格ゲーとウユニ塩湖と神様と

第1話

「格ゲームッズ。むずいむずい。もうかれこれ2周間練習してるけどこのキャラ全然対戦出来る気がしないっスよ」

 朝子は部屋で呟いていた。時刻は深夜。ボロアパートの電気の消えた一室で朝子は画面を眺めてパッドをひたすらガチャガチャしていた。やっているのは格ゲーだ。朝子はひたすらトレーニングモードでコンボの練習をしているのだった。

「締めの技出ないっスよこんなの。指つりますよこんなの。ええ、本当にみんなこんなのやってんスか? なんで出せるんスか? どれだけ練習してるんスか? みんな仕事終わってからずーっと練習してるんじゃないスか? 愛すごすぎでしょ」

 朝子はそう言いながらボタンを押しまくっている。もう練習を始めてから日にちが経っている。朝子はイライラがつのり一人なのにずーっとぶつぶつ言っているのだった。

「ねぇ、そう思うでしょ田中さん。むずいですよ。人間に出来るもんなんですかこんなの」

 そう言って朝子が話しかけたのはペットの金魚『田中さん』だった。田中さんはもう寝ているようでなんの反応も示さない。朝子は心が傷つくと田中さんに話しかけ癒やしを得るのだった。

「駄目だ。今日も出来ない。チクショウ、明日から2連休だから徹夜して練習するつもりだったのにもうモチベーションが最下層ッスわ。チクショウ」

 朝子はパッドを投げ出し床に仰向けに寝転んだ。薄闇の中に天井の木目が見えた。朝子はこのまま寝てしまおうかと目を閉じる。その時だった。カチャリと音がしたのだ。何かがはまるようなずれるような音だった。

 朝子は訝しげに目を開ける。しかし、そこで目に映ったのは自分の部屋ではなかった。どこまでも続く水平線。澄み渡った青空。そして水面はそれを鏡のように写しどこまでが空でどこまでが水面なのか分からない。神々しい、一言で言えばそういう景色だった。

「ウユニ塩湖かよ....」

 状況が把握出来ず混乱しながらも朝子は呟いた。

「一体何が、何が起きたんスか田中さん」

 傍らには一緒に来た田中さんが入った金魚鉢があった。田中さんは突然の日差しに目を覚ましたようでパクパクと口を動かしている。

 朝子は頬をつねってみる。しかし、痛みがあり夢ではなさそうだった。

「こりゃ一体」

 戸惑う朝子、その傍らに誰かが立っていた。

「こんにちは、戸惑っているようだね」

 それは男だった。整ったタキシードを身にまとい、シルクハットを目深に被り、背中からは9枚の天使の羽が生え、その頭上には光輪が輝いていた。腰からは獣の尾が生え、シルクハットからは獣の耳が突き出していた。そして顔はペストマスクが覆っていた。

「だいぶ盛ってるッスねぇ....。そして耳が4つあるタイプ....」

 朝子は呟いた。

「まず自己紹介をしよう。僕はゼキエル。獣人であり、天使であり、そして神だ」

「な、なるほどなぁ」

「君をここに呼び出したのは君が『選ばれた』からなんだよ」

「え...『選ばれた』...」

 朝子は脳内でかぎ括弧を付けた。

「君は全人類の中から『願い』を叶える権利を得たんだ。君はなんにでもなれるし、なんだって出来る。そういう風に決まったんだ」

「な、なるほどなぁ」

 朝子はさっぱり現状が把握できなかった。なにがなにやらだ。横を見れば田中さんが口をパクパクさせながら金魚鉢の中を動き回っていた。ゼキエルの羽が大きいので警戒しているようだ。

「まだ戸惑っているんだね。無理も無いよ」

「そ、そうッスねぇ。正直な所なにがなにやらさっぱりで。全然分からないッス。とりあえずここはどこなんですか」

「ここは『神の座』『約束の地』『向こう側』、いろんな呼び名があるけれど僕はこう呼んでいる『或る所』とね。その方が装飾に満ちた言葉を使うよりもずっと真に迫っている」

