第344話
「さて。会議を始めるのである」
ようやく全員で席に着き、ゼクトールの開始の宣言で会議が始まった。
カイリは結局ケントの隣に座り、フランツ、レインと続いた。会議が始まると流石に空気がぴりっと引き締まったので、緩急の付け方がしっかりしている人達とカイリは強引に結論付ける。
――が。
「それで、議題であるが――」
「分かっていますよ。カイリを侮辱したクズファルエラを如何にしてぶっ潰すか、ということですよね」
――おい、ケント。
思わず素で突っ込みかけて慌ててカイリは止める。一応彼は第一位団長だ。流石に身内以外の者がいる場所でこのツッコミはまずい。
だが。
「……ケント殿よ、今日はやけにやる気ではあるまいか……? いつもは必要なこと以外、全く発言をしないというのに」
――おい、ケント。
アーロンの困惑に、二度目のツッコミを堪え、カイリは物凄い眼力でケントを見やる。目は口ほどに物を言う、というやつだ。
しかし、ケントはどこ吹く風。至極当然と言わんばかりに押し切った。
「当たり前でしょう。僕の大大大親友のカイリが関わっているんですよ? ここでやる気を出さずにどこで出せと? 僕のやる気は今、この時のためだけにあるんです」
「おい、ケント」
「……ケント様は、相変わらずカイリに関してだけ紳士ですね。最高です。心のゆくまま殴りたいです」
「殴るのならアーロン卿の目を覚まさせてあげて下さい。僕の拳は今現在、ファルエラを殴るためだけにあるので」
「おい、ケント」
もう既に堪えることを止めた。口に出して何度も壊れた機械の様に突っ込む。
だが、それさえもケントは何故か幸福そうにふにゃりと笑った。うんうん、と謎の納得と共に受け入れている。頭が痛い。おかげで、オリヴァルドとパスカルがあんぐりと口を開ける勢いで目を見開いていた。エメラドールだけが興味深げに微笑んでいる。――本当に頭が痛い。
「あらまあ。お二人が蜜月を過ごす様に密な仲だという噂は、本当のようですのね?」
「ええ、もちろん。分かっていますね、エメラドール卿」
「おい、ケント」
「まあ、それくらいにするのである。……ケント殿の意見には激しく同意したいが、ファルエラをぶん殴るためには、それなりの準備が必要なのである」
――おじいさんも大概だ。
既に会議がぐだぐだだ。いつもこうだというレミリアの言は、まさしく真実でカイリの中で何かが崩れ去っていく音がする。
はあっとゼクトールが何かを整える様に息を吐き出し、きりっと表情を今以上に引き締めて前を向いた。
「改めて、ファルエラの対処に関してである。各自、今までの経緯を記した書類には目を通してあるな?」
手元の資料の束を、カイリも見やる。
あらかじめ会議の前に渡されていた資料には、事件の詳細が記されていた。カイリの聖歌である『故郷』を省き、ほぼほぼ全貌であることは確認済みである。
忌々し気に資料を見やり、アーロンは腹立たしさを隠さずに声に剣呑さを乗せた。
「対処も何も、フュリーシアに喧嘩を売ってきたではないか。聖歌騎士を暗殺しようとした罪、
「あら、短絡的でしてよ。わたくしなら、入念に罠を張り巡らせ、地雷を置き、自爆をする様に誘導し、完膚なきまでに叩き潰せる算段が整ってから戦を仕掛けます」
――過激だな。
枢機卿二人に温度差はあれど、言っていることは同じだ。
つまり、敵対行動を取ったファルエラに容赦はしない。付け上がらせない。そう示したいのだろう。
だが、戦となると、多くの犠牲者が出るのは間違いが無い。軍事力の差がどれほどあるかカイリは知らないが、無傷では済まない以上、避けて欲しかった。
そう思っていると、同じ意見がオリヴァルドから上がる。
