第2話 欠落/2

 療病棟を出たところで二人に追いつくと、ノフィはあからさまに呆れた顔をした。

「警護など必要ありません。何かあれば、私が先生をお守りします」

 そう言って、持っていた杖で石畳を軽く叩く。先日会ったときは持っていなかったものだ。君も足が悪いのかと尋ねると、違いますと鋭く返事があった。

「仕込み杖です。これでも、剣術や格闘には自信があるのですよ」

 そういって胸を張るノフィに、ヴェイルは曖昧に笑った。

「何かあったときは、先生が教え子を守るものだと思うのですが……私はそんなにひ弱に見えるのでしょうか……」

 どこか哀愁の漂う呟きは風に紛れて消える。フレイセルは二人の後について歩き出しながら、そこで何か足りない影に気がついた。

「ミルテはついてきていないのですか」

 お手伝いだ、とヴェイルの後を子犬のように追いかけているあの姿がない。フレイセルの問いに、ヴェイルは少しの沈黙を挟んで答えた。

「これから行くところは、ミルテさんが入所を断られた孤児院で……」

 どうやらヴェイルが気を利かせたらしい。確かに、顔を合わせづらいものがありそうだ。ミルテも、明るく振舞っていても思い悩むところはあるらしい。

 他愛もない話をしながら街を出て歩き続け、建物もまばらになってきた丘の上に、その孤児院はあった。だいぶ古い建物で、急いで補修を繰り返した荒い跡が見られる。

 窓の向こうに小さな影が見え隠れしたあと、建物の中から質素な身なりをした老齢の女性が現れ、軽く両腕を広げて一行を迎えた。

「お待ちしておりました、先生。……そちらの方は、衛士さん? 私は孤児院をまとめている、アーニャと申します」

 フレイセルは窓の向こうの子供達を怯えさせないよう、なるべく優しい声音で、慣れない笑顔を作った。

「お初にお目にかかります、アーニャさん。小官はフレイセル=ヴァイラー少尉です。先生の付き添いで……先生、私は外で待たせていただきますので」

「私も、」

 フレイセルのあとに間髪を入れず、ノフィが声を上げた。ぎゅっと杖の頭を握って、感情を抑えるように、静かにつぶやく。

「……外にいます」

 先ほど義肢の装着の手伝いをしていたが、助手はいらないのだろうか——やや不自然とも思えるノフィの言動にフレイセルは疑問を抱いたが、ヴェイルは仔細を尋ねることなく頷く。対してアーニャは心配そうに頬に片手をあててノフィを見た。

「冷えますよ」

「大丈夫です。体は強い方です」

 ノフィが突っぱねると、アーニャもそれ以上は追求しない。気遣わしげにノフィを一瞥したあと、ヴェイルとともに扉の向こうへ消えた。

 残されたフレイセルとノフィは、近くにあった古ぼけた長椅子に腰を下ろした。気温はやや低めだが空は快晴で、風も穏やかだ。流れる雲を目で追いながら、フレイセルは気になっていたことを口にした。

「先生を手伝わなくてもいいのか?」

 返事はない。無視されているのだろうかと思ったが、ちらりとノフィをみると、緑色の瞳がまっすぐにフレイセルを見つめていた。ともすれば吸い込まれそうなほどの透明さに一瞬どきっとしたが、ノフィの方が先に視線を逸らした。問いの答えを、考えているようだった。

「私の存在は、彼らにとって毒になります」

 フレイセルは、しばし沈黙してノフィの言葉の意味を探った。彼らというのは孤児院の人間のことだろうか。

「歯に衣着せぬ言動に自覚が?」

 やや沈んだ空気を払拭するように茶化すと、ノフィはきょとんとフレイセルを振り返った。どうやらこの少女、自分の普段の言動の刺々しさには自覚がないらしい。

「私はそんなに不躾ですか」

「……なんだ……まあ、初対面の人間は遠ざけると、思う。それはともかく——いや、脇に置いておく話でもないんだが——君の存在が彼らにどう毒になるというんだ?」

 言葉を選びつつ、フレイセルは尋ねた。すると、ノフィは遠く街の方に視線を投げて、何度か唇を薄く開いては噤みを繰り返し、ようやく話しだした。

「私は、ベルジュ家の娘です」

 そういえば、ノフィは自分から『何処其処の家のものだ』と名乗ることはない。所作は洗練されているが、生まれを誇示することはない。今も、己の中に流れる血に矜持を抱いて、というよりはむしろ、忌々しげに、石を吐き出すような苦しさがあった。

「ヴァイラー少尉。あなたに、家族はいますか。優しい方々ですか」

 突然水を向けられ、フレイセルは返答に窮した。家族はもういないし、優しかったかどうかなど覚えていなかった。そんな自分のことを他人に話す機会がなかったため、フレイセルは表現に困った。

「……覚えていないな。本当に、いつのまにか、学校にいた」

 親はどうしたのか。紛争にでも巻き込まれたのか。故郷はどこなのか。自分はどうしてここにいるのか。捨てられたのか。湧き出る疑問に答えてくれる人間はいなかった。いや、誰も答えられなかったというのが正確だろう。ただ幸運にも、フレイセルはその名を得て、教室で読み書きを習い、寮のベッドで眠り、食堂で食事をし、友人たちと一緒に時間を過ごした。

「それが、どうかしたのか——」

 ノフィの質問の意図が汲めずに聞き返したその時、にわかに建物の中が騒がしくなった。泣き叫び感情を爆発させる子供の声に、二人はどちらともなく立ち上がり、様子を見に孤児院の扉を開けた。

「あんたはあたしの気持ちなんて何も分かってない!」

 扉を開けた瞬間、悲痛な声が辺りに響いた。気圧されて動けないヴェイルたちを置いて、声の主である少女は杖をつきながら建物の奥へと踵を返す。

「ヘディ、待ちなさい。なんてことを言うの……」

 アーニャの呼びかけにも少女は応じず、そのまま部屋に引きこもってしまった。ヴェイルは肩を落とし、弱々しく首を横に降る。

「先生、一体何があったんですか?」

 彼女のために用意されたのであろう義肢は、鞄から取り出されてはいたが布にくるまったままだった。ヴェイルは細く息をついたあと、苦々しく笑った。

「いらない、と言われてしまって」

「いらない?」

 義肢を突き返す理由が、フレイセルには思い当たらなかった。しかしノフィは驚くでもなく、フレイセルの疑問に答える。

「他人と違うという現実は、とても重いのです。そういう選択もあるでしょう」

「……あったものがなくなったままでも、か?」

「私たちがその価値を決めるわけではありません。……先生、」

 ノフィが促すと、ヴェイルは頷き、荷物をまとめはじめる。アーニャはただただ身を小さくして謝るばかりで、フレイセルのほうが罪悪感を覚えるほどだった。

「ヘディさんの気が変わったら、連絡をください」

 ヴェイルが静かに告げ、三人は孤児院を後にした。彼はノフィの言葉を理解し受け入れている様子ではあったものの、傍目に見ても意気消沈しており、フレイセルは彼にかけられる言葉を見つけられなかった。

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