落語で語る昔の話 二 元亀天正の頃

泊瀬光延(はつせ こうえん)

落語で語る昔の話 二 元亀天正の頃

*ご隠居と熊の会話が段落ごとに交代して記されてます。




ご隠居ご隠居おっ!


なんでえ、熊かい。うるせいな。


討ち入りだっ!


ああ、吉良様の屋敷に討ち入った赤穂の浪士のことかい。ていへんな騒ぎじゃな。


もうていヘんどころじゃないや。雪が残ってるってのに号外屋が辻という辻に出てやがる。

あっ、そうだ。ご隠居、『がんきてんせい』ってなんだい?


なんでい、そりや。


なんでもあの浪士達は、その頃のさむれえの再来って言ってたぜ。


そりや、元亀天正(げんきてんしょう)のこった。


へっ!?


元号だよ。元亀年間(1570~1573)と天正年間(1573~1592)のさむれえのことさ。今は元禄(1702)だろ。


どんなさむれえなんだ?そりや。


いくさに明け暮れていたころのおさむらいのことさ。


昔のげこくじよう、のかい?


おっ、むづかしい言葉を知ってるじゃねえか。


おれだって権現様(徳川家康)の若い項の話しぐれえ知ってるやい。あの赤穂浪士がその頂のさむれえに似てるのかね?


おめえ、儂が死んでくれってったら死んでくれるかえ?


な、なんでえ、やぶからぼうに!や、やだよ。冗談じゃねえ。


じゃ、おめえが死んだあと女房小供の面倒みてやるって言ったら。


・・・それでも嫌さ。


おめえの子に儂の土地をいつまでも使わせるって言ったら?


しつけえな!それがげんきのさむれえと何の関係があるんでえ?


元亀天正の項のさむれえはそれが全てだったのさ。


し、死ぬことがかい!


それで主家が生き残れば自分の家も生き残る。手柄を立てれば所領も貰える。


嚊(かかあ)とガキと地面のために死んだのかい?!


土地と家には、家来(けれえ)の家来、その使用人に百姓、小作人って数珠繋ぎに大勢の人間がぶら下がってんのさ。その生活を守ってやるから百姓は年貢を納めるんだ。さむれえの家ってのはそのからくりの頂点(てっぺん)にあったんだ。


で、でも赤穂浪士には土地や主(あるじ)なんてもういねえじゃねえか!


それを奪われたんで狂ったのさ。死狂いよ。だが、こうして名が残る。敵討ちも出来ねえ赤穂浪士なんて言われたもんだが、誰も陰口なんぞもう叩かねえだろ、こうなっちゃ!


ああ、叩けねえな。俺っちには出来ねえもん。


もと御城代の大石様は浅野家の御跡継ぎの大学様がお家を復興されることを嘆願していたというじゃあねえか。大学様が広島の親戚にお預けになったことでさむれえの本能が蘇ったんだろう。京都で小唄まで作って遊んでたお人だがね。


ふうん。そのげんきのさむれえに戻ったってことかい。


そのころの気風はもう今じゃ量り知れねえよ。土地を持っていた百姓も領主が変わりゃ追っ払われるかも知れねえ。だから、そのころの百姓は武装していたんだ。領主があぶねえって時は家来とその領民がこぞっていくさに行ったのさ。この領主は信用できねえってなると裏切ったり反抗したりしたのさ。そりゃもう凄げえ時代さ。町で、岡っ引きがいて、のほほんと芝居見て暮らしている俺たちゃなんぞ、幸せなもんさ。だがな、最近売り出している、あのもの書きがいるじゃねえか。


おう、あの斗升屋の泊瀬とかいう大それた名前の奴けえ。


あいつはそのころの人間が一番人間らしく生きていたと、のたまわっているらしいぜ。その証にそのころの物語を書いているらしい。なんでも前田慶次っていう婆娑羅武士の話らしい。


へー、でもこの間、あいつをとっちめて衆道の話を早く書けっていったら、まず書かなきゃなんねえもんがあるって逃げてったが、そうかそれを書いてやがったのか!もう一回捕まえてとっちめてやるぜっ・・・


お、おう、熊よ!まて・・・あーいっちまいやがった。全く気が短けえ奴だぜ。・・・元亀・天正のさむれえか。関ヶ原の生き残りの年寄りが昔は良かったみたいなことをよく書き残していたが、贅沢で人間が軟弱になった今のご時世じゃ、もっと理解できめえ。赤穂の浪士達は本来のさむれえのお仕事をやったってことかね・・・今は誰もやる奴がいねえ仕事を。


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落語で語る昔の話 二 元亀天正の頃 泊瀬光延(はつせ こうえん) @hatsusekouen

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