「俺は反対だな。……つい先日、国境の部下共からの報告があり、クリストファー殿の要請もあって直に相手側の国境砦内と国境の街を見て来たが、きな臭いってもんじゃない。あれは、宣戦布告を誘ってる感じがする」
「へえー。ブルエリガと友好築いている間に、そんな感じになってたんだねー♪」
「てめえが何で知らねえんだよ! ファルエラはブルエリガ行く時に通るだろうが!」
「んーんんー♪ だって、オレの頭、ほぼ100%ブルエリガのことしか無かったしー。ファルエラは眼中に無かったんだよねー」
「眼中に入れろ! 節穴過ぎんだろ!」
「ムリムリー。だって、交渉する時は、相手になりきって話し合わないとねー。上手くいくものも上手くいかなくなっちゃうよー」
「……てめえの頭、いつか割ってみてえよ、本当」
頬杖をついて呆れながらも、オリヴァルドはそれ以上の追及をしなかった。パスカルのやり方を一応は認めているのかもしれない。
「オリヴァルド殿。何故、誘っている様に見えたのであるか」
「……一つは、砦の現在状況だな」
「具体的な説明を要求するのである」
「あー……そもそも、ファルエラとフュリーシアの国境砦は、それぞれの砦を隣接して造ってある。その上で、両国とも監視と友好の両面を持って、自国から五人ほどの人材を互いの砦に送るだろ。……新人、ここまで分かるか」
「え? は、はい。ありがとうございます」
呼びかけられて、カイリのために状況を説明してくれていたのだと悟る。確かに、それを知らないまま話が進んでいたら、カイリは疑問だらけだっただろう。
粗野な口調だが、気遣いに
「送った人間は、一ヶ月ごとに入れ替えをするんだがな。……こちら側の騎士が、一人戻って来ない」
「あら。それは、大事ではなくって? わたくしの手が
「監禁の可能性はあるまいな? 必要なら、吾輩が直々に殴りこもうではないか」
「何でこの枢機卿陣、こんな好戦的過ぎんだよ……」
エメラドールとアーロンの目に見えない軽いジャブの繰り出しに、オリヴァルドが額を押さえて
「あー……続けるぞ。その戻って来ない騎士は、あちらの砦から顔は出してくる。それで、大声で伝えてくんだ。借りが出来てしまったので、それを返すまではこちらに置かせて欲しいと」
「ふむ。妙な話ですな。別に、一度砦に戻ってきてから説明しても良いと俺は思いますが」
「フランツ殿の言う通り、俺もそれを要求した。しかし、帰らないの一点張りだ。……そして奇妙なことに、こちらのファルエラの軍人も、一人帰りたがらない奴がいる」
「……無理矢理帰せば良いのではないかね? 何故、放置しておく? 吾輩が殴る必要があるのだな?」
「殴んなっ。……とにかく、その軍人も借りが出来たの一点張りだ。無理矢理帰そうとしたら、自害をすると言って聞かん」
話がややこしくなってきた。フランツ達の顔も厳しいものに変じていく。
ファルエラの軍人だけなら話は早いが、フュリーシアの騎士が同じ状況というのが異様だ。
互いに示し合わせているのか。だとすれば、裏切りの可能性も出てくる。
それとも――。
「俺としては、まあ、極論自害をしても構わん……と言うと乱暴すぎるが、そう思っていた。しかし、今回の呪詛の件があってから、考えが変わった。自害をされると、それを皮切りに宣戦布告をされる気がする」
「わたくしとしては構いませんけれども」
「駄目だ。第二に、……レミリア」
「はい。……国境沿いは人員に変わりはありませんが、ファルエラに潜り込ませている騎士から報告が来ました。国境にほど近いいくつかの街には、最近軍人と武器の出入りが激しいと」
いよいよ物騒な空気が身近に迫ってきた。喉元に切っ先を突き付けられた様な感覚に、カイリはぎゅっと手元を握り締める。
「ねーえー、それってさ、あっちは戦争やる気満々ってことだよねー♪ だったら、もういっそ宣戦布告して、こっちも整えちゃっても良くなーい?」
