外伝Ⅰ 不死の魔女/3

 小さな体を流れ落ちる汗を拭き取り、煎じた薬を飲ませる。子供は苦そうに顔をしかめたが、母親に促され、一口、一口とそれを飲み下した。空になった器を机の上に置いて、ヴェイルはほっと息をつく。

「これで熱も下がるでしょう。容体が急変しないとも限りませんが、ひとまずはご安心ください」

「ありがとうございます……」

 ヴェイルがそう告げると、母親ははらはらと涙をこぼした。彼女の娘が生死の淵を彷徨い続けて三日、彼女は一睡もしていなかった。ヴェイルは母親をいたわりながら、自身もほっと息をついて椅子に腰を下ろす。

 ヴェイルは今年で十六になっていた。子供の成長は早いもので、背もずいぶん伸び、ついこのあいだまで響を見上げるばかりだったというのに、今は見下ろし、話すときはヴェイルがちょっと屈んでいる。その年月の間に、ヴェイルは響から数多くの魔術を学び、体得していた。

 精霊たちと交感してその力を借りることや、霊素を操りその均衡を操作すること、ものを動かしたり、一瞬で遠くに飛ばしたり、引き寄せたり、動物に姿を変えてみたり、現世と幽世を行き来したり——ヴェイルの理解は早く、響が生きてきた時代の魔術を見事に再現してみせた。

 そうした旅の途中に立ち寄った村で、ヴェイルは子供達ばかりが罹患する流行病と直面していた。ヴェイルは村の人々に請われ、そして彼自身もまた苦しむ子供達を救うため、病を一掃しようと身を粉にしていた。 

「ヴェイルくん、少し休んではどうかしら。ずっと子供達を診て回って、きちんと寝ていないじゃないの」

「いえ、お構いなく。休めるときに休んでいますし、これくらい……」

 涙を拭った母親の申し出を、ヴェイルはやんわりと断る。助けなければならない子供達は、村の中にまだたくさんいるのだ。そして、看病の甲斐なくこの世を去った者たちもいる。後悔をしたくないからこそ、ヴェイルは立ち上がった。

「ヴェイルくん。少し、いいだろうか」

 そこへ、子供の父親が顔を出した。手には、おそらくヴェイルのために用意したであろう茶がある。しかし、その顔色はすぐれなかった。

「急患でしょうか。すぐに……」

「いや、病気の子供じゃないんだ。君と会って話したいと」

 ヴェイルははてと首を傾げた。今は休憩している時間も惜しいほどなのに。訝しみつつ、ヴェイルは家の外へと出た。そして、ヴェイルを待っていた人物の顔を見て驚いた。

「あなたは……」

 男は、先日一人息子を亡くした父親だった。ヴェイルが呼ばれて駆けつけた時にはすでに遅く、子供は大量に喀血したあとで、脈もなかった。息子が悶え苦しむ様を目の当たりにした母親は今もなお塞ぎ込んでおり、父親もその衝撃から立ち直れないでいる。実際、何日も眠れていないのであろう疲れが、その顔に表れていた。

「どうしました?」

 そんな男に、ヴェイルは努めて優しく語りかける。残された家族の心に寄り添うことも、自分の務めだとヴェイルは思っていた。男はゆっくり顔を上げ、こっちへ、とヴェイルの手を引いて家の裏手へと回った。そして、周囲に誰もいないことを確認してから、途切れ途切れに、細い声で呟いた。

「……君、魔術師なんだろう?」

 ヴェイルは耳を疑った。この村の人間には、ヴェイルが魔術師であることは告げていない。ただ、旅の薬師だと身分を偽っていた。その上で子供達に施しているのは、魔術ではなく道すがら学んだ薬学治療だ。

 急ぎで水や湯を用意したりするときは魔術に頼っていたため、その様子を見られたのかもしれない。ヴェイルの故郷であるノールハルドほどではないものの、この地は魔術師の存在を受け入れてはいない。思わず身構えるヴェイルに、男はすがりついた。

