第6話 絶望と再生
僕は吹田市の国立循環器病センターにかつぎこまれた。そこに一週間ぐらい入院、その後は別の病院に移った。
当時はまだ、この病気のことを甘く考えていた。突然の入院だから、すぐに退院できるだろうと思っていた。
まさか四ヶ月近くもいるはめになるとは思っていなかった。
正直に言って、最初の頃、つまり入院した時期のことはあまり書きたくない。記憶があいまいなうえに、どこまでが現実に体験したことことなのか、よく分からないからだ。
たとえば、看護師さんにつれられてトイレに行ったことがある。当時の僕は車椅子で移動しており、一人ではトイレにも行けなかった。最初の何日かは、看護師さんにズボンを下してもらわないといけなかったのだ。また、万一の場合に備えて、パンツではなく成人用のおむつをつけていた。
用を足し終えて、洗面台で手を洗った。その時、ついでに顔も洗った。朝起きたら顔を洗うのが当たり前だ。
しかし看護師さんが、顔を洗っている僕を見て、「え……」という困惑の声を上げていた。
後で知ったのだが、その時刻は深夜の二時だった。
別の日には深夜にストレッチャーに乗せられ、別室に連れていかれ、レントゲンを何枚も撮影されたことがある。非常にリアルだったで、僕には実体験のように思えたのだが、後で考えてみたら、急患でもないのに真夜中にレントゲン撮影をする病院などあるだろうか?
いくらかコミュニケーションは可能になっていた。もっとも言葉が喋れるようになったわけではなく、依然として言語は不明瞭のまま。ただ、医師や看護師の言葉には(はい)(いいえ)という意思表示はできたし、向こうも(妻と同様に)脳梗塞の患者には慣れていたので、日常のやりとりにさして支障はなかった。
まあ、妻に「『りゅうおうのおしごと!』の最新刊を買ってきてくれ」と頼むのには、さすがに時間がかかったけど。(日常で使わない言葉はコミュニケーションが難しい)
その他にも、多くの問題があった。
想像してみてほしい。歩く、走る、ご飯を食べる、入浴する、といった日常的行為、そのひとつひとつが、他人の介助なしにできなくなってしまう、その不自由さを。
運動能力ももちろんだが、他人とのコミュニケーションがとれなくなったことが最大の痛手だった。
脳梗塞というものをよく知らない人にとってはよく分からないかもしれない。意味不明の言葉を一方的につぶやくだけの人を見て、知性が失われたと思うかもしれない。中にはそうした事例もあるのかもしれないが、だが僕が体験した事例に関する限り、そんなことは断じてない。
この病気の犠牲者は、他人の喋っている内容をすべて理解できるのだ。ただそれに対して正しく反応することができない。答えようにも、口から出るのは何の意味もない戯言なのだ。
たぶん人にとって脳の中の重要な回線だけが断線してるんだろう。
喋る言葉が無理ならネット上に流れるメッセージならどうか。僕も最初、そう思った。文章なら正しく読み取ってくれるのではないかと。
げんに僕の言語機能に異常は見られない。病院のデイルームに置いてある新聞や女性雑誌の記事、妻が買ってきてくれた『日経サイエンス』(僕は毎号読んでいる)の専門的なニュース記事なんかにしても、読み取るのに何の苦労もいらなかった。発音できないだけで。
妻に頼んで愛用のポメラ(キングジムの小型文章作成機械)を持ってきてもらった。いつも持ち歩き、喫茶店などで小説の下書きをするのに重宝しているマシンだ。さあ、これで言葉など喋らなくても関係ない。自由に大勢の人と話ができるぞ……。
などと考えていたら甘かった。
僕はポメラを自由に使いこなせると思いこんでいた。病気になる前はあんなに自由に使っていたじゃないか。何も変わりがあるはずはないと。
違っていた。大違いだった。
僕はポメラのキー配列を完全に忘れ去っていた。
「配列を」「忘れ去った」という言葉すら打てないのだ。
記憶喪失というのとは違う。僕はたとえば現住所は知っている。リハビリの人に「ヒントは、吹く……」と言われたら、「あっ、吹田市」と即座に答えられる。だから「吹田市」という地名を忘れたわけではない。だがノーヒントで「住所は」と訊ねられると答えられない。何て言ったっけ。喉元まで出てるのにと。