「ははぁ」

 朝子はこの場所についてそれ以上聞くのを止めた。ウユニ塩湖なのだ。神がいるのにふさわしい場所なのだろう。

「な、なんで私なんですか。他にもっとちゃんとした人が居ると思うんすけど。私なんて安月給の工場で働くしがない職工ッスよ」

「『抽選』で決まったんだよ。それが君の『運命』だったんだろうね」

「『抽選』で....」

 朝子は脳内でかぎ括弧を付けた。

 とりあえず朝子は現状を整理してみる。自分は訳の分からないウユニ塩湖に飛ばされて、それをしたのは目の前の設定を盛った変な男で、そして自分は願いを叶えられる。朝子は疑問に思う。

「ほ、本当になんでも願いを叶えられるんスか? 変な話っすよ。なんのリスクもないんですか」

「ああ、リスクはないよ。だって僕は形式上とはいえ『神』だからね。僕の思うままなんだ」

「そんな話本当にあるんスか? おかしいっスよ。見返りは求めません。あなたにあるのはメリットだけです、なんて詐欺の常套句じゃないッスか。ていうかそもそもアンタ本当に神様なんスか?」

「つまり、僕を信用できないってことかい?」

「まぁ、有り体に言えばそうッス」

「フフ。君、面白いね」

 男は笑った。

「な、何が...」

「そうだね、君の言う通りかもしれないよ。確かにいきなりこんな話をされてもすぐには信用できない、か....」

「は、はい」

「なら、君の欲しいものを今目の前に『現して』あげるよ。僕が本当に『神』であると分かれば信用してもらえるだろう」

「ど、どうッスかねぇ。分からないッスけど」

 朝子の言葉が聞こえていないかのように男は目の前に手をかざした。すると男の手が光る。眩い光で朝子は手でそれを遮った。田中さんも驚いて金魚鉢の中で跳ねた。そして、少しして光が弱まる。朝子は手を外してそこにあるものを見た。

「ああ! これは! 欲しかったデスクトップPC!」

 そこに現れたのはデスクトップPCとモニター2つだった。

「す、すげぇ! ちゃんと頭の中に思い描いてたスペックになってるッス! モニターも! 起動して確かめても良いッスか!」

「良いとも。点けてみなよ」

 朝子は有頂天だった。だが、電源はどうするのかと朝子が思うと男はコンセントを握った。どうやら電流を発生させているらしい。朝子は神ならもっとなんかすごい方法で電気を作ったりしないのかと思ったがとりあえずPCを起動した。

「起動が早い」

 朝子のパソコンはもう寿命で起動が実に遅いのだった。そして朝子はスペックを確かめる。まさしく朝子の希望通りだった。

「どうだい。僕が神だと信じてもらえるかな」

「ははぁ。ええと、アンタの力が本物なのは分かったッス。でも、それで信用するっていうのも...」

「まだ、ダメかい? 君は本当に面白いね。『選ばれた』人間が君で僕は本当に嬉しく思う」

「は、はぁ」

 ここまで会話したが朝子は男のペースを全然掴めなかった。男は「フフフ」などと笑っている。

「仕方がないね。なら、こうしよう。君の願いをまず叶える。そして君はリスクを感じたらすぐにその願いを無かったことに出来るようにするよ」

 そう言って男はスイッチを出した。何かの刻印が刻まれている。

「な、なんスかそれ」

「これは『時間』をここまで逆戻しにするスイッチだ。試しに押してみよう」

 そう言って男が押すと景色がぐるりと回った。男と朝子と田中さん以外の景色が逆再生のようにうねっている。そして目の前のパソコンが消滅した。

「ああ! PCが!」

「心配しなくてもまた出してあげるよ。さぁ、これで僕を信用してもらえるだろう」

 そう言って男は朝子にスイッチを渡した。確かにこれでなにか危険を感じればいつでもここからやり直せるわけだ。

「わ、分かったッス。時間の逆行とか出来るやつは大抵最強クラスの強キャラッス。とにかくアンタが少なくとも神に近い存在であることは信用するッス」

「その言葉はあながち間違ってはいないよ。僕は『神』そのものではなく形式的に『神』の名を与えられているに過ぎないからね」

「う、うす」

 朝子はだんだん男の台詞回しがうっとうしくなってきたが努めて表に出さなかった。横では田中さんが状況を知ってか知らずか口をパクパクさせていた。

「それで、私の願いを聞いてくれるんスね」

「ああ、始めに言ったとおりさ。そのために君をここに呼んだんだからね」

「本当の本当なんスね」

「ああ、本当の本当だとも」

 朝子は相変わらずよく分からなかったがこれはチャンスだと思った。神様に願いを叶えてもらえるのだ。それもどんな願いでもだ。おとぎ話の中にしか存在しないような好機が今まさに朝子に訪れているのだ。朝子は徐々にテンションが上がってきた。

