明日の黒板

紅葉

明日の黒板

─────この季節は嫌いだ。


少しむず痒い鼻を軽くすすり、呼び出した教室へ向かう。


─────花粉が舞うこの季節は嫌いだ。


学校に通いながらいつもの様に思っていた。

こんな服着て行くのは面倒くさいと。


そんな事を思うのも最後になるのかと思うと、少し胸に込み上げるものがあった。


でも、卒業式で友達と、あるいは後輩と、或いは先生と。

散々泣いて、泣いて、泣いたからもう泣かない。


最後に思い残した事を終わらせに行く。



「悪い、待たせたか?」



声を掛けた相手が振り向くと同時に優しい風が吹く。


窓の外で桜が、舞う。


陽の光が桜の花で一瞬ピンク色に染まる。


その姿は幻想的だった。



「ううん、待ってないよ」


鈴のような声に頬が緩むが、表情を引き締める。


「………これで、最後なんだね。この教室も」


少女─────春子が寂しそうに机を撫でるように触れた。


その仕草は別れを惜しむようで、それでいて愛おしい者を撫でるようで。


「……沢山、楽しい事があったよな。覚えてるか?1年の時の体育祭でさ───」



男────夏男は春子と思い出を懐かしむ様に話しをしていた。


昔からの幼馴染みである春子と、小学生から中学生、今に至るまでを面白可笑しく。


時に大袈裟にアクションを取り、引っ越した友を思い哀しみ、様々な話しをした。



「そして、今日、卒業かぁ……」


春子が机に腰を掛けて、天を仰ぐ。


「あのさ、ずっとお前に言いたかった事があるんだ」



夏男は、覚悟を決めた。


ずっと幼馴染みという関係で居たくなかったから。

共に歩んで、幸せになりたかったから。


─────だから。



「俺、お前の事」


聞こえるように。この想いが全て、伝わるように。


「好きだ」


言った。






「………あのね」


春子が背を向ける。



「私、海外にね。行くの」



その言葉に夏男は視界がくらりと揺れる様な感覚を覚えた。


「─────は?」


辛うじて、掠れた声で返事をする。



春子が海外に行く理由を話しているが、頭が理解をしない。

なんで行くのか、いつ行ってしまうのかを話しているがそれすらも理解出来ない。


否、したくなかった。


振られるのはいい。きっと自分じゃ駄目だったんだろうと諦めがつくから。


好きな人が居るのもいい。なら自分はその恋を応援するだけだから。



でも、海外に行ってしまうのだけは想像していなかった。

まして、目の前から居なくなってしまうなんて。



春子の肩が、声が涙で震えているのがわかった。



「だから、ね?ごめんなさい」




その後、どうやって別れたかは覚えていない。


海外に行っても頑張れよ、とか。

向こうに着いたら手紙くらい寄越せよ、でもケータイあるからメッセージアプリとかでも良いのかなんて言う会話をしたのは覚えていた。


会話をしながらじゃないと、涙が零れるかも知れなかったから。

別れる時に、自分の泣いている姿を見られたくなかったから。



部屋に着いて、制服のままベッドへと倒れ込む。


友達からは「どうだった?」とか「打ち上げ来るか?」等メッセージが送られてきていた。


それらを眺める事すらせず、ただ天井を眺めていた。




─────気が付けば、部屋は闇に包まれていた。



ふと起き上がり、ケータイを眺める。



「黒板のメッセージ、担任見たかな?」


そんな事を会話しているグループで会話している友のメッセージが目に入った。



─────最後に、アイツへのメッセージを書こう。



脳裏に浮かんだ瞬間、気が付けば部屋を飛び出していた。


「夏男ー!ご飯……ってあんた、どこ行くの!」



母が声を掛ける。


「悪い!ちょっと急用!直ぐ帰る!」



その言葉を残し、夏男は家を飛び出した。



「もう、ご飯出来ちゃったのに……!」

溜息をつく母親に父親はまぁまぁと宥める。



「あいつもきっと、最後の青春をしてるんだよ」





夜道を走り、息を切らす。


辺りには夜の帳が降りてきていた。

そんな中。唯、走る。


胸の中から湧き上がるこの想いをぶつけに、ただひたすらに。



学校へ。





裏門を乗り越え、向かうは春子に振られてしまったあの場所。


もう一度、春子を呼び出したあの教室へ。



こっそりと教室の小窓から潜り込むと、切らした息を整える。



「っふぅ…………よし!」


既に、担任へ向けたメッセージは消えていた。


きっと、見てくれたんだろう。とっても丁寧に消されていたが、それでも夏男の脳裏にはメッセージを見て泣いてくれている担任の姿が安易に想像出来た。


あんな強面の教師だが、生徒一人一人の進学を案じてくれていたし、不良グループにも差別せず、根気よく教えてくれていた。


お陰で不良グループは中退する事もなく、就職先や進学先に無事受かっていた。


その時の担任は涙を流しながら喜んでいた。

あの人案外涙脆いのだな、と友達と笑いあっていた。


───きっとメッセージを見た時も涙を流してくれたんだろう。



そんなことを思いながら、チョークを取る。


どんなことを綴ろうか。どんなことを書こうか。


少しの間悩み、決める。


───今、俺が彼奴に思う事はなんだ?想う事はなんだ?



