第345話


 ファルエラは、何故フュリーシアに負けると分かっていて戦を仕掛けるのか。


 カイリの質問に、場の空気が静まり返った。ぴりっと、肌が焼ける様な切れる鋭さも走る。

 素朴な疑問だったが、もしかして彼らにとっては違ったのだろうか。

 フランツの方を仰ぎたかったが、不安や動揺を悟られたくはない。故に、背筋を伸ばしたままゆったりと全体を見渡す。

 ケントは視線をやや斜めに落として、どことなく頬を緩ませていた。レミリアは少々驚いた様に、パスカルは興味深げな視線を隠すことなく向けてきている。

 オリヴァルドは特に表情を変えなかったが、何となく意識を向けてきているのだけは伝わってきた。アーロンとエメラドールは完全に各々らしい表情で沈黙を保っている。

 不自然なほどの沈黙が数秒ほど続いた後、ゼクトールが代表して厳かに言い放った。


「……。うむ。それについては、いくつか推測はあるのである」

「そうなんですか?」

「だが、不確定故、入った情報なども枢機卿陣で止めているのである。すまぬが、カイリ殿の質問には答えられない」


 かなり繊細な部分に踏み入ったのだとそれだけで理解出来た。カイリとしては素朴な疑問だったが、事はかなり重大な案件なのかもしれないし、みんな薄々感付いていたことなのだろう。

 ファルエラと言えば、国の裏に何かいるとネイサンからも聞かされている。潔癖なまでの聖歌至上主義という話であり、聖歌騎士以外の者が極端に出世することすら許さないと。

 カイリは聖歌騎士でありながら、何故かファルエラのどこかの派閥に命を狙われている。

 色んな要素が絡み合っていて、まだまだ暗闇の中を手探りする様な不安しかない。

 けれど。


 ――戦争の件も、世界の謎と何か関わっているのかな。


 第一位団長のケントにさえ下ろしていない情報ということは、それだけ機密要素が高いということに他ならない。むしろ、そう教えてくれただけ御の字だ。後で、フランツ達と話し合ってみる価値があるかもしれない。


「分かりました。……無理を言ってすみません」

「大丈夫なのである。……何故、ここが会議室なのか……」

「は?」

「何でもないのである。ただ頭を撫でたいだけである」


 堂々と言うことじゃない。


 厳しい表情のままとんでもないことを言い放つゼクトールに、カイリは目と口を棒にした。隣のケントは頭を抱えて呆れ、反対隣りのフランツはぐぬぬっと拳を握り締めて歯ぎしりをしている。ここは本当に会議室なのだろうか。

 だが、一応すぐに空気は戻った。ゼクトールはとんでもないことを言い放ったままの厳しい表情で、話題を軌道修正する。



「では、取り敢えず今回の議題は、戦を回避する方向での策のみに焦点を絞るのである。ファルエラを踏み潰す程度の圧力であるのが望ましい」



 言っている内容は正しいのだが、表現が過激だ。

 しかし、誰も突っ込まない。オリヴァルド一人が疲れた表情をしている。やはり一番の苦労人は彼かもしれない。


「ケント殿の内戦誘導は最終手段にするとして。何か代案はあるか」


 ゼクトールの促しに、オリヴァルドが苦々しく顔を歪めた。がりっと頭を掻いて、大きく嘆息する。


「……こういうのは、ケント殿の他にはパスカルとかの方が向いてるだろ。俺は、正直力技の方が得意だしな」

「えー。てか、オリクン、考えるのが面倒になっただけでしょ。ヒートしちゃったんだよねー♪ ケントドノにやり込められてー♪」

「ちっげえよ! てか、外交専門! 何かねえのかよ!」

「はいはーい。……でも、オレ、最近まで本気でブルエリガのことしか頭に無かったんだもーん。あんまりファルエラの事情知らないんだよー、ほんと。呪詛も何? って感じだし♪」

