第327話


「エドワルドは、わしの五つ上の兄だ。ほとんど聖歌語を使えない教会騎士ではあったが、そこらの聖歌騎士でも太刀打ち出来ないほどに強い人物だった」


 淡々と語り出したネイサンの声は、しかし少しだけ嬉しそうな匂いを漂わせていた。

 彼は兄が好きだったのだな、とカイリは微笑ましく耳を傾ける。ケントも特に口を挟まず、集中していた。


「性格はなかなかにやんちゃでな。貴族らしくない、と使用人達には色々注意されていたが、慕われていた。気さくで、優しくて、困った人は見捨てず、いざという時はみんなを率いて先頭を走る。婚約者にはあまあまでいつも二人の世界。そんな人間だった」

「……、……何だか、少し父さんを思い出します」

「そうだな。……カーティスは、兄に少し似ていた」


 淡白な声に、滲む様な感傷が混じる。

 なるほど。父はエドワルドというネイサンの兄に似ていたのか。だからこそ、父に対して少し思いも深くなったのかもしれないと推測してしまう。


「だが、両親や祖父は極端な聖歌至上主義でな。わしは聖歌を歌えるほど記憶を持っていたから、聖歌騎士になることが確定していた。……そんなわしを奴らは猫可愛がりし、兄のことは見えていないかの様に振る舞っていた」

「……えっ」

「それでも、兄は両親や祖父を敬っていたし、わしのことも大層可愛がって育ててくれた。兄は色んな武器の扱い方を教えてくれたし、よく外国に出張していたから外の話もたくさん教えてくれた。逆に、わしは聖歌語に耐性を付ける訓練をしてくれと言われたから、よく聖歌語を兄に浴びせていたな」

「あ。それ、俺もやっています。第十三位では、それも訓練の一つなんです」

「お前の他に、聖歌騎士がもう一人いたか。それは効果覿面だろうな。……兄はよくわしの聖歌語に沈んでは挑み、沈んでは挑みを繰り返していたな。……何が楽しかったのか分からんが、楽しそうにな」

「……仲が良かったんですね」

「ああ。……そうだな」


 ネイサンの表情はあまり変わらないのに、どこか口元が緩んでいる様に映る。

 彼は、本当に兄が好きだったのだ。よく伝わってくる。


「だからこそ、……兄が懲りずに欠かさずに買ってきたお土産を、ゴミとして捨てたり踏み付けたりするあいつらを、わしは許せなかった」

「――」

「兄も悲しいはずなのに、笑ってそれを片付ける。奴らの横暴さにわしが怒って罵声を浴びせると、兄は肩を叩いて止めるのだ」

「……、……っ」

「あんな奴らなのに、どうして兄は恨んだり憎んだりしなかったのか。不思議でならなかった。……今でも不思議でならん。わしは、とっくの昔に見切りをつけたのにな」


 酷い、とカイリは声を失くしてしまう。

 だが、言葉にしたら途端に薄っぺらくなってしまいそうで、声にさえ出せなかった。ただ喉が震えて目の奥が熱くなるのを、どうにかカイリは制御する。

 何度か唾を飲み込むカイリを見つめ、ネイサンは少し間を置いてから話を再開した。


「家ではそんな扱いだったが、兄は騎士団でも聖都でも本当に人気だった。普段は聖歌語を使えない教会騎士を見下す聖歌騎士達も、兄のことは認めていてな。……まあ、何度もぼっこぼこにしてきた上で、屈託なく接してくるというのを何百回と繰り返されれば、馬鹿らしくなったのかもしれんし、認めざるを得なかったのかもしれんが」

「……なんびゃっかい」

「実際、当時二十歳だった兄は第一位の騎士団長すら超えそうな実力を持っていた。それなのに驕らず、謙虚で、悪意も笑って受け流し、誰に対しても敬意を払い、自分にないものを持つ者に教えを請う。お前なんか嫌いだ、と言われても、俺は好きだー! っと全力で返す様な男だった」

