第3話 アリス

 私はお葬式が嫌い。

 一昨年作ってもらった喪服は、仕立て直しが限界に来ていて肩がきつい。スカートが短く見えてしまうのも気になる。だいいちこれは子供用のデザイン。11歳になってセカンダリースクールに進んだのだから、それに見合った服が欲しかった。

 お母さんにはもう相談してある。でも、町の小さい仕立て屋では物資の統制で布地が手に入らない、将校の制服の仕立てが立て込んでいるなどと言われ、けっきょくまだこの窮屈な喪服を着ている。

 お父さんは町の教会で牧師をしている。娘である私は、教会の行事にはどれも出ることになっている。それは間違いなく自分の役割。そうはいっても、お葬式は別。結婚式もそうだけど、近親者でもないのにそこに加わったりはしない。地味な格好をして教会の案内をしたり墓地やまわりの道を掃除したりすることはあるけれど、そのために学校を休むとかはしない。ただ、町の偉い人や、有名人となると話は別。

 昨日、この町の出身のパイロットのご遺体が町に帰ってきた。アルフレッドさん。愛称はフレッド。ドーバーの沖合でドイツの戦闘機と戦って、行方不明になっていたという。この町の出身で戦闘機パイロットになった人はまだ彼一人しかいない。戦争が続けばまた誰かがなるかもしれない。けれど、実際に空軍で戦ったのはまだ彼一人。

 お父さんは昨日からご遺族のところや教会でたくさんの仕事に追われ忙しくしている。教会には参列者がたくさん来るだろう。私は、何をするか決まっているわけではないけれど、朝から喪服に着替え、教会に行っていろいろとお手伝いをすることになっていた。

 外は朝から雨が降っていた。窮屈な喪服に着替えなければならない上に、髪の毛がまとまらない。湿気で伸びてごわごわに膨らんだ髪の毛を無理矢理に後ろにまとめ、左右ふたつに結んだ。友達のローザは黒いストレートな髪を背中まで伸ばしていて、とても羨ましいと思った。彼女は私のブロンドを褒めてくれるけど、雨の日の朝に櫛が引っ掛かるもどかしさは分かってもらえないと思う。


 教会は朝から何人も人が来ていた。黒いコウモリ傘をさした人々が絶えず近くの道にいて、墓地の方にも何人かいるようだった。墓地の人だかりの場所は多分、今日埋葬を行う新しい墓穴。

 集まっている人たちはほとんどが町の人で、全く知らない人というのは特にいなかった。私は左手でコウモリ傘をさし、右手で箒と塵取りを持って教会のまわりを歩いた。さすがに教会の敷地内は少ないけれど、道には少なくない吸い殻が落ちていた。塵取りを地面に置き、吸い殻を箒で集め、道を綺麗にするのは本当に<やりがい>のある仕事だった。雨で濡れた吸い殻は無造作に集めても燃えだす心配がないし、臭いもしない。そこは晴れの日よりよかった。大人は何がよくて煙草を吸うのだろう。お父さんが喫煙者でないことを深く感謝した。


 午後になってもうすぐお葬式が始まる時間になった。箒と塵取りはひとまず置いて、私は自分に課せられた任務を遂行することにした。後ろ手に一通の封筒を持ち、教会に集まった人々を見て回った。

 教会の敷地の端に小さい東屋があって、そこで少し雨宿りができる。その屋根の下に真新しい空軍の制服を着た3人の若者を見つけて、私はそっと近づいた。空軍からわざわざ来た人ならお葬式の参列者に違いない。そして、私が誰かも知らないはずだ。

 煙草を吸いながら話している3人のうち、背の高い金髪の青年と、そこまでは背が高くない黒髪の青年が私に気づいてこっちを見た。私に背中を向けていたやや背の低い人も、煙草の煙を吐きながらこちらを向いた。

「こんにちは」

 金髪さんが私に挨拶した。

「はじめまして」

 私は膝を軽く曲げて挨拶を返した。こちらを見る3人の空軍の兵士と目が合った。金髪さんと黒髪君は20歳ぐらい。本当に空軍に入ったばかりの人みたいだった。でも、もう一人、茶色い髭の男の人は30歳くらいに見えた。空軍の制服は確かに真新しいけれど、よく見ると制服姿に貫禄がある。顔は口のまわりにあまり整えられていない髭が生え、顎の両側は今朝ほど乱暴に剃ったように、剃刀負けがちょっと残る肌が出ていた。無精髭で参列することは気が引けたのだろうか。

