俺達の証明の完結に添えて1(Q:結局ささやかは何を書いたのですか?)

 何回か試してみたけれど、やっぱ人を殺しても救われないですよね(唐突)。


 ということでお久しブエノスアイレス、ささやかです。

 今回は2020年の初小説「俺達の証明」について話そーかなーと思います。ネタバレ注意というか、そういう感じですね一応。


https://kakuyomu.jp/works/1177354054893373427


 俺達の証明は、リハビリの気分で第一回こむら川小説大賞に参加した短編で、賞に合わせてイトリトーコさんが創作論的なイベントを開いたので、これもそこに突っ込んだわけです。まあ別にいっかなと思ってましたが、俺達の証明について何も述べないのもピースが欠けてる感じかなあと思い直し、書きます。

 

 えーと、面倒なので本当に最初から順序立てて話します。

 私はラブコメとか少女小説とか嫌いじゃないですし、むしろ好きなんですよ。甘くて楽しくて幸せじゃないですか。

 ラブコメじゃなくても、だいたい物語には愛が原動力になってハッピーエンドに向かうんですよね。愛じゃなかったら、夢とか希望とか趣味とか使命とかなんかそんな感じの正しくて明るいやつ。ここでは代替可能ですが、ひとまずわかりやすく愛にしておきましょう。


 鬱病でも失業でもなんでもいいですけど、自分人生のどん底味わったんです体験談で、「そんなときにカノジョ/カレシ/家族が支えてくれました!」って言われると、すごい納得がいかない。そういう存在がない人間はじゃあもうそのままどん底だよねというか、君達はそういう絶壁をのぼるためのフックがあったから登ってこれたんでしょ、みたいな。

 愛。

 愛があれば幸福になれる。わかる。

 幸福な人生には価値がある。わかる。

 じゃあ、「私にとって愛なんてフィクションよりもフィクションで、非現実で、私の現実と愛の間には不能な断絶があるんです。そういう場合はどうしたらいいんですか?」って言われたとき、「愛がなければお前は幸福になれないし、お前の人生に価値はない」って言うんですか。マジですか。冗談でしょ。

 

 貧乏人が救われるためにはどうすればいいのかという問いに、まずお金を用意しますと答えるなら、それは貧乏人という前提と矛盾することになり、答えとして明らかに不適だ。だから私は、愛も何も持たない人間が、愛も何も持たない人間のままで救われることを証明したかった(書いてて気づいたけど、似たようなことをめだかボックスの球磨川禊が叫んでますよね)。

 そのために過去に何回か(作中で)人を殺してみたんですけど、意外と上手くいかないんですよね。罪の重さにつぶれるか、社会と完全に断絶してしまうかで失敗する(書いてて気づいたけど、その古典的傑作がF翁の罪と罰ですよね)。

 だから今作はああいう形での結論です。作者くせに上手く文章化できなくて申し訳ないのだけれど、おはようと手をあげるだけで見知らぬ他人を救うことだってきっとできるのであって、たとえ99.99%が暗闇であっても0.01%の光に胸を張りたい。持てる者からすれば鼻で笑うような小さなものであっても、線香花火よりも短い一瞬の交錯の中に報われることがあるのだと信じたい。今作は、謂わばまあそういう私の祈りです。


 だから主人公には恋人も家族もお金もあろうことか名前すらないのですね。

 とかいう具体的なことは面倒なので次で書きましょう次で。請う次回。ですわ。


 

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