「……、それは凄いですね」

「うむ。だから毒気を抜かれたのかもしれん。今よりも聖歌至上主義が強すぎるあの時代でも、次の第一位団長にと上の者がみんな推薦していたくらいだからな」

「え!」


 聖歌騎士が敬われる中で、精鋭である第一位の団長に推挙される。相当の異例ではないだろうか。ケントも微かに目を丸くしているあたり、間違いない。

 聖歌語をほとんど使えない教会騎士が、第一位団長になることをほとんど反対されないとは、本当に人望があったのだろう。ネイサンの語る口調も、どこか誇らしげに響いた。



「しかし、それを良く思わない者がいた。――両親と祖父だ」

「――、え?」



 何故。

 第一位団長といえば、かなりの出世コースだ。実際、強い権威を得られ、騎士団の頂点に立って責任ある任務を請け負う。

 カイリは騎士団はかなり真っ黒だと思ってはいるが、騎士の中でも最高峰のその出世は、家にとっても喜ばしいことだということくらい分かる。いくら聖歌至上主義でも、家族がエドワルドを認めてもおかしくはない。

 それなのに。


「あいつらは聖歌を敬い過ぎるあまり、聖歌を扱えない者を激しく見下していた。そんな聖歌を扱えない兄が、栄えある第一位の団長になるなどとんでもない、と考えたのだ」

「……、そんなっ」

「だが、表立って異を唱えたり何かを画策すれば、逆に多くを敵に回す。騎士団も敵に回していただろう」

「……」

「だから、聖都の外に兄をおびき出した。自分達が出したことが分からない様に、偽の依頼を使ってな」


 だんだん雲行きが怪しくなってきた。

 この先を聞きたくない。

 そう思いながらも、カイリは必死に歯を食い縛って顔を上げ続ける。


「あの日……兄は、少し聖地の外に見回りに行って来ると言って頭を撫でてきた。わしに、お前が持つその鎖を渡しながらな」

「……これ、ですか?」

「そうだ。それは、亡きひい祖父から直に兄が渡されたものらしい。ラフィスエム家の本当の当主に送る家宝だと」

「……。……それって、ご両親達のことを、曾祖父上は認めていなかったということですよね」

「そうだ。あいつらの本質を見抜いていたのだろう。物心ついた時にくれたと言ってな。……嫌な予感がするから、わしにこれを預かって欲しい、と」


 思えば、最後の会話だった。


 そう呟くネイサンの言葉は、平坦なのにどこか深く沈んでいる。後悔が大きいのだということは苦しいほどに伝わってきた。



「その三日後だ。兄は、遺体となって帰って来た」

「――っ」

「手練れの野党にやられたという報告だった。もちろん、わしは信じなかった。当然、騎士団も……当時の第一位団長も信じなかった。あいつを倒せる相手ならば、もっと大きな問題になっていてもおかしくない、とな。……そうだ。みんな信じなかった。陰謀だと誰もが叫んだ」



 だが、兄は実際に滅茶苦茶に斬られて死んでいた。



 ネイサンが耐え切れない様に目を閉じる。

 テーブルの下は見えないが、何となく拳を握り締めている様な気配がした。カイリも知らず、己の拳を握り締めていることに気付き、やっとの思いで少しだけ緩める。


「わしは死に物狂いで調べた。何か証拠が無いかと。団長も枢機卿陣も調査に立ち会うことを許してくれた。……そして、……その太刀筋のうちのいくつかは、見覚えのあるものだった」