 髭の人は煙草を地面に捨てると足でもみ消した。

「失礼、お嬢さん。ここは禁煙だったかな?」

 低く落ち着いた声だった。外国の人かもしれない。

「いいえ、お気になさらず」

 吸い殻は私が片付けるにしても、ルールとしては禁煙ということはなかったのでそう答えた。答えながら、この先どうしようかと考えていた。

 髭の人は機嫌が悪いふうではなかったけれど、帽子の下から私を見る瞳がひどく鋭く、私は少しぞっとした。この人達には頼み事ができる気がしない。

「アルフレッドさんとは同じ部隊なんですか?」

 黙って立ち去るのも気が引けたので、少し話をすることにした。

「ぼくとトーマスはフレッドの同期だよ」

 金髪さんが黒髪君の肩を叩いた。

「こっちの目つきが悪い人は少尉なんだ。失礼がないようにしないといけないよ」

 黒髪君が髭の人を紹介した。

「カミルでいい。確かに少尉だが、英軍では新人だ」

「彼はドイツに対する復讐者さ」

「ただのポーランド人だ」

 恐ろしく冷たい目で髭の人、カミル氏はトーマスを見た。睨んだと言ってもいい。

「お嬢さんはぼくらに何か用かな?」

 金髪さんが優しく語りかけた。

「彼はノーマン。紳士だから、怖がらなくていいよ」

 ノーマンは帽子をちょっと持ち上げて微笑み、帽子をまた戻した。

「ええ、実はお願いが」

 私はやはり彼らに任務を託すことにした。そして、背中に回していた左手の白い封筒を差し出した。宛名は大きく「To Fred」と書いてある。

「ああ、手紙だね。ローザ…ちゃん? いいよ、届けてあげる」

 トーマスが封筒を手に取り、すかさず裏返して言った。

「ローザは私じゃありません」

 彼の馴れ馴れしい態度と、裏返して差出人をすぐ口にするデリカシーのなさに、ちょっとむっとして私は返した。

「友達に頼まれたんです。フレッドは町では有名人ですから。私のクラスにもファンがいるんです。彼女に頼まれました」

 ローザがフレッドのファンだというのは、彼の遺体が見つかったという話を聞いた日に初めて知った。先生が朝話したときは、普通に聞いていただけだったのに、昼休みにいろいろな話を友達から聞くうちにだんだん悲しそうな顔になって、夕方には赤くなった目をこすりながら、私に手紙を渡した。フレッドと家が近くてよく知っていたらしい。だけど、7月にドイツ軍の大規模な攻撃が始まっても、パイロットのことなどぜんぜん話したことはなかった。彼が行方不明になっても、特に気にした様子はなかった。

 そんな不可解なことがあったとはいえ、「私は親戚じゃないから直接彼に渡せない。あなたお願い」と、半ば泣きながら頼まれたら、冷たく断るわけにはいかない。

 でも私だって近親者でも参列者でもない。フレッドのお棺に手紙を届ける役割は到底果たせそうにない。牧師の娘でいくらかお葬式に慣れていても、ご遺体に近づくのだってちょっと怖い。

 知り合いの参列者に頼んだら変に噂されるだろう。悲しみに暮れるご遺族に頼めることでもない。空軍の若い人なら、間違いなく届けてくれるだろうし、私のこともローザのことも知らない。

「アリスちゃん!」

 女性の声が後ろから私を呼んだ。

「アルフレッドさんのお母様」

「今日は来てくれてありがとう。あなたもぜひお葬式に加わってちょうだい。フレッドも喜ぶわ」

「分かりました」

 私は振り向いてトーマスの手から手紙を掴み取ると、手紙を背に隠したまま、軽く膝を曲げてフレッドのご両親にお辞儀した。

「このたびは本当にお気の毒でした。私でよろしければ、お花を捧げさせてください」

「先生にはよくしていただいたわ。あなたもいつも教会に来て下さって、あなたの顔を見るといつもほっとしたものよ」

 フレッドが行方不明になってから、時間を見つけてはご両親が教会に来ていたことを思い出した。特にお母さんは毎日のように来て、熱心に無事を祈っていた。私は何もできず、教会の隅でそれを見ているだけだった。


 葬儀はつつがなく進み、父の説話や、空軍の飛行隊長という偉い人のお話を聞き、私のお母さんのオルガンとともに賛美歌を歌った。教会はフレッドの親族と、空軍の同じ部隊の方と、学校の同級生と、その友達と、近所の人と、とにかく、何かの関係を自称する人も含めて、座席が全部参列者で埋まった。賛美歌はおごそかに教会に響き渡り、これほどの歌声はそうそう聞いたことがなかった。

 献花は多くの人が並び、私はだいぶ後の方だった。

 私の献花のあと程なくして、棺の蓋が開けられ、フレッドは家族と最後の対面をした。すすり泣く声が教会に響き、声なき声で皆がお別れの言葉を胸に刻んだ。やがて、棺の蓋は閉ざされ、釘を打つ音が響いた。

 ローザの手紙は、まだ私の手の中にあった…


 埋葬が始まると、墓地は沢山の人が集まり、コウモリ傘で覆い尽くされた。私はフレッドのご家族の後ろで、傘の下から土が穴に戻されるのを見ていた。空軍の制服を着た4人、飛行隊長と、ノーマンと、トーマスと、カミル少尉。彼らは雨に濡れるのもかまわず、黙って背を伸ばし敬礼を続けた。

 そして、真新しい土くれが墓地にできた。小さい墓石が置かれ、それから人々が列をなし、次々に花が捧げられた。

 私も白いカーネーションを一輪添えた。その後、教会に入れなかった人も続いて、献花はいつまでも続いた。人足がなくなる頃には、フレッドの新しいお墓は花で山盛りになっていた。花は雨の中でも色とりどりの鮮やかさだった。小さい町の花屋はもう一輪も残っていないだろう。それに、明らかに庭から摘んできたと思える花も少なくなかった。

