LEVEL15 / 理想と現実

 オフィス街である品川駅はお盆の時期、普段の日と比べて圧倒的に人の出入りが少ない。


 帰省ラッシュも過ぎると人はまばらとなり、そして最近は旅行者と思わしき外国人の姿が目立つようになってきた。


 むろん、それでも下手な在来線ざいらいせんの駅よりは大勢の人が行きっている。しかし、それでも普段の通勤ラッシュの時間帯を見たことのある人にしてみれば「物足りない」というくらいではないだろうか。


 中央改札口の目の前にある時計台。通称「トライアングルクロック」の前に立っている若者がいる。


 「あの人か……」


 和久井為良わくいためよし。21歳。「株式会社 嵯峨野ゲーム興業こうぎょう」の代表だいひょう取締役とりしまりやくである。


 東大中退ちゅうたいの「もと」東大生Youtuberとして、若者の間で絶大な人気を誇る。その一方で、中学生の時から作成し、ネット上で配信されている無料ゲームは専門家達の間でも高い評価を得ている。


 そして、昨年に彼が立ち上げた会社である嵯峨野ゲーム興業、通称「嵯峨野ゲームス」は起業きぎょうして間もなくスマホ向けのゲームでヒットを連発し、今や彼は「時代の寵児ちょうじ」といっても過言ではない。


 「Youtuberユーチューバー


 インターネット上の動画投稿サイトである「YouTubeユーチューブ」に動画を投稿すると、その再生数さいせいすうや再生時間に応じてお金が支払われる。中にはそれだけで年収が数千万。あるいは億を超える「カリスマYoutuber」なる人物、あるいはグループも存在する。


 彼等の中にはTVや雑誌にも頻繁ひんぱんに登場し、いわゆる「芸能人」と同等か、あるいはそれ以上の人気を誇るケースも少なくない。


 「将来はYoutuberになりたい」


 そんな生徒達の人気者である彼は、学校でもしばしば話題となり、そして彼を始めとする人気Youtuberを真似して動画を投稿する生徒の話も耳にするようになった。


 「うちの子がYouTubeにハマっちゃって……」

 「何とか動画投稿をやめさせたいのですが……」


 とにかく再生数、あるいは注目されることが第一として、危険な動画、あるいは個人情報を安易にさらすようなケースも少なくない……最近の保護者会では、そういった内容の相談が話題の中心になることも多いのである。


 長髪に眼鏡、そして半袖のTシャツ。長身痩身ちょうしんやせみの体型にぴったりと合ったジーンズは、まるでどこかのアーティストがCDジャケットからそのまま飛び出してきたようだ。


 そしてその色白な肌は、その長髪とも相まって、一見すると女性のようにも見える。


 「どうも、お待たせしました。玉野です」

 「どうも、和久井です」


 玉野は、この礼儀正しい若者の態度に一瞬、拍子抜ひょうしぬけした。


 IT業界というのは基本的に服装が自由だ。そのため校則は言うに及ばず、若者の外見を日頃から口うるさく指導する教師達にとって、彼等の服装には違和感いわかんを感じる事が多い。


 むろん、電話の向こうからは丁寧ていねいな雰囲気が伝わってきたものの、実際に合ってみると如何にも今時の若者と言った感じだ。ひょっとしたら自分のような「大人」に対し、反発心を抱いているのかもしれない。


