外伝Ⅰ 不死の魔女/4

 それは愚かな思い上がりだったのかもしれない。情や憐憫などは言い訳にすぎないと、目の前に可能性があったから試したのだと言われればそこまでのことだ。

 ヴェイルは宿の部屋に引きこもって、さまざまな術式を試した。得意とする人形魔術を応用すれば、魂の器たる肉体を用意することもできる。土を捏ね、霊脈を引き、肉に変え、やがて衰えることを刻む。

「本気かい」

 その様子を見ていた響の声は落ち着いていた。無理に引き止めることもなく、ただじっと、ヴェイルの手元を見つめている。

「完成すれば、成功すれば、三人幸せに暮らせます」

「確かに君には才能がある。不可能を可能にする魔術の使い手にふさわしい。しかし……」

 響は口をつぐんだ。言葉を探すように視線を彷徨わせた後、小さく嘆息する。

「魔術は必ずしも万能ではないんだよ」

 それきり、彼女が何か言葉を発することはなかった。間違っている、ということを、彼女は決して口にしなかった。人倫に反している、とも言わなかった。失われたものが戻ることを、元の形にぴったり収まることを、そしてそれが幸せであると信じて疑わない純粋すぎる横顔を、ただ曖昧な表情でじっと見つめるだけだ。

「『星よ、星よ、流れ星。四門の草原くさはらを巡り、十天の底に降り立つ。かの世は深く、暗く、果てもなし。薄明のうちに、生き出でよ』」

 泥を火にかけてかき混ぜながら、ヴェイルは朗々と呪文を唱える。四大の霊素を導くようにひとつに合わせ、無数の糸で四肢を繋ぎ、霊脈を引く。それを丸一日たゆまず繰り返し、そのたびに強く想起するのは死んだ少年の姿——やがてそれをなぞるように、泥の塊に白銀の糸が幾重にも絡みつき、人の形を成した。

 泥は消え去り、窯の中の湯に膝を折るようにして一糸纏わぬ姿で浸かるのは、まさしく人の子だった。年頃は十二、三ごろで、紅茶色の髪をしている。ヴェイルは、術者にもかかわらず、半信半疑で恐る恐るその肌に触れた。どこからどう見ても、それは人間の肌だ。

生き人形ラグルを作り出した魔術師は、私が育てた中でも片手に数えるほどだというのに」

 響は小さく感嘆の声を上げた。だがまだこれで完成ではない。器にはまだ、魂が収められていないのだ。

 ヴェイルは壊れ物を扱うようにそっと窯の中から少年を抱き上げるとソファへ運び上げ、清潔なシーツで体を包むと、机の上に紙を広げて構築式を描いていく。

 少年の魂は幽世にある。しかし、幽寂を彷徨う数多の魂の中から少年の魂を探し出すのは藁の中から針を探すようなものだ。そこで、肉体を道標に魂を引き寄せる。

「『目覚めよ、星御霊。彷徨えるはの細道、獣道。歌を頼りに、こちらへおいで』」

 繰り返す都度、少年の体が淡い光を放つ。そしてヴェイルの声が枯れる頃、その目蓋がゆっくりと持ち上がり、藤色の瞳がのぞいた。

 ヴェイルは詠唱をやめ、様子を伺った。少年は数度瞬きをした後、ゆっくりと体を起こし、辺りを見回すと、最後にヴェイルを見た。

「あ、」

 そして、口を開き、何事かを喋ろうとする。ヴェイルは少年に歩み寄って、ゆっくりと話しかけた。

「はじめまして」

「はじ、め、まして」

 舌足らずに答える少年の様子を見て、ヴェイルはふむと考え込んだ。まだ意識が体に馴染んでいないのだろう。人差し指で少年の額を軽くとんとんと叩くと、ぴりっと電流が走ったように少年の体が震える。

「……動いた」

 少年はひとりごちながら、手を持ち上げ、滑らかに指先を動かす。やった、とヴェイルは喜びを隠しきれずにはにかんだ。あの夫婦を絶望から救い出すことができる。この子はふたたび、止まっていた時を進めることができる。魂は無事に呼び戻された。さっそく二人に連絡を入れようと立ち上がったヴェイルをすり抜けて、響の問いが飛んだ。

