第5話 禁忌/1

 アルムゼルダ魔術学校の構内には議事室がある。半円状の講壇を中心に長机が並べられ、学科長らと学長、そしてエメドレア中から集まった三十名の議員たちがそこで顔を突き合わせていた。

 モリスという死霊術師との交戦後、『モルダナ』は再度厳重に封印され、政治的中枢でもある魔術学校の警備体制はますます強化された。学び舎というには物々しい雰囲気と慌ただしさに、新聞記者たちは何事かと耳をすませる。祝祭ミュールの喧騒の裏で何かが起ころうとしているのではないかという彼らは予測したが、しかし、実際にはことは終わった後であった。

 そうして祝祭も終わる頃、今回の事件について箝口令が敷かれ、異例の全議員招集となった。国民に代わりエメドレアの意思決定を行う者たちが雁首を揃える中、リズ=クライフ教授は神妙な表情で登壇し、声を張った。

「では、整理しましょう」

 フレイセルは講壇の脇に立っていた。その後ろには、ヴェイルが目を伏せて——集中する視線から逃れるようにやや俯いて椅子に座っている。フレイセルはヴェイルの護衛として、議事室内に怪しい動きがないか常に視線を巡らせていた。

 リズは黒板にチョークで関係図を描いていく。

「『モルダナ』を盗んで使用しようとした魔術師モリスは、エメドレア人の血を用いて現世と幽世かくりよをつなぐ『門』を開こうとしました。そして〈あるお方〉なる人物を幽世からとし……その際、アールダイン先生に立会いを求めています」

 それらはノフィからもたらされた情報だ。リズは楕円を描き、その中に山や川、街を描くと、円の下に渦巻きを描く。我々が住まう現世と、霊的存在が住まうとされる幽世だ。二つの世界は重なっているが、普段はその重なりは表には出てこない。それを、『門』という概念でつなごうとした禁呪が『モルダナ』であった。

「彼らは幽世に隠されたアールダイン先生の研究成果を求め、先生を狙いつつ、まず弟子であるノフィエリカ嬢を拉致しました。そしてノフィエリカ嬢を引き込もうとしましたが、彼女がこれを拒否したため、『モルダナ』の儀式に彼女を用いようとしました」

 もしノフィが供物として捧げられた場合、『モルダナ』は更に祝祭に集まった数千数万の人々を飲み込んで血の祭壇を作り上げていただろう。しかし、その計画は衛士隊の介入によって頓挫する。

「モリスは異界の異形を召喚しましたが、衛士隊でこれを送還しました。しかしモリスは……仲間と思しき女魔術師によって殺害されてしまいました」

 リズはモリスや女魔術師の姿を適当に描いた後、チョークを置き、ヴェイルを振り返る。

「アールダイン先生、確認ですが、彼らとの面識は?」

「ありません」

 それまで黙っていたヴェイルが顔を上げ、ゆるゆると首を横に振った。それを見て、鉱石科クレトゥスの学科長、エメレンスは机に肘をつき、指を組んで眉根を寄せた。

「彼らのいう〈あるお方〉とは『ラグル』のことだろう。どこから嗅ぎつけたのか……こういう事態を想定していなかったわけではないが、悪意の足は速いな」

 ラグル——聞き慣れない言葉に、フレイセルは目を瞬いた。反対側に立っているメイエル中佐の様子からして、その人物の詳細はすでにこの場にいる全員に共有されているらしく、かつ、その正体を改めてつまびらかにする必要性を感じさせない圧迫感があった。フレイセルは諦めて、メイエル中佐から視線を外す。

「アールダイン先生自体が目立つということもあります。稀有な二重霊素、傑出した魔術の腕前、……少々自由にさせすぎたのでは」

 エメレンス学科長に苦言を呈するのは、召喚科ティトスの学科長のレフィエスだ。レフィエス学科長は『モルダナ』が盗まれた日から、各方面より非難を浴びていた。その鬱憤がたまっているとでも言いたげに机を叩く彼を、隣のハルドナ学科長がたしなめる。

 ハルドナはリズの教官であり、天文科レフテリスの学科長である。事件が起こった際には国外にいたため、補佐役であるリズに全権を委任していた。急遽呼び戻されたにもかかわらず、彼女は落ち着いた様子でことの顛末を聞いていた。

「ここは学び舎だ。知の探求が妨げられることがあってはならん。たとえそれが、死霊術師であってもだ」

 ハルドナ学科長はじっとヴェイルを見つめた。フレイセルもまたヴェイルをちらりと見て、小さく問うた。

「先生は、死霊術師なのですか」

 それは、ずっと気になっていたことだった。ヴェイルはやや間を置いた後、ゆっくりと頷く。その雰囲気の重苦しさは、絞首台を目の前にしているかのようだった。しかしフレイセルにはどうしても、彼から血生臭さを感じ取ることはできなかった。

