第5話 禁忌/3
フレイセルはリズに場所を開けて、カップを置いた。リズが目配せすると、ノフィがミルテを伴って研究室を出て行く。いたたまれなさにフレイセルも思わず立ち上がりかけると、リズにそれを制された。
「君にも関わりのある話だ。聞いていきなさい」
「小官が、ですか」
話が終わるまで扉の外に立っていようかと思ったのだが、そう言われては出て行くこともできない。何だろうと思いつつ再び腰を下ろすと、リズは勝手にティーポットを温め直し、新しいカップに紅茶を注ぎ入れる。
「まず、ヴェイルくんの処遇だが、アルムゼルダは引き続き君を保護し、研究の場を用意するそうだ」
モリスの件でヴェイルに処罰が下ることはないと分かり、フレイセルはほっとした。ヴェイルはというと、ソファに腰掛け曖昧に微笑んで、そうですか、と短く頷いたのみだった。しかし、リズが続けた言葉に顔色を変える。
「その代わり、死霊術の対策法を学生たちに教えてほしい、とのことだ」
「危険です」
死霊術に対抗するための術を学ぶということは、死霊術と正面から向き合う——深淵を覗き込むことに他ならない。ヴェイルが反対するのも当然であり、フレイセルも魔術に疎いながらに一抹の不安を覚えた。とくにミルテくらいの多感な年頃の子供たちには荷が重いのではないか。二人の胸中を察したように、リズは頷いた。
「私もそう思う。しかし学長や学科長たちはやむを得ないと判断した。脅威を脅威と学んでいなければ、ただ引きずりこまれるだけだ。モリスをはじめとする死霊術師どもの力が未知数である以上、学生たちに身を守る手段を与えてやりたい」
それは、一理ある意見だ。何事も、何も知らないよりはましである。ヴェイルも眉根を寄せて考え込んでいたが、リズがそれ以上何も言わないのを感じ取り、観念したように頷いた。
「……わかりました。それが、禁忌を犯した私の負うべき責務ならば」
「気負いすぎるな、とは言ったが、こればかりは慎重にならざるを得ないな。死霊術には縁がないが、手伝えることがあったらなんでも言ってほしい。力になろう」
「ありがとうございます」
俺も、と言いたい気持ちを抑えて、フレイセルも空になったカップに紅茶を注ぐ。魔術の才能さえあれば何かしら手伝えるだろうに、自分にはそれがない。新兵の教育ならともかく、魔術の教導など尚更だ。落ち込むフレイセルをよそに、リズは淡々と続ける。
「次に死霊術師どもについてだが、尻尾切りにあったモリス以外に手がかりがないのが現状だ。いつどこから湧き出てくるかわからない。召喚科が『モルダナ』の一件から隠蔽魔術の施術と対策に熱を上げているから、直接乗り込んでくるようなことがあればすぐ分かるだろうが……そこで君の出番だ、ヴァイラー少尉」
「はい?」
突然水を向けられ、フレイセルは砂糖壺の蓋を開けたまま間抜けな声を出した。
「研究施設での活躍ぶりは耳にしている。ヴェイルくんの護衛役として、君が適任であると推薦しておいた」
「俺は、魔術はからきしです」
「魔術のことは魔術師に任せておけばいいんだ。重要なのは、君が戦い慣れしている兵士だということだ」
自分のいないところで勝手に話が進んでいることに慌てるフレイセルに、リズは人差し指を立てて詰め寄った。
「そして君が護衛するのは、ヴェイルくんだけではない」
——先生だけではない?
