第325話


 事件から二日が経過した昼。


 教会の地下にある地下牢の廊下を、ケントは無感動に歩く。かつん、こつん、と薄暗い壁に乱反射しながら遠くへと木霊する様は、死者の国へと誘う笑い声の様で不気味だ。

 ただ、無感動ではあるが、胸中は少し複雑である。そうでなければ、ケントは仕事以外で訪れることはなかっただろう。


 この階は、特殊な事情に置かれている囚人のためのものだ。


 ここに、ガルファンがいる。

 殺風景な部屋ではあるし、環境的にはそこまで快適ではないが、トイレやシャワーは別に設置されており、ベッドも置かれていて気温の管理もまずまずである。ケントは絶対入りたくはないが、囚人としてはそれなりの待遇だ。警備も他の牢と比べてかなり厳重である。

 しかし、それも全て計算だ。



 まず、レナルドとフィリップは、死んだ。



 レミリアが牢に移送し、また事件解決のために奔走している間の出来事だった。監視が少しの間目を離した隙に、毒の様なものを飲んで死んだらしい。

 ケント達は、それを半ば予想していた。半分狙っていた結果でもあった。

 この二人が殺されたからこそ、ガルファンをますます生き証人として扱える。――という理由付けで上層部は動ける様になるからだ。


 今回の事件は、呪詛事件と名付けられた。


 内容はファルエラが国家転覆を狙ったこと。

 戦の火種を蒔こうとしていたこと。

 二つの村を犠牲にしようとしていたこと。

 国内の民を殺したこと。

 由緒あるホテルを爆破しようとしたこと。

 五芒星という禁術を使って災厄を放とうとしていたこと。

 色々あるが、しかし最大の禁忌の前には些細なことに過ぎない。

 そう。



 ファルエラが、を殺害しようとしたことだ。



 フュリーシアにとっては、聖歌騎士は何よりの誇り。国家の象徴でもある。

 その存在に害を為そうとしたことは、最大の侮辱と捉えるのだ。

 是非とも犯人を炙り出し、制裁を加えなければならない。現時点では世間にこの件を知らしめることはしないが、上層部は決して許しはしない。

 故に、ファルエラが聖歌騎士を害したという確固たる証人は、その件が片付くまでは何が何でも生かす。

 同時に、ファルエラがフュリーシアの協力者に聖歌騎士殺害を企んだ件について、火消しを行おうとしたという証拠も一緒に掴んでおきたい。


 前者が、今回の事件で、よりファルエラと緊密だったガルファン。

 後者が、聖歌騎士のカイリを直接殺そうとしたラフィスエム家の愚息二人。


 レナルドとフィリップは、処刑になることは決定済みだった。今の段階で死ななくても良くはあったが、この特殊な牢にガルファンを入れる理由付けが楽になるので死んでも構わなかったという意味合いもある。

 ネイサンも恐らく、自らもそこに巻き込まれようとしたのだろうが甘い。彼には別の方向で生きて役に立ってもらう。それが、国の判断だ。


「……カイリが真実を知ったら、苦しむだろうな」


 まさか、殺されるのを見越してわざとそれを誘ったとは、思いも寄らないだろう。

 彼は、二人が死んだと聞いた時、かなり動揺していた。あれだけ罵倒を浴びせられたのに、それでも死をいためる彼は底抜けなまでに甘く、優しい。

 だが、国は誇りを守るためなら、情を挟まない。罪人の命さえも利用するのだ。教皇――神も、カイリを生かして利用したがっていたから、今回の報復に関して異は唱えないだろう。


 聖歌騎士を殺しても良いのは、教皇の命令のみ。


 それが、フュリーシア。狂った国の在り方。

 分かっていたからこそ、ガルファンをあの夜に処断はしないとケント達は知っていた。故に、カイリがガルファンに思いをぶつけるのを止めなかったのだ。状況が違っていたら、止めなければならなかっただろう。

