第3話 境界/2

 フィルは警備がてらヴェイルの研究室までの順路を設定して、歩きながらの小講義をはじめた。フレイセルもひとり仮眠室に戻る気にはなれず、それに付き合うことにする。

「まず、魔術とは何か……ミルテさん、定義できますか」

「は、はい。ええっと」

 ミルテは緊張した面持ちで、頭の中の記録帳をめくる。フレイセルは二人の後ろで警邏しつつ、そのやりとりに耳を傾けた。

「世界に満ちる四元素を操り、不可能を可能にし、祈りを奇跡に変える術、です」

「はい、そうです。世界は霊素と呼ばれる力の偏りによって常に変化し、流動している……そこに働きかけ、世界の理を一時的に書き換える術、それが魔術です」

 抽象的なミルテの答えを、フィルがより具体的に言い直す。

「世のあらゆる物質は霊素を含んでいます。僕という人体も霊素を持っています。これは同じ人間でも様々で、火の霊素を持つ人もいれば、風の霊素を持つ人もいます。霊素は生まれついたもので、後天的には変化しませんし、まれに二重霊素なんていって、二つの霊素を合せ持つ人もいます。ミルテさんは……」

 そう言ってフィルはちょっと立ち止まり、目をつぶって考えるそぶりをする。そしてややあってから再び目を開き、ミルテに向き直った。

「水の霊素をお持ちのようですね」

「ど、どうしてわかるんですか?」

 驚くミルテに、フィルは自分の体や腕を、指でなぞって植物の根のような図を描いてみせる。

「人体には霊脈という霊素の通り道があります。それを通じて外界の情報を得る力を、交感能力といいます。この交感能力が高ければ高いほど、魔術の扱いに優れていると言われています」

 言い終えると、フィルは人差し指を立てて、ミルテに一つの課題を出した。

「ではミルテさん、僕と少尉の霊素を当ててみてください」

「えっ? あ、え、えっと、はい……」

「周囲の霊素の流れを意識して」

 フィルの助言通り、ミルテは目をつぶって意識を集中させる。暗闇の中で細い糸を手繰るように、眉根を寄せ、首だけ動かしてあたりを

「……二つの大きい塊があります。えっと……こっちは……ドナート従士。そしてそちらは、ヴァイラー少尉ですね」

「その調子です。霊素の区別はつきますか」

「ドナート従士は、森の匂いがします。ヴァイラー少尉は、そよ風のような……」

 五感を使って表現するミルテに、フィルは満足そうに頷いた。

「はい。僕の霊素は地、少尉の霊素は風です。このように霊素を観測することが、最初の段階です。魔術の素養がないと言われる人でも、鍛えれば霊素の偏りを直感で感じ取ることができます」

 ミルテを促し、フィルは再び歩き出す。

「次の段階は、観測した霊素に働きかけること。ミルテさんが火をつけようとしたように、周囲の霊素の偏りを操作する——魔術です」

 うっ、とミルテが声をあげた。苦虫を噛み潰したような顔で、絞り出すようにつぶやく。

「苦手なんです。構築式とか、その詠唱とか、書写とか、たくさんやり方があります」

「あはは……そうですね、整理しましょう。霊素に操作する手順を記したものを、構築式、あるいは呪文と言います。構築式の書き方は個別で勉強していただくとして……」

 フィルが手を伸ばして中空に文字を描く。すると、小さな光がその指先に灯って、消えた。

「構築式それだけでは、魔術は効果を持ちません。読み上げるか、書き上げるかしなくてはいけません。ですが、強くイメージすることができるなら、構築式の詠唱や書写は省略することができます」

「先生は、いつもそれだな」

 フレイセルは構築式をもってしても初級魔術すら使いこなせないが、ヴェイルは指先一つで物を動かしたり、冷めた紅茶を温める。ミルテもそれを思い出したのか、うんうんと頷いた。

