2章 彷徨える魂の在り処
第1話
午前2時。
照明が一切なくとも、人々は躓くことなく歩いている。
コンタクトは世界から灯りを劇的に減らした。電飾の類も、店の看板も、電脳の世界にプログラムするだけで良いのだ。薄汚れた現実から逃げ込みたい人々から始まり、コンタクトはすさまじい発展を見せた。それはまるで、人々の手に携帯電話が渡るように。
タチカワ旧市街区。送電線の通っていたところにワイヤーを通し、滑車と推進器で滑るのがこのあたりでは最優良の移動手段だ。タヌキも背負うタイプの滑車とふくらはぎに括り付けた推進器をレンタルして夜の空を滑走していた。
(クソが。レンタルに40000もボりやがって)
内心で毒づきながらある地点を目指す。眼下に広がる大きな公園跡、その西端に見える小屋。コンクリートと木材が雑多に積みあがったような小屋の住人が、タヌキの数少ない交友関係にある。
手元の滑車に繋がるボタンを押すと、タヌキの体が落下している。それを推進器のセンサーが感知、噴射を下に向けた。静かに着陸すると、滑車と推進器を外した。推進器が滑車と繋がり、レンタル屋の元へと帰っていった。
ドアをノックする。
「何時だと思ってやがる」
「まだ俺は寝ていない」
「こんな夜中に来やがって。相変わらず自分の事しか考えてねえな、タヌキ」
ドアが開いた。身長160㎝に満たない老人が出てきた。肩幅はがっしりしている。あだ名をつけるならば、「ドワーフ」と呼びたくなる容姿だった。白髪交じりの黒髪はボサボサで、着ている服もツギハギの目立つ繫着だった。
「オメエ今度は何をタカりに来た?この前やった刀はどうした?」
「ちゃんと使ってるぞ」
ちらりとローブをめくって柄を見せる。ドワーフ男は少し満足したようにニヤリと笑った。
扉をくぐりながらタヌキがガスマスクを外した。タヌキも同様に微笑んでいる。
「やあイタチ。元気だったか」
「あたりめえだクソが。いま茶を出す」
「いらねえよ。それよりハンドガンを見繕ってくれ」
「ハンドガンだぁ?オメエ『俺にサイドアームは必要ねえ』とか言ってたじゃねえか。どういう風の吹き回しだ?」
イタチはキッチン(と呼ぶにはあまりに粗末だった。台の上にバーナーが置いてあり、無理矢理にヤカンを火にくべている)で茶を出す用意をしている。小屋の反対側の作業机には、イタチが今の今まで取りかかっていたであろう設計図が広げられていた。
「事情が変わったんだ」
「ハッ。事情ね。『事情が変わった』。SEAでも何億回も聞かされたぜそのセリフ。そのセリフが聞こえる時は大抵ロクなことが起きねえ。オメエも大方、ヤバいことに足突っ込んじまったんだろ」
その通り。今までのやり方ではまずいかもしれない。それがタヌキの抱いている危惧。相手の大きさが計り知れない。用心し過ぎるということはないのだ。これまでタヌキはサイドアームを持たずに戦ってきた。それは「サイドアームが無くても戦える状況下に自分を置く」ことがうまくいっていたから。
「うるせえ。俺が使えそうな銃をくれよ」
「しょうがねえやつだな。倉庫を漁るから待ってろ」
そういってイタチは地下室への階段を下りて行った。10帖にも満たない小屋の中で、一つしかない椅子に座りタヌキはぼんやりする。
(ここに暮らしてたなんて嘘みたいだ)
前回、護身刀を受け取った時は、玄関先で受け渡しだった。小屋の中に入るのは5年ぶりだった。
(あの時も椅子はひとつしかなかった。俺は地べたに座り込んでた)
懐かしい記憶がよみがえる。
夜中まで火花を散らして何かを裁断するイタチ。朝早くから出掛けて行き、昼ごろ帰ってきたと思えば大量のパーツを抱えてにっこり笑うイタチ。食事だ、と言ってよくわからない固形物を投げてよこすイタチ。虫の居所が悪いと工具を投げてくるイタチ。おつかいの帰りが遅いと足蹴にしてくるイタチ。
(だんだんムカついてきた)
イタチはかつてSEAの技術部で働いていた。OCEANの開発にも携わっており、かなりのエリートだった。しかし社の意向に沿えず、タチカワでジャンクパーツから製品を組み売りさばく仕事で生計を立てていた。壊滅したタチカワ旧市街は、23区に比べて原型を留める建物が非常に多く、イタチのような技術を持った人間はかなり重宝された。ジャンクからガジェットを作って売るだけでも相当額が稼げた。銀行口座からキャッシュを引き出そうにも何もかも失っている人々にとって、キャッシュレス文化の浸透は大きな救いになった。スラム街でもキャッシュレスでの貨幣経済が成り立つ一端を担ったのは間違いなくイタチたち技術屋だった。
タヌキが拾われたときのイタチは、人生で一番充実していた。
「ほら。これが一番しっくりくるだろう」
イタチが持ってきたのは、スライドに「CzzT-117」と刻印された拳銃。9mm弾を12発装填でき、のダブルアクションの自動拳銃(一度装填すれば引き金を引くだけで連射できる)。
タヌキはそれを掴む。360度眺める。妙にしっくりくる。タヌキの手にはグリップは大きすぎるし、銃身も長い。
「これはなんていうメーカーの銃なんだ?」
「無銘だった。刻印は俺が適当に刻んだ。お前の愛銃と同じ作者だよ」
それを聞いてタヌキは納得した。通りで馴染むわけだ。
「そうか。ありがとう。代金は――」
「いらねえ。そいつをくれてやることでお前が死なずに済むなら安いもんだ」
「ありがとう」
「礼なんかやめろ気持悪ぃ。それより今度メシをおごれ」
「わかった」
「俺はもう寝る」
「ああ」
タヌキは玄関から出た。イタチは咳をしていた。ついにイタチも罹患してしまったのか。いや、そんなことはない。きっとそうだ。イタチは昔から煙の出る作業もよくやっていた。部屋の換気をしていないことも多々あった。きっと喉が乾燥しているだけだ。
「クソジジィ…」
去り際、振り返ったイタチは地下への階段へと降りようとしていた。壁に手をつきながら。
「クソッ!」
左ポケットにCzzt-117をねじ込む。
巷では自分の銃に名前を付けるのが流行っているらしい。愛銃には名前を付けていないが、CzzT-117にはなにか名前を付けようという気持ちになった。そしてもう考えるまでもなく決まっているのだ。
「頼むぜイタチ。俺の命を救ってくれ」
震える左手がグリップから手放せない。左腰に括り付けたホルスターが合成革の擦れる音を立てている。
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