My Stery

まき

1.御学友様と手紙

 ミステリといえば推理小説。推理小説といえばミステリだ。これに関しては、厳然げんぜんたる事実のように思われる。ならばミステリとは何か。今答えは出たばかりではないかとお思いだろう。けれども、これは極一例に過ぎない。

 ミステリと呼ばれる類には沢山の種類があり、それら全てをミステリとひとまとめにするのはいかがなものか、と私は提案をしているのだ。

 実際、ミステリに触れずにきた者に聞いてみるといい。サスペンスもホラーもミステリとして区分しがちであり、代表的な作品といえばシャーロック・ホームズやエルキュール・ポアロ、C・オーギュスト・デュパンなどの『探偵』が『事件』に遭遇、依頼などを受け推理の末に『犯人』を言い当てる。これこそ美しき推理の数式である。それは厳然たる不動の数式列であり、何の乱れも疑念もなく、ミステリにおける確実なる答えとして今なお百年以上前より燦然さんぜんと輝き続けている。

 事件が起きなければミステリではない。

 探偵がいなければミステリではない。

 現状こそ本格派、新本格、警察小説にスパイ小説、果てにはメタミステリや日常謎などと細やかに区分されているが、なにが皆の共通するミステリなのか。事件が起きて犯人を見つけて一件落着。…果たしてそれだけだろうか?

 ミステリをミステリたらしめるものは、そのような形式ばった数万という文字列の記号だけであろうか。

 …これは余談ではあり、読んでいない方には盛大なネタバレとなるので作品名は伏せるのだが、私はある日、とある古本屋でミステリと分類せられる作品一つを買い、名作なのだからと心持ち浮き足立って帰宅をした。勿論読む機会は過去にもあったが、何故か他を優先したが故に後回しにしてきていた。それ故にたまたまその日見つけたのでこれ幸いと1ポンドを手にカウンタへと向かったのだ。

 そして家へと帰り、本を読まんとページを一枚捲った時だった。登場人物欄、全員に赤いペンで丸が記してあったのだ。

 一瞬嫌な予感が脳裏を過ったがまさかと思い、古本だからペンの出を読まなくなったもので試した不届き者がいるものだとその時は納得した。だが読み進めていくにつれ、その丸を記したものがとんでもない悪党だという事に気が付かされた。登場人物の欄の丸、確かにこれは犯人をさしていたのだ。

 私は読み終え、爽快感ではなく不快感でもなく、ただ漠然とした虚無感に襲われていた。

 作品が面白くなかったわけではない。もちろん、不朽の名作だ。だが、漠然と──…これはミステリと呼べるのだろうか?という疑問だけが残ったのだ。

 本は答えがあり、自分が一番先に読まない限り誰かが既に答えを知りえている。

 自分の中では読まない本の数だけ未解決事件があるが、これらは他の人にとっては遠い昔に解決した事件なのだ。

 いつ、その答えの欠片を耳にしたか知れぬ。

 どこで、その答えの欠片を目にしたか知れぬ。

 使い古されたミステリは今やその形を変形させられ、歪められ、散り散りに霧散し至る所に装飾として使用されている。

 つまるところ、事件の起きた現場、まさしくその場で謎を解かない事には、誠にミステリを攻略したとは言えぬであろう。


「伝わったかな?この私の、得も言えぬ気持ち。切歯扼腕せっしやくわんとまでは行かぬが故に、何処へぶつけたものか」


 目の前に座る旧友に息巻けば、彼は本当に小さく、ああ、と答えにもならぬ答えを漏らして手にしていたカップにようやく口をつけた。

 つられるようにして息を落ち着かせながら目の前に置かれた紅茶を口にすれば、それは冷めきっており、本来の風味を楽しめたものではなかった。

 これもまさに刹那的なものである。誰かは温かな紅茶の味を知っているかも知れぬ。だが、この私は現状知りえなかったのだ。


「実に──」


 ミゼラブルだ、と口にする直前、目の前に湯気がたつ。彼の付き人でもある執事がカップを変えたのだと気付いたのは、一瞬の後だった。

 この香りの前ではミゼラブルだなどのたまえようか。

 目の前の彼、ギルバート・ジャックマンも本来の豊かさを誇る紅茶を口にすると、は、と小さく息を吐いた。

 相変わらず目は伏せたままで、その表情は伺い知れない。スクール時代からの友人である彼は我が英国でも有数の大病院を経営する、かの有名なジャックマン家の嫡男だ。まさか幼い頃からかかっていた信頼に足る病院の息子と友人になれるとは誰が想像しただろうか。

