5章

【5章 後編】

 去年の六月十九日から数えて、トータルで百六十三回。文字通り八千百五十時間を駆け抜けた――。


 そして――――けっして忘れてはいけない。ついに、この日まで辿り着くことができた。


「……やっとここまで」


 部室では四人が揃って、あの日の議論で盛り上がっていた。二ヶ月ほど前まで中学生だったマリアも、すでに高校に入学して一年生になっている。


 五月二十九日。


 この日、シュウ達に時間移動のテーマで議論しなければ――。


 誰もばかげた時間移動になど興味を持たなかったかもしれない。

 マリアは原子時計の実験を持ち出さなかったかもしれない。

 みんなでスカイツリーに実験しに行くこともなかったかもしれない。

 私は原子時計の秘密になんの疑問も感じなかったかもしれない。


 全ては、こんなあやまった事態など起こらなかったに違いない。


 しかし、過去は改変できない。

 それはこれまでの経験で徹底的に思い知らされた。

 世界によって決定づけられた普遍の原理原則ルールだった。


「もうちょっとで十九時、議論ももうすぐおわるはずね……」


 次の時間移動で、うまくいけば私の実体を取り戻せる可能性もある。それはやってみないことにはわからない……。

 それでも絶望的だった状況から、無事に元の世界に戻れるだけでもよかったと思わざるを得ない。


 十九時を過ぎて、四人は帰り仕度を済ませると、揃って部室を出て行った。

 次にシュウは部室の明かりを消す。このタイミングだ――。


「気付いて!」


 シュウにとっても、次でかれこれ百六十七回目の試みだ。このころになるとシュウの反応もかなりよくなったように思える。


 今回もしっかり結晶は作用して、空間はフリーズされた。

 まばゆい光が空間を覆って、意識を時間の先へと吹き飛ばす……。





 …………。


 定めの時、意を決して瞼を開く……。


 蛍光灯の灯された明るい部室の現場。


 部屋の中には私しかない。


 机の上はあの事件のときのまま……。私の鞄とバッグそれに無造作に置かれたケータイや分解された原子時計と、あのとき使用した工具が放置された状態になっている。


 掛け時計の針は二十一時十分を示している。

 計算どおりきっちり五十時間を進めていた。


「戻れたんだ……」


 ケータイの画面には数件のメールと着信履歴が表示されている。

 その内容を確認しようとケータイに手を伸ばす。


 …………!


