第5話 禁忌/2

「座ってください」

 カーテンを閉め切った薄暗い研究室に入ると、ヴェイルは机の上の明かりをつけた。フレイセルは促されるままソファに腰掛け、ヴェイルが手際よく紅茶を淹れる手つきを眺めていた。

「先生、話とは……」

 フレイセルが沈黙を破ると、ティーポットを支える手が止まる。

「昔話です」

 ヴェイルは短く答えると、二人分の紅茶を用意した。重苦しい空気に似合わない林檎の爽やかな香りが広がる。ヴェイルはフレイセルの前にカップを置いて、席に着いた。

「先程、私に『死霊術師なのか』とお聞きになりましたね」

 フレイセルはやや緊張しつつ頷いた。ヴェイルがそれを認めても、未だに、周囲の証言とフレイセルの認識には隔たりがある。

 ヴェイルが処断されない理由について、セファウド学長は、ヴェイルが優秀で善良な成果を残しているから、と言っていた。たしかにヴェイルの献身性は善良そのものと言える。しかし、それが死霊術師に対し法的例外を作ることの理由にはならないことはフレイセルにも分かる。学科長らによる決定を議会が黙認し、衛士隊の上層部もそれを秘しているとなれば、高度に政治的な意図が絡んでいることは明白だ。フレイセルも、一連の事件や議事室で見聞きしたことは決して口外するなとメイエル中佐から釘を刺されている。

 ヴェイルは紅茶を一口飲んで、息をついた。

「あなたには話しておくべきだと思いました。禁忌者である私の……過去を」

 フレイセルは、出会う以前のヴェイルの姿を知らない。ヴェイルも話さないので、気になるようなことがあっても、特に深く尋ねるようなことはしてこなかった。フレイセルはひとつ、ヴェイルに尋ねた。

「それは、彼女たちにも?」

 ミルテは、ヴェイルが死霊術師であることを知ってしまった。しかしノフィは、どうも知らされていない様子だ。彼女は事件の当事者であるにも関わらず議事室に入ることを許されず、証言はリズやラドバウト教授によってまとめられることとなった。

「いずれは……」

 ヴェイルは歯切れ悪く答える。カップを置き、視線を彷徨わせ、目を伏せた。

「今は……まだ。勇気が出ないのです」

 しかしヴェイルの言葉は、彼が今ここでミルテやノフィを呼ばずに過去を語る理由が、ごく個人的なものだということを示していた。勇気が出ないから——そう呟くヴェイルの瞳には、かすかな怯えが見て取れる。

「先生、俺は、信頼に足る男でしょう?」

 フレイセルは身を乗り出していた。フレイセルがヴェイルに『死霊術師なのか』と尋ねたのは、忌避感からではない。ただ、ヴェイルの表情が暗くなる理由がそこにあるのかどうかを確かめたかっただけだ。ヴェイルはフレイセルの視線を受け止め、机の上に置いた手を軽く握り込んで、もちろん、と答えた。

 そうして、ヴェイルは深呼吸の後、静かに語り始めた。

「私は、北の果ての国、ノールハルドの小さな街の生まれです。両親は機織り職人で、美しい物語を紡いで領主に献上する、そういう仕事を代々続けてきた家系でした」

 フレイセルは記憶を漁った。ノールハルドは極北の地で、エメドレアやその周辺諸国と国交はない。それくらいに遠い国だ。歴史や地理の授業でも、最北にある国としてだけ教えられ、フレイセルは詳しいことは何も知らない。彼の珍しい髪色や真白い肌は、その地の由来なのだろう。

「私はその家の末の子だったのですが、他の兄弟とはかなり毛色が異なっていました。精霊に愛され、霊素を操り、人には見えないものが見え、聞こえないものが聞こえ……家の中でも、私は孤独でした」

 それは、魔術が発達し、日常生活に浸透しているエメドレアはともかく、他の国々では良くある話だとは聞く。見える、聞こえる世界がそもそも違うことを、親兄弟や近しい人間が分からないまま、村八分で収まればまだいい方で、ひどい時には口減らしとしてくびり殺されてしまう。それは、魔術の才能に秀でていればいるほど、顕著だ。

 逆に神子として大事にされるという話も聞くが、ヴェイルの場合はそうではなかった。感情を殺した声音に、フレイセルは目を細めた。

「そんなある日、私はとある人物と出会いました。人でもなく精霊でもない……いえ、それは一旦、置いておきましょう。彼女は孤独な私の遊び相手になってくれました。そして私は、彼女が語り手となる人形劇を見て、ふと思ったのです。自らの意志で動く人形を作れないか、と」

「あの、岩人形ゴーレムのような?」

「あれは霊力の糸を繰って使う操り人形です。私の人形魔術のひとつではありますが……」

 考古科ヴィロスの閉鎖研究施設の地下でヴェイルが操っていたものを、フレイセルは思い描いた。しかし、ヴェイルは首を横に降る。

「ともかく、それが私の人形魔術の源泉でした。彼女は死霊術や呪術に詳しく、私の魔術も自然とそこから出発しました。そして彼女は、魔術の師として私を外の世界へと導きました。国を出たのは、確か、とおの時だったと思います」

「十?」

 フレイセルは驚いた。フレイセルがそのくらいの時は、読み書き計算を習いながら学校の友人たちと毎日馬鹿騒ぎをしたり、寮室で夜更かしをして教師や寮長に怒られたりしていたものだった。エメドレア生まれの子供達の多くは似たようなもののはずだ。国を出て旅に出るなど、考えたこともなかった。

