第15話 返事
ロンドンが空襲された。ラジオが伝え、新聞にも大きく出た。午後、日のあるうちに爆撃されたロンドンは夜になっても火災が続いた。ドイツ軍はその炎を目標に、夜通し爆撃を行った。多くの市民が犠牲になった。また、怪我をし、住居を失い、職場を失い、そういった被害を受けた人も無数にいた。
ドイツの爆撃機は、本気で英国の市民を殺し始めた。今までは、敵は軍事基地を襲うものだと考え、ドイツの飛行機は私たちのような民間人を狙ったりはしないと考えていた。
今は違う。英国にいること自体が、ドイツ軍に命を狙われる理由になった。
空襲の翌日、9月8日は日曜日だった。朝から教会は人がたくさん来ていた。普段は教会に来ないような人も集まって、ざわざわと話をしていた。日曜日の礼拝が満員になるなんて、私にとって初めて見る光景だった。
その朝はお父さんの声も普段と違っていた。その声には悲しみと、静かな怒りが混じっていた。お父さんに促され、皆が立ち上がり、手を合わせて目を閉じた。そうして、ロンドンの犠牲になった市民に祈りを捧げた。続いて、お母さんのオルガンとともに、賛美歌を歌った。
フレッドのお葬式のときのように、歌声が教会を満たした。
その週のうちに、学校を通して返事が返ってきた。
基地からの返事は、手紙や絵を送った児童全員に届いた。連日ロンドンが空襲されその迎撃で忙しいはずなのに、基地から返事がこんなに沢山来るなんて、少し信じられなかった。
男の子はさっそく開封して中身を読んでいた。女の子も何人か、中身を見て、返事の内容にああだ、こうだと話を始めた。
私にも、少し乱暴に「To Alice」と書かれた封筒が手渡された。私はそれを教科書に挟んでカバンに入れた。私は家で読むことにした。
帰り道は曇り空の下だった。英国ではありがちな天気。畑の脇のオレンジのユリがまだ咲いていた。1日咲いて、夕方にはしおれてしまう。次の日は新しいつぼみが開く。デイリリーの一種だとお母さんに教えてもらった。
学校から家に帰ると、お父さんが支度を整えて出かけるところだった。お母さんも用事で出かけていて、私は教会で留守番を頼まれた。戦争は激しくなる一方で、お父さんも何かと忙しいようだった。
教会に行くと、5、6人の人がいて、話をしたり、聖書を読んだりしていた。私はそういった人に積極的に声をかけたりはしなかった。私も信徒の一人に過ぎない。私は目立たないように礼拝堂の扉を閉め、控室に入った。
控室は狭く、石の壁に囲まれ暗かった。机のそばに細長い窓があり、光が少し当たっていた。私はそこに座った。
留守番のときは本を読んだり、何かいらない紙の裏に落書きをして過ごすのが普通だった。今日は、持ち帰った基地からの手紙の封を開けた。
ペーパーナイフを机に戻しながら、折りたたまれた便箋を開いた。いったい基地の誰が返事を書いたのだろう。
ノーマンからだった。宛名が乱暴な字だったので予想できなかった。丁寧な筆記体で文字が綴られていた。ノーマンの返事ならもっと早く読むべきだったと思った。
ローザは詩を書くんじゃなかったの? 読み進めて少し戸惑った。まさか熱心に絵を描いていたなんて。それに訛り。彼の発音はごく普通の英語だった。ノーマンも他の若い兵士のように冗談を言うんだなと思った。
便箋の1枚目が終わった。続きは任務から戻ってからとある。それが気になり2枚目に移った。そこでおかしいことに気がついた。宛名がもう一度書いてある。字が明らかに汚い。違う人の手紙がついてる…
アリス様
僕はトーマス。
ノーマンが手紙を書きかけだったけど、残念なことに彼は戦闘で怪我をしてしまったんだ。病院でまだ意識が戻らないでいます。なので、彼に代わって僕が続きを書きます。
君や君のクラスメートからもらった手紙や絵は、僕達を本当に元気づけてくれました。感謝してもしきれないです。あんまり嬉しかったから、僕らは全員に返事を出すことにしました。
僕は、「スピットファイアとハリケーンのどちらが強いか」という質問に答えを書きました。僕は航空工学や神学の専門家じゃないから、ものすごく苦しんで考えました。結局一長一短で引き分けになりました。
君の手紙も読ませてもらいました。君を悲しませないよう、僕らは力いっぱい戦います。頑張って働いて、早く戦争を終わらせて世界を平和にします。
ただ、ノーマンは頑張りすぎて危うく死ぬところでした。どうか彼を叱らないであげてください。
フレッドとカミル少尉のために祈ってくれてありがとう。ああ、フレッドは少尉で、カミルさんは中尉だね。KIA(戦死)で特進したんだ。僕は正規の手順で出世できるように頑張ります。
君たちがドイツの亡くなった兵士に祈ってくれたことも嬉しかったです。僕ももし敵地に落ちたら、そうやって誰かに祈ってもらって、死んだ仲間に迷わずに会いに行けるはずです。そんなことを期待していいと分かって、安心しました。
でも、同じ神を信じる者どうしがこうして戦ってるなんて、本当はまだ信じられない気持ちです。お互い、正しいと信じたことを行っているはずです。しかし、こうして戦っているということは、どちらかが決定的に間違っているのだと思います。
やがていつか、神様がお答えを示してくださるでしょう。その日まで、僕は命令が正しいと信じて戦います。英国が正義の側にあると確信しています。君のお父様が神様から聞いた答えも、同じだといいな。
ノーマンは包帯でぐるぐる巻きにされてベッドに寝ています。じきに目が覚めるはずです。どうか君も、ノーマンが回復するよう祈ってください。心からお願いします。
戦争はまだ続きます。どうかご家族とともに無事に過ごせますよう。
皆さんに神のご加護を。
トーマス
手紙を読み終えた。ノーマンが大怪我をしたなんて。7日のロンドン防衛で墜落した英軍機の1機だったとは。彼の容態は、今はどうなんだろう。
飛行機の音が聞こえた。ほとんど毎日聞いているから、意識していないとその音の存在を忘れてしまう。今日もトーマスはあれに乗っているのだろうか。
教会の裏口のドアを叩く音がした。誰だろう。
「速達です」
郵便配達のおじさんだ。教会には多くの郵便物が来るから、顔見知り。
「はい。わざわざすみません」
私は事務的に対応した。
届いたのは絵葉書だった。翼が二枚あるクラシックな飛行機の写真。
「絵葉書で速達なんて、珍しいですね」
「あなたにですよ、アリスさん」
私は宛名をよくよく見て、本当に自分宛てであることに驚いた。
雲間から日が差し、あたりが明るくなってきた。
私は自分の宛名の下の、走り書きを目で追った。
――ノーマンの目が覚めた!――
飛行機の音が続いていた。
雲間から伸びる光の階段を目指して、スピットファイアの編隊が昇っていくのが見えた。
これから命がけの戦場に向かうはずなのに、私には、ひと仕事終えた天使様が、空に帰っていくように見えた。
郵便屋さんが去り、飛行機のエンジンの音も徐々に小さくなっていった。
私はもう一度、絵葉書の文字を読もうとした。だけど、走り書きの文字が滲んで読めなくなった。
嬉しいのに泣くなんて、私、どうかしてる。
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