 しかしスクール時代はもう少し溌剌としていた印象があるが、今は黒いコートを羽織り、挙句そのフードを目深に被っている。その上癖のように縁をつかみ下げるものだから、表情が分かりにくいのだ。

 …目元を覆うように変色し爛れた火傷のせいだろうか。

 確かに彼は幼い頃に不慮の事故で酷く深度の深い火傷をしたらしい。それは今なお現在の医学では治療が施せず、顔の半分と言っていいほどの範囲を焼けた赤黒い肌で染めている。噂によれば、背中も広範囲にわたって同様になっているらしい。

 それ故、彼は常に肌を見せないようシャツの上からマフラーをし、さらにその上からコートを着てフードを被り、果ては手袋までするという徹底ぶりだ。手袋に関しては火傷とは関係がないのかもしれないが、兎にも角にも徹底している。適当なシャツをひっつかんでシワの目立つ出で立ちの私とは大違いである。

 時にこれは自論なのだが、人は自分が思うほど見た目を気にしないものである。確かに初対面の印象は強かれど、数年来となればそう気にもならない。いわば個性と呼んで相違ないだろう。

 そんなことを考えながら相手を見ていれば、多少不躾だったのだろう。不快そうに一瞬唇を噛み、こちらにほんの少しだけ、ジトリと見えない筈の視線を送った気がした。

 それから息を零し、


「……そんな話をしに来たのか」


 言外の「本題を話せ」という声が聞こえてくるかのようだ。

 彼は決して人付き合いが得意な方ではない。否、寧ろ苦手な方だろうと推測はできる。だがこのハッキリとした物言いは実に清々しく、明瞭であるが故にあやかりたくなる事もあるのだ。


「まさか、所謂いわゆる世間話さ。関係の無い話じゃあないけれども、直接の関係はない。私の体験談も兼ねて意見を紹介できる適切な世間話ではないかと私は思ったのだがね」


 眉をしかめる友人に、君にはこの冗談はわかるまいと肩を竦める。

 それから視線を移し、その数歩後ろで礼儀正しく控えている燕尾服へと声をかけ。


「アエネイアスさん、だったかな……君はどう思う?」


 呼ばれた彼はパッと見の印象は決して悪くない笑顔を浮かべて反応を示すと、ほんの数歩だけギルバートへ近寄り頭を下げる。彼が許可するように軽く手をあげたのを確認すると今度はこちらへ一礼する。発言の一つ一つに許可が必要というわけではないだろうが、兎に角それをこの執事は徹底しているのだ。

 昔一度ギルバートが席を外したタイミングで訊ねたことあるが、金というよりは黄色に近い珍しい色の瞳を細ませ「わたくしめは、坊っちゃま中心に生きておりますので」とサラリと言われたのを記憶している。

 しかしてそんな彼は頭をあげ、


「大変素晴らしいご演説でございました。カーティス様のお考えとお心のうち、流石は探偵になられたお方の観点でございます。このリアム・アエネイアス、大変感銘を受けました」


「流石は君の執事だ。申し分のない完璧な受け答えじゃあないか」


 演説、というのが引っかかるが、この際はいいだろう。柔らかな低音は言語を評価と賛辞に変える。

 よくもまあぺらぺらと世辞が言えるものだ、とでも言いたげなギルバートとは本当に正反対の性格をした執事だと、改めて思う。だからこそ二十年の付き人となっているのかも知れないが。


「世辞はいい。本題を話せ」


「分かった分かった。本題はこれさ」


 このままでは席を立たれかねない。仕方なく私は鞄から一枚の封筒を、そしてその何の変哲もない便箋から問題の中身を取り出す。

 それは数日前私に宛てられた手紙で、手紙などあまり人に中身を見せるものではないと思いながらも、私一人ではどうにも手に負えなくなったのだ。

 正確に言えば『まだ』負えなくはないが、いずれ行き当たるのは明白である。それ故、医学の道に生まれその方面も明るいながら、科学捜査官として警察の一派にご就業なされた彼の元に来たのだ。

 それに、彼も、またこの執事も、私が知り得る中では頭のキレるタイプの人間であるのは明白であった。

 アエネイアスさんも聞いていてくれたまえ、と一言告げ、私は軽い咳払いの後声を大にしてある短文を読上げる。


「さて、ところで本題なのだが、私を埋葬して欲しい。君の来訪を信じて待っているよ」

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