「死霊術を学ぶこと自体がエメドレアでは禁忌とされており、死霊術師は例外なく捕縛される。しかし彼は、優秀で善良な魔術師として成果を残している。そこで、特例としてアルムゼルダで保護し、観察していたのだ」

 戸惑いを見せるフレイセルに、セファウド学長が言葉を紡ぐ。

「今後君をどうするかは、別に議論するとしよう、アールダインくん。注視すべきはモリスをはじめとする死霊術師の集まりのほうだ」

 セファウド学長はメイエル中佐を見やる。それに、メイエル中佐は議事室に入って初めて口を開いた。

「死霊術師どもが何人いるのか、どこを拠点としているのかはわかりません。ただ、今後もアールダイン先生の身を狙うでしょう。目的のためなら手段を厭わない、恐ろしい連中です」

 詳しく調べる前に、モリスは殺されてしまった。大きくバツ印で消されたモリスを見て、議員たちがざわめきだす。

「イシュリアとの戦いの後は、死霊術師との戦いか……」

「死霊術への抗い方を、学ばせなければならんな」

「その途中で誘われるものが何人出てくるか」

「しかし死霊術への理解を怠れば、いずれそれと知らず道を踏み外す」

 学科長たちとともに、議員たちは話し込み始めた。リズは壇上から降りて、フレイセルに近づくと、顔を寄せ合う議員たちを見ながらぼそりと低く呟く。

「……私は、ヴェイルくんがこのアルムゼルダで唯一の死霊術師と言ったが……この中に何人、死霊術に手を出したやつがいると思う?」

 フレイセルは軽く目を見開いた。リズの言っていることが本当なら、禁忌者への罰則など形骸化しているということだ。誰も彼もが目をつぶり、——そして今も。

「魔術師と、死霊術師の戦いはもう始まっているんだ。しばらく、荒れそうだな」

 とはいえ、とリズは続ける。

「ここにいるのは保身が第一の連中だ。ヴェイルくんを狙うような過激な思想の持ち主はおらんよ。だから、大人らしく清濁併せ呑んで、一致団結してくれるはずさ」

 リズはヴェイルを励ますように軽くその肩を叩く。そして、そのままヴェイルの顎を片手ですくうと軽く上向かせ、顔を寄せた。

「あまり気負うな、ヴェイルくん。人気者は大変だが……君も学生たちも、ちゃんと守ってみせる」

「は……あ、ありがとう、ございます」

 花が咲き乱れるような決め台詞に、ヴェイルはしどろもどろに答えた。リズは満足そうに頷くと、席に戻っていく。入れ替わりにラドバウト教授が、資料を手にフレイセルたちの横を通りがかった。

「リズは相変わらず『王子様』だな……彼女は昔からああなんですよ。格好つけたがるんです」

「はあ……」

 リズとヴェイルの距離に、フレイセルはなんとも言えない気持ちになる。ラドバウト教授とリズは幼馴染みで、ヴェイルはその二人とたびたび茶や酒を嗜む仲なのだということを、つい最近知ったのだ。その遠慮のない空気は、フレイセルとヴェイルの間にはないものだった。そんなことをもやもやと考えているような状況ではないのだが、フレイセルの心は揺れる。そこへ、廊下で待機していたフィルが足早にやってくると、フレイセルに耳打ちした。

「ヴァイラー少尉、交替です。お休みになってください」

「ああ、わかった。ありがとう……」

 ヴェイルの警護をフィルに任せ、フレイセルは惜しみつつもその場を離れる。ヴェイルの横顔はやはり暗く沈んでいて、心ここに在らずといった様子だった。

 議事室を出ると、近くの長椅子から小さな人影が立ち上がった。見れば、ノフィが気まずそうにフレイセルを見つめていた。ガーゼや包帯は取れ、傷もすっかり癒えているようで、フレイセルは胸をなでおろす。

「ノフィ、」

「気安く呼ばないでください」

 しおらしいが、素っ気なさはいつも通りだ。そういえば彼女のことを名前で呼んだのは初めてだったな、とフレイセルは考え、腕を組む。

「そう言われてもな……どう呼ばれたら満足だ? ベルジュのお嬢さん、と?」

 セファウド学長の孫であり、ベルジュ家の一員である彼女は間違いなく『お嬢様』だ。本来ならフレイセルはもっと敬意を払わねばならない相手なのだが、ヴェイルをめぐる言葉にし難い関係性から、今更恭しく扱うというのも妙な気がしている。それはノフィも同感なのか、首を横に振った。そして、やや俯いて考えた後、意を決したように顔を上げる。