「危なくなかったのですか」

「危なかったと思います。でも、脅威は精霊たちや彼女が遠ざけてくれていました」

 フレイセルの問いに、ヴェイルは苦笑した。そしてふと真面目な顔つきになって、続きを紡ぐ。

「私は彼女とともに諸国を巡りながら、魔術への知見を深めていきました。そして十六の時、私はある村に立ち寄りました。村には流行病が蔓延しており、抵抗力のない子供達が次々亡くなっていました」

 その時を思い出したかのように、ヴェイルの表情は険しいものになる。

「私は助かる見込みのある患者を診たり、最期を看取ったりしながら、流行病が落ち着くまでその村に滞在しました。そんな折、息子を亡くしたとある夫婦が、私に頼みがあると話を振ってきました」

 ヴェイルは一旦口をつぐんだ。時計の音だけが部屋に響く。彼はその言葉を口にするのを迷うかのように、手を開いたり握ったりしながら、やがて、俯いて、細い声を絞り出した。

「死んだ息子を、魔術で蘇らせてほしい、と」

 フレイセルは生唾を飲み込んだ。確かにそれは、死霊術と呼んでふさわしいものだろう——可能なのであれば。幼くして才覚を発揮していたヴェイルに、夫婦はすがったのかもしれない。例えそれが人道に反する行いだとわかっていても、子を失った悲しみを抑えきれなかったのかもしれない。

 ヴェイルはどうしたのか——フレイセルは彼の表情を窺おうとしたが、ヴェイルはうなだれたままで、その表情を見て取ることはできなかった。しかしその様子は、懺悔するようにも見えた。

「私は若く、夫婦の悲しみに深く共感を覚え、大して考えもせずにそれを請け負いました。残された家族と共に同じ時間を過ごし、やがて老い、死ぬ命として、亡くなった少年と寸分違わぬ姿形、同じ魂を持つ……生き人形ラグルを作り上げようとしたのです」

「生き人形……」

 それがどれほど高度な技術を要するものなのか、フレイセルには想像がつかない。ヴェイルが言っているのは、一人の人間を作り出そうということに他ならない。死者を蘇らせることと同じくらいの夢物語で、可能だとしても倫理がそれを許さない。だが、ヴェイルはそれを試した。

「それは生命への冒涜とも言える行為でした。しかし私は自分を止めることができなかった」

「完成、したんですか」

 乾いた喉を潤すことも忘れて、フレイセルは尋ねた。ヴェイルはそれに、力なく首を振る。

「……生き人形の体に宿った魂は、少年のものではありませんでした。そして、彼は家族から拒否されました。同じ姿をしていても、息子でないのなら意味はないと……私はそこでようやく、自分の犯した罪の大きさに気付いたのです」

 かける言葉を見つけられず、フレイセルは沈黙した。それは切なる願いと、彼の類稀なる才能と、純粋さが引き起こした悲劇とも言えた。

「そして、程なくして、その術を奪おうとするものたちが現れました」

「他の死霊術師、ですね」

 フレイセルのつぶやきに、ヴェイルは頷く。

「私は生き人形を連れ、精霊たちの助けを借りて、エメドレアへと落ち延びました。そしてことの次第をつまびらかにし、彼を匿ってくれるよう、頼みました。私に罪はあっても、生まれてきた彼に罪はないでしょう。そのためなら禁忌者として断罪され、命を捧げても良い覚悟でした」

 しかし学長はそうしなかった、とヴェイルは続けた。

「学長は私を生かし、代わりに彼を眠らせ、封じました。深い深い闇の底……幽世に」

 ヴェイルはようやく顔を上げた。

「これが、私が死霊術師と呼ばれる所以です」

 彼の表情は悲壮そのものだった。自らの行いを悔い、生きていることに懊悩する——そんなヴェイルの表情を、フレイセルははじめて目にした。フレイセルはたまらず、考えるより先に言葉が出ていた。

「それでも。……それでも、あなたが誰よりも優しい人だと、俺は知っています。あなたは生き人形のことをちゃんと考えて……」

「いいえ、私は、残酷な人間です」

 どうして、この男はそこまで自分を追い詰めるのか。言葉を遮るヴェイルに、フレイセルは触れようと手を伸ばした。

 指先が頬に触れると、ヴェイルはびくりと肩を揺らした。机の上の茶器が音を立て、ぬるくなった紅茶が揺れる。フレイセルはそのまま、包むように頬に手を添えた。

 振り払うこともできるだろうに、ヴェイルはそれをしない。ただ途方にくれた迷子のようにフレイセルを見つめるだけだ。

「あなたにどれだけの罪があろうと、あなた自身があなたを許さなくても、俺は……」

 言葉は、扉を叩く音によって遮られた。ヴェイルは弾かれたように立ち上がり、フレイセルの手から離れる。行き場を失った手が宙をかいたところで、扉が開いた。

 顔をのぞかせたのは、ノフィとミルテだった。トレーを両手に抱えたミルテの代わりに、ノフィが扉を開いていた。

「ミルテです。昼食をお持ちしました……少尉? どうかしました?」

 不自然な格好になっているフレイセルを見咎めて、ミルテが首をかしげる。フレイセルは慌てて、砂糖壺の蓋を開けた。

「い、いや、ちょっと砂糖を取ろうと思って」

 適当に角砂糖を紅茶に放り込んで、それが溶けきらないままに口をつける。ミルテは気にした風もなく、机に軽食の乗ったトレーを置いた。

「先生、横になっていなくて大丈夫ですか?」

「え、ええ……ありがとうございます。ご飯も、いただきます」

 ノフィの探るような視線を無視して、フレイセルは紅茶を飲み干した。するとノフィの後ろから、亜麻色の頭がふわりと現れ、開いた扉を軽く叩いた。

「ヴェイルくん、いいかな。少尉もいるならちょうどいい。方針が軽くまとまったので、報告しにきた。そのお茶会に混ぜてほしい」

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