複数人を対象とした護衛任務の経験がないわけではない。だが一人で、というのは稀だ。フレイセルの場合補佐役のフィルがそばにいるが、リズが求める人物像には遠い。取り出した砂糖を紅茶に落としつつ首をひねっていると、リズはヴェイルに向き直り、やや身を屈めて、声を潜めた。
「これが最も重要な話だ、ヴェイルくん。議会は生き人形の封印を解くことを決めた」
リズの言葉に、ヴェイルは固まった。フレイセルもまた耳を疑った。
「……なぜ?」
「思惑は十人十色さ。好奇心、興味、利用……少なくとも腹に一物ある奴らにとっては、君がたどり着いた果てを紐解くことしか考えていない」
「それなら、封じたままのほうが安全なのでは……?」
疑問を呈するヴェイルに、フレイセルは続いた。結果的にはモリスたち死霊術師の望みを叶えることになるのではないかと思ったからだ。リズも同感のようで、私もそう思うんだがな、と顎に手を当てる。
「隠し場所である幽世というのは『生きた人間』は立ち入ることはできないが、今回のように門をこじ開けられたり、『死んだ人間』ならある程度自由が効く。隠し場所がばれてしまっている以上、現世に引っ張り出したほうがまだ目が届くというもの……というのが、議会の主張でね。学長は学長で、死霊術に対して姿勢を変えるべき時が来たとかなんとか、まあ、腹のうちの読めない方だよ」
議会の中にも死霊術に手を染めた人間がいる、とリズは言っていた。今回の議会の決定は、リズの言う通り、複数の思惑が絡んだ結果なのだ。どうやらフレイセルが想像している以上に、この国の闇は深く底がないらしい。
ヴェイルも血の気の引いた顔で口元に手を当てている。彼にとっては、己が犯した罪と対面しなければならないということだ。
リズはヴェイルの護衛に手練れを必要としているが、本当に彼を守ろうとするなら、もっと精神的な支えが必要であるように思えた。フレイセルはそれを指摘しようとしたが、リズの方が先に口を開いた。
「ともあれ、生き人形は君が面倒を見ることになっている。そして少尉は、ヴェイルくんとその子を守ってほしい。単純な障害や脅威から、人々の悪意まで……意識すべき点は多い。ヴェイルくんと話し合いながら進めるんだ」
無茶を言う、と言いかけ、フレイセルはぐっと飲み込んだ。何が相手であろうとも、ここで弱気になればヴェイルを不安にさせてしまう。フレイセルは頷き、ヴェイルに向き直った。
「ご安心ください、先生。先生とその子のことは、俺が……いえ、小官がお守りします」
つい力んでしまい、フレイセルは慌てて言い直した。ヴェイルの顔色はまだ戻ってはいなかったが、フレイセルの力強い声に、ふ、と口元を緩めた。
「フレイセルさんなら、安心してお任せできます。……でも先日、あなたのことを守ると言ったのに、こんな体たらくで」
「お気になさらないでください。俺がそうしたいからそうするのです」
状況が状況だけにやや生ぬるい思考かもしれないが、任務中もヴェイルとともにいられると思えば、未知の脅威への不安も和らいだ。ヴェイルはフレイセルが敬愛する人物である以上に、熟練の魔術師なのだ。何も恐れることはない、とフレイセルは自身を鼓舞した。
「正式な辞令はあとでメイエル中佐から通達されるだろう。……ヴェイルくんは、例の子のために、ちゃんと名前を考えておくんだぞ」
「名前……」
リズの言葉に、ヴェイルはもう一度、名前、と呆けたように呟いた。どうやら、ヴェイルは生き人形に名前をつけていなかったらしい。元々はある少年の写し身として作ったというのだから、その少年の名で呼ばれるはずだったのだろうが、家族からは拒否されてしまった。死霊術師の悪意から逃れる道すがらを想像しても、ふさわしい名を考えてやれる暇などなかったのだろう。ヴェイルは紅茶に口をつけるのも忘れ、ふらりと立ち上がると、二人をおいて本棚の書物を漁り始めた。
「ああ、おい、ヴェイルくん。せめて昼食をとってからにしないか」
ヴェイルの集中力は人並み以上だ。自分の世界に入りかけたヴェイルを、リズはすぐに引き止める。その様子を見ながら、フレイセルは、必ずヴェイルたちを守ってみせると決意を固めるのだった。
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