 とはいえ、仮に止めたとしても、カイリはきちんと引き下がっただろうが――しかし。


「……。……あの言葉は、結構効いたなあ……」


 ガルファンに向けられた言葉であったのに、ケントにも深く突き刺さった。


 傷付けた者に向き合わないまま、勝手に死んでいくことは許さない。

 勝手に守って、勝手に死んで行こうとするのも許せない。



 まるで、ケントの願いを見透かしている様な糾弾に、ひっそり自嘲していたとはカイリも知るまい。



「……、……カイリはそういう人だよね」



 だから、何よりも彼の傍は苦しい。

 しかし、だからこそ、誰よりも彼の傍にいたい。

 出会った時から、ケントという人間を見てくれる人だったからこそ、その手を離したくなかった。


「……今は、そんなことは良いか」


 ぐだぐだ考えごとをしている間に、一つの牢の前に辿り着く。

 気持ちを切り替えて、ケントはノックをし、相手の返事も待たずに扉を開いた。看守にはもう既に話は通してある。見張りはいない。

 扉を開けた先では、ガルファンが椅子に座って書き物をしているところだった。ケントの姿を認めて、慌てて腰を浮かす。



「け、ケント殿? 何故、このようなところに」

「もちろん用事があってに決まっているでしょう。用事もないのに会う間柄でもありませんし」



 冷淡に言い切れば、ガルファンは弱り切った様に「そうですよね」と苦笑した。頼りない笑みだ。彼は初めて出会った時と何ら印象が変わらない。少し気弱だけれど優しい人間だ。

 だから、父も彼とは距離を縮めていったのだろうか。


「少しだけお聞きしたいことがありましたので。話をしても?」

「もちろんです! どうぞ。今、お茶を……」

「遠慮します。そこまで長居をするつもりはありませんので」


 立ち上がって見回すガルファンを、ケントは淡白に制する。

 彼はまたも眉尻を下げて苦笑したが、素直に聞き入れた。そもそも、ここでは飲食は自由に出来ないことに気付いたのだろう。お茶を出すなど無理だ。


「……そういえば、ガルファン殿は、本当に自ら死のうとしなくなった様で。生かされている意味も理解して頂いて何よりです」

「ええ、この命は既に国に預けてありますから。それに……妻にもカイリ殿にも諭されましたから。村の助けの声を無視したせいで子供達が死んだというのに、その彼らの親に向き合わずに死のうとするなんて不誠実でした。……最善の策だと思って命を差し出そうとしましたが、自己満足でもあったと今なら思います」

「そうですね。僕だったら、もし、カイリや家族を殺した犯人が、知らないところで勝手に悔いて死んだと知ったら怒り狂いますし、死のうとするくらいなら僕にむごたらしく殺されろ、って呪いますね」

「は、はは、……ええ。そ、そうですよね」


 最後の部分を語気を若干強めて言い放てば、ガルファンは引きつった笑いと共に同意してきた。

 ガルファンが選択した責任の取り方は、正直貴族としては妥当だ。それは、ケント達自身貴族の特権が付与されている意味を理解しているし、それが当然の世界で生きてきたからである。



 ただ、利点があるからという理由で死んで終わらせるのは、カイリの言う通り無責任な側面もあるのだ。



 今回で言えば、実際に被害者になったルーラ村の者達についてだ。もしガルファンが即刻処断されたと知ったら、彼らは憤慨していただろう。自分達の知らないところで勝手に決断を下され、勝手に終わらせられたら気持ちは置いてけぼりになる。

 国の都合ではあるが、結果的にガルファンが生きていることで、ルーラ村の者達の気持ちはないがしろにされなかった。カイリやフランツが状況説明したこともプラスに働き、今は落ち着いている。