(今も思い出すまで一時間近くかかった)
脳の中の「住所」のファイルは無事なのだが、それにアクセスできないのだ。おそらく「吹田市」という単語は、普段、使ってはいるが発音はしていないので、文字としては認識してはいない。文字として認識していない言葉は、読めはするが書けないのだ。
住所だけではない。他にも知っているはずなのにアクセスできない情報は無数にあった。
たとえば僕は何年も前からから「アシオス」という会の熱心な会員である。超常現象を科学的かつ懐疑的なスタンスで研究している団体で、これまでに大震災に関する未来予知、超能力、UFO、未知動物などについての著書にかんする本をたくさん出している。(あいにく本物の現象はまだひとつもない)
その僕がなぜか「アシオス」という名称をど忘れしてしまった。
「何だっけ。確か名前の中にCとBという字が入ってるんだよなあ……」
と考え込んでしまう。
(ASIOSのスペルにはCもBも含まれていなかった)
その一件があって考えてしまった。
僕は自分の知識に絶対の自信があった。記憶の中に残っていることなら何でも、気軽に取り出せると。
そうではなかった。記憶していても思い出の中に強く残っていないものは取り出せないのだ。自分の暮らしてきた街の住所ですら。
僕の脳の中には膨大な情報が眠っている。今、書いている途中の小説のストーリー(中でも『BISビブリオバトル部』の第五弾『夢は光年のかなたに』は、第一話でストップして、編集さんにご迷惑をかけている)。書こうとしている話のプロット。書きたい話のアイデア……それらが山のようにしまいこまれている。
だがもうそれを他人に語ることはできない。小説に書くのはもちろん、構想を誰かに説明することさえ。
僕はこれまで小説にすべてを捧げてきた人間だ。話を考えることが何よりもうきうきする、その話をして誰かを楽しませるのがとびきり楽しい。
それができなくなった今、僕の人生に何の楽しみがあるのか。
僕は一時、自殺を真剣に考えた。
僕が小説家としての可能性を閉ざされたのなら、もう家族をささえる能力などない。入院にかかる費用を払わせ続けるより、いっそきっぱりと命を絶った方がいいのではないのか。
しかし。
僕にその決意をひるがえさせたのは、他ならぬその家族だった。
ポメラのキー配列は忘れても、妻や娘のことは忘れたことはない。
妻の真奈美。彼女の病気に関する態度は、きわめて冷静かつ論理的だった。夫がいきなりの病気で倒れたというのに、あわてふためく様子などかけらもなく、的確に入院の手続きを進め、必要な換えのパジャマや入浴時のバスタオルのセットなどを準備した。夫の生命保険をチェックして、寝たきりになった際の特約など調べ上げ、どれだけの額を使えるかを確認した。そして夫の資産を管理し、残り少ない金のなかから、マンションの管理費や娘の郵便貯金などを工面した。
ひるがえって、もし妻の身に何か起きた場合、僕にこんな冷静な行動が取れるだろうか。テンパってしまい、おろおろするばかりではないか。
そして娘の美月。最近は就職活動でいろいろといそがしい。
僕の血をひいてるらしく、頭がいい。おまけに心優しい。妻が看病に来れない日は、大学のゼミが終わるとすぐに病室に駆けつける。そしてゼミでどんな課題が出たかや、よく見に行ってる遊園地の戦隊ショーの話をする(娘はアクション・ショーに出演している無名のアクターさんたちの大フアンなのだ)。とても楽しそうに生き生きと。
2人とも僕が再起不能になり収入が途絶えたらどうしようかと不安に怯えたはずである。でも、僕の前ではそんな不安など微塵も見せず、明るく振る舞った。
「どんな辛さも悲しさも、笑って乗り越える」
それが山本家のポリシーだから。
だから僕は、絶望するのをやめた。僕の再起を信じて待っていてくれる妻と娘のために、少しでも書く力を復活させなくてはと、信じて書き続けることにした。
(あなたがここまで読んできたこの文章にしても、入院して二ヶ月ぐらい経っていくらか回復してきた時期に、病室のポメラを用い、一時間に数十行というペースで書いてきたものだ)
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