「そういう単純な話じゃない。こちらも同じく国境街に戦力を整えたとして、理由はどうする」
「それは、えーと、……呪詛? を理由にしたら? オレ、帰ってきたばかりだからよく知らないけどねー♪」
「読め。そして考えろ! この万年道化師ボケが!」
ばしんっとテーブルに置かれた資料の束をパスカルの顔に叩き付け、オリヴァルドは苛立った様に腕をテーブルの上に乗せた。彼はいつも怒っていて疲れそうだなと、カイリはぼんやり思う。
「呪詛の件は、首謀者が本物の女王か偽者の女王か、まだ分かっていないんだろ」
「うむ、その通りである」
「突き止めてあれば、それを理由にしても良かったが……相手が成人に達していないということで、難しい。本物か偽物かで、相手に要求するものも変わってくるしな。つまり、決定打がない」
「その通りです。申し訳ありません」
「あら、良くってよ、レミリア殿。わたくしは、舐めた真似をする奴は等しく叩き潰せれば、真偽は問いませんもの」
問えよ。
カイリは思わず雑に出かかった言葉を懸命に飲み込む。よく飲み込んだと、自画自賛したい。
だが、流し目をくれる様に、エメラドールがカイリの方へと微笑んだ。心を読まれている気がすると、背筋が震える。
「呪詛を理由に宣戦布告したとする。……その時、こちらに残り続けているファルエラの軍人と、あちらに残った騎士が気がかりだ」
「……なるほど。言いたいことは分かったのである」
ゼクトールが深々と嘆息する。
カイリが分からずにいると、レインが苦笑気味に補足した。
「あー、つまり、軍人は自害……と見せかけて騎士に殺害された、相手の国境砦に残った騎士はファルエラの軍人を無作為に殺害した、ってことにされる可能性があるってこったな」
「……、え」
レインのあまりの物言いに呆然としたが、しかしすぐにオリヴァルドが迷いなく肯定した。
「そうだ。ファルエラとしては、軍人は自ら自害したにも関わらず、こちらに殺された。騎士は、ファルエラに敵意を持って攻撃してきた。そう言って、残りの国に大々的に宣伝する可能性が高い」
「……でも、待って下さい。呪詛の件は? ファルエラは、間違いなく俺を殺そうとしたし、フュリーシアで何かしようとしていたんですよね?」
カイリが思わず口を挟んでしまい、はっと我に返る。慌てて口元を塞いだが、オリヴァルドは特に気分を害した様子もなく説明してくれた。
「女王が本物か偽者かで理由は違ってくるだろうが……どっちにせよ、砦の罠が実行されたら、『ファルエラを陥れようとしている』の一言で終わるだろう」
「……そんな」
「呪詛の一件は、聖都や当事者である村々には広まっているが、フュリーシアも国内全体に広まっているわけじゃない。エミルカやブルエリガのスパイも国内にいるし、掴んでいる奴らも多いだろうが、教会をよく思っていない輩も多いし、一部で口止めする可能性も出てくる。こちらが非難声明を出したとして、ファルエラが悪者になる確率は……今のままじゃ半々ってところだろうな」
真実は確かにフュリーシアにあるのに、それがままならない状況が確実に存在している。
――前世の時だって、俺の言葉は届かなかった。
比べるべくも無い話だが、それでも理不尽は何処にでも転がっている。オリヴァルドの話を論破する根拠は見当たらなかった。
「しかし、オリヴァルド殿。こちらには、俺達第十三位が見つけた、ファルエラがラフィスエム家と密約を交わした書類があります。あれには女王にしか扱えぬ
「フランツ殿達が入手したやつだったな。……ファルエラは、女王が代替わりする時に、国璽や印鑑が新しく作られるっていうのは知っているか?」
「無論。しかし、未成年の場合は、……、……なるほど。つまり」
