第1話 邂逅/3

 懐かしい街並をぐるりと見て回ってから、路面列車を乗り継いで療病棟に帰り着く。今は前線帰りの負傷兵が並んで寝ている場所だ。比較的軽傷な者から重傷者まで、全員ここに集められている。

 廊下でも、白衣を着た学生たちとすれ違う。そのほとんどが植物科エレニスの印章をつけているが、ちらりと錬金科パスカリスの教員らしき姿も見える。その合間を医師や看護師たちが慌ただしく縫って歩く。

 人手が足りていないというのは見てすぐにわかった。誰も彼もが休息を必要としている顔色だ。それでも、瞳だけはしっかりと光が灯っている。その崇高な使命感にあてられて、フレイセルは肩身がせまい思いがした。

 フレイセルは、純粋な愛国心や忠誠心というものから衛士を志したのではなかった。ただ他に道が見つけられなかっただけだ。少し前までエメドレアは平和そのもので、戦の気配などどこにもなかったし、覚悟が決まらないまま戦線に押し出された者はフレイセルだけではない。

 割り当てられた病室に戻ると、そんな若者たちがカードゲームに興じていた。賭け事は禁止されているため、純粋に勝ち負けを決めるだけの暇つぶしだ。一番に上がった兵士が顔を上げて、軽く片手をあげる。

「おかえり、フレイセル。ずいぶん早くに出かけてたけど、どこ行ってたんだ?」

「学校」

 短く返事をして、フレイセルはその会話の輪に加わる。足をひどく折って動けない兵士たちの周りに仲間たちが集まって、ベッドの上にカードの山を作っていた。

「学校? お前、勉強得意だっけ」

「まったく。ただ、お世話になった先生に挨拶しにいってた」

 フレイセルには家族がない。ゆえに、戦場から帰還して自由な時間を与えられても、帰るべき場所がない。そんなフレイセルが早起きしていく場所が学校だということに、仲間たちは首をひねった。

「衛士になりたての時に知り合ったんだ。魔術師の先生で、俺はこの通り魔術はさっぱりだが、話していて、とても……」

 言葉を続けようとして、フレイセルは黙り込んだ。仲間の視線が集まっていることに気づいたからだった。

「なんだ?」

「なんだ、って。嬉しそうに話すからさ。いつも無愛想だろ」

 どうやら頬が緩んでいたらしい。眉根を寄せて片手で口元を覆うと、どっと笑いが起きた。

「女か?」

「違う。そういうんじゃない、先生は……」

「年はどれくらい離れてる?」

「三つ年上、」

「そんなに、だな。狙い目だろ」

「だから、そういうんじゃない」

 仲間たちは手元のカードからすっかりフレイセルの話に気がそれてしまって、各々好き勝手に邪推している。そういった話題に飢えている連中とはいえ、相手がどんな人間か想像を膨らませるのに時間を使い倒しているあたり暇なのだった。

「美人か? お付き合いは?」

「関係ないだろう。この話は終わり」

 フレイセルが顔の前でひらひらと手を振ると、あたりから一斉にブーイングが巻き起こった。すっかり乗り気になった連中は、しつこくフレイセルに食い下がろうとする。

「夢を見るのはそのあたりにしておけ」

 そこへ、冷ややかな声がかかった。振り返ると、輪に加わらず自分のベッドで読書をしていた青年兵がフレイセルたちを見つめていた。

「夢って、どういう意味だよ」

 楽しく話していたところに水を差されたのを不満に思った者が、やや苛立ちまぎれに聞き返す。青年は大仰にため息をついた後、手元の本に視線を落とした。

「そのままさ。もう忘れたのか。俺たちは人殺しなんだぞ。人並みの幸せなんて求めるものじゃないし、手に入れることはできないんだよ」

 しん、と病室内が静まり返った。青年の言葉をすぐさま笑い飛ばせるほど、皆、戦いの記憶が薄れているわけではなかった。むしろ、それは日に日に濃くなっているように思える。誰もが毎晩うなされ、よく眠れていない。

 フレイセルは自分の手のひらを見つめた。この手に軍刀を握って、他人の命を奪ったことは事実だ。その感触をいまだに覚えているし、その時使った武器を握って戦場から帰ってきた。戦争に巻き込まれるということはそういうことなのだと納得しようとしても、体だけが別の生き物のようにそれを承服しない。

 それでも、と、フレイセルの頭にはひとつの期待が浮かんでいた。、と——

「やめておけ」

 そんなフレイセルの心境を鋭く読んで、青年はそれきり口を閉ざした。気にするなよ、という仲間の声は遠く、その日の食事はうまく喉を通らなかった。

 かつての日々が戻ってきたと思っていたのは錯覚だと囁く声がする。自分だけが遠くにきてしまったような、あるいは置いていかれてしまったような寂寥感が、胸の内を占めはじめていた。

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