「それでは聞こう。君の願いはなんだい?」

「え、ええと」

「すぐに思いつかないようなら時間をあげるよ?」

「い、いえ。もう決まってるッス」

「そうかい。それは良かった。では、聞こうか」

「ええと」

 朝子は一瞬悩んだが大体もう今願うこうとなど決まっていた。

「あのですね。私の格ゲーの腕前をすぐに上級者並に上げて欲しいッス」

「・・・・・・」

 その願いを聞くと男は押し黙った。

「ああ、もっと良い願いがあったんじゃないかってことッスか。いや、でもやっぱり私小市民で。身の丈に合わない願い事が叶ってもあんまりろくなことにならない気がして」

「・・・・・・」

「でも、上級者になりたいのは本当なんスよ。今使ってるキャラも好きで思う通りに動かせたらきっとすごく楽しいんスよ。動画とかで見る強い人達と戦えたら楽しいと思うし。なんだかんだやっぱり格ゲーが好きなんスよねぇ」

「・・・・・・」

「だから、この願いを叶えて欲しいんスよ」

「そうか、君は格ゲーをしているんだね」

 そこでようやく男は口を開いた。どこか苦々しい口調だった。

「え? なんか問題ありましたか」

「残念だよ。もう、この話はおしまいだ」

「ええ!? なぜッスか!??」

「本当に残念だよ。君が格ゲーをやっていたなんて。他のあらゆる願いは叶う。でも、格ゲープレイヤーの願いだけは叶えられないんだ」

「なぜ!!!??? なんスかそれは!!???」

「『機関』の決まりだから仕方がないんだ。だから、ここまでだよ」

「ちょ、ちょっと待つッスよ! 人のこと呼び立てといて、訳のわからないことベラベラしゃべって挙げ句無かったことにって勝手すぎるッスよ!! なんでも叶えるって言ったじゃないッスか!! 最後にはウキウキだったんスよ私!!!」

「無理なんだよどうしても。格ゲープレイヤーの願いだけはね」

「なんじゃそりゃあ!!」

 そうして男は朝子の額に手を当てた。

「君の記憶は消させてもらうよ。まさか、君が格ゲープレイヤーだとは思わなかった。残念だよ」

「どうしてだぁ!!! 格ゲーになんの恨みがあるんスかぁ!!!」

「最後に一言言えるとすれば。『自分の努力の伴ないわない強さなんて虚しいだけ』ってことかな。それじゃあ、さようなら」

「なぜだぁあああああああ!!!! あんたに何があったんだぁああ!!」

 そうして、朝子は光に包まれた。



「んん」

 朝子は目を覚ました。場所はボロアパートの一室。時刻は深夜で部屋の明かりは点いていない。朝子はその部屋で仰向けに寝転がっていた。

「寝てたッスか」

 朝子は起き上がった。その目の前の画面には寝る前と同じように格ゲーの画面が映っていた。

「はぁ。あれ、珍しいッスね田中さんがこんな時間に起きてるなんて」

 見れば金魚鉢の中で金魚の『田中さん』がくるくると泳ぎ回っていた。

「はぁ、練習するか」

 朝子はメニューを消して再びトレーニングモードを始めた。今までやっていた通りのコンボを練習する。と、

「お、おろ。出た! 出たッスよ技が! やったぁ! 一眠りして頭のスイッチが切り替わったみたいッスねぇ! よっしゃあ!」

 朝子は2周間目にしてようやくコンボを完走させる事ができた。これをしっかり身につければ対戦も出来そうだ。朝子はそうしてトレーニングモードを続けた。横では田中さんが口をパクパクさせていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

格ゲーとウユニ塩湖と神様と @kamome008

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