第11話 炎
僕らの飛行隊は今日も爆撃機の迎撃に上がった。
8月も終わりに近く、朝が少し遅くなり、日の入りなど7月から1時間以上も早くなった。それだけ僕らが飛ぶ時間が減り、休む時間が増える、はずだった。
だけど、夜は敵の爆撃機の音に起こされることが何度もあった。一度は、爆撃機が近づいたというので無理やり起こされ、当直の兵に不平を言っているまさにその時に爆弾が基地に落下した。その夜はもう眠るどころではなかった。
今朝も、爆弾が落ちたクレーターと、まだガラスが割れたままの建物を一通り眺めてからスピットファイアに乗り込んだ。誘導路の脇にロープが囲ってあり、そこには不発弾がまだ処理されずに埋まっていた。
待機中に爆撃機が接近中と出撃が要請され、緊急離陸した僕らは怒りに燃えていた。安眠を妨げられた恨みを皆が腹にかかえていた。
天候は、曇天ながらもいくらか空に切れ間があり、僅かに陽が射していた。その雲の切れ間に僕らは進入した。両脇で雲が切り立った崖となり、険しい谷の間を、僕らは山羊の群れのように昇っていった。
管制からは高度12,000ftと高度24,000ftの2群に分かれて各々10機程度という情報だった。僕らが雲の渓谷を昇りきる前に、敵は英国に侵入したと報告された。その後
敵は西に進路を変え、また僕らの基地を狙っていると推定された。
雲の谷間を抜け青空の下に出ると、東の方の雲の上にいくつも機影が見えた。
「こちらグリーンリーダー。上空には戦闘機がいるはずだ。戦闘機が降ってくる前に、前から爆撃機を襲う」
「許可する。レッド小隊、ブルー小隊は上昇を続け戦闘機を探す。オレンジ小隊はグリーン小隊に続け」
「コピー」
飛行隊長は僕らを置いてさらに上昇を続けた。
カミル小隊長は僕らの進路を爆撃機の正面に向けた。
対面して進むと敵はみるみる大きくなった。ハインケルと明らかに違う機体の形だが、尾翼が1枚だからドルニエではない。ハインケルよりスピードもあるような気がする。
「おそらくユンカースJu88、9機です」
僕が機種を推定して報告した。3機ずつくさび形の編隊を組み、3個の梯団を形成してこちらに向かってきていた。
「109が降下してきます」
ノーマンが見張りの結果を送った。
「タリホー!」
小隊長は爆撃機に向かう進路を変えず、攻撃の合図を発した。スロットルを全開にして、速度を上げて爆撃機に迫った。僕とノーマンがその後を追った。
敵の姿はあっという間に大きくなり、僕らは機関銃の発射ボタンを押したまますれ違った。
操縦桿をやや押しつつ右に倒し、爆撃機との衝突をかわすと、迷わず機首を下に向け、雲に飛び込んだ。Me109の攻撃を受ける前にどうにか切り抜けた。
雲の中で後ろを見ると、真っ白で何も見えず、戦果はまったく確認できなかった。
僕らは降下の角度を緩め、計器を見ながら左右の傾きを水平にした。ほどなく雲の谷間に出た。視界がひらけると、運良く小隊の3機はあまり離れずに飛んでいたことが分かった。それぞれ急旋回して進路を雲の谷間に沿わせ、基地の方向を目指して飛んだ。
頭の上では飛行機雲がぐるぐると交錯していた。戦闘機とうまく会敵できたようだった。僕らの機体がそれに加わるのは無理だった。
僕らは雲の下まで降り、基地の上空で旋回して爆撃機を警戒した。
東の空でぱっと何かが光るのに気がついた。敵の爆撃機が機関銃弾を受けて発火、墜落する瞬間だった。
ハリケーンの部隊が雲の下で敵を待ち構え、4機を撃墜する戦果を上げた。
僕らは戦果がないまま着陸した。
程なく昼になり、メスで食事にした。