「そこの君、名前はなんていうんだい」

 ヴェイルはふと首を傾げた。響もヴェイルも、少年の名前は知っている。しかし、少年はゆるりと首を横に振った。

「分からない」

「そんな、」

 ならば、その器に入っている魂は一体誰のものだというのか。ヴェイルは衝撃を受け、少年を食い入るように見つめた。少年は不思議そうに自分の体を見下ろし、ぺたぺたと触って反応を確かめている。そして顔を上げて、ヴェイルに言った。

「寒い……」

 ヴェイルは慌てて、少年に自分の服を着せた。やや少年には大きいものだったが、少年は問題なく手足を動かして着替えを済ませる。人の文化に対して最低限の知識は備わっているようで、ひとまず精霊や物の怪の類を引き寄せたわけではないことに、ヴェイルはほっとした。

 しかし、これを夫婦にどう説明したものか。ヴェイルは冷や汗をかいて口元を押さえた。構築式に欠損はなかった。理論に間違いはなかった。呼び寄せた魂は、たしかに少年のものだったと、直感できていた。だというのに、なぜ、目覚めた少年の記憶は失われているのだろう。

 自身の名前も言えない少年を、あの夫婦は受け入れられるだろうか。

 その時、部屋の扉が叩かれた。

「ヴェイルくん、ハルマンだ。君に話がある……もうあんな無理な頼みはしない。挨拶に来たんだ、いいかい」

 ヴェイルはびくりと肩を震わせた。件の父親が、向こうから訪れた。ヴェイルは扉を開けようとした響を、慌てて引き止める。

「どうしてとめる?」

「どうして、って……だって、この子は」

「彼の子供だろう。早々に引き合わせることができるんだ、?」

 ヴェイルの手を振り切って、響は扉を開けた。そこには痩せた男女が立っていた。

「朝早くにすまない、ヴェイルくん。私たちは今日、別の街に移ろうと思って……」

 父親は帽子を脱いでヴェイルに挨拶し、そしてヴェイルの背中の向こうに見える人影に言葉を失った。彼に寄り添うように立っていた母親も、それに気づいて目を見開いた。

「ユアン!」

 母親が発した名前に、少年はぴくりと反応したが、駆け寄った彼女に強く抱きしめられ、苦しい、と一言こぼしただけだった。しかし母親は構わず少年の頭を撫で、額に口づけを落とし、見間違いようもない、死んだはずの息子との再会に涙していた。

「これは一体……どういうことなんだ」

「その……魔術で、……試したんです。お子さんを呼び戻せるだろうと、思って」

 父親が呆然とヴェイルを見る。ヴェイルは咄嗟に明しようと口を開いたものの、上手く話すことができなかった。本物なのか、という父親の言葉に、ヴェイルはこたえられず、口をつぐんだ。

 ヴェイルは、魂が記憶を失う可能性については全く考えていなかった。二人の子供であるというしるしはその外見にしかない。もし少年が少年であることを証明できないのなら、自分が作り上げたものはなんなのか。

「ハルマンさん、彼は……」

 ヴェイルはなんとか言葉を絞り出そうとした。だが、それを遮って、少年が口を開いた。

「この女の人は、誰?」

 そこにいる誰もが、空気が凍りついた感覚を覚えた。母親は血の気の失せた顔で少年から体を離す。そして信じられないといった様子で、声を震わせた。

「私よ。あなたのお母さん……覚えていないの?」

 はらはらと涙をこぼす母親に、少年は困惑気味の表情を浮かべる。そして、小さく頷いた。

「何も? 何か……お菓子づくりを手伝ってくれたことは? お父さんと釣りに出かけたことは? お母さんに、お花を買ってきてくれたことは……何でもいいの、何でも」

 母親に縋り付かれるも、少年は首を横に降るだけだった。それに、母親はがっくりとうなだれる。

「どうして……この子はあの子じゃない! どうして?」

 半狂乱に陥る母親を、父親が慌てて少年から引き剥がす。怯える少年を見て、響は冷ややかな声でヴェイルに告げた。

「これが君の選択の結果だ、小さきアールダイン。君の魔術の果てだ」

「……私は、そんな、つもりでは。何かの拍子に思い出すかも……」

 声は消え入る。母親は髪を振り乱し、泣き叫んだ。

「あの子じゃないなら、いらない」

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