LEVEL16 / おじさんキラー

 ウエイターが注文したコーヒーを2つ運んでくる。


 「これが1杯1000円のコーヒーか……」


 こんな高いコーヒーを飲んだのは一体、いつのことだろうか?


 「そうだ、思い出した!」


 確か小学生の頃だったと思う。叔父おじ夫婦に連れられ、従兄弟と共に旅行に出かけた時のことだった。その時、ホテルのロビーにあった喫茶店に立ち寄った時のことだ。


 「叔父ちゃん、ここにいたら、泊まらなきゃいけないんだよ!」

 「アハハ、大丈夫だって」


 当時の玉野は、ホテルといえば泊まるものとしか考えていなかった。当たり前だが、ホテルの喫茶店に行ったからといって、そこに宿泊しゅくはくしなければいけない規定なんか存在ない。


 しかし知識や経験が未熟みじゅくな子供の発想ではおそらく、そのような考え方に行き着いたのだろう。


 そして注文したコーヒーには、テーブルの上にある、ありったけの角砂糖かくざとうを入れた。


 「あ~あ~、そんなに砂糖一杯入れちゃって……」

 「だって、にがいんだもん」


 あれ以来か……


 そんな昔の思い出にひたる玉野をよそに、和久井は次の話題に入る。


 「何でも、女子生徒には課題を免除されたとか」

 「すみません。何とか笑ってごまかしたのですが」

 「それで正解ですよ」

 「正解?といいますと」

 「女性は味方につけないといけませんからね」

 「まあ、確かに……」


 さっきの出版社とは明らかに場の雰囲気が違う。


 赤木出版社の営業マンであった金子は20代後半くらいで、玉野よりは一回ひとまわり以上も年下だ。そんな彼が、心なしか自分を「オジサン呼ばわりする」態度に対し、正直言って苛立ちを感じていたのは事実である。


 そんな「若造わかぞう」に対し、「相手の言葉尻を捉えて」文句を言う。こちらが有利な立場もあって、相手は反論出来ず、委縮いしゅくしてしまう。


 「若造が調子に乗ってんじゃねーよ!」

 「どっちが上か、思い知ったか!」


 正直「爽快そうかい」だった。そして和久井は、本来ならば大学生の年齢だ。先ほどの金子よりも更に若い。


 ところが逆に、今は明らかに自分が「不利な立場」である。いや、最終的に「課題図書」か「課題ゲーム」を決める権限はこちらにあるのだ。したがって自分が有利な立場であるのに変わりはないはず。


