第14話 ロンドン空襲
9月7日。土曜日。僕らの飛行隊は午前の迎撃任務から戻った。ホーキンジを襲撃した敵は、僕らが辿り着く前に他の飛行隊と戦闘になった。僕らは敵に会うことはなく、戦果も損害もなく基地に戻った。
僕らはメスに入り、昼食をゆっくり味わった。そして、また緊急発進の待機についた。
ちょうど時間が空くので、近くの町の学校から送られてきた手紙を眺めた。僕に渡された男の子の手紙は、つたないながらも空軍を応援する気持ちがこもっていて、僕は大いに元気づけられた。
ノーマンは女の子に返事を出すことになっていた。最初はそっちを書きたいと思ったけど、僕には荷が重いと考え直した。男の子にもらった質問に答えるのなら、どうにか僕にも可能なようだった。飛行隊長もよく考えて割り振ったものだ。
コーヒーをすすりながらちらっと見たら、ノーマンがペンをとって手紙に取りかかっていた。期限は今日じゃないからもう少し考えてもいいのではと思ったが、ノーマンらしい真面目さだ。
僕も負けてられないなと、ペンを手に返事に取りかかった。ノーマンと違い文字を書くのなんて得意ではないけど、さすがに空軍に入れる程度ではあるので、一応読める文章は書けるはずだ。
「まあこんなもんかな」
便箋を頭の上に持ち上げ、自分の文字を眺めた。ひと仕事終えた気分だった。
コーヒーを飲み終えて煙草をふかしていると、また迎撃任務が要請された。ぼくは便箋を折り、もらった手紙と一緒に当番兵に渡した。それから、飛行帽や地図など装具一通りを手に外に出た。
午後の傾いた日差しがスピットファイアを照らしていた。
「敵は高度17,000ftと高度27,000ftで2群に分かれて合計100機。イングランド東部を目指し北上中」
離陸して高度を取りながら東に飛んだ。敵は管制の情報の通りで、また上空に飛行機雲が伸びている。敵の先頭はブリテン島にだいぶ入り込んでしまっているようだ。
高度が15,000ftを超えてもうすぐ爆撃機に届きそうというときに、30,000ftはあろうかという上空の飛行機雲が下に折れ、空中戦が始まったことが分かった。敵は爆撃機の背後についた英軍機を、上から襲うのだろう。
「11時の方向、下方に『ハン』です」
誰かが敵を発見した。その方向を見ると、こちらに腹を見せてMe109が4機、かなり間隔を開けた縦隊で次々と旋回していった。遠くで高度をとって再度戦闘機を襲うのだろうか。
「降下すれば追いつけそうです」
「かまうな。爆撃機の攻撃を阻止するのが優先だ」
「12時、正面に爆撃機が見えます」
高度が20,000ftを超えたところで、前方に爆撃機の編隊の末尾を捉えた。
「戦闘機はハリケーンが露払いしてくれた。一応用心はしつつも、爆撃機を確実に狙え」
飛行隊の12機は6機ずつになり、右と左に分かれて敵を追った。飛行隊長が指揮する6機は左に、僕らの方は右に別れた。
カミル小隊長を失ってから、グリーン小隊は別の少尉が小隊長に就いた。新しいリーダーは7月に僕が初出撃したときの小隊長だった。ノーマンと僕はその2番機、3番機だった。
「最後尾のドルニエを狙う。続け! タリホー!」
飛行隊長が攻撃開始の合図とともに降下を開始した。その先ではDo17の3機編隊が4列並び、12機の梯団をなしていた。
その最後の、もっとも遅い位置ににいる1機に飛行隊長は上から襲いかかった。速度を乗せ後方銃座の機関銃の狙いが定まる隙を与えず、胴体に命中弾を与えてすぐに機体を左に傾け、爆撃機の側面をすり抜けた。
銃弾を受けたドルニエは編隊から遅れをとり、梯団から落後してしまった。そこに次々とスピットファイアが襲いかかり、またたくまに炎の塊になって落ちていった。
