第4話 亡霊/2
リズはそのままヴェイルの研究室に乗り込むと、フレイセルが止める間もなく、ベッドまで歩み寄り毛布を剥いでヴェイルの胸ぐらを掴んで揺すった。
「起きろ、ヴェイルくん。君の愛弟子が例の男にさらわれたぞ」
ヴェイルは夢うつつの状態でリズの声を聞いていたが、その言葉を飲み込むや否や、勢いよく体を起こした。そしてフレイセルたちの顔を見回し、事態が急変したことを悟った。
「どういうことです?」
困惑するヴェイルに、リズは事の次第をかいつまんで話した。ヴェイルの顔がだんだんと険しくなり、やがて無言で眉根を寄せる。
「男は死霊術師の可能性が高い。そこで同族の君に意見を聞きたい。死霊術で、死体を乗っ取り本人に成りすますことはできるのか?」
リズの質問に、ヴェイルはちらりとフレイセルとミルテを見て、やや戸惑いがちに、小さく頷いた。
「……できます。あの奇妙な気配……最初に気付くべきでしたね」
死体だから、敵意も殺意もないというのは道理だ。それよりも気になるのは、リズが言ったことだ。ヴェイルが死霊術師だと彼女は言った。だが、そんなことは初耳だ。
禁忌に足を踏み入れた者——死霊術師は、例外なく捕縛対象である。それを、アルムゼルダは唯一ひとりだけ保護している。フィルはともかく、メイエル中佐は驚いた様子もない。つまり、衛士隊の佐官以上の役職はこのことを承知し、同時に秘していたということだ。
「では次の質問だ」
フレイセルが疑問を投げかける前に、リズが続けた。
「男はなぜノフィエリカ嬢をさらった?」
ヴェイルは言いにくそうに目を伏せたが、リズに急かされて話し始めた。
「十中八九、儀式の供物でしょう。我々が
ヴェイルは「忌むべき術です」と付け加え、口をつぐんだ。
彼は、死霊術を用いた過去があるのだろうか。どこまで踏み込んでいたのだろうか。人間を触媒に用いる——そんな恐ろしいことを、ヴェイルが行うようには思えない。彼はしかし、それ以上何も言わなかった。
「男が持ち出した『モルダナ』は……どんな魔術なんです?」
沈黙を、フィルが破る。それに、ラドバウト教授が前に出て答えた。
「分類するために、一度読んだきりですが」
ラドバウト教授は皆の視線を一身に受けて、少したじろいだ。
「禁書の内容です。他言無用でお願いしますよ。アールダイン先生のことも……彼の身を守るためです」
「あっ、わ、わたし、お部屋の外にいます」
聞いてはいけないことだと察したのか、ミルテは慌てて研究室を出て行った。扉が閉まると、ラドバウト教授は溜め息のあとに声をひそめる。
「『モルダナ』は、現世と幽世を繋ぐと言われる『死の門』を開くための儀式です。その代償として、何百何千もの人間の生き血を必要とする……その後男が何をするかは分かりませんが、ろくでもないことであることは確かでしょう」
「エメドレア人の血を用いて……イシュリア人による血讐か。だから今季の祝祭も取りやめるようにと言ったのに」
リズはひとりごち、窓の外へと視線をやった。その先には祝祭に賑わう街並みが見える。そこに集まっている人間を儀式に用いるために、現れたのか——フレイセルはぞっとした。
「男がイシュリア人かどうかはまだ決定事項ではありませんが……我々は奴の行動を黙って見ているつもりはありません」
メイエル中佐の言葉に、リズが強く頷いた。
「男の企みは必ず阻止する。居場所を突き止め、その正体を暴く。祝祭は中止、群衆は直ちに解散させる……実行委員会への連絡や説明は、ラドバウト教授、やってくれるな」
「君はいつも簡単に言ってくれるけど……まあ、やるだけやるよ。混乱と恐慌を招かない程度にね」
ラドバウト教授は大仰に肩をすくめ、何事かをぶつぶつと呟いたあと、その場から溶けるように姿を消した。召喚科の教授だけあって、高度な技術と言われている転移術もお手の物らしい。これだけ大規模な催し物を中止させるとなると方々への説明が必要だが、なるほどリズの采配は的確だ。リズは振り返り、続けざまに指示を出す。
「私とヴェイルくんは観測機でノフィエリカ嬢を探す。本来は星を見るためのものだが、まあ、ヴェイルくんならそれを利用して人を見ることも可能だろう」
「星を見るものでどうやって?」
「ノフィさんの固有の霊素を、星を見るように探すということです。確かに天文科の〈十天儀〉なら理論上は可能でしょう……」
首をひねるフレイセルに、気を利かせたヴェイルが説明する。その内容に不安を覚えて、フレイセルはリズに問うた。
「無茶させようというんじゃないですよね」
ヴェイルの体調は万全ではない。眠っている間は休むことができていただろうが、起きて再び霊素の奔流に晒され、傍目にも苦しそうであった。だが、リズは容赦なく、ピシャリと言った。
「無茶だろうが何だろうが、やってもらう。……ノフィエリカ嬢をその場で殺さずに攫った理由はわからないが、生きている可能性があるうちに探し出さねばならない」
正論に、フレイセルは返す言葉がなかった。ヴェイルを見ても心配はいらないと頷くばかりで、フレイセルはそれ以上食い下がることができなかった。
「俺たちに何か出来ることは……」
せめて、と言うフレイセルの胸を、リズは人差し指で軽く叩いた。
「場所が特定でき次第君たちには出動してもらう。祝祭の行列を利用するつもりなら街の中だろうからな、武装して待機だ、ヴァイラー少尉——北方戦争帰りの腕、期待しているぞ」
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