 ――また思考が飛んだな。


 気を取り直すため、ケントはちらりと外に視線を向けてから、微かに扉を開けたままにして彼の向かいの席に座る。ガルファンも倣って腰を落ち着けた。



 二日しか経ってはいないが、ガルファンはすっきりとした面持ちをしていた。



 己が犯した罪と向き合い、憑き物が落ちた様に安堵している。例え死刑を宣告されても、彼はありのまま受け入れるだろう。

 元々人が良い。妻に関しては随分と大胆な決断をしたが、惚れた云々を抜きにしても、困っている相手が目の前にいたら何とかしたいと行動をしていただろう。想像に難くない。

 ならば、この結末は必然だったのだ。彼もそういう意味での後悔は少ないのかもしれない。


「それで、ケント殿。お聞きしたいこととは、何でしょうか」

「ああ、……」


 正直、ここに来るまで何度も迷った。ケントにとってはどうでも良い――と一言で割り切れないからこそ、二の足を踏んだ。

 恐らく父が関与しているからだろう。前世の頃からは比べ物にならないほど、ケントは興味の対象が増えてしまった。


「今回の件について、ガルファン殿は言いました。妻が生き返るかもしれないという悪魔の希望を持った、と」

「……はい」

「ですが、一方でこの陰謀を止めて欲しい、助けて欲しい。そう思ったから、カイリに助けを求めようとした、と。……カイリに止めて欲しいと願って、道筋を作ろうと思った、と」

「はい」

「まあ、希望を持ったというのは演技だった様ですが、それは良いです」

「はは、……はい」


 静かではあるが、はっきりとした受け答えだ。迷いなく見つめてくる瞳も真っ直ぐで、嘘偽りを吐くことはないだろう。

 一瞬ぐっとテーブルの下で拳を握り、努めて平坦に聞こえる様にケントは目的を口にした。



「何故、父に相談しようとは思わなかったのですか?」

「――」

「僕から見ても、貴方はそれなりに父とは親しかった。父も貴方のことを気にかけている節がありました。……今回の件だって、本気で父に助けを求めようと動けば、例え監視がいたとしてもルーシー殿も村も何とか守れたはずです」



 正直父に頼り過ぎるのは腹立たしいし、軽蔑してしまうが、ガルファンは今回一切父を頼らなかった。それはそれで、父のあの淋しそうな笑顔が過って苛立ちが募る。

 ガルファンにとっては意外な質問だったらしい。きょとんと目を瞬かせた後、やはり弱り切った様に顔を歪ませた。


「ケント殿が、まさかそんな質問をされるとは。お父上の力に群がる者達はお嫌いではありませんでしたか?」

「ええ、嫌いですよ。自分で何とかしようと試みもせずに、ただただ父の力や地位にたかって搾取しようとする輩は滅亡すれば良いです」

「では、何故、……。……いえ。そうですね」


 疑問には思ったようだが、ただの戯れでないことは十二分に伝わったのだろう。沈む様に思考に潜りながら、ガルファンはぽつぽつと口を開いていく。


「仰る通り、クリストファー殿なら、助力を請えば何とかしてくれたかもしれません。呆れられもしたでしょうが」

「……」

「ですが、……私は彼を巻き込みたくなかった。これは、私の完全なる落ち度でしたから」


 目を閉じて囁く様な彼の声音には、労わる響きさえ伴っている風に聞こえた。

 それに虚を突かれ、ケントは訝し気に眉を跳ね上げる。

 だが、それに気付かないまま、ガルファンは伏し目がちに続けていった。


「今回の件は、十七年前に誰にも相談することなく、私がマナを連れ帰り、結婚したことが発端です。……マナは、ファルエラの王族の一部から命を狙われ、実際幼い頃にも狙われて、死んだことにして生きなければならなかった。生きていると知られれば、また命を狙われる。そんな存在でした」

「ええ。そう聞いています」

「ですが、……震えながらも必死に日々を生きる彼女に惚れた私は、彼女を見捨てるなんて出来なかった。そんな情けない、薄情な男になりたくなかったし、何より……共に生きたいと、彼女を笑顔にしたいと願った。その時点で、私は愚かな男に成り下がったのです。村よりも、国よりも、彼女を取った。……最悪の場合、色々な口実をつけて二国間の戦や悪化の火種になるかもしれないのに」


 本当に愚かだ。


 ケント自身、そう判断している。彼が彼女を連れ帰らなければ、そもそも己の村も危険に晒されなかったし、呪詛の起点にだってされなかった。

 しかし、一方で彼の言いたいことも理解出来る。ケントだって、カイリが同じ立場にいると知れば、国よりも彼を選ぶ。実際、ケントは前世の時からずっと、今世でも生まれた時から彼のために生きると決めたし、生きたいと願っている。


