第5話
『目標:カシミヤという女
特徴:左目を覆う包帯・退色した髪・身長160㎝程
地域:旧首都西部全域にて目撃情報
報酬:殺害で300/捕獲で550』
とだけ書かれたビリィのメモを見て、タヌキは愕然としていた。
「情報が少なすぎる…」
自宅のテーブルで椅子に座り、タヌキは頭を抱えていた。ブーツやジャケットも脱がず、ローブだけを椅子の背もたれにひっかけている。端末を操作し、椅子に深く座り込む。眼球の虹彩が大きくなる。ぼんやりと虚空を眺めるようだった。
(OCEANにも情報が無い…この目撃情報ってどこからだ…?)
OCEAN。株式会社SEAが作り出した、コンタクト接続向けの情報集積システム。ここから情報を得る手段は2通りある。1つは文字情報として読み取る方法。これはコンタクト起動中の現実の視界に浮かび上がる。もう1つは、VRによって体感的に読み取る方法。端末を操作することで、OCEANダイブと呼ばれる仮想現実を見ることが出来る。端末を操作して世界の中を動き回り、また同時にダイブしている人間と直接コミュニケーションをとることも出来る。『街』によってはこのダイブを用いた学校教育も盛んに行われており、人間と人間の距離は縮まる一方となっている。
(一般人のなかにもそれらしい目撃情報は無い…つまり、自分の組織が目撃したんだ…)
タヌキは自分の依頼主の大きさを想像した。そして身震いした。最後に、開き直った。どうせ俺には関係ないのだ。1発撃って殺せばそれで終わり。捕獲などは始めから選択肢にない。狙撃手が表に出てきてどうする。
そうと決まれば話は早い。やれることからやるしかないのだ。
(歩き回って情報を手に入れるしかない)
OCEANに情報がない以上、標的である"カシミヤ”がなんらかの対策を打っているのも明白だった。目撃情報の地点は主にチチブ方面からオオミヤ方面と東西に広く、南北にはほとんど広がっていない。一度だけ、タヌキが拠点にするタチカワ付近での目撃もあった。
(容姿のデータを持つ奴がいるといいんだが)
タチカワでの目撃データを持つ人間を探すことにした。今回はさらに自宅に帰ってこられない可能性がある。準備が必要だった。
まず着替えとして肌着と下着を2着ずつ。圧縮パックにされてあり片手のひらにすべて乗る。靴下も2足ずつ同様の圧縮パックで用意する。手のひら大のサイコロのような糧食キットも必要だ。
(あとは…。バッテリーは増やしたくない。発電機にするか。バックパックの容積を考えると食糧は10日分程度しか持ち歩けないな。調達の手段は常に意識しておくべきだな。弾薬はいつ必要になるかわからない。どう考えても武器が足りない。拳銃のひとつは持っとくか)
狙撃時に高まるタヌキの集中力だが、それに近い思考速度で荷物をつくっていく。そうして、バックパックひとつに11日分の生活手段をすべて収めると、今度は自分の支度に取り掛かる。
バッテリーと鞘を留めるバンドのついたベルトを腰に巻く。護身刀を一度抜刀する。ギラギラと舐めるような刃の輝きを確認して鞘に戻すと、バンドに挟んで止めた。愛銃を掴むとバックパックに括り付けた。古い戦争映画の兵士のような出で立ちになったタヌキは、ローブをバックパックの上からかぶり、ガスマスクを装着した。
「よし」
タヌキの地声とは似ても似つかぬ、枯れた壮年男性の声が聞こえた。ガスマスクは変声機能を持っている。
すでに日は沈み、うすぼんやりと星が煌めいている。
砕けたコンクリートの海の真ん中で、1人の少女が夜の帷に紛れて歩き出した。
『最後の任務』のはじまりである。
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