「……え?」


 無意識に零れ落ちたカイリの声が、ひどく乾いているのに気付く。

 最悪な想像は、だが想像では終わらず現実となる。



「わしの父と、祖父のものだった」



 その声は、ひどく平坦でいて、かつ何かが壊れそうな予感をもって室内にじわじわと広がっていく。

 実の父が。実の祖父が。

 実の息子を。実の孫を。

 殺したというのか。



 血の繋がった、家族を。



「兄は、父も祖父もしのぐほどの実力の持ち主だった。あんな奴らに負けるはずがない」


 ネイサンの声が、遠くから迫る様に真っ暗に響く。


「だが、兄は負けた」


 ぎしっと、テーブルの下で亀裂が入る様に音がする。


「兄は、あんな最低の奴らでも、最後まで敬意を払ったのだ。……剣を抜けば良かったのに。最後まで、あいつらに剣を向けることをしなかった」


 声は真っ黒に塗り潰されているのに、ひどく真っ平らだ。

 無表情なのに、目だけが黒々と燃え上がっている。


「それなのに、あいつらは。……あの最低のクズどもは。そんな兄を無残に、躊躇いもなく、剣を振り下ろして惨殺した」


 瞬間。



 ぶあっと、荒れ狂う殺意がカイリ達の方に吹きすさぶ。



 心臓を引き千切られる様な激痛に、カイリは思わず胸を押さえた。ケントがすかさず背中を支えてくれる。

 カイリの異変に気付いたのか、ネイサンはふうっと細く長く息を吐き出した。息を吐き出されるにつれて、暴れ回っていた殺意が眠る様に消えていく。

 ネイサンは表情を変えないが、その殺意こそが彼の慟哭だ。どれだけ時間が経っても消え去ることのない傷に、カイリは村の出来事を重ねる。


「しかもあいつらは、あろうことかラブラブだった兄の婚約者をわしの婚約者にした」

「……、は」

「一応権力だけならあったからな。婚約者も逆らえなかった。……彼女は泣いて兄を悼んでいた。だが、わしを責めることもなかった。……姉の様に接してくれていた、数少ない信頼出来る者だった」


 ネイサンの目が痛まし気に細められる。兄だけではなく、その婚約者のことも慕っていたのだろう。

 しかし、話を聞くだけで壮絶だ。当時直に体験してしまったネイサンの絶望はどれほどのものだっただろうか。話を聞いているだけのカイリでさえ、怒りや悲しみで震えて胸も喉も痛い。

 兄を慕っていたネイサンは、兄の婚約者は、想像を絶する絶望を味わっただろう。


「……。奴らは、わしを次の当主にと決めていた。それだけが、わしの救いだった」

「……どういう意味ですか?」

「重要な資料に触れやすくなる、ということだ。……わしは、兄のおかげで騎士団の中でも顔が利くし、信用もあった。仲が良い兄弟としても知られていたからな。……わしの言葉を、彼らは頭ごなしに否定はしない」

「……」


 目を伏せて微かに笑みを作ったその表情は、ぞっとするほどに暗く、真っ暗な穴に吸い込まれそうなほどの闇を湛えていた。

 だからこそ、直感する。



 ――ああ。この人は、復讐を果たしたんだ。



 恐らく、クリスの時の様に。彼は、容赦なく実行したのだ、と。


「わしは全力であらゆる証拠を集めた。……そして、騎士団の奴らや民衆に暴露したのだ。……兄を殺したのは、実の両親と祖父であるこいつらだ、と」

「――」

「証拠は全て集めた。団長にも枢機卿陣にも直談判し、広く、広く、その事実を広めた。……当然、全員の怒りの矛先が奴らに向く。断罪を求める民の声は類を見ないほどに高まり、騎士団の憎悪も爆発した。……改めて、あの時は兄の人望を実感したな」

「……」

「あっという間に奴らは捕まり、公開処刑となった。……小僧よりも惨いやり方で、わしはあいつらを処断したのだ」


 小僧、とはクリスのことだろう。

 クリスは、ケントを虐待した妻と祖父を遠方に追いやり、妻の実家は潰したと告白していた。

 ネイサンは、世間の力を借りて、みんなの前で処刑をするという方法を取ったのだ。

 惨いやり方かもしれない。実際、カイリはその方法を迷いなく選んだ事実を恐いとも思う。

 だが、一方でそれほどまでの怒りと悲しみを彼らは与えたのだ。復讐をしたい気持ちはカイリにも痛いほど理解出来るし、それを絶対に駄目だと言う権利も資格も無い。


「奴らがいなくなり、ラフィスエム家の当主は正式にわしになった。……だが、……生きる気力がなくなってしまってな。その後も第一位に所属はしたが、出世欲も無かった。何のために戦えば良いのかも分からなくなり……当時の団長の計らいで、団からは退き、緊急の時のみ騎士として振る舞うという形にしてもらったのだ」

「……そういうことも出来るんですね」

「わしの場合は、あくまで恩情だ。滅多にないことだが、当時の団長はそういう意味では理解ある人だったな」


 ネイサンの目元が僅かに柔らかくなる。彼にとってはきっと良い人だったのだろう。

 すぐに表情を無に戻し、ネイサンは更に続けた。


「婚約者は……そのまま、わしの妻となった」

「え? でも……」

「お互い、家族の様には思っていたからな。今更他の家に嫁ぐ気は無いし、……同士としてパートナーとなる、と。……わしも、特に他に好いた者もいなかったし、受け入れた。……結果的に子供が三人も出来るとは思わなかったが」

