第75話 「ちーちゃんは『えっちゃん』ポジションか」

 彩音と亜弥華が病室から失踪してから数時間後。

 別角度から見れば、孝太郎が莉歌と体を重ねる数分前。


 ******


「ただいまー。疲れたー」


 普段と変わらず自分ちのドアを開け、中にいるであろう彩音に帰宅の報告をする女性。

 千夏である。


「おかえりー」


「おかえりなさいませ」


 疲れて聞こえていないのか、彩音以外の声が返事をしたことに全く気づかず玄関で脱いだ靴を片付ける。


「彩音、ご飯なに?」


「あ、えっと……なんでしたっけ?」


 彩音はキッチンの方にいる謎の女性の方を向き首を傾げた。


「焼きそばだよ」


「千夏、焼きそばだって」


 晩御飯のメニューを聞いた彩音は少し大きな声で玄関からリビングへ向かってくる千夏へ話しかける。


「焼きそばかぁ。そうそう、たまに食べたくなるんだよねぇ……って!え!誰っ!」


 リビングに一歩踏み込んだ千夏は聞き慣れない声とキッチンにいる場違いなほど細身の美女に驚き、おもいっきり声をあげた。


「あ、お邪魔しております」


 ぺこりと礼儀正しく頭を下げる女性。

 亜弥華である。

 料理のために髪を束ねたタオルを外しおじぎをすると、ストレートの長い黒髪がさらさらと滝のように肩から流れ落ちた。


「いやいや、お邪魔しておりますじゃないって!……えっ、誰!?」


 令和こと亜弥華のことを知らない千夏は、亜弥華を指差し彩音をみつめる。

 と、亜弥華は体をお越し可笑しなポーズを決めながら不気味な低音で笑い出した。


「くくくっ、私のことを知らないとな?さては貴様、この世界の住人ではな……」


「あ、令和ちゃんです。ちょっと事情があってね、色々と」


 ノリ良く自己紹介をしようとしたところで彩音に割り込まれ、亜弥華は拍子抜けしたかのように天を仰ぎ崩れる。


「……あ、どうも」


 千夏はそんな亜弥華を侮蔑しながらも一応おじぎした。

 彩音に決め台詞を遮られた亜弥華は床に平伏したまま微動だにしない。


「彩音、ちょっと」


 千夏は彩音の側に近寄ると、項垂れている亜弥華に背を向けかなりの至近距離でコソコソと呟く。


「(どういうつもりだよ)」


「(ごめん、私のとこには連れていきづらくて)」


「(そういうことじゃなくってさ。なんでここにいんだよ。絶対こいつめんどくさいやつだよ)」


「(そんなことないよ。令和ちゃんは見た目と雰囲気はおかしいけど、ほんとは素直で優しい人なんだよ)」


「(無理無理!千夏の痴女レーダーがこいつには気を付けろってビンビンに反応してるんだって!)」


「(私の令和ちゃんを痴女呼ばわりしないで。えっと、話せば長くなると言うか……何を話せばよいか)」


 そんなコソコソ話をする二人をよそに出来上がった焼きそばをプレートに盛り付け、亜弥華は意気揚々とリビングに運びニコニコと二人に微笑む。


「二人ともご飯できたよ。長くなる話ならさ、食べながらしたらいいじゃん。私の『霧島レイ』もレーダーに異常感知してるし」


「「え!聞こえてた!?」」


「ん?なにを?」


 気配もなく急に現れた亜弥華に二人は驚くが、亜弥華はあっけらかんとした顔で二人を見比べ、何かに勘づいたように含み笑いを返した。


 ***


「うわ、うっめー!」


「ほんとだ、美味しい!令和ちゃんって料理上手なんですね」


 自分の手料理を誉められ、調子にノッた亜弥華は、すっと立ち上がり髪の毛をかきあげた。


「あったり前でしょ。濃厚なアミノ酸で舌神経を刺激すればいいのよ。それに……」


 十分に間を取り、二人の視線を一身に浴びると変なポーズを決め大声で叫んだ。


「『私!失敗しないので!』」


 令和はポーズを決めて、決め台詞を吐く。

 その台詞に彩音は目にハートを浮かべうっとりし、開いた口が塞がらない。

 千夏はそんな彩音を見て、呆れて口が塞がらない。


「で、令和ちゃんでしたっけ?ここにはいつまで?」


 奇妙な緊張感で静まり返った空気を払拭すべく、千夏は頑張って話しかける。

 普段なら初対面でも問題なくフレンドリーに話しかける千夏なのだが、亜弥華にはどこか警戒しなければという意識があった。


「大丈夫大丈夫。明日昼から撮影だし朝には帰るよ。明日撮影最終日で、夕方にはもう帰っちゃうから」