そんな事、決まっていた。



夏男は、想いを、思いを黒板に綴った。








翌朝、春子は最後にもう一度教室を見たい、とわがままを親に言い、学校を訪れていた。


「うん、わかった。8時までに帰るから。うん、それじゃ」


そんな会話をして、春子は通学路を眺めながらゆっくりと歩いていた。


普段から通う時は友達と昨日見たドラマの話しをしながら。

少し寝坊してしまった時は急いで走って通ったこの道も最後だった。


学校へ向かう途中の道で、振り返る。


少しだけ急な坂を眺めながら、夏男は必死に自転車漕いでいたなぁと、くすくす笑う。


それでも、遅れそうな時は後ろに乗せてくれてたっけなぁと懐かしむ。


遅いぞー!速く進めー!だなんて、そんな事を言うと決まって必ず息を切らして「うる、せえ!」だなんて言って。



それも、おしまい。



少し懐かしみ、学校へと再び歩みを進める。


校門の前まで着くと、桜の花弁が少し落ちてくる。


ふと見上げると所々緑が見えた。

そろそろ葉桜になるのかな、なんて考え、学校へと入っていく。


用務員に話をして、鍵を受け取る。


教室へ向かう前に、音楽室や体育館、プール等少しだけ見に行く。


廊下を歩いている途中、色んな思い出が胸を駆け巡る。


目を閉じれば廊下の騒がしさや、教師の声が聴こえてくるようだった。


やがて眺めるのを終え、教室へと入ろうとして、ふと足元を見る。


換気の為に付けられた廊下側の小窓が開いているのが見えた。


(閉め忘れかな……?後で閉めておこうかな)


そんな事を思い、教室の鍵を開ける。


やはり自分達の荷物やカバンが無いだけで何処か寂しい気がした。


ここはもう自分達の場所じゃないと思い知らされているような気がして。


ふと教室の机に携帯が置いてあるのが見えた。


(忘れ物……?でも昨日無かったような……)


教室の奥へと歩みを進み、携帯を手に取る。


(夏男のだ……なんで………)


携帯を取り、黒板の方へ振り返り。



「………え?」


────思考が、止まる。



『ごめん、やっぱりお前が大好きだ。だから────』



春子が崩れ落ちる。


「──────う、ん。うんっ」



『絶対に、お前を迎えに行くから』



「─────うんっ!」



涙が、止まらなかった。



「────待ってる!」






「夏男ー!!そろそろ起きなさい!そろそろお昼よ!!」


大きな声と共に部屋を開ける音に、飛び起きる。


「っへ?え?今なん……」



寝惚けた様子の夏男に母は更に怒る。


「こんっの………もう11時半よ!!!朝ご飯はとっくに過ぎてるからね!!!」


全くもう、と部屋を出ていく。


「…………ふー。昨日学校行って……そのまま飯食って寝たんだっけ……」


寝惚け眼のまま洗面所へと向かう。


「顔洗うか……」



数分も経たないうちに顔を洗うと、歯磨きをしながら部屋に着替えを取りに行く。


シャコシャコと軽快な音を立てながら部屋へ入り、着替えを用意すると洗面所へ戻り、口の中を濯ぐ。


「ぷはっ。今何時だっけ……」


そう言いながらポケットをまさぐる。


「あ?部屋か?」


部屋へと戻り、ベッドを確認する。


「………は?携帯がねえ」


言葉に出して、実感する。


「いやいやいや………昨日あっただろ、メッセージ確認して、学校行って、んで……」


サッと青ざめる。


「机に置いたまんまだ………」


急いで着替えを済ますと再び部屋を飛び出す。


「ちょっと、昼ごはんもう出来るんだけど!」


台所から母親の声が聞こえた。


「悪い、忘れ物取ってくる!!」

そのまま家を飛び出す。


「全く!昨日今日と落ち着き無いんだから!こんなんでちゃんとやって行けるのかしら!」


まぁまぁと母親を宥める父親は、まるで昨日の焼き直しを見せられているような感情に陥った。





夏男は急いで学校へと向かって行った。

胸中を占めるのは「入ったのバレたら不味い!」の一文。


更に速度を上げ、走る。


校門を超え、用務員へと話しかける。


「悪い、おっさん!教室の鍵貸してくんね!3-Bの!」


息を切らしながら、手を出す。


「あいよー。今日は来客多いねぇ」


なんか言っていた気もするがそんな事を気にする余裕がない夏男は聞き流していた。


やがて掌に鍵が乗せられると夏男「さんきゅ!」と言いながら廊下を走る。


「おぉーい、転ぶなよぉー」


暫くして、ズダンという大きな音が走っていった場所から響いてきた。


「あちゃぁー。遅かったかなぁー」


そんな事を言いながら、仕事に戻って行く。





「いって………くそっ、急がねーと!」


やがて、教室へと辿り着くと鍵を差し込む。


「あ?これ右回りか?左だっけか?まぁいい!」


ガチャガチャと雑に回すとカチャッと軽い音を立て、鍵が開く。


鍵を引き抜き、教室へと入る。


「携帯は……あった!」


携帯を確認しようと電源を付けようとするが、充電切れなのか画面は暗いままだった。



「くそっ、まぁいいや。家で確認するか……」


ポケットへと携帯を突っ込み、黒板へと振り返る。


「………っ!」


昨日書いた春子への想い。


『ごめん、やっぱりお前が大好きだ。だからお前を迎えにいくから』


その文章の下に。



『待ってます。私も大好き』



「………は、はは。はははは!」


涙を流しながら、笑う。

想いが、伝わったから。


黒板の字に、優しく触れる。




─────この季節は、嫌いだ。


花粉が舞うし、春は出会いの季節と同時に別れの季節だから。


でも─────


「別れたんだから、また出会いに行けばいいんだ。そうだろ?」


一人しか居ない教室で、そんな夏男の声が響く。


──────貴女と別れたこの嫌い季節に、大好きな貴女にまた、会いに行こう。





窓の外に飛んでいる、飛行機を眺めながら、そう思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

明日の黒板 紅葉 @krehadoll

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