まったく冴えない気分だった。爆撃機だけなら、足が遅いから何度でも攻撃をしかけられる。編隊で飛ぶ爆撃機は復数の銃座で反撃してくるから、それも相応に危険だが、距離が離れれば向こうから追いかけてくることはない。防御機銃も、狙いを正確にして速度を保って攻撃すればそうそう当たるものではない。
「やっぱり戦闘機をまず叩くべきでしょうか?」
僕はトーストをかじりながら小隊長に問いかけた。
「そうだな。特に109は足が短いから、空戦に持ち込めばすぐ爆撃機の援護を諦めて大陸に帰る」
ベーコンを口に入れて、無精髭をもごもご動かしながら少尉が応じた。
「じゃあ次は、僕らの小隊が高度をとって戦闘機を追い払いましょう」
「そうだな。それで行こう」
僕は食事を続けながら、護衛の戦闘機はどこからどう攻撃するのがいいか、あれこれ考えた。
午後遅くにまた、けたたましくベルが鳴り、本日2度目のスクランブル発進となった。僕らの小隊は3機全員が上がり、進路を北にとった。
敵はテムズ河口より北から侵入し、ロンドンの北方を目指しているという情報だった。
西日を受けながら北に向け飛び、会敵する前にできるだけ高度をとれるように上昇を続けた。
「15,000ftに敵12機、20,000ftに8機、依然として西進中」
管制に応じ、僕らは上の戦闘機を目指した。
空はずっと曇りがちで、雲を抜け青空の下に出ても、自分たちより上の高さまで幾つもの雲がそびえ立っていた。ロンドンの上空の方にも巨大な積雲があった。夕日に色づきつつある巨峰を右に見ながら、その雲に沿って大きく回り込むように僕らは飛んだ。
積雲よりも北に進み、展望が開けると、ほどなく戦闘機のキャノピーがキラキラと光るのが見えた。僕らよりやや下方に黒い機影がある。4機がゆるい編隊を組んでいるのが分かった。
「このまま太陽を背にして敵に近づく」
ついに、僕らの方が太陽から飛び出して、敵に襲いかかる番になった。圧倒的多数の敵に逃げ回るだけの戦いはもうごめんだ。
夕日を背にした僕らは、まさに、自分たちの影の方向に敵を捉え、機首を下に向け速度を上げながら進んだ。
「敵は110だ。斜め前が死角だ、このまま進んですれ違いざまに射撃する。それから上昇して再度攻撃だ。1機も逃がすな!」
4機の戦闘機が赤く色づき始めた雲を背景にこちらに進んできていた。他の4機はどこか他の雲の影にいるようだった。
2基のエンジン、スマートな胴体、2枚の垂直尾翼。その形は間違いなくメッサーシュミットMe110だった。英国の奥地まで爆撃機を援護するには、航続力のある110でなければならない。強敵109はここまで飛べない。そして110は109に比べればはるかに動きが鈍い。こんどは確実に撃墜する! 僕はそう胸に刻んだ。
「タリホー!」
合図とともに小隊長は降下の角度を深くし、敵の1番機に突っ込んでいった。
ノーマンと僕もそれぞれ狙いを定め、敵に斜め上から突き進んだ。
まだ小さいうちに敵をどうにか照準器にとらえると、機関銃の発射ボタンを押したまま直進した。敵が近づいてからでは間に合わない。
敵の姿がはっきり分かるようになってから、目の前いっぱいに大きくなるまではほんの一瞬だった。機関銃を撃ちながら進み、右に急横転し、敵の左脇をかすめて降下した。僕の機の翼から伸びる機関銃の曳光弾は、その瞬間に敵の影を横切った。
戦果を確かめ、2撃目を後方から加えようと僕は、急旋回をしながら敵の方向を見た。
空中に巨大な火炎が見えた。
僕は目を疑った。
燃え上がる炎は空中に広がり、やがて黒い煙の塊になった。その中から、飛行機の破片がバラバラに雲に向け落ちていった。煙は徐々に天に昇り、破片にまとわりついた細い煙が、何本も何本も、下に向けて伸びていった。