「……。……何でこいつ、ここにいるんだ?」


 全ての者達の代弁を、オリヴァルドが述べてくれた。本当に、何故ここに呼ばれたのだろうか。やはり、外交を司る騎士団の団長だからだろうか。カイリはこっそりと遠い目をした。

 だが、すぐに矛先を向けられぐっさり刺される。



「あ、じゃあじゃあっ。カイリクン! キミはどう?」

「へっ!?」



 いきなり水を向けられて、カイリは飛び上がらんばかりに声が裏返った。レインがぶはっと噴き出し、ケントも隣で腹を抱えて突っ伏す。正直、彼らの頭をテーブルに押し付けてやりたい。


「へ? じゃなくてさーあ。カイリクンなら、どうするー?」

「え? お、俺ですか?」

「そうそう。だって、呪詛の当事者だったんでしょー?」

「……その言い方だと、今回そこの新人が呪詛放った感じがすんな」

「あれ? 違うの? オリクン」

「違うわ! お前、いい加減にしろよ!?」

「あっははー、冗談冗談。……それでさ、カイリクン! ほら、オレ達こうして困ってるんだよねー♪ だから、良い案無い? 当事者だしー」


 無茶苦茶だ。


 ていよくあしらわれた気がするが、一瞬だけパスカルの眼差しが鋭く閃いた。オリヴァルドの方も目だけが刹那的に真顔になって、カイリは腹の底に力を入れる。

 この二人は、こんな風に茶化したやり取りばかりしているのに、息はぴったり合っている様だ。試されているとひしひし伝わってきて、カイリは喉に異物が挟まった様な緊張感を味わう。


 ――俺、全然外交とか知らないんだけどっ。


 それなのに、フランツは敢えて涼しい顔で沈黙を保っている。よほどのことが無い限り手助けはしてこない様だ。彼は、こういう時は手厳しい。

 だが、裏を返せば「好きにしろ」と信頼してくれている証拠だ。カイリは少しだけ考えて、慎重に口を開いた。


「……。つまり、戦にさせないで、取り敢えずファルエラに圧力をかければ良いんですよね?」

「そーそ。頭からごりごり踏み潰しちゃってねー♪」

「……。踏み潰すのはともかく……」

「ふんふん♪」


 どうすれば、ファルエラに畏怖を抱かせるほどに動揺させることが出来るか。

 カイリが暗殺しようとした張本人なら、どうだろうか。

 一番の恐怖は――。



「そうですね。……俺なら、俺をファルエラに送り込みます」

「……ふんふん?」



 パスカルの口元が面白そうに吊り上がった。

 他の者達は黙したままだ。本気でこの会議は色々な意味で心臓に悪い。


「それって、秘密裏にってことー?」

「違います。……新人だし、ちょっとおこがましいですが、公に正式な使者として送り込むんです」

「……、うんうん」


 パスカルの声が少しだけ低まった。先程までの浮ついた雰囲気が一気に鳴りをひそめる。

 牙が目の前まで迫った様な緊迫感に、カイリはあごを引いて続けた。


「出来れば、ファルエラが何か行動を起こす前に先手を打ちたいです。理由は何でも良い。親睦を深めたいでも、新たな貿易ルートを繋げたいでも、条約を見直したいでも。こちらから、今すぐにでもファルエラに、俺を含めた使節団を送り込みたい旨を伝えるんです。もちろん、ファルエラの隅々にまでその噂が広まる様に」

「へえー、……機密性を無くすってことカナー?」

「はい。相手の行動にある程度制限をかけるためには、国全体にフュリーシアの使節団が来るぞーって広めた方が、表立っては下手に動けなくなるんじゃないかと」

「うんうん♪ 人の目が嫌でも向くもんねー」

「はい。少なくとも、お忍びみたいに来たところを秘密裏に殺されて、とかは可能性が低くなる気がします。……あと、俺はメインでなくても、団体に入っていれば良いです。相手に、『全て分かっているぞ』と知らしめる役割になれればそれで良いと思います」