「彼女や彼女を守る一族からは、誰にも話さず墓場まで持っていくことを条件に結婚の了承を得ました。それでも、最初はクリストファー殿には話そうかとも思ったのです」

「……では、何故?」

「巻き込みたくなかったからです」


 またその一言か。

 巻き込みたくないと言いながら、結局今回の事件で父は手を貸さざるを得なくなった。意味がないのでは、とケントは呆れて物も言えない。

 そう、思った直後。



「彼を、火種の共犯者にはしたくなかった」

「――――――――」



 一瞬、ケントは喉が詰まった。息を吐き出そうとしたのに、塞がれた様に動かなくなる。

 巻き込みたくない、の意味するところの方向性を提示され、胸を深く突かれた様な気分を味わった。


「マナを連れ帰った時に彼に相談していれば、彼ならマナの情報をいくらでも操作出来たでしょうし、幾重にも防衛を張り巡らせて様々な問題点に対処してくれたでしょう。そうしたら、彼女は今もファルエラに存在を嗅ぎ付けられなかったかもしれない」

「……、そうでしょうね」

「ですが、……万が一があります」


 穏やかに微笑むガルファンの瞳には、憂いが過った。誰かを案じる色だと、嫌でもケントは思い知る。


「マナの存在が知れ、今回の事件みたいなことが起こり、二国間の関係が悪化したり、戦の原因になった場合、罪を問われるでしょう。……そうなれば、協力してくれたクリストファー殿だって、色々まずいことになったでしょう」

「……、父は」

「もちろん、彼ならばそんなヘマをやらかさず、冷静に対処出来たでしょう。彼は落ちぶれる様な失態は犯さないとも思います」

「……ならば」

「ですが、万が一、というのは、可能性がゼロではないからこそ『万が一』と言うのです」


 淡々と説いて行くガルファンの声は、静謐なのにどこか力強い一本の芯が通っていた。その芯に突かれて、ケントは言葉を飲み込んでしまう。



「今回の事件で彼に助けを求めなかったのも同じです。もしここで手を貸してもらえば、それなりに気にかけてもらっていると知られていたからこそ、ファルエラが何と言って来るか分からなかった。クリストファー殿を火種に巻き込むことになります。……まあ、それでカイリ殿に頼ろうとしてしまったのだから、恥知らずも良いところですが」

