があるが、歩いてもしれている。バス代を節約するためにも、基本的に僕たちが運動公園に行くときは梅谷町から歩きだった。
ミハルとは運動公園北口のバス停で待ち合わせていた。すでに待ち合わせの時間は思い切り過ぎている。僕は急ぎ足で梅谷町のバス停から総合運動公園に向かった。
とは言え心の中ではミハルのことだから少しふくれっ面して 「もー、カズヤくん、おそいー」 と言われるぐらいで済むもんだろうと思っていた。
正直に言うよ。
僕はミハルとの、つまり 「付き合っている彼女」 との待ち合わせを、軽く考えすぎていた。遅れても謝ればいい、ぐらいにしか思っていなかった。
「悪い悪い」 その一言で、ミハルはいつものように微笑んで簡単に許してくれるもんだとタカをくくっていた。
むしろ、それぐらいのことは笑って許されるべきだ、それが付き合っているってことなんだ、とまで事態をみくびっていた。
ミハルの彼氏として、この態度はない。今なら分かる。
バス停で僕を待ち続けていたミハルは、僕を見た途端今までにない冷たい視線を僕に向けて、低くつぶやいた。
「遅かったじゃない」
僕は口では 「悪い悪い」 と言いながら少しムッとした。
なんでかって?
あんま、そこ聞かないでほしい。僕の恥ずかしい黒歴史なんだ。僕は硬い表情で僕をなじるようなミハルを見て、こんなこと思ったんだよ。いや、まじで。
――― そこはかわいく 「カズヤくん、おそーい」 と言うところじゃないのかよ。その言い方じゃ遅れた僕の方が悪いみたいじゃないか。
この中坊丸出しの当時の僕の考えに対する批判や非難は、甘んじて受けざるを得ない。なんなら僕自身が一番突っ込みたいんだ。遅れたお前が一番悪いのに決まってんだろ、ってね。
しかも僕がミハルとの約束に遅刻したのは、今になってよく考えるとその一ヶ月だけで三回目だった。
一回目は入試の前日に、「神社に二人でお参りに行こう」 という話になっていたのに家で昼寝したまま寝坊した。この時は家まで迎えに来てくれてミハルに「もー、カズヤ君だめじゃーん」 と笑いながら言われただけで済んだ。今から考えると幸運だったが、笑って許されてしまったことで、僕は自分の間違いに気がづくことができなかった。
二回目は合格発表のあった週末、西高に書類を持って入学手続きに行こうということになっていた。ところが、当日になってショウタローから 「ビッグニュースだ」 とメッセージが入り、日ノ沢駅前のCDショップで例のグループの新曲シングルを買うと、さーみんが直筆手書きサインをしてくれるというイベントがある、と言われて 「おう、それは行かんきゃならんな」 とミハルよりもさーみんを優先した。この日は約束の時間よりも前にミハルに 「悪い、今日用事が入った。俺の書類はアヤネに頼むことにした。ミハルもアヤネに出してもらったら?」 とメッセージを打ったので厳密には遅刻とは言えない。
ああ、分かってるって。そういう問題じゃないよな。ホントどうしようもないよな、このころの僕は。思い返すと自分にイラついてしょうがなくなる。
今なら分かるよ。ミハルは僕と 「ちゃんと約束して出かけたかった」 んだってね。ただの日常の延長ではなくて、中学生のおままごと的付き合いではなくて、高校生らしく一歩進んだ彼氏彼女の関係になりたかったんだってね。
僕たちはなんとなく連れ立って北口から運動公園に入園した。なんか今日のミハルは随分無口だな、とは思ったが、僕はその微妙に固い様子を見過ごしていた。遠慮がちに中央池のそばのベンチに行きたいと言うミハルに、 「今日は芝生広場でドラマのロケやってるらしいから、それを見に行く」と言って、返事も聞かないでどんどん歩いて行った。
なんだよ、思いつく限りのダメダメじゃねーか。
一応言い訳しとくと、僕は芝生広場でロケを少し見たらバドミントンをするつもりだった。意外と言ったらなんだけど、ミハルはバドミントンがうまい。そのための道具も二人分持ってきていた。
そして、お弁当を食べて時間を過ごし、ミハルの好きな芝生広場の遊具で彼女が遊ぶのを下から見上げるつもりだった。遊具のてっぺんで 「カズヤ君、来ないのー?」 と笑顔で手を振るミハルに 「いや、俺、ムリ」 と苦笑する光景を予想していた。お弁当はミハルが作ってきているだろうと思っていたが、なくても売店で買えばいい。
春の日差しは暖かく、すぐに始まる高校生活に期待が膨らみ、ゆるやかに過ぎる二人の時間はいつまでも変わらない。ガキで鈍感な僕はそんな都合のいいことしか頭に浮かんでいなかった。当然、そんなのは全部妄信でしかなかった。
◇
「ここ間違いやすいから気を付けてくださいね」
鈴原先生の透き通った声が教室の中に響きわたる。
隣席のサナエちゃんのノートは、すでに見開きのページびっしり字で埋まっている。僕は頬杖を突いてサナエちゃんの手元を見るともなしに見ていた。鈴原先生の講義ははきはきと続く。先生は授業中は無駄話はほとんどしない。
「あと、気付きにくいですが、ここは一問目の最初に出てきたのと同じ公式で解けます。これに気が付かないと、この問題の難易度は大幅に上がりますよね」
――― そうなんだよな。気が付かなかったんだよな。
問題の日曜日の前日の三月十八日土曜日は、小学校一年生になる直前のミハルがアヤネに連れられて始めてうちに来た日だったんだ。僕たちが出会ってからちょうど十年目だったんだ。
僕がそれに気が付いたのは、ミハルとだめになって随分たった高2になる直前の春だった。
「これはある国立大学の過去問なんですけど、この公式に気が付かなくて結果的に入試に落ちた人、結構たくさんいると思います。みなさんはこんなところでつまづかないように、よく気を付けてください」
僕は、恋の公式に気が付かなくて、結果的に試験に落ちた落第生だ。
先生、公式に気が付かなくても問題を解く方法はあったんでしょうか?
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