「え!泊まる気!」


 何時に帰るのかという意味で千夏は聞いたのだが、まさか泊まるとは思っていなかったので驚いて声を張り上げる。


「え!令和ちゃん帰っちゃうんですか!」


 逆に亜弥華が明日帰ってしまうことに驚いた彩音は千夏以上に声を張り上げてしまった。


「え!そこ!そこ重要じゃないだろ!」


 千夏が間髪いれずツッコムが、彩音は目を潤ませて亜弥華の方を見ている。

 普段なら千夏のツッコミや冗談に彩音が笑ってくれることで会話が盛り上がるのだが、彩音は亜弥華を見つめたまま、千夏の問いかけに反応しない。

 帰宅した時からだが、千夏は普段と感じの違う彩音に少しムカついていた。


「うん、仕事は大事だよ。むしろ行かなかったらがうるさいからさ。


 亜弥華がそう言うと、二人の間に青海川の顔が浮かんだのか、二人してくすくす笑い始める。

 それを見て千夏はますます不機嫌になり、亜弥華に対する警戒レベルを最大限に引き上げた。


「で、なんでここに?」


 千夏はそれでも亜弥華の焼きそばを頬張りながら大人の対応で話しかける。


「それが病院脱走しようと二人で頑張って作戦たてたのに、扉開けたら誰もいなくて。あれはさすがに笑ったよね」


「ほんとに。令和ちゃんのぱぷーーって吹き出した顔が可愛くて!思い出しただけでにやけちゃいます」


「いやいや、あーちゃんの慌てっぷりの方が可愛かったよ!え、え、しか言わないんだもん。『R指定』の真似でも始めんのかって期待してワロタ」


「あ、あ、あーちゃん!?」


 聞いたことのない彩音の呼び方に千夏は目を丸くして固まった。

 いきなり病院から脱走という語り出しから始まりびっくりはしたが、あーちゃんの衝撃に全て飲み込まれてしまう。


「え?あーちゃん……あーちゃんはあーちゃんだよね?」


「う、うん」


「ちょ、ちょっと待って!二人っていつからそんなに仲良くなったの」


「いつからって……気持ちを重ねた時……から?」


 そう言って演技っぽく恥じらいながら微笑む亜弥華に冗談ぽく微笑み返そうとした彩音だったが、千夏のただならぬ視線を感じ、唇をぎゅっと噛み締めた。


「あ、あーえっと……あ、片付けないとね……」


 食べ終えたプレートを回収し、彩音は千夏の視線から逃げるようにそそくさとキッチンへ向かう。


「ねぇねぇ、ちーちゃん」


「ち、ちーちゃん!?」


 突然の亜弥華からの聞き馴染みのない呼び方に不意をつかれた千夏。


「ちーちゃんってさ、あーちゃんのこと好きでしょ」


「は、はい!?」


 更に不意をつくようなことを言われ、珍しく声がうわずってしまった。


「まぁ、令和ちゃんよりは付き合い長いし仲はいいし。好きと言えば好き。友達としてね」


「友達ねぇ……ふーん」


 亜弥華はじっと千夏の顔を見つめ、何かを悟ったように、にたぁっと含み笑いで微笑む。


「そかそか。ちーちゃんは『えっちゃん』ポジションか」


 亜弥華の意味あり気な発言の意味がわかったのか、千夏はそれが気に入らずギロリと亜弥華を睨み付ける。

 まさか意味が通じると思っていなかったので亜弥華は慌てて視線をズラした。


 と、その時彩音のスマホが着信を受け小刻みに震え出す。


「あーちゃん、電話だよー」


「誰からですか?」


 亜弥華は千夏の視線から逃げるように彩音のスマホへ目をやり画面を覗きこんだ。


「こーちゃんだったらいいなぁー。私が出たらびっくりするだろなぁ……ありゃ、違った」


 彩音が孝太郎に、二人とも無事である、と留守電をいれていたのでその折り返しかと思われたが、結果は全く予想外の相手からだった。

 キッチンにいる彩音に向かって亜弥華は画面に表示された名前をゆっくりはっきりと読み上げる。


「えっとね、小林優真って人からだね」


 その瞬間、彩音の手から滑り落ちた何かが落ちて割れ、乾いた破裂音が部屋中に鳴り響いた。




 更新おくれすいません。

 ……謎の体調不良です。https://kakuyomu.jp/users/anakawakana/news/1177354054891169084

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