第3話

 タヌキが目覚めたのは、ソーンを狙撃してからちょうど16時間後だった。AM10:14。

(このくらいで起きられたなら僥倖だな)

 寝起きに時計を見てひとり頷きながら、タヌキはベッドから身を起こした。そのままバスルームに向かい、肌着と下着を脱衣所の壁に投げつけ吸い込まれるのを眺めてから、頭からシャワーを浴びた。

(まずは飯。そのあと"連絡”して、出掛けるか)

 脳内で予定を立てる。お湯が身体を流れ落ちる。傷だらけの体。古い物から新しい物まで、1人の人間が背負うには多すぎる傷。これでもタヌキは、周りにいる人間よりも少ない怪我で今日まで生きてきている。五体満足なのがその証拠だった。

(あ、やべ。銃のメンテしてねえぞ)

 タヌキの愛銃は1発ごとに排莢と装填を手動で行わなければならないが、ABASだけではない特殊機構がいくつも組み込まれている。圧縮した空気を薬室にタイミングよく送り込むことで弾速を向上させる機構や、ABASとコンタクトとの接続速度を向上させるためのアクセラレイターなど、細かいギミックがいくつも搭載されている。スナイパーとしてのスキルを持っているのはもちろんのこと、この愛銃の凄まじいスペックがタヌキに『任務』を与えている。そしてその数々のギミックは、緻密なメンテナンスを必要とするのだ。1発撃つごとに銃のバランスが乱れていないか。薬室に負荷過多による歪みは出ていないか。アクセラレイターは正常に作動しているか。

(昨日撃った感じでは薬室から空気が若干抜けてたかもな。交換しておくか)

 タヌキは飛び抜けて耳と目が良い。スナイパーの生命線でもある2つの感覚器官の鋭敏さは訓練によって鍛え上げられている。狙撃に失敗すれば即座に死が待っている。コンタクト技術の普及発達は、人間の失敗を許さなくなった。

 「見間違い」がなくなったのだ。今見た景色をもう一度見直すことが出来る。リアルタイムに録画され、端末内に蓄積されていく映像データは、即座に再生することが出来る。

 タヌキはよろよろとバスルームから出てきた。と同時に、強烈な風圧が上下左右からタヌキを襲い、体中の水分が一瞬にして吹き飛ばされた。脱衣所の壁からはクリーニングされた下着と肌着がトレーに載せられて排出されている。それを身に着けると、タヌキは銃の整備を始めた。


「よし」

 ぽつりとつぶやく。完璧なコンディションに整えられた愛銃。砥ぎなおされた、刃渡り30センチほどの護身刀。充電の完了したバッテリー。この3つがタヌキの全武装。

 端末の電源は常に入ったままだ。通常、5日は連続稼働が出来る。タヌキの端末は違法改造が施されているため、8~9日ほどの連続稼働が出来る。タヌキは視界右下のアイコンを触るように右手を動かすと、映画のエンドロールのように流れる人名の中から目当ての人間を見付けた。そして、その人名を弾くように右手を動かし、端末に向かって話しかけた。

「完了した。今日も受け付ける」

と。

 キッチンの保温庫(収容したものの温度を一定に保つ倉庫。氷と熱湯を隣り合わせに仕舞える)から取り出した亜水性ボトルの中身を一気に煽り、シンクに投げ込んだ。と同時に水が流れ、亜水性ボトルは溶けて流れた。

「出掛けるか」

 再び呟く。とても小さな声。リビングの壁を撫でてはじき出されたズボンを穿き、ブーツを履き、ジャケットを羽織る。リビングの机を人差し指で2度叩く。外の様子が映し出される。分厚い雲が空を覆う、凄まじい曇天。日の光が遮られて、時間の感覚が怪しくなる。気象判定では降水は無いと出ているのを確認して、タヌキは普段使うフード付きのローブを羽織った。護身刀だけ腰に括り付け、顔を覆い隠す、髑髏に良く似たガスマスクを身に着けた。武器ケースのロックを生体認証でかけると、タヌキは部屋を後にした。


 タヌキの家はかつて都市の中心地だった部分に位置している。すぐ近くには半径200メートルほどはあろうかという巨大な半球型のクレーターがある。「核爆発によって発生した」というのが、秋津の国の政府公式発表だった。そのクレーターからある程度離れると『街』が点在しており、『街』と『街』の間にあぶれた人たちの形成したスラム街が広がっている。

「相変わらず汚ねえな」

 何かの生き物だったようなものがあちらこちらに転がっている。腐敗臭が漂っているはずだが、タヌキのマスクはそれを遮断している。

 4車線道路だった通りも、崩れたビルやアスファルトを突き破って生い茂る雑草、手が入らなくなり無際限に伸び続ける街路樹によって人間が生きる世界とはかけ離れた風景を生んでいる。タヌキはその障害物だらけの旧メインストリートを、軽快に進んでいた。

 大きな交差点にぶつかった。タヌキはそこを左折し、大昔の駅舎に入っていく。いまや車両も通ることはなく、単なる巨大な建築物だ。地下に降りる階段を駆け下り、日の光が差し込む地下を慣れた足取りで進む。左右に店舗が並んでいたであろう地下街跡は、今はガラス片やプラスチック片が散乱するだけだ。さらに地下に潜る階段の前で、タヌキはコンタクトの起動状態を確認した。家を出てから何度も繰り返されてきた確認。視界左上、赤く記された『DIVE:ON』の文字が、コンタクトが起動していることを示す。

 その階段をそっと降りる。42段の階段は、さしずめ「地獄への階段」だろうか。最下段に降り立つと、1枚のドア。古めかしい、樫の木と真鍮のノブがついた、装飾された重いドアだ。タヌキはためらいなく引いた

 

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