「不自由なユートピア」

『ユリカ, 今期のリサーチは進んでいるかい? 確認だけど, テーマは自由, wordで20ページを目安に書いてくれ. 締め切りはまだ先だけど, サンクスギビングまでには一度進捗を報告してほしい』


教授からのメールを眺めて、私はかれこれ10分ほどしかめっ面をしている。


「全く進んでないんだよなぁ」


大学生はおおよそ毎学期、リサーチペーパーと呼ばれるレポートのような論文のようなものを書き上げて提出しなければならない。それ自体は慣れっこなのだが、問題は別にある。


「テーマ......それさえ決まれば筆も乗りそうなんだけど......」


『自由に書いていいよ!』というのが実は一番難しい。世の中のいろんなものは、ある制限の中でいかに最大の成果をもたらすかで構成されている。一方、何かを生み出すならば、自分の中の無からアイデアを引っ張り出してこなければいけないのだ。


思うに、人というのは自由でありたいと思うと同時に、何かしらの目的を必要として生きている。何にも縛られたくないのに、何かの目標に向かって進みたいと思っている。これはちょっとした矛盾だ。


他人から独立して、自分の思うままにできるのが自由であるとすればいいのだろうけど、なんの必要性もなく自由に生きるというのは、ただ踊っているのと変わらない。


「私はきっと何かに制限されていないといけない人間なんだ」


芸術というのはその制限によって創造性を高める。絵画はキャンバスの中で表現しなければいけないからこそ色々な技法が生まれるのであり、アニメも漫画も音楽も、それぞれの媒体が持つ不自由性が故に、独特の表現の色を持つ。仮に完全に媒体から自由な作品があるとすれば、それはもはやただの自然の中の何かであり、悲しいかなそれもまた物理現象のキャンバスに制限された作品である。


きっと私たちは何かの枠の中でいかに自由に生きるのかということに終始している。地に足をつけない生き方は、自由ではなく、全てに判断の責任を負わなければいけない生き方なのだ。


Appleの創始者たる二人のスティーブにまつわるこんな逸話がある。

ジョブズはコンピュータの拡張性を少なくし、ユーザーの判断のストレスを極限まで減らそうとした。かたやウォズニアックは拡張ポートをたくさん取り付け、ユーザーの不自由性を軽減させようとしたという。


これはどちらが正解という話ではない。事実としてApple製品は拡張性が低いのだが、その枠の中でいかに使いやすいかということに重点を置いている。それは功を奏し、より一般に普及させることを可能にした。


一方、それをディストピア的であるとする人もいる。ジョージ・オーウェルの1984年を広告の題材にしたAppleにとっては皮肉もいいところだ。


上位の何かに制限され自由を失うのがディストピアだとすれば、確かにApple製品は小さなディストピアだと言えるだろう。だが民衆はその制限を望んでいる。別に拡張性などいらないから、使いやすくしてくれればいいと思っている人が相当数いるのだ。これは本当にディストピアだろうか?


思うに、判断を委ねることと支配されることは必ずしも同義ではない。委ねる側の自由意志に基づいて与えられる権利は、正当なものだ。かつて人類の自然状態を闘争状態と定義した哲学者がいる。ある一定の自由のためには、それをまとめる大きな力が必要なのだ。


それならばきっと、自由というのは「何かに制限されない」ということではなく、不自由というのも「支配されている」ことではない。「より制限された状態」と「あまり制限されない状態」の間で、最も私たちが心地よく感じられる「程よい制限」の空間が自由なのだ。とっても利己的である。


よく考えてみれば、リサーチペーパーのテーマは自由だが、「西洋芸術史」の授業なのだから西洋芸術がテーマでいいのだ。その中で好きなものについて書けばいい。彫刻とか、水彩画とか、「西洋芸術史」の中で全てが正解なのだ。


余計なことを考えていたらお腹が空いてしまった。冷蔵庫には何があったかな?


「残り物をいかに調理するかが一人暮らしの醍醐味なのだよ、ワトソン君」

ワトソンなんていないけれど、独り言にも二人称が欲しい時がある。


不自由性はゲーム性だ、存分に楽むとしよう。








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哲学少女 ユリカ TT @AstroT

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