 にもかかわらず、その見た目とは異なる「如何にもビジネスマンらしき」対応に、玉野はちょっとした安堵感あんどかんを覚えていた。


 「場所は、どうしましょうか?」


 和久井が玉野に尋ねる。


 玉野にしてみれば先程の喫茶店を再び訪れてもよかった。しかし金子とのやり取りを店員に見られている手前、何となくずかしい気分がある。


 「特に決まってはいませんが……」

 「それはよかった。おすすめの場所があるんですよ」

 「おすすめの場所ですか?」


 おすすめの場所、というと何かオシャレなお店か。それとも若者に人気のあるお店か何かだろうか……


 よくわからなかったが、とりあえず玉野は和久井に従うことにした。


 「そうですか、じゃあ、そこでお願いします」

 「ありがとうございます」


 和久井は品川駅の港南口こうなんぐちに向かって足を進める。そしてそれに玉野が続く。


 品川インターンシティにあるビルの奥に入り、エレベーターの前で立ち止まる。


 「ここって、もしかして?」

 「ええ、ホテルですよ」


 ホテルが悪い、というわけではない。ただ、おそらくホテルの喫茶店は確かコーヒー代が高いと思ったのだが。


 エレベーターが2階でとまり、ドアが開く。そしてそのエレベーターに乗る。そして30階を示すと、そこでとまり、ドアが開く。


 フロアの前ではホテルの従業員か、あるいはお店のスタッフらしき人物がいて、彼等を出迎でむかえる。


 「いらっしゃいませ。何名様で?」

 「2人でお願いします」

 「2名様ですね。こちらへどうぞ」


 エレベーターの近くにある座席に座る。外の景色が見える奥の窓際の席からは離れていたものの、吹き抜けの天井がもたらす圧倒的な解放感……


 ウエイターがやってきて、玉野達にメニューを渡す。


 「ご注文はよろしいでしょうか?」


 ウエイターから渡されたメニューを見て、玉野は仰天ぎょうてんした。


 「マジかよ……」


 コーヒー1杯が1000円。しかも、それは最も安いコーヒーで、その他にも。あるいはアイスクリームやチョコレートが入れば1500円を超えているのも珍しくない。


 玉野はむろん、ホテルの喫茶店が通常のコーヒーチェーン店よりも高いことぐらい知っている。それに、この場で1000円が払えないほど貧乏というわけではないが……


 少なくとも玉野のような庶民にとっては全く「別世界べっせかい」。いや、最近、生徒達がよく口にする言葉を借りれば「異世界いせかい」だ。そう、言葉遣いは悪いが「マジかよ」である。


 「あの、私がおごりますので」

 「すみません」

 「どうぞ、お気遣いなく」


 玉野は教員生活20年以上のベテランだ。だとすれば、目の前にいる若者が生まれた時か、あるいはそれ以前から教鞭きょうべんをとっていたということになる。

 

 そんな、下手をしたら自分の息子のような人物にコーヒーをおごってもらっているという違和感……


 とはいえ、さすがにコーヒー1杯に1000円以上かかるのは痛い出費しゅっぴだ。


 (ここは彼の好意に甘んじよう)


 そう玉野は考えた。


 「先生、ご注文は?」

 「いや、えっと……とりあえずコーヒーで」

 「では私もコーヒーで」

 「コーヒー2つですね。かしこまりました」


 ウエイターがメニューをたたみ、テーブルから離れる。そして玉野達の視界から消えると、和久井は玉野に向かって話し始めた。


 「先生、この間は、どうも」

 「いえいえ、こちらこそ」


 それにしても突然だった。学習塾の人間が、塾の案内資料を携えて「営業」にやってくるケースは決して珍しくない。むろん、今回もそのような業者だと思っていた。


 しかし、相手はゲーム会社である。それも生徒達の間で話題になっているゲームの製作者であり、Youtuberだ。


 「アイツら、俺とこの人が会っているのを見たら何て言うだろうな……」


 憧れの有名人と会っている自分を見て、うらやましいと思うだろうか。あるいは「俺にも会わせてくださいよ」と言うだろうか?


 いやいや、中学生という年代を考えると「アイツ、調子に乗ってんじゃねーの?」と、教師に対してあくまでも反抗的な態度をとるのかもしれない。


 「先生というのは、大変なお仕事ですよね」

 「いや、まあ。確かにそういわれてみれば」

 「塾と違って学校の先生は……」

 「ええ、ホントに」


 この男は分かっているな、と玉野は思った。


 多くの人は「学校の教師は勉強を教えるもの」と思っている。とりわけ生徒の保護者の中には、そのような思い込みをしているケースが少なくない。


 だが、現実はそうではない。


 「まあ、うちは公立ですからね」


 なかあきらめたような調子で、玉野は言った。


 ごく一部の名門私立中学校ならばいざ知らず、公立中学校の多くは「塾のように」学習指導に専念せんねんできる環境なんて、まず存在しない。

 

