第7話 病人食はまずくはないが

 今回は病院での日常生活について少し書いてみよう。多くの人にとっては退屈かもしれないが、同じ病気で苦しんでいる方やその家族にとっては参考になると思う。

 ようやくポメラが書き込みようになってた頃、7月の初旬、入院して2ヶ月ごろのことだ。

 

 朝は6時に起床。早いように思えるかもしれないが、晩は10時に消灯して就寝、夜更かししようにもビデオもゲームもないので、早く寝るしかないのである。僕は毎朝6時前に起きていた。はなはだしい時には5時前後に。もちろん誰も起きていない。早番の看護師さんが来るまで、ずっと悶々としていた。

 時間を潰すのに役だってくれたのは、スマホだ。数週間前からスマホを持ってきてもらい、どうにか扱い方を思い出して、使えるようになっている。ツイッターに目を通せば、世間で起きているニュースはだいたい把握できる。

 しかし、できるのは他の人のツイートにリツイートのみ。他の人のコメントに何か書きこむことはできない。今の僕には、ほんの数行の文章を書くのさえ重労働なのだ(前に書いたように、この文章を書くのにも、1ページあたり何時間もかかっている)。

 一度、ある編集者に原稿を書けないことへのお詫びをメールで書こうと思ったら、失敗だらけで意味不明のものになってしまった。やむなく、妻に頼んで打ち直してもらった。以来、妻にメールを禁止されている。

 教訓・脳梗塞の人間はスマホでメールを打つのは無理。


 7時を回った頃から、病院は活気づきはじめる。病棟によって時間差はあるものの、だいたい7時30分から8時までの間に朝食が運ばれてくる。

 朝食は食パン2枚と、マーガリンや蜂蜜の入った小さな使い捨て容器(ディスペンパックと言うのだそうだ)、そして紙パック入りの牛乳。それに副食のサラダやフルーツが毎回変わる。

 僕は3食の中で、この朝食がいちばん好きだ。理由は後で述べる。

 朝食を食べながら、病室に備え付けられたTVを観る。僕のお気にいりの番組は、サンテレビで再放送中の『ハートキャッチプリキュア!』。僕は『プリキュア』シリーズの中で(全部観てるわけじゃないが)、この『ハトプリ』がいちばん好きなんだよね。

 特に好きなのはキュアサンシャイン。格闘家の家系に生まれ、普段は男装をしているが、実はかわいいものが大好き。男女両方の視聴者層にアピールする露骨なギャップ萌え。しかも変身すると、コスチュームがへそ出しルック。しかもアクション・シーンはスタイリッシュで超かっこいい!

 いやあ、はまったね、キュアサンシャイン。『BISビブリオバトル部』の第3弾『世界が終わる前に』で、レギュラーの一人の輿水銀くん(男)にコスプレさせちゃったぐらい。あれは楽しかったなあ。

 退院までの長い期間を乗り切れたのは、『ハトプリ』のおかげと言っても過言ではない。

 しかし、いつもTVを観てるわけにはいかない。病室のTVはプリペイドカード方式で、1000円のカードを入れると、1000分の番組が観れる。3時間なら120分。ぼんやりつけっぱなしにしていたら、数日でなくなってしまう。妻に毎日買ってもらうのは心苦しい。だから1日に視聴する時間は2~3時間に制限した。これなら10日ぐらいは持つ。


 朝食が終わると、理学(PT)・作業(OT)・言語(ST)の各療法士さんたちがばらばらやってきて、本日の予定を説明する。

この頃には半身麻痺もかなり治ってきており、車椅子や歩行器も必要なくなっている。だが、やっと二本足で立てて、数十メートルの距離をどうにか歩けたぐらい。リハビリが必要なのだ。

 リハビリの時間はそれぞれに一時間弱ぐらい(40~50分程度)。1日3回である。各自の能力に応じたメニューが決められていて、そんなにつらくはない。

こうしたリハビリを毎日行なう。日曜日でも。同じ療法士さんも毎日来るわけではなく、土曜日や日曜日には別の人に交替することもある。


 PTは歩行や全身の運動。最初の頃は広いリハビリテーション・ルーム(何十人もの患者と、同じ数の療法士がいる)でストレッチをやってるだけだったが、体が動くようになるにつれ、少しずついろんな動作を要求されるようになった。だんだんメニューがきつくなってくるように感じる。がんばらなくては。


 OTは主に手先の訓練。手作りの道具を使った訓練が多い。いろんな色のプラスチックのコップを積み上げたり、小さな木の棒を順番に板に刺していったり、釘みたいな金属棒をずらっと並べたボードに金属のリングをはめていったり、子供のお遊戯なものが多く、こんなものがはたして役に立つのかとしらけていた。

 しかし最近は、パソコンで文字を打つ訓練がはじまった。おかげでポメラの打ち方もかなり思い出せてきた。


 STの言語の訓練。これも最初のうち、意味がよく分からなかった。

 口を動かして、「あーいーうーえーおー」と声を出させるのはまだわかる。でも、四コママンガを見せて、そのストーリーを説明させるのに何の意味があるのか。

 だいたい、この四コママンガがへたなんだよ!

「風の強い日に男が道を歩いていたら、風が吹いてきて帽子が飛ばされ、水の中に落ちる。しかし、男は手にしたステッキで帽子をひっかけ、拾い上げる」

 こんなものを説明するのに何の意味がある。

 ストーリーがつまらないだけじゃなく、とにかく絵がへたくそなんだ。男は歩いているはずなのに歩いてように見えない。帽子が落ちた先が、海なのか溝なのかさえ分からない。下手すぎて説明する気力も失せる。

 どうも本職のイラストレーターではなく、画力のない人間に描かせているようだ。せめてまともなイラストレーターを雇ってほしい。


 リハビリの合間、午前12時頃に昼食。終了後、午後6時頃に夕食となる。

 この2回の食事が僕は憂鬱である。

 医師は「最近の病院食はよくできてますよ」と言う。僕もまずいとは言わない。それなりに栄養も計算され、おまけに二種類のメニューから好きなものを選べる。だから口に合わないものは出ないはずなのだ。

 でも僕は、病院食を「美味い」と思ったことも一度もない。

 それは「偽物」だからだ。本当の食事のように、肉や野菜や魚を使っており、それらしい味付けもされているが、本物じゃない。「野菜炒め」とか「おでん」とか「ビーフシチュー」とかいう名前はついているが、決して本物ではない。

 なぜなら、妻が作ったものではないからだ。

 妻の作った料理を食べたい。その強い意志に、僕はつき動かされていた。

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