「ノフィエリカ、と」

「長いな」

「面倒臭がらないでください。兄はきちんと呼んでくれました」

 正直な感想を述べたフレイセルだったが、続くノフィの言葉に表情を引き締める。ノフィは再び椅子に腰かけ、隣に座るようフレイセルに言った。

「……兄のこと、謝らなければいけません」

 フレイセルがノフィの隣に腰を下ろすと、彼女はぽつぽつと小さな声で語り始めた。

「あなたに無茶苦茶を言いました。……ごめんなさい」

「謝るようなことじゃない」

 ノフィの言葉は相当に重かったことは事実だ。しかし、苦しんだのは彼女も同じだ。満たされ、順風満帆な人生ではじめて欠けた大切な人の、その遺骸を他人にいいように使われ、自らの手で火をつけなければならなかった。見方によってはフレイセルの行動によってそうせざるを得なかったとも言える。その心境は察するに余りあるものだ。

「納得はできたのか」

 代わりにそう問うと、ノフィは静かに頷いた。

「少尉のおかげで、兄の遺体をようやく棺に納めることができました。まだ……寂しいような、悲しいような、鬱々とした気持ちは晴れませんが、でも……兄の墓前に立った時、一つ区切りがついたような気がしました」

 ノフィエリカと呼べ、というのは、彼女なりに整理をつけた結果なのだろう。遠くもなく、近くもない、しかし今までよりは歩み寄った距離に、二人は再び位置付けられた。そうか、とフレイセルが相槌を打つと、ノフィは顔を上げた。

「少尉は? 納得が、できましたか」

 フレイセルは少々言葉に詰まった。正直、悪夢はまだフレイセルを掴んで離さないし、それに対する懊悩も完全には去ってはいない。おそらく一生逃れられないのだろうとフレイセルは予感していた。

「……これからのことを考えるべきだと、ミルテに言われた」

 肺に溜まった空気を吐き出しながら、フレイセルは答えた。

「生き残ったのなら、どう、生きていくのか……。幸いにも、俺は幸せを望まれている身だ。本当に、幸運なことに。俺は……」

 うまく言葉を続けることができず、フレイセルは広げた手のひらを見つめた。数多の命を奪ったこの手に触れられることを、忌避しない相手がいるというだけでも僥倖だというのに、さらにフレイセルの幸福を祈ってくれる人間がいる。それを思えば、納得する、しないの話ではないことは明らかだ。

 裏返せば、フレイセルという人間は、これ以上血に塗れた生き方は許されない。

 しかしそれができるのか、と問われた時、フレイセルは頷けるだけの状況にない。フレイセルは衛士であり、有事の際はまた戦場に出ることになる。そしてフレイセルの体もそれを肯定している。モリスとの戦いの際、フレイセルは迷わず引き金を引き、刃を走らせた。命令によって致し方なく、ではなく、能動的な反応として、だ。

 そうして大切な人々を守れるのならば、フレイセルはそれで構わない。フレイセルの安寧を祈ってくれる人を大切にしたいと思えば思うほど、武器を手放すという選択を選べなくなるのだとしても。

 フレイセルがヴェイルの顔を思い浮かべた時、議事室の扉が開いて、疲れた様子のヴェイルと、それを気遣うフィルが顔を出した。

「先生、もうお話は終わったのですか」

 ノフィが声をかけると、ヴェイルは一瞬遅れて反応を示した。

「はい……ああ、いえ、話し合いはもう少し続くようなのですが、クライフ教授が、後は任せてくれと」

 祝祭の喧騒に、多数の人間が集まる議事室に閉じ込められるのは相当の苦痛だろう。フレイセルが研究室までヴェイルを送ろうと立ち上がると、ヴェイルはフレイセルの袖を掴んで、軽く引っ張った。

「フレイセルさん、ちょっとよろしいですか。……お話ししたいことがあるんです。二人きりで」

「えっ? ええ、構いませんけど……」

 休憩時間は十分にある。フィルを見やると、彼は『ここの警備は任せてください』と言わんばかりに背筋を伸ばした。

「なら、私はここで失礼します。先生、どうかご自愛ください」

 ノフィも立ち上がり、優雅に一礼するとヴェイルを見つめる。なんの話だろうか、自分には話せないことなのか、という台詞が目から伝わってくるようだったが、何も聞かず、静かに脇を通り抜けていく。

 ヴェイルは去りゆくその背中を硬い表情で見送った後、歩き出した。フレイセルもそれに続く。ヴェイルの纏う空気は、彼がここに来たばかりの頃を思わせるものだった。

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