 いや、もっと言ってしまえば、目の前にいる和久井のように東大を目指す子供達は私立の中高一貫校へと進学してしまう……そして「中学受験組よりも格下の」かつ「勉強に不熱心な」生徒を中心に教えているといってもいいくらいなのだ。


 中には小学校の段階で勉強について行けず、最初から学習を放棄ほうきしているような生徒だって存在する。あるいは高校で「スポーツ強豪校きょうごうこう」の推薦すいせんねらっている生徒は、当然だが勉強よりも自ずと部活を優先するようになる。


 「勉強は学生生活の一部に過ぎない」

 「たまたま、勉強熱心な生徒が一部存在するだけ」


 それが今の公立中学校の現実だ。


 加えて中学校にもなると、勉強はもちろん、部活でも挫折ざせつをし、結果として「非行に走る」生徒が出始める。そんな彼等が学校外で問題を起こし、警察のご厄介やっかいになる……


 そうなった場合、教師はそこに「親よりも早く」駆けつけなければならない。


 こういった状況の中で「もっと勉強に力を入れられないのか?」と保護者から相談を受けたところで、それは所詮しょせん、無理な話だ。


 「だったら自主的に塾に通われてください」


 これが公立中学校の教師の、一般的な対応である。


 しかも最近は部活にしたって、強豪校のスポーツ推薦を狙う生徒は敢えて学校の部活に入らないケースが少なくない。


 その代わり、学校外にあるスポーツクラブを選択する。サッカーであれば、プロサッカーチームの下部組織である「ユース」であり、野球であればリトルリーグの上位組織である「シニアリーグ」といった感じだ。


 にもかかわらず、校長は教師達に対し、部活動で成果を出して学校をアピールするように迫ってくる。優秀な人材の多くが「外部に流出りゅうしゅつしている」状態にもかかわらず、だ。


 「それとね、Youtuber……ですか?」

 「Youtuberが何か?」

 「あんなものは所詮、「現実逃避げんじつとうひ」ですよ」

 「現実逃避、といいますと?」


 なるほど、Youtuberとして成功すれば、大金を手にすること自体は決して不可能じゃない。


 だが、そんなレベルで稼いでいる人やグループが一体、どれだけ存在するというのだ。現に多くの「無名」Youtuber達は、一生懸命動画を投稿したところで、全く誰にも注目されていない。


 いや、それだけならば、まだいい。


 「立ち入り禁止区域くいきに入った」

 「公共物こうきょうぶつ破壊はかいした」


 そんな問題を起こして、批判的ひはんてきなコメントを大量に書き込まれる。いわゆる「炎上えんじょう」したという話はしばしば耳にする。


 そして、もし自分の学校の生徒が「再生数をかせぐために」そういったことを行うとすれば……


 結局、その「尻拭しりぬぐい」をするのは教師である自分達なのだ。


 というより、そもそも動画を投稿する生徒達自身が一番よく分かっているはずだ。本人達は直接、自分達から口に出すことはないものの、


 「どうせ、自分は有名大学なんかに合格できない」

 「どうせ、自分はプロスポーツ選手になれるわけでもない」


 そう、レベルの高い進学校。あるいはスポーツ強豪校の推薦入学を狙っている生徒の多くは最初からYouTubeに動画投稿なんてしない。というより、やっているひまがない。


 つまり、そういった「エリート」の枠に入れなかった子達が、何とか「一発逆転いっぱつぎゃくてん」を狙っているのだ。そして玉野には、そんな彼等の行動が「無駄な足掻あがきをしている」ようにしか見えなかった。


 「いわばね、公立は塾でいう「無選抜むせんばつクラス」なんですよ」


 玉野の言っていることは「当たらずとも遠からず」だった。そして何より、彼自身の「いつわらざる本音」でもあった。

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