2.厄介なご依頼
「……埋葬?」
先に呟いたのはギルバートの方だった。
少し顔を上げ、薄い色の髪とは裏腹に存外に濃い碧い目を揺らしている。彼が視線を揺らすのは困惑している時と思案している時だ。今回は私が思うに後者であろう。
確かに思考するのは分かる。この私も数時間悩んだものだ。言葉通りに受け取って良いものだろうか、それとも何かのジョークだろうか。エイプリルフールならば頷けるが、生憎今は緑豊かな5月下旬。チェルシー・フラワー・ショーも先日終えたばかりと言えど、まさか冗談に花を咲かせる時期とは言い難い。
「ああ、この私は光栄かつ奇妙にも、親族でもない、顔見知り程度の彼に埋葬を『依頼』されたんだよ。いやはや、探偵という職がまさか葬儀屋も兼ねていたとは、と驚愕していたのさ」
親族ならば悩まなかったのかという訳ではないが、わざわざ曲がりなりにも探偵事務所を立ち上げた私に頼んできたのだ。ピザでも頼もうとしたデリバリー先へ電話を間違えるのとは訳が違うだろう。死体ありきで謎を解く探偵に、死体処理を頼むなど。
──いや、そもそも。
しかして大手を振って嘆けば、彼は少しあげていた視線を逸らし下げた。そのまま、熱も下がってしまった紅茶の水面を見ながら、
「……火葬後の遺灰についての明確な法律は、無かったはずだ。…埋葬を希望なら、区画を買えば」
「それが無理なんだよ、ギルバート」
今度は彼の執事が、視線だけをこちらに向けた。数ミリだけ、眉が寄る。
確かに普通に考えれば、教会で墓地の区画を買って埋めればいいだけの話だ。
散骨ではなく埋葬希望だと言うならば、ハイゲートセメタリーにでも埋めようか。流石にカール・マルクスの墓の隣は文字通り埋まっているだろうが、4ポンドで気軽に会いに行けるのは良い。何よりもあそこは観光地だ。死んだ後も寂しいからと嘆くことは無いだろう。実に良い。
幽霊として出てきたら住民票を発行しようか。それもまた一興かも知れない。
だが、折角の提案ではあるが、現状それが生憎と難しいのが問題だ。
「何故だ、どういう…」
眉を寄せたのであろう事は言葉尻の困惑で伝わる。遺灰がないのか、親族問題か、遺言が別にあるか、恐らくそんな事を考えているのだろう。
情報の不平等はフェアではない。フェアでないというのは、推理においてあってはならない事だ。
モリアーティとて人間であった。人間は平等に人間としての知能と情報を共有して行かなければならない。
特にこれからワトソンでありレストレード警部でもある大役を任せる二人に隠し事など、あっていいだろうか。良いわけがない。
「だってもし私が彼を火葬や埋葬してご覧よ」
だいぶ温くなっている紅茶をぐ、と飲み干し、手紙をテーブルに置く。午後を少し過ぎた高い陽がジャックマン家のテラスに差し込み、白い便箋を更に明るく輝かせる。まるでこの文章に嘘偽りはありませんと、文字通り潔白を証明するかのようだ。
それを見ながら、す、と息を吸う。
告げるのは一言でいい。
「それは『殺人』になってしまう」
そう言うと、ギルバートは小さく息を吐いてカップに口を付けた。飲み干さんと少し上向きになり、その顔が見える。太陽が眩しいのか目を瞑った彼のフードが、少し後ろに下がり。
カチリ、と陶器の触れる音が小さく響き、はぁ、と息を吐く音が厭に大きく聞こえた。
「要は………生きている、か」
「私の認識ではそうだ。もしやこれは遺書なのでは、それとも手紙を書いてから私の手元に送る数日の間に亡くなったのでは。そうも思ったけれどね。念の為昨晩連絡をしたら、本人が元気に電話に出てくれたよ」
拍子抜けする私とは裏腹、ごくごく自然に、いつ来れるんだ?と明るく問われたのだ。
こうなればこの手紙は何かの比喩か暗号か、はたまた殺人依頼か。
まさか多くのミステリ小説を嗜んできた私の知識の中から、厳選した素晴らしきトリックで殺せなどという依頼ではあるまい。探偵が死体をこさえるなど、阿呆らしい。
しかしならば比喩暗号だろうか。数日その路線を思考したが、これはどうやらアナグラムでもなければ次抜き暗号でもなく、縦読みでも炙り出しでも何でもないのであった。
「……手紙は、直筆か?」
ふと転がった彼の言葉に、勿論さ、と頷き、置いていた紙面を渡す。
万年筆で書いたのであろう文字は所々跳ね、筆圧で僅かな凹凸を作っている。これが機械の仕業なのだとしたら科学未来は明るくあるが、人々は同時に酷く
これまた持論ではあるが、豊かな国とは、一方で何かしらの豊かさを失うものである。得てして、そうなるのだ。
しかしこの手紙に関して言えば、メールでもなく紙に手書きの文字。今日日個人的なやりとりでは見なくなった手法での依頼だ。手軽ですぐに送れ、確認の取れる機器類とは違う意思を感じる。
そんな私の思考の前で文字を見つめていた彼は、差出人を確認すると少しだけ目をみはった。それから、おそらく無意識だろうが、ぱっと傍に控える執事に目をやる。