「そうだ。今現在、フュリーシアを含めた各国が、ファルエラと行っている契約に押された印鑑や国璽が、本物の女王のものという確証が何処にも無いし、現在は使っていないとでも言われれば終わりだ」
「――」
無茶苦茶だ。
そんな道理が通じない話があるのか。カイリは吐息ごと震えてしまい、フランツが肩を叩いて落ち着けようと撫でてくる。
「ファルエラでは、即位と同時に国璽と印鑑が作られるのだがな。未成年で、まだ顔見せをしない間は、前女王のものが使われるのだ」
「……それって。でも、それじゃあ正式に顔を見せるまで、結んできた契約は全て偽物になるかもしれないってことじゃ」
「その通りだ。だから、成人になるまでは、極力女王本人が国璽や印鑑を押す重要な契約はしないのが暗黙の了解となっている。非常事態以外はな」
フランツの解説に、カイリは益々ファルエラの体制に疑問を持つ。
これでは、成人を迎えていない女王は危険極まりない上に、国が荒れ放題ではないだろうか。隙を突こうと思えばいくらでも隙を付けるし、例え水面下で権力争いをしていても、表には浮き彫りになってこない。
改めて、嫌な体制を作ったものだ。三代目に
「ファルエラを簡単にねじ伏せることは出来るが、実際問題フュリーシアの内部に裏切り者が潜んでいるからな。国内を荒らされる可能性もあるし、あんまり利の無い戦はしたくない」
「弱腰ですと、舐められてしまってよ?」
「エメラドール卿の言うことは一理あるが、あまりに対外的にこちらが悪者になると、今後の貿易関係や国境等の環境に支障が出る。相手の戦力もまだ正確には把握していない。戦にならなくても、今ファルエラを刺激し過ぎるのは、国防を預かる者としては賛同しかねるな」
あくまで強硬派のエメラドールを切り捨て、オリヴァルドは穏健な道を提案する。彼女も不服そうではあるが、一度引いた。何か含みがありそうな彼女の表情は気になったが、言葉を続ける者もいない。
やはり、打算だらけだなと、カイリはもうはや疲れてきた。こういう黒い会話は、カイリにはしんどくて堪らない。
そう思っていると。
「――くだらない」
凍える様な冷たい声が、吐き捨てる様に一帯を切り裂いた。
一斉に視線が集中したのは、カイリの隣にいるケントだ。今や彼は腕を組んで、無に等しい横顔を
しかし。
――お、もい……っ!
頭から容赦なく叩き潰される様な圧が、この場を支配している。全力で抗わなければ、カイリは簡単に頭を垂れてしまいそうだった。
隣にいるカイリでさえ、血も凍るほどの殺意を肌で感じて身震いしてしまうのだ。それを受けたオリヴァルドの表情は微かに強張った程度に見えるが、目に入った力の具合で相当のものだと推測出来る。
「さっきから聞いていれば、ぐだぐだぐだぐだと。結局理由を付けてるだけで、弱腰なのは変わりませんね」
「……何だと?」
「利が無い戦はしたくない? 対外的に悪者になりたくない? お忘れですか? 今回の呪詛事件は、新人とはいえ、聖歌騎士が殺されかけたんです。――フュリーシアの禁忌を忘れたとは言わせない。国境にい続けて根底の真理も忘れましたか」
びりっと、裂かれた様に空気が痛い。
抑揚のないケントの声は、聞いているだけで耳がずたずたに切り裂かれる様な激痛を与えてくる。
声が一段低くなっただけなのに、こうまで世界は暗くなるのか。現に、カイリは今、目の前に映る明かりが薄暗く落ちていくのを感じ取った。
「呪詛事件では、第十三位が謹慎中で思う様に動けなかったために後手後手に回りましたが、ここからはそうはいかない。フュリーシアは実質世界中枢の大国です。ここで弱腰になったり少しでも
「……っ。……だがな、俺は国防を預かっている騎士団の団長だっ。戦争の最前線に真っ先に立つのは俺達第五位だ! ただでさえ、うちは三年前の事件のせいで人員が不足してるんだっ。相手の戦力をまだ図り切れていない以上、全体の国益を考えながら、戦を回避する策を考えるのは当然だろっ!」