 覚悟はしていたものの、ケータイを拾い上げることは不可能だった。


 ささやかな希望も絶たれことを知りながら、窓ガラスに目をやると、やはり私の姿はそこに映ってはいなかった。


「サイアク、甘かったわ……」


 事件後まで時間を戻って来ても、体は実体を取り戻すことなど叶わなかった。


 ここまでで腕時計の針は合わせて十回転した。


 過去に滞在した時間は、百二十時間と最初に経過した四十八時間。元の世界ではここから更に計算になる。


「現場にあたしの体が残ってないってことは」


 意識不明や息を引き取ってしまったのではなく、この世界から現実的に消失してしまっていることを意味している。


 これで、少なくとも死体として発見されて処理されてしまうことや、病院などで生命維持されるという可能性は完全にゼロになった。


 肩を落として、二時間ほど前までは『私』が座っていたイスに、力なく腰を下ろした……。


「ここからどうすればいいのよ……」


 しかし、そう落ち込んでばかりもいられない。

 これからこの現場で何が起こるのか、しっかりとこの目で確認する必要がある。


 それから机の上のケータイに何回か電話がかかってくる。


 画面に表示される相手は、由那とシュウのふたりの名前だった。

 音信不通になった私を心配して幾度も着信音は鳴らされた。けれど、私が電話を取ることはけっしてできはしない。


「ゴメン。みんな……」


 このあとのことを予想するなら、もうじきふたりはきっとここに現れる。

 学校の近くまで捜しに来たふたりは部室に明かりが点いているのを見て、中で何か起こったと察するはずだからだ。


 とっくに学校は締め切られている時間。

 だが、いつもは落ち着いた行動を執るシュウでも、こういうときはどんな手段を使ってでも校内に入ろうとしてしまうだろう。


 校舎に残っている人間は数えるほどいるかもわからない。静かすぎる空気が張り詰める……。


 そして、二十二時を過ぎたあたり、廊下の奥から人の気配が近づいてくるのがわかった。


「未那!」


 名前を呼ぶ声と同時に部室の扉はけたたましく開けられると、やっぱり駆けつけたのはシュウと由那。まだマリアにまで情報がいっていないのかその姿はない。


 勿論、そのふたりにはここにいる私の姿は見えているはずもなかった。


「いないね……どこにいったの……」


 由那は、いまにも泣き出してしまいそうな声でつぶやく。


「荷物があるってことは、あれから部室に戻ってきたのは間違いない」

「お姉ちゃんのケータイもある。それに……」


 机の上に不自然なかたちで置かれていた原子時計にも気付いたようだ。


「これってあの原子時計だよな、何で開けてあるんだろ?」


 シュウはそれを拾い上げて観察する。


「わからない……。連絡取れなくなったのと、関係があるのかな……?」

「何か中身の部品が足りないみたいだけど、それっぽいものもここには見当らない」


 さすがシュウはすぐに事件の核心に着目していた。しばらく部室内で手掛かりを探していたけれども、それ以上は見つからなかった。


「未那が持ってるのかな?」

「それでも……、ケータイを置いてくなんて……。普通じゃないよね?」


 現場の遺留品から、私に問題が起こったことはふたりにも容易に想像できただろう。


「由那、もう遅い時間だから未那の荷物を持って帰ったほうがいい。僕はもっとこの辺りを捜してみる。見つかったら必ず連絡するから」

「シュウちゃん、でも……」


 気遣って由那をさとそうとする。


「それに、その未那の持ち物に何か手掛かりが残されてる気がするし、由那にはそれをよく調べてほしいんだ」

「え……!? うん、わかった。シュウちゃんも無理したらダメだよ……」


 いろいろと置きっぱなしの机の上を鞄の中へ片付けると、由那は私の荷物を持って部室から出て行った。


 ここからは、私は残ったシュウに付いて行くことに決めた。


 それからというものシュウは、校内の鍵のかかっていない部屋を、ひとつずつ手当たり次第探し回った。そして、校舎をひと通り探し終えて、それでも居ないとわかると、職員室に残っていた教師にひと声かけて学校を出た。


 そのあとも、街のほうや私の行きそうなアテを思い出しては、そこかしこと駆けずり回った。

 どこにも手掛かりなんてあるはずもなかったが、それでもシュウは懸命に、ひと晩中私を捜索し続けた。


 疲労を感じない私の異常な体とは訳が違う。


 陽が昇りかけて空がしらみ始めるようになった時分に、疲弊しきってようやくシュウは帰宅した。

 自分の部屋に戻ったシュウはベッドのうえに崩れ落ちた。


「ごめんね、シュウ……。こんなになるまで散々心配かけて」


  突っ伏したシュウは力を振り絞って仰向けに体勢を変えると、ただ呆然と天井を眺めている。 


 私はそのベットの横に近寄って屈みこんだ。


「時間移動なんて、やっちゃいけなかったんだよ……」


 くたくたになって、目を閉じてしまったシュウの耳元でささやく。


「もう、あたしには会えないかもしれないよ。シュウ……」


 現実は、一週間進んでいる。この先の時間に進んでも、元に戻れる確証なんてこれっぽっちもありはしない。


「さようなら……」


 シュウの頬に手を添えて、目を瞑りながら……。

 そっと、別れの口づけをかわした。


 あのときのような柔らかさは感じられない。でも、息遣いがはっきりと伝わってくる。


 …………。


「未那……」


 ――――!


 その声に目蓋を開けると……、シュウの瞳は私を見つめていた。

 咄嗟に唇を離し、驚きのあまり目はひと際大きく見開いてしまう。


「そこに居るんだろ? 未那……」


 …………絶句。


 だがしかし、その瞳には姿が映ってはいなかった。

 シュウの視線はその先のくうで留まっている。


 こんなに傍にいるのに、まったく別の世界にいるのだ。

 私の存在はこの世界から隔離されている。孤独で深淵の中にあるというのに。


「返事はできないだろうけど、たぶん聞こえてると思うから聞いてほしい」


 いま私は、確かにシュウに認知されている……。


「原因はよくわからないけど、時間移動しちまったんだろ?」


 もう誰にも覚られることのない存在の私に気付くことができている……。

 抑えきれない涙があふれて頬を伝う……。


「未那は昔っから、変わっていたからな。いつかこういうときがきてもおかしくないって思ってたよ」


 シュウはいつも私を否定しない……。


「幽霊理論だよな? 過去に時間移動はできた。けど、思うような結果にはならなかった? そんなところだろ」


 シュウはいつも私を理解する……。


「ここ一年ぐらい、時々近くで感じてたのは未那だったんだろ?」


 百六十回を超える時間跳躍は無駄じゃなかった。


「それでも、どうにかしてこの時間までは戻ってこれたんだな?」


 涙が止めどなく溢こぼれ落ちる。


「助けて……シュウ……」


 この声もシュウの耳には届いてはいなかったはずだ。けれど――。


「待ってろ、僕が必ず助ける。絶対に見つけて元の未那を連れ戻す!」



 子供の頃からそうだった……。みんなでかくれんぼして遊んだときでも、私はいつも難しい所にばっかり隠れて、みんなは諦めて帰ってしまうときも、最後はシュウが必ず私を見つけてくれた。


「だから、三日間だけ我慢して。それまでに僕が帰れる方法を突き止める」


 シュウはこれまで私達との約束を破ったことはない。


「調べた方法は、僕のその机の上に紙に書いて教えるから」


 シュウに任せておけば問題無い。


「それを信じて行動するんだ」


「うん……。ありがとう。シュウ……」


 私は心から安心してポケットの中の結晶を握り締めた。

 それとともに空間は衝撃をつくって終息した――。

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【幼馴染の過去改変はハッピーエンドで終われるか!?】 久久泉 @kukuizumi

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