同様に、最初の1撃で編隊が崩され、バラバラに別れた爆撃機が次々と戦闘機の餌食になった。
「こちらグリーンリーダー。俺達も行くぞ!」
梯団の中ほどで、編隊が崩れてきて右側に進路が外れたドルニエに小隊長機が襲いかかった。
敵機はさかんに機関銃で応戦したが、命中する気配はなかった。爆撃機の後方銃座は編隊を密に組んで互いにカバーすれば十字砲火となり手強い盾となる。しかし、編隊を崩され単機になれば防御力は知れている。
小隊長がまず敵の胴体に命中弾を与え、右に退避した。後方銃座がそれっきり撃ってこなくなった。
続いてノーマンが攻撃し、右の翼の付け根から火が出た。僕が攻撃したときは、射撃開始と敵の翼が折れるのがほぼ同時だった。僕の弾が当たったかどうかはまったく分からない。
敵の爆撃機は火達磨になって深い角度で降下し、石造りの建物の間に落ちてあたりを火の海にした。
「ロンドンだ!」
僕は驚いて声を上げた。僕らは都会の上空にいた。
「あいつら、ロンドンを爆撃している!」
西に傾いた太陽の光は薄くオレンジに色づき始めていた。その光に彩られた、霞んだ空気の中にロンドンの街並みがあった。
イングランドの田園地帯とは違う。見渡すほどの広さに石造りの、またはコンクリートのビルが立ち並んでいた。
その上空を敵の爆撃機が飛んでいた。
そして都市のあちこちで煙が昇っていた。
敵はロンドンの都市を無差別に爆撃していた。市民の殺傷を目的に攻撃していることが明らかだった。
爆弾がロンドンの建物を破壊し、その下にいたであろう人々を押しつぶした。炎は逃げ遅れた人々を焼いた。
墜落した飛行機も都市を破壊し、人々を殺傷したに違いなかった。しかし、戦闘機乗りに敵を撃墜する他、何ができるのか。
爆撃は阻止しなければならない。しかし敵を撃墜すれば、それも誰かの上に落ちる。僕らが放った銃弾でさえ、地上の誰かを射抜くかもしれない。
僕は戦慄して全身に鳥肌が立つのを感じながら、周囲を見渡した。
都市の各地で対空機関砲が狂ったように打ち上げられ、高射砲の煙も漂っていた。阻塞気球のいくつかは敵の攻撃に破られ、ひしゃげながら高度を下げていった。
「トーマス、上だ!」
ノーマンの声に気づいて反射的に操縦桿を左に倒し、同時に空を見上げた。
Me110がすぐ上を通り過ぎ、スピットファイアが後を追った。動きが鈍い110はたちまちノーマンに背後を取られ、瞬間的な射撃の後機首を下げて落ちていった。
僕は周囲を警戒した。もう1機が上空から降ってくるところだった。
僕の右側に曳光弾が飛ぶのに気づくと、あえてその方向に旋回した。操縦桿を右に倒したままにして一回転ロールをすると、勢いがついたMe110が射撃を続けながら僕を追い越していった。僕はその後を追おうとしたが、別の方向から爆撃機が新たに来ていることに気づいた。
ビルの間からもうもうと立ち昇る煙。その下に激しく燃える炎。それを背景に5機の爆撃機がゆるい編隊を組んで進んできていた。僕がうかうかしている間に、敵に爆弾を落とされてしまった。
「この馬鹿が!」
僕は怒鳴った。爆弾を落とした敵と、そしてそれを阻止できなかった自分を罵った。そして、敵の斜め前方を正面に据えまっすぐ突進した。
敵は尾翼が1枚。ユンカースJu88だ。
高度はほぼ同じ。機関銃を発射しながら進み、衝突寸前で向きを変えて敵の眼前を駆け抜けた。敵の前方の機関銃手と目が合った気がした。酸素マスクをした白い顔の、驚いたような目が僕を見つめた。
「くそ! 人の顔をしてやがる!」
相手が獣か化物の姿であれば、むしろ気分が楽だったかもしれない。
僕らと同じ人間が、僕らや、僕らの家族や、友達や、そんな罪もない人に爆弾を落としている。
僕も同じだ。僕らが落とした爆撃機も同じく、人々を焼き殺している!