「だから、今回の件には目を瞑れと? フュリーシアの誇りは捨てろと。とんだ騎士がいたものですね」
「そ、こまでは言ってねえっ! ただ、俺は」
「同じことです。なら、貴方はそのまま国境に帰れば良い。せいぜいファルエラに媚びを売って、ぬるま湯の関係でも築いていて下さい。落ちぶれた騎士ほど邪魔なものはない」
ばしん、と切り捨てる様な声が両者の間に走る。
オリヴァルドは右手の拳を握り締めて震えていた。眉尻を吊り上げ、噴火寸前の激昂を必死に抑えているかの様だ。
空気が冷え切っているのに、ひび割れる様に煮えたぎり、爆発しそうに揺れている。
カイリだけでなく、誰もが口を挟むことも出来ずにいたが。
「ケント殿、そこまでにしておくのである。少々言い過ぎである」
ゼクトールが溜息一つで飛ばした。
途端、凍り付いた時間がゆっくりと動き出す。どっと、カイリの肩から力が抜ける様に空気が軽くなっていく。
そして、それを待ち構えていた様に、枢機卿二人が口を開いた。
「あら。そうは言っても、わたくしもケント殿に賛成でしてよ。弱腰に過ぎると、世界のバランスが崩れるのは確かですし、何より聖歌騎士を殺そうとしたことを許すわけには絶対にいかなくってよ」
「このババアに賛同するのは
エメラドールとアーロンの言い分は、カイリにとっては強者の理由に聞こえる。国一つに力を集中させて、他国が逆らえない様にするというのは、実を言うとかなり危ういバランスに思えた。
けれど一方で、その強力だった力が崩れ落ちれば、他国がここぞとばかりに侵略を開始し、泥沼の時代に突入するだろうことも理解は出来る。長く続いたこの世界の均衡を変化させるには、相当の根回しと他国との意思疎通が必要になるだろう。
国同士のバランスは難しいと、カイリは聞くだに痛感させられる。
「……僕も別に、戦をしろとは言っていません。ただ、戦争の構えも辞さないという態度は強く出して欲しいだけです」
はあっと、長い溜息を吐き出してケントが補足する。
オリヴァルドの表情は硬いままだ。あれだけ鋭く突き放されたのだから無理はない。
だが、ケントはとくに我関せずといった感じで続けていった。
「国境は、フュリーシアの玄関です。つまり、相手が最初に見る国の顔そのものでしょう。そこを守る第五位は、謂わば国の顔を担う、ある意味どの騎士団よりも重要な騎士団です。……相手が最初に見る顔が、怯んだり腰が引けていたりしたら、相手はどう思うでしょうね?」
「――っ」
「フュリーシアの顔が怯めば、それは国の綻びを指すと考えるでしょう。一枚岩ではなくなった、今なら付け入る隙がいくらでもある。そう考えて攻め込んだり、付け上がる者達が必ず出てくる」
「それは、……」
「……第五位は、戦で最前線を担うと同時に、戦にさせないための要。決して油断出来ないと思わせるための、立ちはだかる壁の役割を担う。だからこそ、この国の顔として堂々と振る舞ってもらわなければ困ります」
ケントの厳しい苦言に、オリヴァルドの空気も引き締まった。依然として握り締めた拳はきついし、表情もまだ硬いが、先程の憤怒はもう見当たらない。
ケントの言う通りだ。人同士の対面でも表情や姿勢は重要になる。カイリもパーシヴァルやハーゲン、王子を相手に散々苦労した。
少しでも隙を見せれば付け込まれるのは、国としても同じなのだ。
「それに、……この場には好まない者もいるかもしれませんが、相手を悪者にする方法はいくらでもありますよ」
前置きをして、ケントが別口に切り込む。
好まない者、とは誰のことだろうと考えたがすぐに理解した。――カイリのことだと、彼の空気が一瞬固まったのを肌で感じ取る。