 「一体何だ、この違和感いわかんは?」


 そもそも女子中学生に「女性」なんて表現は、おそらく一般的な表現ではない。それはレディーファーストというよりはむしろ、人を「モノか何かのように」見ているような……


 そう、おそらく彼にとって、学校の生徒は「お客様」という感覚なのだ。したがって女子生徒は「女の子」ではなく、あくまで「女性の顧客こきゃく」という感じだ。


 何というか、周りの全てのものをお金に換算かんさんして見ているような……そんな冷たい感覚すら感じてしまう。


 玉野は明らかに動揺どうようしていた。ゆっくりとコーヒーカップに口をつけ、すするようにして飲もうとする手が、心なしか小刻こきざみにふるえているのを感じる。


 その姿はTVドラマや映画に出てくる、毒入りの飲み物を飲まされようとしている悪役そのものだ。


 いや、悪役というよりは「裏切り者」といった方が正しいのかもしれない。主君や組織を裏切り、冷徹れいてつな彼等の前で申し開きをするものの、相手は全く無表情。


 そして目の前に出された飲み物をに飲もうとする。そして、その飲み物の中には……


 「いや、考えすぎだろ。映画じゃあるまいし」

 「だいたい、俺がこの男にしたがっているわけじゃないだろ」


 玉野はそうやって、自分自身を無理矢理説得しようとする。だが、その震えは収まるどころか、ますます強くなっていくように感じられた。 


 「あの、つかぬ事を伺ってもよろしいでしょうか?」

 「どうぞ」

 「和久井さんと伺っておりますが「嵯峨野」とは一体?」

 「ああ、昔、京都に住んでましてね」

 「なるほど。で、確か学歴は東大中退とか……」

 「そのとおりですが、何か?」

 「なぜですか?せっかく合格したというのに」

 「親は東大に合格しろとはいいましたが」

 「そうですよ。ご心配されているのでは?」

 「でも、卒業しろとは言われてませんので」

 「いやいや、そんなの常識でしょう!」

 「本当にそうでしょうか?」

 「いや、何かもったいないじゃないですか!」


 ちょっと待て。じゃあ、自分の親が「卒業しろ」といえば卒業したとでもいうのか?ロボットじゃあるまいし、いくら何でもそれはおかしいのではないか。


 玉野のような教師にしてみれば、彼のような人間は「完全に規格外きかくがい」だ。本来ならば誰もが少しでもすぐれた学歴がくれきを欲しがり、そのためには本人の好き嫌いに関係なく、とにかく勉強にはげまなければならない。


 とりわけ成績上位の子となれば、点数のテストに対する執着心しゅうちゃくしんだって人一倍ひといちばいだ。そして、それは自分のためだけでなく親や教師の、「期待という名の」プレッシャーとのたたかいでもある。


 加えて日本の学校は、海外のように「きゅう」があるわけではない。いくら成績が優秀だからといって「他の学生よりも早く」学校を去る。即ち中退には何のメリットもない。どんな事情があるにせよ、結果としてそれは単に授業について行けない「落ちこぼれ」と全く同等どうとうの扱いなのだ。


 いや、彼の実力や実績からして、おそらく優秀。それも飛び抜けて優秀な人物には間違いない。少なくとも大学の授業について行けなかったというのは考えにくい。


 にもかかわらず、その「証拠」ともいえる学歴を自らあっさりと手放してしまう。


 だとすれば……中退の理由にしたって、果たして本当に「親と約束していない」だけなのだろうか?


 「まあ、税金の無駄遣むだづかいといえばそうですよね」

 「いや、そういう問題じゃ……」


 そう、照れくさそうな表情で自分自身の現状を語る。その茶目ちゃめある笑顔を見ると、一転して玉野の緊張感はかれ、彼の手の震えが止まった。


 「何だ、催眠術さいみんじゅつにでもかかっていたのか?」


 まるで魔法にかかったかのように解けた緊張感。それがかえって緊張感を増す。


 しかし今度は先程と違って何故か、手が震えていない……


 「俺が考え過ぎていただけなのだろうか?」


 それにしても彼の笑顔は魅力的みりょくてきだ。その礼儀正しい態度とも相まって、いっそう親しみを感じてしまう。


 とりわけ緊張感につつまれた後に、あのような人懐ひとなつっこい笑顔を見せられてしまうと……何というか、それにすがり付きたくなってしまうのである。


 本来、彼のような人物は自分にとって「雲の上の人」なのかもしれない。にもかかわらず、彼は自分の実力を引けらかすこともない。


 それどころか、若くして成功した「成り上がり」あるいは「自称じしょう実力じつりょく主義者しゅぎしゃありがちな、年長者ねんちょうじゃに対して生意気な口をくこともない。それどころか逆に、年上の自分をしっかりと立てようとする。


 いや、そもそも自分が今抱えている不満を、おそらくここまで「はらって」話したのは、おそらく彼が初めてではないのか?そして彼は一切の否定をすることなく、ひたすら「やく」に徹していたではないか……


 「これが、アレか。いわゆる「おじさんキラー」という奴か?」


 待て、そんな事考えている場合じゃない。そもそも彼は一体、何故自分のところにやって来たのか?その真意しんいを探るのが今回の目的ではないか。


 「あの、和久井さん……本題ほんだいに入ってもよろしいでか?」

 「どうぞ」


 まただ。また、あの何ともいえない違和感が全身に伝わってくる。


 そして再び、玉野の手は震えはじめようとしていた。

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