第2話

 午前3時。

 背後に嫌な気配を感じる。タヌキは端末をローブの袖から少しだけ覗かせ、背後の様子をカメラに移す。視界に映ったカメラの映像には何も映っていない。

(暗視ならどうだ)

 緑がかった暗視映像では、2人の人間が100メートルほどの距離を空けて追いかけてきているのがわかった。

(監視か?)

 梟の声がやたらと耳に響く。星明りは見えない。かつての市街の残骸である街灯が、ひん曲がったまま光り辺りを照らしている。

(ありうる話だが、前金ももらってねえぞ。俺に監視を付けるメリットは無い)

 タヌキは思考に没入していく。反比例するように、視線が左右を彷徨い、呼吸は早くなる。

(巨大組織だという過程で考える。まず俺が成功した場合。成功確認の要員となる。ただ、コンタクトがあるのにわざわざ費用を出してまで監視要員をつける必要があるのか。

次に失敗した場合。標的に警戒心を抱かせるきっかけになりかねない。標的の目の前で俺を殺して、暗殺計画そのものを隠滅する。可能性はゼロではない。だがこんなにあからさまに背後から付け回すのはやり方としては上手くない。ビルに昇って高所からの観察要員とそこからの報告で動く遊撃要員を俺から見えないところに配置したほうがはるかに効果的だ)

 どちらにしても効果は薄い。ならばこそ、第3の可能性だ。

(目標が俺の場合。今までの任務で恨みをいだいている奴も多いだろう)

 酒場での依頼現場を思い出す。

(あのクソ野郎。デカい声で俺の名前を喋りやがった)

 タヌキの端末はガスマスクと接続されている。半径50㎝以外の人間には「タヌキ」という単語はノイズが走るようになっている。

(油断して名乗ったのが悪かった。クソが)

 あの酒場にいたなかに、タヌキに恨みのある人間がいた可能性がある。

(有名になるっていうのも楽じゃねえな。俺の器じゃない)

 背後の人影が距離を詰めてくる。残り80メートル。

(ソーンは確かに敵が多かった。味方も多かった。ヤツの不在で動いたパワーバランスはどう変化したんだ)

 迂闊なことに、自分の任務の結果の情勢を見ていない。タヌキは自分の失態に舌を慣らした。

(はぁー…。舞い上がったか。ソーンを殺せば何か変わるとでも思ったか、俺は)

 反省の気持ちが噴出する。今さら遅いとはわかっている。わかっているのは理性だけで、感情は止められない。

 歩みを止める。コンタクトを使ったやりとりをしているフリをする。視界の中の情報を整理するように右手を振る。実際には、本当に虚空を右手が彷徨っているだけ。視界の中の『本当の世界』を、現実の体を動かして操作している。

 瓦礫の山に挟まれた谷底を歩くタヌキに、2人の死角が襲いかかった。

(イタチ、さっそく出番だぜ)

 左手でポケットの『イタチ』を抜く。2人組は、1人が1メートルほどの刃物で斬りかかり、もう1人が後方から拳銃で援護という形をとっていた。左手が『イタチ』のスライドを掴む。右手でグリップを押し込むようにしながら掴み、第1弾を装填。左手はそのまま右前腕まですべり、掴んで、右腕を保持した。引き金を引いた。


***


 ソーンは親代わりだった。

 物心ついたときには既にソーンの前にいた。本当の親の事は知らない。

 俺たち2人は「アギ」「ウンギ」と名付けられた。学校に行ったことはないが、ソーンの抱えた人脈が俺たちの教師であり、友人であり、恩人だった。

 僕たち2人はいつの日かお互いの役割を決めた。

 

 遠いことは、俺、アギ

 近いことは、僕、ウンギ。

 

 僕たちはソーンの周りの仕事を受け持った。事務仕事や、商談の補佐、スパイの排除など、ソーンに『近い』ことを僕が取り持った。

 外敵の排除や、ソーンの防衛網の造成、仲間内での独自回線の構築は、俺が取り持った。

 俺/僕 たちはいつだってソーンの 近/遠 くから彼を見てきた。彼の 細か/大き な部分まで、俺/僕たちは見てきた。人生の大きな割合をソーンに捧げてきた。

 失敗すれば叱られ、成功すれば褒められた。ソーンの大きな手に殴られ、抱きしめられた。

 10年間ソーンの邪魔をしてきた、アルマゲドンを潰したとき。

 武器の導入ルートを開拓するのに成功したとき。

 30人の刺客を2人で返り討ちにしたとき。

 かならずソーンは褒めてくれた。

「良くやった、助かった。俺の息子がお前たちでよかった」と。

 とても幸せな時間だった。


 それを破壊した、目の前の男を、許すわけにはいかない。

 『遠い』担当の俺は銃撃を。『近い』担当の僕は斬撃を。

 狙いはタヌキ。ウンギには首を斬るように指示した。

 狙いはタヌキ。アギには心臓を撃つように指示した。


 ウンギの渾身の斬撃が首にぶつかる。アギの回心の銃弾が心臓に吸い込まれる。


***


 タヌキは微動だにしなかった。

 なぜなら、ウンギの斬撃は頭上遥か上を通り過ぎ、アギの弾丸は頭の脇をすり抜けていったからだ。

 完全に勢い余ったウンギは、自ら振り回した刀の反動にバランスを崩している。アギも呆けた顔をしているのが見えた。

「バカ野郎共が。防御は最大の攻撃だぞ」

 狙い澄ました射撃がアギの眉間を貫いた。すぐに振り向く。体勢を立て直し、最上段から斬りかかってくるウンギが見えた。

 が、タヌキの方が速い。左手が護身刀を抜刀し、まっすぐにウンギの右目に伸びていく。眼球、視神経、頭蓋骨、大脳皮質と順に破壊していった。すぐに手を離し、倒れ込んでくるウンギの体を避ける。


***


 アギが倒れるのが見えた。

 僕の眼の前に切っ先が見える。

(本当にゆっくりに見えるんだな。生命の危機に触れたときって)

 そんなことを思った。

(僕もそうなら、アギもそうだったんだろうな)

 加速された世界で、たった2人の肉親の事を思い浮かべる。

(ああ。僕は良い。アギもそうだろう。別にどうでもいい。やりたいことをやって、失敗した。覚悟ならあったさ)

 だが。

(ソーンは、どうだったのかな。嗚呼。ソーンの親父は…)


***


「…一番バカなのは俺か。くそったれ」

 ウンギの頭から護身刀を引き抜き、薬莢を拾い上げながら毒づく。

 己の迂闊さが頭に来る。疲れていた?いいや違う。

(慢心がある)

 自己分析がタヌキに警鐘を鳴らす。現状置かれている状況は最悪と言って良かった。任務を遂行するには情報をかき集めなくてはならない。そのために旧市街を彷徨わなくてはならない。そのためには襲い掛かってくる脅威を排除しながら進まなければならない。自分の体力が尽きる可能性を考慮しなくてはいけない。

 1発だけ発射した『イタチ』の反動が右腕に残っている。引き金を引いた瞬間に背筋から抜けていった血流がまだ戻らない。

「…クソッ」

 何度毒づいても、気持ちの悪さはなくならなかった。

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