「旅人や商人を使うんです」
「……は? 旅人や商人だと? 何をする気だ、……」
「わざとらしくならない程度に情報をばら撒くんです。旅人や商人は、ある意味情報網が多岐に渡らないと生き抜けませんからね。噂にはひどく敏感ですから、良い感じに地方や村々へと吹聴してくれると思いますよ。もちろん、サクラも使います」
「……それで呪詛事件を国全体に広めるってことか? そんなことしたら、聖歌騎士を殺そうとするなんて、って反感が国内で劇的に高まるだろうが。下手すると国民が戦を口にし始めるぞ」
「誰が、国内と言いましたか?」
「は?」
ケントの淡々とした反論に、オリヴァルドが勢いを削がれて口を
直後、まさか、という顔を彼がすると同時に。
「他国にばら撒くんです。隅々にまで」
「――」
「そうすれば、静観していた上層部も他人事ではいられなくなる。噂だと一蹴するには、いささか全体に広まり過ぎていますからね」
「……。……だろうな」
「真実と嘘を織り交ぜた噂というのは、結構な威力を誇ります。エミルカやブルエリガには、きっちりとフュリーシアが悲劇を
両手を組んで発するケントの冷酷な一言に、場が静まり返る。
いや、静まり返ったのはカイリ達騎士の方だ。枢機卿陣はむしろ
「なるほど。わたくし達の手を汚さずに、ということですか」
「ええ。このプロパガンダは既に実行していますよ」
「ふうむ。相変わらずケント殿は早い。……どうせ、レミリア殿にやらせているのだろうがね」
「アーロン卿の仰る通りです。ケント様は人使いが荒いです。悪魔です。殴りたいです。カイリ、殴って下さい。私が喜びます」
「えーと……、レミリア、お疲れさま」
「カイリになら殴られても良いよ!」
「殴らないからな!」
ケントの可愛らしさを装ったマゾ発言を突き返すと、レミリアは「パラダイスがここに」と漏らして突っ伏した。本当に彼女のツボはよく分からない。
オリヴァルドがドン引きしているのが目に入ったが、もうカイリは開き直ることにした。どうせ、どこもかしこも真面目という三文字は崩れている。
「まあ、ケント様を殴るのはカイリに任せるとして」
「殴らないからな」
「ファルエラに関しては、他国と違ってあくまで噂程度には留めております。これからの情勢次第で、ケント様の仰る通り、最悪の場合には内乱に持ち込ませます」
「あと、さっきぐだぐだ言ってたファルエラの国璽が入った書類ですが。国璽や封蝋自体はこちらの今までの書類と照らし合わせて本物だと立証出来ますし、本物か偽物かはもう関係ないでしょう。仮に、相手が前女王の一派がー、とか言い始めたら、こう言えば良いんです。――つまり、みすみす機密の国璽を持ち出された挙句、好き勝手にやらかされていると。現女王の一派は、前女王政権の時と違って
ケントの淡白な切り込みに、ひやりと空気が凍る。
聞けば聞くほど、ケントの考える発言や策は攻めの一手だな、とカイリは感心してしまった。加えて、相手を挑発する技術も一流である。
「逆に、現女王の転覆を企んでいる輩達が犯人で、現女王の仕業だと言うならば、ファルエラ全体の問題にすれば良い。上だけを切り捨てるなど許しはしない、と。要は、こちらは女王が本物でも偽者でも関係ないと突き付ければ良いんです」
「……」
「実際問題、本物か偽者かなんかどうでも良い。こちらからすれば、聖歌騎士を殺されそうになった時点で、ファルエラの落ち度であり、潰す対象なんですからね」
「その通りでしてよ。わたくしも言ったでしょう? ――真偽は問いません、と」
エメラドールがケントに完全に同意して、口元に手を当てて微笑む。柔らかく目を細めるその姿はまさしく聖女なのに、何故か危険な香りをふんだんに漂わせていた。