 暗殺しようとした対象者が、いきなり目の前に現れる。


 しかも、自分が暗殺者だと相手には完全に見抜かれていて、いつでも刃を向けられることが出来る様な状況で、だ。

 それは、相手にとっては、常に喉元に刃の切っ先を突き付けられているのと同じ。カイリなら、その抹殺しようとした対象が何食わぬ顔で――むしろ笑顔で握手をしようとしてくるならば、本気で恐怖を覚えるだろう。握手を求めてくる手にだって、何か仕込まれているかもしれない。そう考えるのが普通だ。

 その時、一刻も早く殺そうと仕掛けてくるか。それとも、土下座をする勢いで手を引くか。相手の出方もはかれるし、それによって、『ケントの最終手段』が実行されるかも決まるだろう。

 色々仕掛けるのならば、暗殺されかけた張本人であるカイリが、相手の懐に飛び込んで刃を向けるのが一番だ。


「……ふんふん。それで?」

「実際にファルエラに行くのは、……外交のやり方がよく分からないのであれですが、……出来れば、引き延ばせるだけ引き延ばしてみてはどうでしょうか。その、国境砦の件があるので、あまり引き延ばすとまずいと思いますけど」

「引き延ばすのー? どうして」

「考えられる可能性の一部を潰すんです。今回の呪詛の件で、相手は俺を何故か警戒し、出来れば死んで欲しいと思っていたんですよね?」

「……お前の口から、その話は聞きたくないがな」


 ぼそっと、隣でフランツが不満を零す。

 彼の不機嫌さが嬉しくて、カイリは頬を綻ばせたが、すぐに引き締めた。

 所詮は騎士になりたての浅知恵だと言われようと、意見を求められたのだ。最後まで話し通す。


「本物か偽者か分からないですけど、相手のトップは女王を名乗っている。本物なら、俺がフュリーシアにいる間に、暗殺しようと動くかもしれません。使節団としてファルエラ国内にいる間に万が一俺が死んだら、本物は困るでしょう。俺は聖歌騎士で、フュリーシアにとっても禁忌であり侮辱と捉えられる。ならば、フュリーシアは今度こそ慈悲を見せないだろうし、それを理由に、方々ほうぼうから退陣を迫られるはずです」

「……うんうん」

「当然、全てが終わってフュリーシアに帰ってきてから暗殺される可能性もありますけど、それは置いておきます。……一方、偽者だと、逆にファルエラの国内で俺が死んだ方が、それを理由に本物を引きずり落とせてラッキーと思う気がするんです。だから、俺がファルエラに行くまではむしろ何もしない気がします。当然、国境の方にも動きは無いと思います」

「ふふーん、なるほどー? でもそれって、カイリクンが、相当首謀者側にとって重要視されている場合の話だよねー? もう、狙わない可能性だってあるよー?」

「そうです。だから、可能性を少しずつ潰すんです。でも、……呪詛を仕掛けたり、フュリーシア内で何か事を起こそうとしている間に、わざわざ危険を冒して俺を事故死にでもして殺しておきたいと考える相手です。理由は分からないですけど、……俺を放置するっていうことはあまり考えられないかと」


 ガルファン自身も理由は不明だと困っていたし、カイリが狙われる理由は不透明だ。

 しかし、このまま何もせずに無かったことにするには、引っかかる。身に覚えはないが、カイリはファルエラの今回の首謀者側にとって、何か都合の悪いことをしている、またはする可能性があるのだろう。


