終着/祝着
「なぁダーリン」
「どうしたマイハニー」
「やっぱ似合わねえなお前の台詞」
隣でかはは、と笑う彼女は髪をかき上げて、助手席から身を乗り出した。すらっと伸びた四肢に、整った顔立ち。座席に突っかえそうな脚を組み、サングラスをかけている。腰まである髪を無造作に下ろしているが、それでも絵になってしまうのがずるい。
「こうさぁ、パァーっと遊びに行きたくないか? カジノとかでアホみてぇな額を無駄遣いして」
彼女は乗り出した身をぴっちり僕の横に密着させ、耳元で囁く。僕は頷き、前方に見える看板を指差す。
「なになに? この道をもう数百キロ進むとラスベガスに着くぅ? 遠くね?」
「運が良ければ日付が変わる頃には着くだろうな」
「わぁつれない」
「運転代われよ」
「えーあたしが運転するとお前いつも文句言うじゃん」
それはアンタの運転が人を殺せるレベルで荒いからだ、と釘を刺す。
ニューヨークの金融街で銀行強盗をして、ついでに盗んだフェラーリで逃走している。
あたしがちゃっちゃと強盗してくるからあんたはそこのフェラーリに乗って待ってな、と他人の鍵の掛かったフェラーリを指差され。言われるがまま鍵をこじ開け、フェラーリを運転して彼女の押し入ったビルに向かうと、いきなりガラスが割れる音がした。
「遅かったなダーリン! 待ったぞ」
彼女はビルの五階から、フェラーリの助手席めがけて飛び降りてきた。
「舞ったぞ、の間違いじゃないのか?」彼女が着地するであろうポイントまで慌てて車を発進する。
そして予想通り、彼女は華麗に助手席のシートに舞い降りた。だからわざわざオープンカー仕様のフェラーリを選んだのか、と今更ながら納得した。
たっぷり札束の入ったボストンバッグを携え、彼女が満面の笑みで告げる。
「ほら、逃げるよ」
白昼堂々行われた銀行強盗。警察が見逃すはずもなく、地獄のようなカーチェイスが始まったのは言うまでもない。ちなみに途中で僕は彼女にハンドルを奪われ、その常軌を逸したドラテクに振り回され、思考を放棄した。彼女は警察を撒き、僕の意識をも撒いていった。
天才は理解しようとしてはいけない。凡人に出来るのはただ、受容に努めることくらいである。
世界の終わりだというのに、空は憎らしいほど晴れ渡っていて、オープンカーから眺める景色はこの上ない開放感に溢れていた。視界を遮る都会のビル街は影も形もなく、空と地面の境界がくっきり見渡せる。灼け付くような日差しの下、余計なものを一切排した赤茶色の大地に、真っ直ぐに伸びる無骨なアスファルトの道路。それでも、飽きるものは飽きるのだと、今、知った。どこまで進んでも、ずっと同じ景色が続いている。世界の果てなんて、一生辿り着けないのではないか、と錯覚してしまうほどに。勝気な笑みを貼り付けて、逃亡者を気取るのも時間の限界だ。最初はあんなに口うるさく騒いでいた彼女も、すっかり大人しくなって、外を眺めている――――いや、サングラスをかけているので、もしかしたら寝ているのかもしれない。
彼女が黙っているのをいいことに、僕はカーステレオの電源を入れた。適当にプレイリストを漁り、音楽をかける。流れてきたのはベートーヴェンの第九。この車の持ち主のセンスが窺える。このフェラーリの持ち主の交通の足を奪ってしまったことは申し訳ないが、こんな車を所有出来るような人がタクシー代に困ることはないだろう。
僕はボリュームのつまみを目一杯回し、ひび割れた歓びの歌を大音量で流す。寝ているかもしれない彼女を起こしてしまうのではないか、という懸念には見て見ぬ振りを決め込んだ。運転してるんだからこれくらい許してくれてもいいだろう。これを盗む時も、彼女はお洒落な方がいいと言って、最新型ではなくわざわざ年代物のフェラーリを指定したのだ。お蔭でスピーカーからの音はひび割れるし、燃費もあまりよろしくない。
「――――そういえば昔、映画を観たことがあってね」
都会の交差点で流したら確実に四方からクラクションを鳴らされるような大音量で歓びを歌っていると、彼女が語り出した。
「珍しいな、アンタが過去を語るとは」
僕は彼女の話を聞くために、音量を下げる。悔しいが、こういうところが、彼女は自分よりも何枚も上手だと思う。
「女は少しミステリアスな方がいいだろう?」
彼女はオープンカーの窓縁に長い脚を乗せ、優雅にクロスしてみせる。艶めかしさの中に、どこか、野性的な風格を漂わせていた。
「――――自分で言わなきゃもっと格好良いんだけどな」
僕がボソッと呟くと、彼女はサングラスを少し傾け、その隙間から挑発的な視線をこちらに寄越した。
「何か言ったか?」
何でもないさ、と僕は彼女に続きを促した。
「よくある恋愛物さ。身分違いの恋、周囲の障壁、そしてなお燃え上がる二人の愛の炎。簡単に言ってしまえば、亡命を図る若い男女が、車で国境を目指しながら、警察から逃避行する話だ。家を捨て、名前を捨て。身一つで、互いだけを信じて進む二人だった。だが、もうすぐ国境に差し掛かろう、というところで、警察に見つかってしまう。この後二人はどうしたと思う? 投降しろ、という警告を背に、国境の橋のガードレールを車で突き破り、永遠の愛を誓いながら底に落ちていったのさ」
彼女は忌々しそうに首を振る。
「――――とんだ駄作だったよ」
フン、と鼻を鳴らし、吐き捨てる彼女。
「それからだ、あたしが映画を観なくなったのは。あんな映画より、あたし達の方がよっぽど映画みたいな生き様を見せつけてやれるってのに」
「全くだ。だが相棒、ここには僕たちを追ってくる警察はいないぜ? それに、銀行から盗んできた大金もある」
「言うねぇ、共犯者」
彼女がニッと笑った。
赤く、紅く、朱く。天と地が燃えている。その境を、さらに真っ赤なフェラーリが唸りを上げて切り裂いていく。
「――――あぁ、でも、強いて言うなら、僕たちは星の終わりに追われてるとでも言うんだろうな」
「そいつは傑作だ」
彼女は笑い飛ばしながら、懐から煙草を取り出す。一本は彼女自身の口に、もう一本はハンドルを握る僕の口に。彼女はライターで煙草の先に火を点け、僕の方を向いた。
「お前もこっち向け」
と彼女に促され、言われるがまま、僕も煙草を咥えたまま彼女の方を向く。目の前で、彼女の煙草から、自分の煙草に火が移されていく。
「――――乾杯、だっけ。お前の国ではそう言うんだろ?」
「これはグラスじゃないけどな、大体合ってるよ」
「そんなのは瑣末な違いさ」
全く。僕はハンドルを握りながら零す。
「アンタのせいで人生めちゃくちゃだよ」
「でも楽しかったろ?」
「あぁ。実に愉快だったとも」
「あたしもだ」
彼女はサングラスを外し、外の眩い赤に目を細める。不自然に紅い空はぞっとするほど醜悪で、禍々しいほど美しかった。
「それじゃ改めて、世界の終わりに」
「そしてあたしたちの旅に」
乾杯。
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Cheers to the end of the world 音菊 @otokiku
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