鉛筆


 世の起こり、万物は円かった。


 神々に境はなく、彼らは漂い、すべてはすべてを受け入れる球の形を取っていた。今では星だけがその形を残しているが、それは神々がぶつかり、地に着いたことで、お互いの身体を削り合ったが故だ。そうして彼らの身体は六つの面を持った。このままではすべてがすべてを受け入れることができない。なので、それぞれの面は四方と上下を司ることになった。六という数が神を表すのはこのためである。


 さて、ここに一人の娘がいる。娘は大学受験を前にして大いに悩んでいる。すでに一浪している身でありながら、その学力たるやその辺の真面目な中学生より低かった。そんな娘を母は気遣った。だが、親の心子知らずとはこのことで、娘は同じ遺伝子が流れているのに何故母は私の第一志望に易々と入れたのか、と益体もないことを言い放った。鼻白んだ母は、娘にへその緒の入っている箱を渡した。娘が訝りながらもその箱を開けてみると、へその緒の他に、古めかしい鉛筆が入っていることに気付いた。


 六面とは神を表す。故に鉛筆は六角なのである。母は自分の母からそう教わったし、祖母もまたそう教わってきたのだと娘に伝えた。娘はそんな奇妙な話には耳を貸さず、頭が悪いんだから何を使って答案を埋めても同じだ、と母に向かって叫んだ。母は娘の目を見て優しく諭した。転がしなさい、と。



 かくして娘は大学に受かった。あまりに鉛筆を転がしたので、試験官につまみ出される寸前だった。だが、マークシートは嘘を吐かない。花の女子大生となった娘は、その後も鉛筆の託宣に従って物事を決めていった。バイト先も、取るべき授業も、腹に収める学食も、万事を鉛筆を転がすことで決めた。六択でないときはいくつかを振り直しと定め、二択の場合は123をイエスあるいは前者とし、456をノーあるいは後者とした。この原則を娘は忠実に守った。


 六は即ち球であり円である。球であり円であるということは、そこに境がないのである。境がないということは、外がないということである。宙の開闢から今に至るまでに、鉛筆の六面に備わっていないものなど有り得ないのだ。


 選び取るということは、選ばないということに等しい。そこに意志が介在しているという幻を信じなくなれば、物事はまるで風が吹いているかごとく、ただ流れているというだけだという事実に気付く。いや、ここに気付くということにそもそも意味はない。


 娘はただ一度だけ鉛筆の選択を無視したことがあった。ふたりの男に言い寄られているときのことだ。鉛筆は太っているほうの男を選んだのだが、娘はその選択のあとで細身の男が金を持っていることを知り、そちらに靡いたのだった。だが、六面が間違うことはない。すべてがすべてを受け入れる球の外は、魔の領域である。娘は自ら進んでその道に入ってしまった。結果、細身の男は娘を誑かし、泡銭のために男に売った。早いうちに騙されていると気付けたのが不幸中の幸いだった。



 それから娘は物事が六面に過ぎないことを理解していった。その名を鉛筆律と定め、そのルールに従って生きることを決定づけた。鉛筆とは、見れば見るほどに美しい六角形だ。自然界には六角のものが沢山ある。ハニカムがそうだ。蜜蜂はあの形が最も安定しているということを理解している。雪の結晶もそうだ。ひとつとして同じ形はないが、総じて六角形を取る。六花とは、これまた乙な名前を付けたものだ。あとはヒトデも……あれは五角形か。まあ、でも、多いでしょ。六角形。多め多め。


 鉛筆律に従い、娘は本業の傍らで事業を始めた。動画の配信を援助する事業で、しばらくは趣味のようなものだったが、次第に娘の行っていることを買う人が増えてきた。一時は寝る間も惜しんで対応していた。この頃のことを娘はこう述懐する。


「鉛筆が私に力をくれたから、何も怖いことなんてなかった。自分の行く末がバラ色だって知っていたら、どんなに大変なことでもやれるでしょう?」


 事業が軌道に乗り、多くの配信者が娘のことを知る過程で、娘は少しずつ鉛筆律の布教を始めた。抹香臭くならないように、あくまでジンクスか冗談という程度のノリで、迷ったときは鉛筆に頼っているという話を洩らしていった。そのキャラクターがウケたのか、娘はテレビにも呼ばれ始めた。ボロボロの鉛筆を転がしながらタレントの将来をズバズバ言い当てる娘の姿は、すぐにお茶の間に受け入れられるようになった。鉛筆律は少しずつ巷間に流布するようになった。


「万物は円かったんですよ。地に着いたことでお互いにぶつかって角ができてしまったんです。六こそは至高の数字です」


 娘が熱っぽく語る姿に心酔する者も出始めた。彼らは世の中のすべてを鉛筆を転がすことで解決せよという信条を持っていた。信者たちは鉛筆を転がすことで悩みから解放されたのだから、そう思うのも当然のことだ。机の上に鉛筆を放り出す。たったそれだけのことが何故できないのか、と。彼らと一般人とのあいだに諍いが起きたが、諍いを起こすべきかどうかも鉛筆が決めたことだった。


 娘が中年に差し掛かる頃、「六面の会」という組織を作った。どんどん肥大化する教徒たちをまとめ上げる必要が出てきたからだし、そうしたほうがいいかな? という娘の疑問に鉛筆がイエスと答えたからだ。六面の会は東京の郊外に皇居と同じくらいの敷地を買い、そこに巨大な鉛筆のモニュメントを立てた。天を衝く黒々とした芯は、彼らが鉛筆律を敬う意志の表れであった。


 世界はゆっくりと変わっていった。戦争も外交も鉛筆が決めた。そこに善悪はなく、ただ純粋な選択だけがあった。何らかを行うか、あるいは行わないかという点に差異はないという事実に人々が気付き始めたからだ。世界中でコロコロコロコロと音がした。芸術も音楽も鉛筆が優劣を決めた。鉛筆の前には価値など無用だからだ。地球上のほぼすべての問題は解決したが、目下ひとつだけ大きな問題があった。グラファイトの不足である。


「みんな、ありがとう。これも鉛筆律を守ってきたおかげよ」


 晩年。娘は病に侵されていた。床に臥せる娘を六面の会の幹部たちが囲んでいた。彼らは涙を流すべきかどうかを鉛筆に聞いた。イエスと出たので、ぐあーっと泣き始めた。


 その病は腫瘍を取り除く手術で寛解する。だが、腫瘍は恐ろしいほどに小さく、破れやすいために、世界的にも成功例は少なかった。長きに渡る投薬治療を行うこともできるが、薬の副作用が高齢者には負担であるというのも事実だった。


 今はその二択があるということを、幹部が娘に伝えた。


「教祖様、いかがいたしますか」


「そうね……」


 娘は震える手で母から貰った鉛筆を掴み、それをサイドテーブルにそっと転がした。


 鉛筆はテーブルの端から飛び出し、病室の床にぶつかって粉々に砕けちった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

cupful @toshinthepump

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