「魔術で、息子を蘇らせてはくれないか。できるんだろう? 魔術なら……君なら」

 男の願いに、ヴェイルは言葉を失った。死者を蘇らせるなど、今まで考えたこともなかった。男はそのまま、頭を下げ、祈るように指を組む。

「頼む、この通りだ。このままでは妻は……自ら命を絶ってしまう!」

「落ち着いてください」

 ヴェイルは慌てて男を助け起こした。たしかに、彼の妻の悲しみようは目も当てられないほどだったが、そこまで状況が悪化しているとは思わなかった。ヴェイルは男に何か声をかけようと口を開いたが、頭上から声が響いてそれを遮った。

「それを思いとどまらせるのが夫である君の役目だろう。君たちは彼の死を受け入れなければならないんだ」

 大鴉に変身した響が、翼でヴェイルを包み込むようにして、男とヴェイルとを隔てた。やがて腕が伸びてきてヴェイルの首を絡めとり、後ろへ引く。変身は解け、大きな翼だけが男を威圧するように震えていた。

「帰ってくれ。その頼みだけは聞けない」

 ヴェイルの耳元で呟く響の声は、冷たく、突き放すようだった。男も気圧されてか、後ずさりする。響はヴェイルの耳に吹き込むように続けた。

「彼らの息子の死は君の責任じゃない。君が診たときにはもう手遅れだった。そうだろう」

 ヴェイルはしかし、頷くことができなかった。果たしてそう言い切れるのだろうか。もう少し、ヴェイルの到着が早かったなら助けられたかもしれない。その胸中を読んだように、響はヴェイルの体をやや強く抱きしめる。

「『かもしれない』なんて言葉は無意味だ。過去をなかったことにはできない。君は賢い子だ、分かるだろう」

 そうして響は、もう一度男を睨んだ。男は肩を竦め、足早にその場を後にする。ヴェイルはその背中を引き止めようとして、響にたしなめられた。

「それより、君を待つ子供達は多くいる。無理をしてほしくはないけれど、君の目的はそっちだろう? こうしている間に、救えるかもしれない命があるんだ」

「それは……その通りですが」

「私たちは今を生きている。決して過去に生きているわけじゃない。さあ、行こう」

 地面に降り立った響が、ローブの中に翼をしまい込む。その表情は強張っており、 いつもの余裕はどこにもなかった。金色の瞳がヴェイルを捉え、じっと見据える。無言の重圧に、ヴェイルはようやく頷いた。

 響の言っていることが正しいのだと、ヴェイルにも分かっていた。しかし悲嘆にくれる彼らの姿が頭から離れてくれず、ヴェイルは結局、一睡もできなかった。ヴェイルの頭の中は、死者を蘇らせる魔術についての考えでいっぱいになっていた。そうして朝方出た結論は、『不可能ではない』ということだった。

 流行病が落ち着き、子供達が外に出て遊べるようになった頃、ヴェイルはもう一度、件の夫婦の家の様子を遠目にうかがった。庭は荒れ果て、人の声はない。ただひっそりと、今にも消え入りそうな息遣いだけが感じられた。村人たちも気にかけてはいるが、心が届くことはない。締め切られた扉や窓越しに声をかけても、返事はなかった。

 彼らの深い孤独と絶望に、ヴェイルは感化されつつあった。もし自分が彼らの立場であったなら、幸せな日々を取り戻すために、あらゆる手を尽くすだろう。魔術でそれが可能なら、いつ終わるともしれぬ絶望から救い出されるのであれば、それに縋りつくだろう。

 ヴェイルは子供達の遊び相手を務めながら、頭の中に設計図を描いていた。死者と寸分違わぬ肉の器と、魂、それらを結びつけるを、ヴェイルは掴んでいた。成功すれば、不幸はなくなる。その時、ヴェイルはそう信じていた。

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