彼女の言葉は、先程異論を唱えそうになったカイリに向けられたものの気がしたが、表向きはオリヴァルド宛てだからか、彼が額に手を当てて項垂れている。
「……あー、そうだったな。ケント殿は、ほんっとうに、相手を追い込む天才だな」
「オリヴァルド殿よりも頭を使って、大胆不敵に動くのが得意分野ですので。異論はありますか? それとも、まだ戦が、とか悪者、とか言います?」
「……いいや。その通りに持ち込めるんなら、俺はもう構わない。だが、軍人はどうする。……まあ、実際は徴兵された町医者らしいんだが」
「そっちは今は放置すれば良い。実際問題そこまで重要視はしていません。軍人だか町医者や、相手の砦に留まる騎士に何か問題があれば、即座に噂を広めます。レミリア殿が」
「はい。人任せなケント様の命に従い、今現在行っているプロパガンダと同じく、フュリーシアに有利になる様に情報をばら撒きます。美談も交えて、軍人が『先に』騎士を害したということで。既に仕込みはしてあります」
ケントとレミリアの息の合った作戦に、オリヴァルドの頬が引く付いている。隣にいるパスカルは楽しそうに――興味深げに目を細めているし、枢機卿三人は当然の様に静観していた。
この場にいるのは、ある意味悪巧みをするのに長けた人達が多いというのがカイリの所感だ。何となく、頭の回転は速くても、直情型のオリヴァルドは分が悪い陣営かもしれないと少し同情した。
しかし。
――みんな、戦になれば絶対に勝てるって自信を持ってる。
それは、歴史や実力に裏付けられた自信と誇りだ。カイリにもひしひしと伝わってくる。戦争は嫌いだし回避したいが、いざそうなったら負ける姿はヒヨッコであるカイリにさえ思い浮かばない。
ファルエラは、それでもフュリーシアに戦を仕掛けたいと願っているのだろうか。
何となく腑に落ちなくて、もやもや考え込んでいると。
「カイリ。何か言いたいことがあるの?」
「えっ⁉」
急にケントに振られて、カイリは文字通り座ったまま椅子から器用に飛び上がった。一斉に視線が集中砲火してくるのも心臓に悪い。
「け、ケント?」
「今、考え込んでたから。疑問があるなら言って言って!」
「ええっ⁉」
「ここは会議なんだからさ。何言ったって良いんだよ! だいたい、置物みたいにただ座っているカイリなんて、カイリじゃないよ! 幻滅するよ!
――好き勝手ばっかり言ってっ。
このそうそうたるメンバーの中で意見を言うのは、かなり胆力が必要だ。もう既に試す様な鋭い視線があちこちから刺さって、逃げたい。
だが、ここで本当に逃げるのも癪だ。仕方がないので、開き直って姿勢を正す。
「えーっと、……数年前にファルエラと戦になって、その時フュリーシアが完勝した、というのを歴史本で読みました」
「ええ。わたくし達に敗北の二文字はなくってよ」
「今までの戦でも、……エミルカやブルエリガなどの連合軍にも、きっちり勝ってきたって読みました」
「もちろんである。まあ、ブルエリガやエミルカは、比較的大人しいのである。……ファルエラは少々鬱陶しいが」
「そも、フュリーシアが負けた、という戦争は吾輩も記録で読んだことはないぞ」
「そうですよね、……だったら」
それほどまでに強大で揺ぎ無きフュリーシアの力を、他国は十二分に理解しているはずだ。むしろ、身を
しかも、ファルエラはつい数年前には完敗しているのだ。
それなのに。
「じゃあ、……どうしてファルエラは、またフュリーシアに戦争を仕掛けようとするんでしょうか」
「――――――――」
「それも、国の誇り……である、聖歌騎士を殺そうとしてまで。それが気になったんです」
カイリの素朴な疑問に、全員が静まり返った。
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