「……」

「……おこがましい様ですが、私は彼とは友になりたかった」



 友、という単語が出た時、一瞬だけケントの後ろの空気が揺れた気がした。

 複雑だ。本当に、もやもやとした心地が胸の中に落ち着かないくらい広がっていく。

 だが一方で、安堵する自分もいた。相反する気持ちが激しくぶつかり合う自分は、まだ人間なのだなと実感する。


「彼とは利用したりされたりではなく、好きなことを好きなだけ喋り、心から笑い合って並び立つ。そんな関係になりたかった」

「……」

「彼は、見せかけの仮面で人を判断したりはしません。色々恐れられていますが、家族思いで優しい人だ。貴方達とのやり取りを見ていれば、よく分かります」

「……、家族にだけかもしれませんよ」

「そうですね。でも、誰にでも優しいことが、優しい人、というわけではないでしょう?」


 否定をされなかった。むしろ本質を突いた言葉だ。

 この人は父のことを、家族ほどではなくてもよく見ているのだなと、また一つ知る。


「彼は、妻を失って落ち込んでいる私を励まし、外に引っ張り出すために五月に晩餐会に招待してくれました。それは、紛れもなく彼の優しさではありませんか?」

「……そういう意味かは分からないのに?」

「そうですね。だから、勝手に私が思っているだけです」


 また否定されなかった。

 この人は、確かに他の貴族とはズレている。進んで民と一緒に畑仕事や牧畜に精を出すだけはある。

 そして、本来はとても頭が回る、穏やかで強い人なのだとも痛感した。カイリにヒントを与える時にも片鱗は見せていたが、その直感は正しかった様だ。

 だからこそ、惜しい。ファルエラの脅しに、半ば諦めてしまったことが。

 けれど。


「……そうですか。だから、マナ殿は僕を巻き込んだことに謝罪したのですね」

「マナも、私の気持ちは知っていましたから。……ケント殿。クリストファー殿にお伝え下さい。今回の件に巻き込んでしまって申し訳なかったと」


 頭を下げて懇願する彼に、ケントは地面に落ちるほどの溜息を吐いた。

 もう、ケントは彼に用事は無い。



「……。だってさ、父さん」



 後は、本来話したいだろう人に託そう。



「――、え?」



 ガルファンが呆けた様に頭を上げる。その顔が間抜けに過ぎて、ケントは少し胸がいた。

 そうして、少しだけ開いていた扉が、ゆっくりと開かれていく。

 開いた先から姿を見せたのは、ケントと顔立ちがよく似た人物だった。ぱかっと、ガルファンの口が阿呆なほどに大きく開く。



「く、く、く、……く、く? クリストファー、どの?」

「やあ。……今日は、友として会いに来たよ」



 にっこりと笑う父の姿に、ガルファンは呆然と椅子に座ったまま見上げる。

 だから気付くことは無いだろう。父は、今、少しだけ緊張している。珍しいことだ。


「じゃあ、後はごゆっくり」

「……ケント。ありがとう」

「別に。……父さん。今世でも、ちゃんと友達が出来て良かったね」

「そうだね。……今からその友達に、ゆっくりじっくりお灸を据えなきゃならないけど」

「えっ⁉」


 ゆったりと微笑む父の顔には、どす黒い影が差している。その変化には目ざとく気付いたらしく、ガルファンが震え上がっていた。


「さあ。友として、好きなだけ、好きなことを語ろうか」

「え、あ。……いや、しかし、もう私は犯罪者で」

「犯罪者だろうが、私が友と思えば友だよね? カイリ君だって、犯罪者のネイサン殿をおじいさまと慕って今日会いに行っているよ?」

「え、あ、あ、……」

「……君が苦しんでいる時に、何も力を貸せない様にしてくれたんだ。当然、お詫びとして私の鬱憤に付き合ってくれるよね?」


 ねえ、と向かいの椅子に座り、両手を突いてにこにこと父が首を傾げる。

 ガルファンはもう観念したのか、はい、と項垂れて大人しく縮こまっていた。

 だが、どこかで嬉しそうな空気が通っている。

 それを見届けて、ケントは牢屋を抜け、早々に地上に上がった。やはり真っ暗な地下は合わない。気持ちまでじめじめして落ちそうだ。

 父が喜ぶ姿を見るのはケントも嬉しい。ガルファンと決着を付ける前に落ち込んでいた父を見ていたからこそ、良かったと胸を撫で下ろす。

 けれど。



 ――あの空気には、どう逆立ちしたって、僕じゃ入れない。



 あの二人の世界は、あの二人だけのものだ。息子であるのに、あの世界の中では大好きな父の傍にいけない。

 それが、ひどくさみしい。何て子供なのだろうかと絶望するが、それがケントだ。

 だから。



〝だって、ケント君が言ったんだよ?〟



 前世では、償いきれない過ちを犯してしまったのだ。



「……。……これからどうしよっかな」