もう自分の獲物のことは頭になかった。
昇ってゆく煙と、落ちてゆく破片を目で追いながら、自分が目撃した出来事を改めて思い出した。
僕の左前で、小隊長は射撃を続けながら敵の1番機に襲いかかった。
小隊長の射撃は正確で、比較的距離があるうちから敵に命中弾を与えていた。
小隊長は、僕と同じように右に横転し、敵をギリギリでかすめようとした。逆だ。僕は、小隊長が右に翼を翻すのを見て、真似して右に抜けた。
小隊長は、確実に回避できる機動を行っていたはずだった。
おそらく、正面から銃弾を受けた敵のパイロットが、絶命する瞬間に操縦桿を左に倒したのだろう。
小隊長が110をかすめる瞬間に、敵も一瞬よろめいた。そんな光景が視界の端に映った気がした。そして、小隊長のスピットファイアと正面から衝突した。
一瞬のことなので、もう実際に目撃したことか、想像で頭に描いたことか、どちらが記憶に残っているのか、自分でもわからなくなった。どちらにしても、小隊長はMe110に激突し、2機は巨大な炎になって空に散った。これは間違いなかった。
状況をようやく把握した僕はR/Tの送信ボタンを押した。
「グリーンリーダー、応答願います! グリーンリーダー、応答願います!」
送信ボタンを離した。応答はなかった。ふたたび押し、声が涸れるまで、何度も何度も叫んだ。そして、送信ボタンから指を離し、破片が落ちていった雲の谷間を見つめた。
小隊長から一切の応答はなかった。
敵の戦闘機ももう、どこかに消えていた。衝突が起きた場所にいるのは、僕とノーマンのスピットファイアが2機だけだった。
「トーマス、戻ろう」
静かに、しかし震える声でノーマンが言った。
僕も、震える手で改めて操縦桿を握り、基地に機首を向けた。
基地は重い空気が漂っていた。
戦果は小隊長によるMe110を1機撃墜確実。損害は小隊長のスピットファイア1機だった。
敵の爆撃機は戦闘機に攻撃されることなく、飛行機の工場に爆弾を落として逃げ去った。敵の戦闘機も、それ以上の損害はなかった。
バーでしめやかに、少尉の死を惜しむ会が開かれた。
あの茶色い無精髭の少尉にもう二度と会えないことが、なかなか実感できなかった。目つきは悪いが、僕らの小隊が編成されてからは、何かと世話を焼いてくれた。バーでも、機嫌よくグラスを空けることが珍しくなくなった。
僕らはもっと近く、もっと固い絆を作り上げる途中だった。
飛行隊長にビールを奢ってもらい、僕らは労いの言葉もかけてもらった。いつもは賑やかなバーも、今日は皆、口数が少なかった。
当番兵が少尉の遺品を持ってバーに来た。彼は飛行隊長に耳打ちすると、一通の封筒を渡した。中には、外国のコインが何枚かと、便箋が1枚折って入れられていた。コインは小隊長の祖国の通貨だろう。
便箋は間違いようがなく遺書だった。
少尉はこれを、本当に遺書として読まれると想定していたのだろうか。
そう思えるほどそっけなく、英語で、わずか数行の文字が綴られていた。
遺言状
すまないが一足先に家族のもとに旅立ち休ませてもらう。
所持金及び未払いの給料はバーのつけに回し、余りがあるようなら戦災孤児に寄付されたし。
葬式の費用は寛大な英国空軍が出してくれると信じる。
もし可能なら、埋葬は基地の近くのあの教会にお願いしたい。
全ての戦争犠牲者に神が安らぎを給わんことを。
カミル
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