第2話

「クソが。足元見やがって」

 大物だった。久方ぶりの大物の依頼だった。タヌキは振り込まれた金額を見てからというものの、不機嫌一辺倒だった。

「ちきしょう。あの野郎つぎに見かけたら眉間にぶちこんでやるぞちくしょう」

 狙撃準備から狙撃までの冷静さが嘘のように、ぶつぶつと呪詛を吐くタヌキ。3000メートル級の狙撃を決めてからまだ2時間と経っていない。

 ソーンは大物だった。彼が抑えつけていた組織はいくつもある。それが故に、「ソーン死亡」は非常に小さな余波しか引き起こさなかったのだ。細かな組織が乱立する世の中にあって、情報はなによりも武器となる。彼に抑えられていた勢力が一歩抜きん出るには、彼の死を知った瞬間から動き出す必要があった。具体的には、武器の売買。ソーンが牛耳っていた市場の分割競争が始まっていた。

 依頼人はそうした小勢力の一人。こうしてソーン死亡の騒ぎが水面下で処理されることを見越して、タヌキに依頼した。「この程度の騒ぎなら報酬は15000。それ以上は出さない」そういわれ、タヌキは黙るしかなかった。15000あれば、豪勢な食事をとり、とても良い宿に泊まり、とても良い酒を1本開けられる。しかし、その程度だ。

「クソ…俺には大金が必要なんだ…」

 そう、大金が。

 タヌキは崩れたビルの間を潜りこむように進む。かつては国の首都がおかれ、非常に栄えていたのも、今は昔。栄枯盛衰とはよく言ったものだ。コンクリートのビルは崩れ去り、鉄筋をむき出しにし、森に飲みこまれつつある。原型を留めている建物でも、窓ガラスはほとんどが落ち、外装も朽ち果てている。木造の建築物に至っては、いまは「木材」と呼ぶ方がふさわしい姿に成り果てている。『街』の外に広がる景色はどこも良く似ていて、7年に及ぶタヌキの放浪生活でそれは嫌というほど見てきた。

 一際大きなビルがドミノ倒しのように崩れた区画の、タヌキがやっと通れるような隙間をすり抜けて、ようやくたどり着いた1枚のドア。ビル片に隠された、1軒の小屋だ。ここに至るまでにタヌキは何カ所も配置したトラップを通り抜け、背後を確認し、尾行が無いことを確認している。

(極秘任務をこなした人間を依頼主が抹殺しようとすることはよくあるからな)

 「人をむやみに信じるな」。これはタヌキの自戒。重い戒め。

 ドアノブを握る。タヌキの掌紋を読み取り、鍵が開く。タヌキ以外の人間がこれを開くと、周囲のビル片に仕掛けられた爆薬が炸裂し、小屋ごと粉砕する。

 ドアをくぐり、何もない小屋の中を少し進む。小屋の中心部のフローリングの床をそっと人差し指でなぞると、そこに地下への鉄扉が出現した。つなぎ目の一切ない鉄扉をそっと触る。ゆっくりと滑らかに鉄扉が持ち上がり、階段が現れた。

 こつこつと階段を下る。タヌキの5歩先までの階段がぼんやりと光っている。最下層に降り立ち、眼前の壁に手を伸ばす。音もなくスライドし、正真正銘のタヌキの家にたどり着く。2LDK、紆余曲折の末手に入った、タヌキの城。

「ふぅー…」

 レインコートを脱ぎ、玄関横のフックにひっかける。ひっかけたコートはそのまま壁の中に消えた。ブーツを脱ぎ、靴箱に投げ込む。よろよろと廊下を進む。10畳ほどのリビング、壁際に置かれた武器ケースに、愛銃をそっとしまう。腰のバッテリーと左腰にぶら下げた護身刀も続けてしまった。日の光は差し込まないが、天井がすべて光り、適切な光量が注がれている。タヌキはベッド近くのサイドテーブルに歩いていくと、充電スタンドに突き刺して端末を充電し始めた。端末のバッテリーも危うかった。想定よりも長引いた。充電が完了しているスペア端末をつかみ、起動。同時に充電を開始したほうの端末の電源が落ちた。起動したばかりの端末をベッドに放り投げ、ズボンとジャケットを脱ぐ。肌着と下着だけになり、ベッドに寝転がった。

(シャワー浴びたい…)

 生傷の絶えない手足は、疲労で動かせない。気力も尽きた。なにせ8日ぶりの我が家だ。

(メシ…仲間に連絡…あー…)

 寝息をたてはじめた。退色しかけた頭髪はボブカットと呼べる程度に切りそろえられている。まだ13歳、もうすぐ14歳になる。タヌキが眠りに落ちる前、最後に見たものは、視界に映るコンタクト。その貯金残高。7年間全力で蓄えた、タヌキの全財産。


2400000。


『街』への移民税まで、残り7600000。

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