「……。……最後まで、同士でしかなかったんですか?」

「……どうであろうな」


 ネイサンの答えは、どこかはぐらかす様な響きがあった。

 貴族ならば政略結婚で、子供を作るということはあるだろう。カイリにも想像は出来る。

 だが、ネイサンはラフィスエム家を自分の代で終わらせるつもりだった。妻になった人のことも家族としての親愛が大きかったという。相手も同じだった様だ。

 それなのに、子供が三人も生まれたのは、果たして互いに親愛の情だけだったのか。

 語られないのであれば、真相は彼らのみが知ることだろう。



「……兄を殺したのが、クズどもだという話は真実だ。しかし、それだけが真実ではない」

「……。どういう意味ですか?」

「わしがこの家をわしの代で終わらせようと思った理由は他にある。……あのクズ共を先導したのは、他ならぬ一人の執事であったということだ」

「――」



 淡々とした彼の声が、空気を小さく裂いていく。

 執事が、ネイサンの兄を殺そうと先導していた。その事実の意味するところを考えて、カイリは首を捻る。


「え、……どうしてですか? 何か恨みがあったとか」

「違う。……その執事の一家は、ラフィスエム家を代々支えてきた一族だったのだ」

「えっと……ラフィスエム家を支えてきたのに、優秀な人を殺すんですか? どうして」

「聖歌騎士ではなかったからだ。……真の聖歌至上主義は、ラフィスエム家ではなく、その執事の一族だったということだ」


 益々ますます意味が分からない。

 つまり、代々家を支えてきた執事一家が聖歌至上主義だったから、当主達の思想もそれに染め上げたというのか。

 フュリーシアは確かに聖歌至上主義だが、それでもエドワルドという人はかなり優秀で人望があり、第一位の団長にまで推挙される人だ。ラフィスエム家としても史上初の教会騎士団長ということで、かなりの箔が付いただろう。

 それなのに。



「その執事の一族は、ファルエラの裏と繋がっていた」

「――、え」

「つまり、そのファルエラの裏が聖歌至上主義なのだ。……それも、フュリーシア以上の潔癖な至上主義。聖歌を歌えない者が上に立つことを絶対に許さないと考えるほどにな」



 微かに視線を下げて語るネイサンの声は、暗い憎悪に満ちていた。

 淡々としているのに、これほどまでに胸を圧迫されるほどの憎しみが伝わってくる。兄をどれだけ慕っていたか、どれほど敵を憎んでいたかを如実に物語っていた。


「クズ共を処刑した後に、わしはそこまで突き止め、執事の一族を葬り去った。……最後の最後まで逃げた者は、不審死を遂げたがな」

「不審死、……ああ、なるほど。つまり、口封じをされたわけですね」

「うむ。トカゲのしっぽ切りというやつだ。……ケント殿は、ファルエラの裏について何か存じているか」

「……。何かいる、ということだけは。父の方が知っているかと」

「そうか。まあ、長い歴史の中で巧妙に隠していたからな。わしも裏に何かいるということ、今の世界の教皇のシステムや聖歌を頑ななまでに守り通すということまでしか突き止められなかった。だが、……恐らくフュリーシアのどこかと繋がっているし、世界の歴史の深い部分に食い込んでいるはずだ。色々調べた中から推測するに、わしは聖歌隊が怪しいと睨んでいるが」

「聖歌隊……」


 ネイサンから出て来た単語に、カイリは前にミサで出会った時のことを思い出す。

 あの時、聖歌隊の聖歌を耳にして、立っていられなくなるほどにカイリは具合が悪くなった。おまけに、聖歌隊の指揮隊長は得体の知れない相手で、対峙するだけで震えが走りそうなほどに緊張したものだ。


 教皇を掲げ、教皇の特別であるあの聖歌隊が、ファルエラの裏と繋がっている。


 ならば、ファルエラの裏も教皇を――もしくは、教皇の更に奥にいる『神』を崇めているのだろうか。推測ばかりで確証が無いのが歯がゆい。


「あの、おじいさま」

「……」

「おじいさま?」

「……、何だ」

「呆けないで下さい、ネイサン殿。オジイサマ、の響きに感動してないで」

「……感動などしていない」

「そうですか。じゃあ、ボケたんですね。さっさとカイリの質問に答えて下さい。カイリを待たせるなんて祖父失格ですよ」

「黙れ、小童こわっぱ


 ケントとネイサンの剣呑けんのんな言い合いに、カイリは置いてけぼりになる。ケントの言い分も理解出来ないが、ネイサンのつっけんどんさも意味が分からない。二人は仲が悪いのだろうか。少し悲しい。