 花とともに、贈り物や手紙もいくつも捧げられていた。雨に湿った煙草は生きている人にはもう吸えないだろう。手紙もインクが滲み、その言葉は死者にしか届かない。

 私も、ポケットから封筒を取り出すと、そこに届けようとした。


「アリス!」

 喪服姿のローザが私を呼んだ。私より大人びた喪服を着ていた。綺麗でシワの少ない喪服はいかにも着慣れない感じだった。それでも、彼女の黒髪が喪服の色合いによく馴染んでいた。

「着替えていたら遅くなってしまったわ。フレッドのお墓はここね?」

「そうよ」

 花が山と積まれたお墓はどうしたって間違えようがなかった。

「では、これを捧げます」

 ローザは一輪の、真っ赤なバラを胸に抱いた。彼女のお父さんが熱心に庭で育てているものを摘んできたようだ。

「この花は私の魂。私の心は永遠にあなたとともにあります」

 芝居がかったセリフとともに、ローザはひざまずいてバラの花を墓前に捧げた。

 立ち上がると、花とともに添えられた贈り物や手紙を改めて見ているようだった。

 手紙がまだ手元にあることをどう伝えようかと私は少し迷った。

「アリスさん」

 話しかけられて振り向くと、ノーマンとトーマスが立っていた。

「少尉を呼んできてくれないかな。基地から自動車が来たって」

「はい」

「あの、フレッドさんの同僚の方ですか? 私はアリスの友達のローザです」

 ローザは私の横から一歩前に出て、ノーマンを見上げながら聞いた。

「ぼくとトーマスは訓練を一緒に受けた仲だよ」

 右の黒髪君と肩を組んだ。

「アリスさん、封筒はまだ持ってる?」

「はい…」

「アリスさん、ローザさん。もしよかったら、その手紙、ぼくに預けてくれないかな?」

「ええ?」

 思いがけない提案に私は驚いた。

「ぼくらは毎日のように海の上を飛んでいるんだ。ローザさんの手紙は、フレッドが旅だった海に送り届けてあげるよ」

「お願いできますか!?」

 ローザは即答した。そして、私の手から封筒をつかみ取り、ノーマンに差し出した。

「あの、英国空軍(RAF)のことをもう少しお話しして下さいませんか?」

 ローザは、手紙をポケットに入れようとしているノーマンに話しかけた。

 私は、彼女らを置いてカミル少尉を探しに行った。


「少尉さん、基地から車が来ました」

 墓地から教会に入ると、そこにカミル氏がいた。祭壇の前に跪き、両手を合わせていた。目を閉じて、真剣にお祈りをしていた。

 私は、お祈りが終わるまで声をかけるべきではなかったと少し後悔した。彼は傍らに置いた帽子を手にとっり、油でなでつけた茶色い髪の毛の上に載せた。

「知らせてくれてありがとう」

 そう言いながら、正面の床に置いた小さい写真を手にして立ち上がった。

「いえ、お祈りの邪魔をしてしまいすみません」

「いいんですよ。今日はとても長い時間こうしていましたから」

「ご家族の方ですか」

「妻と娘と、長男だ」

 カミル氏はその写真を見せてくれた。赤ちゃんを抱いた若い奥さんと、8歳ぐらいの娘さんの写真。写真は隅のほうが折れて、だいぶ傷んでいた。それでも、彼が祖国から唯一持ってこられた家族の姿なのだろう。

「ときどきここでお祈りをしていいかな」

 静かな声で彼はたずねた。

「もちろんいいですよ」

「ありがとう」

 彼は私の顔を見て微笑み、礼を言った。最初見たときとは全然違う、とても優しい目をしていた。


 空軍の車を見送ると、入れ替わりにタクシーが1台やってきた。後ろのドアが開いて、喪服の若い女性と、その母親らしき初老の女性が降りてきた。

「お嬢さん」

 私の姿を見て、若い女性が声をかけてきた。

「アルフレッドさんのお墓はこちらですか?」

 私は頷くと、2人を花盛りのお墓に案内した。

 女性は誰なのだろう。ローザのようなファンの一人なのかもしれない。それとも、私が知らないだけでお姉さんがいたのだろうか。まさか、訓練中に恋人ができた? あるいは、行きつけのバーの給仕かもしれない。

「アルフレッドさんのお葬式は沢山の人が来てくださいました。この町の英雄だったのだと改めて知りました」

 そんなことを話しながら、お墓の前まで来て私は女性の方を向いた。

 女性はコウモリ傘の下でろうそくのように真っ白い顔になっていた。そして、目の縁から涙がこぼれ落ちていた。立っている足元もふらついてしまい、後に立つお連れの方が肩を支えた。

 私は彼女に掛ける言葉がなかった。そして、彼女が誰なのかも、知ることができなかった。私は、女性の嗚咽を背中に聞きながら、静かに歩いて墓地を立ち去った。

 私はお葬式が嫌い。

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