第2話 欠落/3
街に戻ると、昼時の賑わいが重い沈黙をある程度和らげてくれた。しかし喧騒の中を渡り歩く間も、ヴェイルは物思いにふけり、一言も喋らない。
「あれ、」
その足が学校とは逆方向に向かっているのに気づき、フレイセルはようやく声を発した。二人が足を止めて振り返ったので、フレイセルは慌てて続けた。
「研究室に戻るのでは?」
すっかりそのつもりでいたが、他にも用事があるらしい。フレイセルの仕事は二人の警護であるからして、二人の外出が終わるまで、かつ外出の刻限まではついていくつもりではあったが、予定は聞いておきたい。
「あ、えっと……すみません、言い忘れていました。ミルテさんを迎えに行くのです。買い物をする予定があって」
「買い物?」
そういえば、ミルテがそんな約束をしていたと言っていたような気がする。思い出すと同時に、通りの向こうでこちらに向かって手を振る影が目に入った。
「先生、ノフィさん、あとヴァイラー少尉も!」
ミルテはこの気候にはやや寒そうなワンピースに冬用の上着を着込んで、白い息を吐いている。フレイセルたちは左右を確認して車通りがないことを確認し、ミルテと合流した。
「早めに出て来て良かったです。お仕事お疲れ様です」
「え、ええ……」
ヴェイルが歯切れ悪く答え、ミルテはそれに首を傾げる。三人揃って気まずい空気をまとっていればそれは何かあったに違いないと思うだろう。ミルテはじっとヴェイルの顔を見つめ、そしてその手をとって軽く引いた。
「まずお昼ご飯にしましょう。よければお話を聞かせてください」
「それなら、軽食の美味しい喫茶店を知っています」
ミルテの提案にノフィが乗り、それにヴェイルが控えめに微笑んで答える。先ほどよりやや明るくなった空気の中を先導するノフィの後ろをついていきながら、フレイセルは先ほど彼女と話していたことを思い返していた。
ノフィはフレイセルからどのような答えを引き出したかったのだろう。初めて出会った時もそうだが、彼女の考えていることはいまいちよく分からず、その言動の意図も掴みにくい。フレイセルが彼女を苦手としているのも、それによるところが大きいのだ。
「ヴァイラー少尉?」
考え事をしているうちに足が遅れていたらしい。ミルテに声をかけられ顔を上げると、三人と少し距離ができていた。ノフィと視線がかち合うと、彼女はいつもの調子で溜息をついた。
「まだお怪我が治らないのですか」
「いや、少し考え事をしていた」
「街灯にぶつかりますよ」
心配されているのだろうか、とノフィの表情を探る前に、彼女は前を向いて歩き出す。やはり、分かりにくい。
ノフィは大通りから少し外れた小さな喫茶店の扉をくぐった。内装は数十年前に流行った古典回帰派の落ち着いた意匠で飾られ、橙色の優しい灯りで照らされている。興味深げにあたりをせわしなく見回すミルテの横をすり抜け、ノフィは迷わず一番奥の席へと入っていった。
「ここは他の席と少し距離があるので、お喋りに向いています」
座席に腰を下ろし、メニューを開いて見せながらノフィがそんなことを言うので、フレイセルはつい素で『仲良くお喋りする相手がいるのか』と問いそうになった。
「ノフィさん、仲良くお喋りするお友達がいるんですか?」
ミルテは時に純粋すぎると思う、とフレイセルは目を閉じた。声音にまったく悪意のかけらもないところが彼女らしい。ノフィが口を開く前に、ヴェイルが助け舟を出した。
「ノフィさんもお友達とご飯を食べることくらいありますよ、ね」
「あいにくと、寮では一人部屋ですので、誘ったり誘われたりする機会もありません」
だがノフィはそれを拒否する。じゃあ誰とこんな小洒落た喫茶店でお喋りするというんだ。問いかける視線に、ノフィは黙秘を貫いた。
紅茶とサンドイッチをそれぞれ頼んで、ミルテが何があったのかを尋ねる。頼んだ食事が来る頃には事情をかいつまんで話し終えていた。ミルテは眉根を寄せて、ミルクをたっぷりいれた紅茶を一口飲んだ。
「一生懸命作ったのに、残念でしたね」
「努力が必ずしも報われるとは限りませんし、成果を押し付けることはできませんから……」
「それにしたって、どうしてそんなに怒ったんでしょう」
ヴェイルの言葉にミルテは首をひねる。たしかに、少女の激昂ぶりはただ事ではなかった。
——あんたはあたしの気持ちなんて何も分かってない!
そうヴェイルに叫んだ少女は、今にも泣きそうな顔をしていた。
——他人と違うという現実は、とても重いのです。
ノフィは少女の感情に理解を示した。まるで、己自身を重ねるように。
だが、ノフィと少女が置かれていた環境には大きな隔たりがあるように思える。名門の令嬢と孤児院の少女に共通するものが、フレイセルには見えてこない。いささかフレイセル自身も偏った見方をしているとは思うが、少女と似たような境遇のミルテが理解できず、ノフィが理解できる心境とは、どんなものなのだろうか。
サンドイッチを頬張りながらミルテは腕を組む。フレイセルも紅茶にミルクを注ごうとして、ふと手を止めた。
「……変わってしまった自分を受け入れることは、容易ではない。それが、自分の意志によらないものならば尚更だ。そうして失ったものが大きければ大きいほど……」
それは、フレイセル自身にも言えることだった。ノフィは何を失ったのだろう。緑の瞳は、何も語らない。
「それなら、もうその子次第ですよね」
ミルテが結論を代弁し、ヴェイルはティーカップの中の液体をただじっと見つめる。フレイセルはかけるべき言葉を探した。
「先生、そのうちにいい知らせが来ますよ」
「そうですね……」
長く深い溜息ののち、ヴェイルは顔を上げた。そこにはいつもの微笑みが戻っていた。それを見てミルテは頬を綻ばせたが、ノフィだけはただ目を伏せて、何事かを考えているようだった。
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