陽の光を受けた彼の碧が水面のように揺らぎ、視界の先の黄色を映して新緑のように染まる。微笑みを絶やさずにいた彼が失礼致します、と近付くと、その緑はますます濃くなった。
しかして彼は手紙を見、おや、と声を零したものの、特に反応もなく、奇遇でございますね、とだけ呟いた。
「君が知っているかはわからないけれど、彼は何かと
小文字の『a』の蝋印は彼のものであり、確か特注だった気がする。ロープか、蛇か、そういったものをモチーフに作らせたと言っていた気がするが、何だったか。
視線を彼の手元にやる。
ただの紙。
ただのインク。
ただの文字列。
そこに美しき数式は潜まない。あるのはただ漠然とした書き手の願いと欲である。手紙とは感情の押しつけである。私がこれを受け取り読む頃には、送り主などそのような事を忘れて娯楽に勤しんでいるやも知れぬ。
しかしこれを書いている時は十中八九、この差出人は誠意を持ち意思を持ってしてペンを取ったに違いないのだ。
「そこで、だ。ギルバート、君の力が借りたい。勿論謎を解くのは探偵である私の役目だ。けれど舞台には協力的な警察がいるものだろう?」
一瞬だけ唇を噛んだのが見え、それを隠すように手で口元を覆った。
何故俺なんだ、とでも言いそうだと思っていたら、それは音として転がった。
「知っての通りだが、俺は警察じゃない」
「知ってるさ」
吐き出された深い深い息に言葉が重く乗る。
無論、科学捜査官に警察同様の権限があるとは思っていない。しかし、その肩書きは『何か』あった際に悔しいながら探偵よりも社会的信頼を得るという事も事実なのだ。
「それとアエネイアスさんも」
私の言葉に彼は、はい、と綺麗な立ち姿のまま短く返事をする。にこ、と笑みを浮かべるとギルバートに視線を流し、逃げるように視線を逸らす彼にはぁ、と何故か息を吐いた。それは呆れなどではないが、一体どんな意味があるのか。
彼の事はあまり知らぬが、探偵的観察眼を持ってしても彼は掴みどころがない。自己を出さず、柔らかに微笑んで半歩後ろに控える。
まるで影のように常にそばに居る彼は、屋敷の執事と一言でいうよりは彼専用の付き人だと言った方がしっくりくる。
濃い茶色の髪は左側だけ後ろに撫で付けられており、右目は隠れるものの、左目は真っ直ぐに見つめてくる。どこか熱を帯びた黄色の目は陽の光で金のように光るのが、少し、蛇のようなイメージを持たせる男だ。
「わたくしめは、坊っちゃまの向かわれる場所でしたら何処へでもお供致します」
蟒蛇。
初見の柔らかな印象を覆すような、相手を丸呑みにせんばかりの雰囲気を纏った黒服が頭を下げた拍子に、二又の尾が蛇のように揺れた。
これほど理想的に控えている彼に対して、あまりにも失礼なイメージだろうか。
思考が逸れていた事に気付き、ギルバートに視線を移す。
「それなら、あとは君がうんと頷くだけだ」
「………」
じと、と睨んできているのはわかるが、本人が頷かないのならば外堀から埋めるまで。
「アエネイアスさん、ギルバートの明日の予定は?」
今日が空いているのは知っている。夜まで空いていると聞き、珍しいその休日を貰い受けたのだ。これで明日まで暇だと言うのならば、是非共に直に訪問しようではないか。
探偵とは、まずは依頼人に会うものである。
執事は先程と同じように少しのやり取りの後、胸ポケットから小さなノートを取り出し、
「坊っちゃまの明日のご予定ですが、折角のお休みとの事でございましたので、調度品や衣類のご用意、ご確認をお願いする予定でございました。その為、どなたかとお会いする約束は入っておりません」
「つまり暇なんだね」
「暇とは言っていない」
「けれど忙しいとも言えないはずだ」
ぐ、と言葉に詰まった彼は奥歯を噛むように口をへの字に曲げた。
ああ、痛めてしまいます、と心配する執事の手を避けるように数ミリ体を動かす。
それから静かに一息吸い、
「……明日の、21時までだ」
低く唸るように譲歩を告げられ、腕時計を見る。現在時刻は13時30分。トータルで30時間ほど。
「充分すぎるさ」
期限付きとは大いに盛り上がる。
これもまた一興である。
ミステリとは何か壁がある方が燃えるのだ。それは難易度であったり、人であったり言語であったり、時間であったりする。
「善は急げ、だよ。今から行けるかい?」
席を立ち、引っ掴んできていたネクタイを首にかける。
ギルバートは差出人を見れば断れまい。そう踏んで、実は今日向かうと言ってあるのだ。それを察したのだろうギルバートは、思い切り眉を寄せ、はー、と息を吐いた。それから少しの逡巡を見せ、
「……リアム」
名前を呼ばれ笑みを浮かべた彼は、それだけで理解したらしく恭しく頭を下げる。
「かしこまりました。お車をご用意致します」
ここから車で1時間ほどか。
封筒に手紙をしまい、差出人を指でなぞる。
これで、役者は揃った。
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