宇津の窓から

とがめ山(てまり)

第1話

「よっこら……せっ」


私は通された部屋にボストンバッグを下ろした。この部屋は狭い。きっと寝るときには、真ん中においてあるちゃぶ台はどかさなきゃならないだろう。だけど新しい畳が敷いてあってきれいだ。冷たい空気を伝って、新しい畳の臭いがする。


この建物は宇津井宿(うついやど)という。私はこの宿に泊まりに来たお客さんだ。ここがどこなのかというのは、さして重要なことじゃない。窓を開けると、名前も知らない険しい山々が見えた。私がいた街は、きっとあの山を越えて、その向こうの山も越えて、もっともっとたくさんの山を越えた向こうだろう。


「長旅お疲れさまでした。お茶でもどうですか」


いつの間にか仲居さんがふすまを開けて、部屋の入り口に座っていた。


「あ、いいですね。ちょっと寒いので、温かいお茶にしてもらっていいですか」

「構いませんよ。やっぱりここは山奥ですからね、初めのうちはみなさん寒い寒いというんですよ」


仲居さんは音もなくちゃぶ台に歩み寄ると、お茶をちょこんと置いた。あたたかいお茶が、冷えた体に沁みた。


「ぬるくないですか」


「全然。私このくらいがちょうど好きなんですよ」


「それはよかった。もしもっとお飲みになりたかったら、ポットごとおいて行きましょうか」


「あ、いえ。大丈夫です」


「また何かあれば、なんなりとお申し付けください」


仲居さんは頭を下げると、廊下へ出ていった。優しくふすまが閉められる。


一人ぼっちになった私の部屋には、宇津井宿の横を流れる谷川のせせらぎだけが響いている。お茶のぬくもりが、湯呑を通して私の手のひらに伝わってきた。私はそれを大事に飲み干す。


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宇津の窓から とがめ山(てまり) @zohgen

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