「国境付近の動きの見極めとか、理由とか、使節団を派遣する時期とかは、それこそ皆さんの方が手馴れているでしょうし、……これ以上は、俺の頭からは出てきません」

「……」

「……これより、もっと良い案もたくさんあるでしょうし。……これで、許して下さい」


 カイリが頭を下げると、隣でふっと微笑う気配がした。

 見れば、今まで黙って見守っていたケントが、嬉しそうに笑ってカイリを見つめてきている。何故そんなに喜んでいるのだろうと、首を傾げた。



「ケント、何だ?」

「――僕から提案しようと思っていたんだけどね。流石はカイリ。僕が認めた親友だよ!」

「……は?」



 ケントがにぱっと破顔し、感慨深げに称賛を捧げてくる。

 カイリが呆気にとられていると、ケントは全体を見渡して不敵に微笑んだ。パスカルが一瞬、ぴくりと眉を動かしたのが見て取れた。


「……。ケントも、俺がファルエラに行くのが一番の策だと思うのか?」

「まあね。手っ取り早いと言えば手っ取り早いし、相手がどれほど本気かも推しはかれるから。……本当は、あんまり行かせたくないんだけどね」

「え?」

「んーん! 何でも! ……さて。僕も、カイリの意見に賛成です。戦や内戦は最終手段。穏便に解決出来るならそれで良いし、先手を打てばファルエラに今後のことを考えさせる時間も与えられる。カイリを餌にして、更なる友好を結ぼうという建前の使節団を派遣し、そこでファルエラの内情を探って脅すなり手を結ぶなりは出来るでしょう。ねえ、パスカル殿?」


 ケントの挑戦的な問いかけに、パスカルも目を細めた。ばちっと、二人の間で火花が激しく散った様な幻影が見える。


「そうですねー。……流石、ケント殿のご友人。貴方のご友人にしては、ちょーっと思慮深過ぎる気がしますけどねー♪」

「当然です。カイリは、石橋を叩きまくって割って台無しにしてしまいかねないほど慎重になるかと思えば、こっちが止める間もないくらい猛スピードで突進したりと、色々落差が激しいんですよ。だから、貴方が考えているほど退屈な人間じゃあないと思いますよ。――僕は、そんなカイリが好きだよ!」


 全く褒められている気がしない。


 むしろけなされていると思うのだが、パスカルが「そうですかー」と納得してしまった。おい、と制止したかったが、ゼクトールがぱんっと手を叩く。



「決まったであるな。今日中に書簡を作成し、ファルエラに早馬で送る。パスカル殿に一任するのである」

「はーい。了解しましたー」

「他の者達は、ファルエラの現状を把握する資料を集めて欲しいのである。……乗り込むにしろそうでないにしろ、相手の内情などを知っておきたい」

「ふむ。ならば、吾輩の神業的情報収集をお見せしようではないか」

「あら。手が震えていますが、アー何とか卿も、老化には勝てないのではなくって?」

「うっさいわ! この年齢詐欺が!」

「あー。オレも、次回の会議までには色々提出しまーす。たった今から思考をファルエラに全振りして、ほぼ100%ファルエラにしますねー♪」

「さいっしょっからそうしろよ、てめーはよ!」


 枢機卿陣組と、オリヴァルドとパスカル組が、最初の頃と同じくぎゃいぎゃい騒ぎ始めた。この組み合わせは、もうこの口論が日常の様だ。

 他の者達も慣れきっているらしく聞き流しているし、ゼクトールは何事もなかったかの様にケントに向き直った。



「ケント殿、至急人選を頼むのである。カイリ殿は当然として、荒事や諜報といったある程度どちらも得意とする者を中心に固めて欲しいのである」

「分かりました。……ああ、ゼクトール卿。僕も行って良いですか?」

「……。……第一位の団長であるはずだが」

「だって、国家の危機ですよ? 大親友を……もとい聖歌騎士という誇りを侮辱されたんですよ? 一大事ですよね? 圧をかけたいですよね? むしろ僕以外適任はいませんよね? ファルエラぶっ飛ばすんですよね?」

「…………………………。……仕方がないのである」

「やったー! カイリは、僕がちゃーんと守るからね! まっかせて!」

「……はあ。よろしくな」



 こんな途方もない我がままが、まかり通るのか。

 だが、心強いことに違いはないので、もう素直に受け入れることにする。

 ゼクトールの苦り切った表情に、カイリは新たな騒がしい日々を思って苦笑するしかなかった。


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