ユンカースは僕の攻撃が当たらなかったらしく、東のテムズ河口に向け退避を続けた。僕は再度攻撃をするため旋回し、高度を取りながら敵を右前方に見て飛んだ。
そのさらに右上から、スピットファイアが1機、敵に向かって襲いかかるのが見えた。敵の防御機銃も気にせず背面から襲撃し、衝突寸前で回避した。
「チクショウ! 弾が出ない!」
罵声はそのスピットファイアだろう。完全に逆上している。攻撃の瞬間、出るはずの硝煙が翼から出なかった。あれだけの肉薄攻撃をして銃弾が出なければ、どんな聖人君子でも激怒するだろう。
「ノーマン、どうした!」
僕は無線の主に呼びかけた。そう、ノーマンだ。彼が、信じられないほどものすごく怒っている。
「ブローニングが8挺もあるくせに一発も出ない!」
「落ち着け、安全リングは解除してるな!」
「バカにするな! 少し前までは弾が出たんだ!」
「なら残弾を確認しろ!」
ノーマンの機体はロンドンの街を背景に旋回をしながら上昇に転じ、ふたたび爆撃機を目指していた。
「○○○○! 残弾ゼロだ! 弾切れかよ! ○○○○! ○○○○!」
ノーマンの口からありえない言葉が飛んで、僕は耳を疑った。
「落ち着くんだ、こいつは僕が落とす、君は基地に戻れ」
「冗談じゃない! ロンドンが燃えてるんだ! こいつを落とさなければ、また爆撃に来る!」
「ノーマン、僕や他の戦闘機に任せろ、君は十分戦った!」
僕が呼びかけている間に、ノーマンの機体は攻撃態勢に入り、再び敵の後ろ上方から肉薄し、そのままユンカースの尾部に衝突した。
スピットファイアのプロペラが薄い金属板の垂直尾翼と胴体を切り裂き、尖った機首が敵の後方銃座に食い込んだ。
2機の飛行機は一体となり、親子バッタのように奇妙な姿でしばらく飛んだ。
「ノーマン、何やってる!」
僕は叫んだ。
爆撃機は尾翼が程なく胴体から外れ飛んだ。そして、機体はスピットファイアを乗せたまま不安定に回転を始めた。墜落は確実だ。
「ノーマン、聞こえるか! おい、聞こえるか!」
直後に、スピットファイアのキャノピーが投棄されるのが見えた。ノーマンは生きてる!
そのすぐ後に、爆撃機は機首を下に向けてもんどり打ち、スピットファイアは前方に投げ出された。そのスピットファイアから、パイロットが放り出されるように飛び出すのが見えた。
「やった! よくやった!」
機体から脱出したパイロットは、背面にひっくり返ったスピットファイアが一瞬その姿を隠した。しかし、その後は人と飛行機は大きく距離が空き、互いに別々の場所を目指して落ちていった。
急速に小さくなっていくノーマンの姿を、僕は機体を降下に入れて追いかけた。スピットファイアの方はもう眼中になかった。
「ノーマン、パラシュートだ、ノーマン!」
僕はものすごく長い時間叫んだような気がした。でも実際は一瞬だったのかもしれない。
下の方で、パラシュートがぱっと開いた。
「ノーマン、無事か? ノーマン、無事か?!」
僕はパラシュートを中心にぐるぐると旋回して送信を続けた。そうして、彼が敵に銃撃されないよう周囲を警戒した。
パラシュートは風に流され、東へ東へと進んだ。ぼくはそれを追いかけた。
もうロンドンの市街からはだいぶ離れ、テムズ川の北にある畑にパラシュートは落ちた。ノーマンの身体は力なく地面に転がった。パラシュートは風下に流され、ノーマンを引きずってしばらく移動し、生け垣に引っかかって止まった。
「ノーマン、起きろ!、地上に降りたぞ、もう大丈夫だ、ノーマン、何やってる、起きろ!」
僕は無線に叫び続け、その上空をぐるぐる回った。
ノーマンの身体はまったく動かなかった。
上から見ていると、近くにいた人が何人か、パラシュートに向けて走り出しているのが見えた。彼らがノーマンの傍らにたどり着くまで、僕は旋回を続けた。
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