第4話
ドアの先は、薄暗いバーのようなところだった。
入り口から向かって左側にカウンター席が7席。右側に4人掛けのテーブルが4つ置かれている。すでにテーブルは全て埋まっており、カウンターも3席が埋まっていた。全員が開いた扉の先のタヌキを見ている。タヌキは気にすることなく、カウンターの中央の空いている椅子に腰かけた。かなり高い椅子のため、両脚が浮いてしまっている。
「注文は」
カウンター内に立つ、初老のバーテン服の男が、見かけよりも若い声で問いかけた。
「モスキートウイルス」
酒の名前でも何でもない言葉を呟く。途端、先客たちの間に緊張が走る。
バーテンダーが人差し指を胸の前に立てる。その指でカウンターを弾くようなジェスチャーをとる。バーにいる客の視界には、1枚の紙がひらひらとブーメランのように客の間をすり抜けているように見えている。
そうして一人の中年の男の前で紙は止まる。選ばれなかった残りの客はつまらなそうに自分の注文した飲み物や食べ物、己の視界に広がるコンタクトの世界にそれぞれ戻っていった。
タヌキの隣に中年男は歩いて行って座った。タヌキは正面を向いたまま、男の方を向かない。
「よぉ。俺はビリィ。アンタは?」
「タヌキ」
「アンタがタヌキ!?マジかよ!」
ビリィの興奮した声。客たちの間にもざわめきが走る。タヌキは内心舌打ちをした。軽薄に名乗ってしまった。
「そうか、俺にもとうとうツキが回ってきたみてえだ!」
上気させながら、ビリィはタヌキにまくしたてた。口から唾液の飛沫がショットガンのように飛び出す。
「もちろん依頼は殺しだ、報酬は、まぁ上と相談してみねえとわからねえが、300万は出す!場合によってはそれ以上だ!」
必要以上に大きな声でビリィは喋りはじめた。『タヌキ』という名は、このあたり一帯のはみ出し者たちの中では相当に有名な存在だった。ここ数カ月でめきめき頭角を現してきた殺し屋。必中の狙撃手。このバーで受けた依頼はすでに15件だが、その依頼のなかで15発で15人を殺している。成功確率100%は、依頼を重ねるごとにタヌキの報酬額を倍増させるのにふさわしい看板だ。
「それ以上大声を出すならお前を殺すが」
つい脅しをかけてしまった。このカウンター内では武器を触ることも許されていない。以前、依頼条件で揉めた男が2人で殺し合いを始めたことがあった。が、どういう理屈か、その2人が銃を手に取った瞬間に頭から血を噴きだして死んでしまったのをタヌキは見たことがあった。ゆえに、タヌキは絶対にそれをしないが、ビリィはそのことを知らないようだった。
「っとすまねえ。つい興奮しちまった」
小さな声でビリィは話を続けた。
(やっぱり新顔か。この酒場でのルールにも疎い気がする)
多少いぶかしむも、ビリィはそんなタヌキのことなど意に介さず話をすすめる。
「コイツを殺してほしい。俺単独での依頼じゃない。俺の背後には、名前は言えないがでかい組織がいる。これが成功したらお前さんも組織に召し抱えられるかもしれねえな」
(組織の名前を言わない。今まで自分の組織の名前を言ってきた奴らはどいつもこいつも中小組織の連中だった。今度は本物か、ハッタリか)
「相手は誰だ」
ビリィは真顔になった。ワイシャツにカーディガンという出で立ちのビリィは、ポケットから4つにおられた紙を取り出し、タヌキの前に置いた。
「ここに書いてある。成功したときの連絡先もだ。失敗したらその時はその時だな」
タヌキはその紙を掴んで、ジャケットの内ポケットにしまいこんだ。わざわざ紙に記して渡されたものを、その場で開くような真似は出来ない。実際、タヌキの頭上には客の誰かが飛ばしたとみられる盗撮用プログラムが走っている。
「わかった。引き受けよう」
ビリィは右手を差し出している。それを無視して、タヌキは立ち上がった。
「いやぁ、でもびっくりしたぜ」
タヌキは出口へ歩き出した。バーテンに右手を振って、5000ほどのチップを投げた。
「噂のタヌキが、190㎝はある大男だとはな!俺ァってっきり、小男なんだとばかり思ってたぜ」
ビリィの発言を背後に聞きながら、タヌキは扉を出た。
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