「先生の皆さんは特別というか、優秀な方ですので……ですが、集中力が途切れたり気が逸れたりしてイメージが霧散してしまうと、魔術は暴発する危険があります」

「学校では時たま学生が事故を起こして叱られているな」

「先生方のようにやってみたいんでしょうね。と、まあ、これが魔術の基礎の基礎です」

 ここからは余談です、と前置きして、フィルは続けた。

「大掛かりな魔術は複数の構築式を組み合わせたり、変化させたりして行使します。大魔術だと構築式だけで本一冊になるものもあるとか」

「読み上げるの、どれくらいかかるんでしょう」

「さあ……これは稀有な例ですけど。召喚科の書庫には、そういった魔術書が多く保管されています。禁書や禁呪として、ですが」

 言って、フィルは誤謬が生まれることに気づいたのか、すぐに言い直した。

「これは大魔術が禁呪として扱われるということではありません。禁呪として封じられる魔術のなかに、構築式が複雑で扱いが難しい大魔術が多く含まれる、という意味です。禁呪に指定される魔術も、構築式が煩雑で事故が頻発するもの、倫理的に問題があるもの、法に反する触媒を使うものなど多岐に渡ります」

 謎の男に盗み出された『モルダナ』なども禁呪禁書に指定されている魔術書だ。ラドバウト教授はその中身について詳しく言及することはなかったが、決して中身を読まないようにと言い含めているあたり、『モルダナ』の危険性がうかがえる。ミルテは不安そうに眉尻を下げた。

「……どうして禁呪は生まれるのでしょう」

 素朴な疑問に、フィルは少し間をおいて、答えた。

「世の中には三種類の魔術師がいます。人のために尽くそうとする者、真理を解き明かそうとする者、そして、その過程で道を踏み外す者……」

 それはメイエル中佐も語っていたことだ。彼もどこかで聞く機会があったのだろう。

 禁呪は、どの魔術師も生み出しうる。ある者は人のために、ある者は真理に到達するために、ある者は、手段と目的を見失って——ゆえに、とフィルは続ける。

「魔術に限らず、良くも悪くも、力とは扱うものの心次第だと小官は考えます」

 そうして、見慣れた扉の前で立ち止まる。ヴェイルの研究室前だ。

「さあ、到着ですね。お勉強、頑張ってください、ミルテさん」

「はい、ありがとうございました、ドナート従士。それから、ヴァイラー少尉も」

「俺は後ろを歩いてただけだがな」

 フレイセルがそう言うと、ミルテは首を横に振って笑った。

「何かあったらすぐに駆けつけてくれる衛士さんたちのおかげで、安心して勉強ができるんですよ」

 ヴェイルは留守なのだろう。ポケットから鍵を取り出して、ミルテは研究室の扉を開ける。ちらりと見える中は、珍しく整理整頓が行き届いていた。

「お茶でもいかがです? 先生ももうすぐ戻られます」

「い、いえ、勤務中ですから」

「俺もそろそろ休憩が終わる」

 ミルテの申し出を、二人は断った。歓談している間に何かあってはことだし、フレイセルもそのまま勤務に戻るつもりだった。ヴェイルの顔を見られないのは残念だが、仕方ない。

「そうですか……ではまたの機会に」

 ミルテはちょっと肩を落として、もう一度二人に向き直って深々と礼をした。それに軽く手を振って別れ、二人はいつも通りの警備順路を行く。

「ミルテさんって、可愛らしい方ですね」

 そう呟いたフィルの頬は緩んでいた。それを横目に見ながら、フレイセルは適当に相槌を打つ。

 だが、ミルテのことはあまりよく知らない。フレイセルが知っているのは、彼女は戦災孤児で、駅で拾われるも方々に引き取りを断られ、ヴェイルに養育されている——それくらいだ。明るく素直でよく笑う少女だが、昔の話は聞かない。

 魔術を勉強しているのは、ヴェイルに言われてだからだろうか。どんな魔術師になりたいかを決めると彼女は言っていた。

 世の中には三種類の魔術師がいる——フレイセルは先ほどの言葉を思い出していた。彼女が何を目標にするにせよ、道を踏み外すようなことがあってはならない。窓の外の景色に視線を投げて、フレイセルはしばし、思考に沈んだ。

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