 今日は朝に仕事を終えて切り上げてきた。部下達に後は任せて、自由行動となっている。

 昔のことがフラッシュバックしたせいで気分が悪い。

 どうしようかと思いながら、ふらりと商店街の方へと足を向けていた。このまま屋台街でも行って、馬鹿騒ぎの中で腹ごしらえでもしようかと思った矢先。



「あ、ケント!」

「――」



 背後から、明るく名前を呼ぶ声が聞こえてきた。そんな風に親し気に呼んでくれる人物など、家族以外では一人しか思いつかない。

 カイリ、と振り返って――笑顔が固まった。


「よう、ケント殿。サボりか?」

「……レイン殿」


 テンションが一気に地の底へと沈んでいった。沈むだけでは足りない。世界の裏側まで掘り進む勢いである。

 本当に、今日は最悪な気分だ。よりによって、カイリの隣にいるのが『彼』なのか。

 あからさまに嫌そうな顔をしたからか、レインが苦笑しながら肩をすくめる。



「あんた、ほんっとにオレのこと毛嫌いしてるよなー」

「お互い様でしょう。貴方だって、僕のことは嫌いなくせに」

「……」



 目も合わせずに言い切れば、何故かレインが詰まった様に息を呑む。何でそんな反応になるのかと毒づきたかったが、その前にカイリがぽんぽんと肩を叩いてきた。


「ケント、何かあったのか?」

「……どうして?」

「何だかご機嫌斜めな感じがするから。……嫌なことでもあったのか?」


 心配そうに見上げてくる彼に、ケントは彼の肩に額を押し付けたい衝動に駆られた。そのまま泣ければ良いのに、とせん無きことを思う。レインがいるのだから絶対に無理だ。

 カイリは、本当に人をよく見ていると思う。ケントとしては通常運転のつもりだったが、やはりどこか不安定なのだろう。ガルファンに父を取られたとでも思ったのだろうか。どれだけ子供なのかと自分で自分に呆れ果てる。


「うん。嫌なことはあったけど、カイリに会えたから。少し浮上した」

「そうか? ……あ。これからケントの家に行くところなんだ。一緒に行くか?」

「そっか。ネイサン殿に会うんだっけ。……」


 カイリも、ケント以外の人と話す。ケントが入っていけない空気を作られ、ぽつんと一人でそれを見ていなければならないのか。

 それは、今のケントにはかなり酷だ。



「……、えっと。僕、これから仕事があるから!」

「え? さっきデネブ殿に会ったけど、今日はケントは午後は仕事無いって聞いたぞ?」



 ――あいつっ。



 思わず口汚く悪態を吐き、ケントは舌打ちする。もちろん心の中だけでだ。カイリが余計に心配する。


「……。あー。それならよ、オレとデートでも行くか? おごるぜ」

「――。冗談でしょう。貴方と行くなら死んだ方がマシです」

「おい……」

「ふざけるのも良い加減にしたらどうです。どうせ、……」



〝よし! お前、――に―――――よ〟



 そうだ。絶対にごめんだ。

 彼とどこかへ出かけるなんて、絶対に嫌だ。



〝もし気が変わったら、いつでも――――いよ。オニーサンは面倒見がいいんでね〟



 ――僕のことを、覚えてもいないくせにっ。



「……。なあ。おじいさんとお話した後……一緒にどこかへ出かけないか?」

「……え?」


 深い、ぼこぼことした真っ暗な海に思考を沈めていると、カイリが手を引く様に声をかけてくる。

 顔を上げると、腰に手を当てて胸を張りながら、得意気にカイリが笑っていた。


「元気が出ないなら、美味しいものをたくさん食べて、たくさん喋って、たくさん笑う! 喋るのが億劫なら、食べながら一緒にいるだけで良い」

「……」

「どんなに元気が無くても、お腹はすくしさ。……空腹だとよけいに悪いことばかり考えがちだから、……どうかな。一緒に食べられるなら俺は嬉しいんだけど」


 一緒にいたい、とカイリが手を差し出してくる。

 彼らしい考え方だ。食べるのが好きな彼の言うことだから、きっとそうなのだろうと思う。

 ケントの大好きな人は、ケントとは違う人とケントが入れない空気を作ることがある。それは父も母もセシリアもチェスターもそうだし、当然カイリも同じだ。彼らには彼らの友好関係があるのだから当たり前の真理である。



 それでも、時折それがひどく淋しい。



 ケントにはカイリだけが、家族だけがいれば良いのに、彼らは違う。そんな時、ケントは彼らに置いて行かれた様にひとりぼっちの気分になるのだ。

 他の人だってそう思うことはあるのかもしれない。

 だが、ケントはそれが顕著だ。前世は環境のせいでそれが際立っていて、結果的にそれがカイリを追い詰めた。

 だから、本当はここは断らなければならないのかもしれない。心の奥底で渦巻く自分が、牙を剥いて独占したいと叫んでいるが、これはある程度は自制しなければならない欲なのだ。