 ネイサンがカイリを見て、何故か慌てた様に背筋を伸ばしていた。その反応に首を傾げながらも、一応疑問を口にしてみる。



「その、ファルエラの裏と繋がっている一族は、どうしてラフィスエム家の執事になったんでしょう。他の貴族にもそうやって、人知れず忍び込んでいるんでしょうか」

「さあな。他の貴族のことは分からんが、可能性はあるかもしれん。この国で、殊更ことさら聖歌至上主義を煽っているもいるかもしれぬな」

「……、そうですか」

「だが、ラフィスエム家についてなら分かる。元々、この家はファルエラの裏が送り込んできたスパイだった様だ」

「えっ⁉」



 とんでもない暴露に、カイリがソファから飛び上がる。ケントも驚いた様に微かに目を丸くしていた。

 そんなカイリ達の反応に満足したのか、ネイサンは目を閉じて続ける。


「執事一族を一掃した後、彼らが隠していた部屋を突き止めた。そこに、日記として書かれていたのだ。最初の方が読めなくなっていたし、他に証拠は見つけられなかったがな」

「……日記」

「当主の方は、不慮の事故などで死んだりもしていた様で、情報が次第に正しく受け継がれなくなっていった様だ。だからこそ、なおさら執事一族がその辺りを途絶えさせない様に念入りに注意していたらしい。定期的にファルエラに情報も送っていた様だし、兄を抹殺したりするなど、正しく聖歌至上主義を貫いていたわけだ」

「……なるほど。ネイサン殿が仰るのが本当ならば、ここから聖都の事情が一部でも漏れていたわけですね。……もしかして、ファルエラは執事一族が亡くなったために、新たにあの息子二人をそういう役目にしようとしていたのでしょうかね。力不足にもほどがありますが」

「ケント殿の言う思惑もあったかもしれんが……言う通り、あの二人では無理そうではあるな。……まあ、わしの代で全て頓挫させたわけだが」

「……その日記は、まだ手元に?」

「既にゼクトール卿に提出してある。奴なら証拠隠滅はしない」


 妙に自信を持った物言いだ。

 考えてみれば、ネイサンはゼクトールやエイベルの方と年齢が近い。全員第一位にいたというし、知った仲なのかもしれない。

 そして、ゼクトールはやはり誠実で頼りになる様だ。教皇になった親友を殺すという目的を持ってカイリを攫ったりと企みはしていたが、この国を正したいという思いは変わらないという証拠の様に思えた。


「……あの馬車馬は、そういう重要なことを僕に話さなかったわけですね」

「そう言うな。小童は第一位の団長だ。更に上である枢機卿陣で情報を精査してから、貴様に調査なりなんなり頼む予定のはずだ」

「分かっていますよ。ただの八つ当たりです。……ファルエラの裏と繋がっている奴らを潰し、自分の代でこの家を終わらせる予定だったのは分かりました。もしかして、息子二人の暴走を許したのは、終わらせるための材料にするためですか?」

「……。……好きに考えて構わん」


 断言はしない。

 だが、その想像に余地を持たせたあたりが答えなのだろう。

 実の息子を敢えて泳がせ、終わりに導く駒にした。正直、カイリとしては親としてどうなのだろうと思わなくもない。

 ただ、実際に言葉を交わしたあの伯父二人のことを考慮すると、どれだけ言葉を尽くしたとしても、もう改心は期待出来なかっただろう。カイリの父に対する怨念は凄まじかった。同情する余地はあったが、逆恨みも混ざって、もはや修復不可能だった様に思う。

 ならば、自らの策で――間接的に、自らの手で。そう考えても仕方がなかったのかもしれない。

 しかし、腑に落ちないこともあった。


「あの、……もう一つ聞いても良いですか」

「何だ」

「……。……どうして、父さんにこの家宝を渡したんですか? ……終わらせるなら、この家宝も壊すべきだったのでは? それとも、……」


 兄の形見だから、そうは出来なかったのか。


 言葉にすることに迷いを覚え、結局飲み込んでしまった。

 だが、ネイサンは正しく受け取った様だ。一つ疲れた様に嘆息し、目を伏せる。



「……、……それは、……父親として無関心だったわしの、最初で最後の餞別せんべつだった」


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