 そうでないと。



〝これで、ケント君は――ずーっと一緒―――!〟



「――っ」



 耳障りな甲高い声が脳裡に響いて、思わずケントは拳を握り締める。手の平が痛くなって、もしかして皮膚が裂けたかなと遠いところで分析した。

 カイリが呼吸を止める様に凝視してくる。レインもへらっとした笑みを消した。


 ――ああ、失敗した。


 ケントは『柱』を得ながらも、ずっと前世に囚われている。


「……ケント」

「……何? ――っ」


 言うが早いが、カイリが唐突に抱き着いてきた。ありえなさすぎる行動に、ケントは無様にされるがままになる。

 ぎゅうっと、抱き締めてくる力は強いのに、とても優しい。きついはずなのに苦しくはなくて、彼が労わってくれているのが満たされるほどに伝わってくる。


「ケント。一緒に食べよう」

「……」

「今日は強制的に付き合ってもらうからな」

「……、……珍しく強引じゃない?」

「強引で良いんだ。ケントだからな」

「……何それ」


 答える声は、力を入れたはずなのに頼りない。こんなに弱っているのかと、自分自身驚いた。

 けれど、自然と笑みが零れていく。力は無いが、冷え切って暗かったはずの心が、熱と明るさを静かに取り戻していく。


「分かった。……ネイサン殿とのお話が終わったら、食べに行こうよ」

「ああ。……レインさん」

「あー、じゃ、オレの代わりはケント殿に託そうかね。ネイサン殿との対話、頼むな」

「ええ。貴方よりも百倍頼りに働きますよ」

「へーへー。……じゃ、団長に食事のことは伝えとくぜ。張り切って夕食用意してるだろうけど」

「大丈夫です。今はまだお昼です。夕食はちゃんと食べます」

「……お前の胃袋が、オニーサンは時々分からなくなるぜ。作り甲斐はあるけどよ」


 苦笑しながらも、最後は爽やかに手を振ってレインが去って行く。

 どんな時でも颯爽と去って行く後ろ姿がケントには憎たらしい。カイリには、「カッコ良いな」と憧れの対象になっているのがまた腹立たしかった。



 でも、ケントにとってはカイリが一番カッコ良い。



 カッコ良さは人それぞれだ。カイリにはカイリの優しいカッコ良さがあって、ずっとケントが変わらず憧れ、尊敬している一面だ。

 きっと、これからもケントはカイリ達の輪を遠くから見て、淋しいと思うことがあるだろう。その度に暗く沈んでいくかもしれない。

 それでも、もう大丈夫だと思える自分もいる。

 今世では、愛されていると、きちんと認識出来ているから。


「じゃ、レイン殿の代わりに、僕がカイリをエスコートするね! もしもネイサン殿が暴れたら、秒で押さえ付けてあげる!」

「……頼もしいけど、俺のおじいさんを戦闘狂にしないでくれ」


 カイリはケントを決して忘れない。家族も同じだ。苦しい時も淋しい時も、手を伸ばしたら握り返してくれる。

 だから、今のケントは道を見失わない。そう思える様になった自分を少しだけ誇った。











「……、オレも結構前世のことは覚えてると思ってたんだけどなー」


 カイリやケントと別れてからしばらく歩いた先で、レインはがりがりと頭を掻いて溜息を吐く。


「……結局オレも、カイリと同じってか」


 先程、ケントの様子が変だった時に、不意にレインの頭の中に知らない言葉たちが乱反射する様に木霊し、遠くへと逃げていった。

 その知らない言葉の中には、ケントの声が確かにあったのだ。

 そうだ。知らないはずなのに。



 レインは、



「……あー……。……巡り合わせってのは恐ろしいもんだな」



〝お互い様でしょう。貴方だって、僕のことは嫌いなくせに〟



 確かに、レインのケントへの印象は良くはなかった。

 しかし、それは初対面の時に、彼が他の人に対する以上にレインに冷たかったからだ。いつもなら流せたはずなのに、レインも何故かかちんと来て、売り行動に買い行動という感じでここまで来ていただけである。

 けれど、今になって彼がレインに対しては必要以上に刺々しかった理由が、何となく読めてしまった。

 何がキッカケに記憶が甦るか分かったものではない。


 だが、もし――との記憶が完全に甦った時、レインはどうするのか。


 面倒だな、と思いながらも、重苦しい後悔が気まずそうに沈み込んでいくのを感じていた。


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