第324話


【秋の夕日に 照る山紅葉もみじ



 月が、カイリの祈りの声に応じる様に真っ白に舞いながら辺りを照らしていく。

 フランツ達が振り返ってきたが、非難の色は見当たらない。好きにやれ、と背中を押してくれる眼差しに、カイリは更にのびやかに紡ぐ。



【濃いも薄いも 数ある中に】



 涼やかに吹き抜ける夜風に乗せて、カイリは遠く、どこまでも遠く歌を届ける。

 ガルファンが、ルーシーが、闇の塊が、カイリを見上げてきた。どこか懐かしいものを映すかの様に、彼らの顔がくしゃりと歪む。



【松をいろどる かえでつたは】



 大切な人との想い出の地。想い出の季節。

 かつて、ガルファンがよく家族で赴いていたという紅葉狩り。

 輝く紅葉の中を歩く夫婦は、さぞかし幸せな顔をしていたに違いない。娘が生まれてからは、幼いルーシーを挟んで、仲良く歩いていたのだろう。


 カイリも、両親と共に季節溢れる自然の中をよく歩いていたから。


 彼らもそうだったら良いと、まぶたを閉じた先に幸せの景色を見る。



【山のふもとの 裾模様すそもよう



 彼らは、禁忌を侵しながらも再び巡り会えたのだ。

 ならば、もう一度。

 この、最後のひとときだけでも。

 どうか、――どうか。



 彼らに、かつての姿で、想い出の地を歩いて欲しい。



たにの流れに 散り浮く紅葉】



 不意に闇の塊が、透き通る様に輝いていく。

 ガルファンが愛した人。ルーシーが愛していた母。

 その二人を愛していた、マナ。

 ささやかに、けれど彼らにとっては抱えきれないほどの幸せな日々。

 どうか、思い出して欲しい。


 どうか、届いて欲しい。



【波にゆられて 離れて寄って】



 呪詛に負けず。

 憎しみに囚われず。

 ただ、ひたすらに大切な人を愛していた日々を。



 笑い合っていた、三人の姿を思い出して欲しい。



【赤や黄色の 色様々さまざまに】



 どうか、もう一度だけ。

 きちんと、彼らに別れを告げさせて欲しい。

 カイリが、別れを告げられた様に。



【水の上にも にしき



 ――どうか、彼らにもその機会を与えて下さい。



 祈りながら、願いながら、カイリは心から歌を捧げる。

 へたり込みそうになるのを踏み止まって息を整えていると、視界の端でケントが驚いた様に辺りを見回していた。何だろうと、カイリも不思議に思って視線を巡らせ――息を呑む。


 気付けば、フュリー村全体がうっすらと光り輝いていた。


 真っ白な大地から、飛沫を上げる様に燐光が舞う。夜空を嬉しそうに彩り、花吹雪の如く舞いながら闇の塊へと降り注いでいった。

 光が、ひとひら、またひとひらと塊へ吸い込まれていくたびに、だんだんと塊が人の姿を形作っていく。ガルファンが、ルーシーが、震える吐息を漏らしてその光景を見上げる。

 全ての燐光が吸い込まれた時、そこにいたのは一人の女性だった。

 もう、飲み込まれるほどの闇色も、真っ暗に染まった声も、何処にもいない。



 ただ、快活な空気を纏う、優しく温かな笑みを見せる女性が佇んでいた。



「――ガルファン、ルーシー」

「――、……っ!!」



 女性が花開く様に、二人の名を呼ぶ。

 途端、弾かれた様にガルファンもルーシーも彼女に抱き付いた。ぎゅうぎゅうに抱き締める二人に、あらあらと、あやす様に彼女が笑う。


「マナ……!」

「お母様……!」

「あらあら、……もう。いつまで経っても甘えん坊なんだから。特にガルファン? 貴方、私がいなくなって、ますますヘタレたんじゃないかしら? 駄目よ? 貴方、お父さんで領主なんですからね」

「ああ、……ああっ! すまない、……すまない……っ!」


 ガルファンが謝る姿に、仕方ないわね、と苦笑しながら女性――マナが背中を撫でる。その仕草はとても快活なのに、ひどく優しい。

 ルーシーを撫でる手もまた穏やかなものであり、彼女の二人に対する愛情が手付きだけで見て取れた。



「ルーシー、頑張ったわね。流石は、私とお父さんの子。さっきの覚悟、カッコ良かったわよ」

「……お母様! でも、私……、結局何も……っ! お父様を支えることも、苦しみに気付いてあげることも、……それどころか、足を、引っ張って……っ」

「いいえ。どれだけけられても、根気強くこのヘタレたお父さんの傍にいて、笑って話しかけていたでしょう? お母さん、ちゃんと見てたわよ」



 よしよしと、頭を撫でてマナが語りかける。その言葉にまた、ルーシーが大粒の涙を溢れさせた。

 先程から、二人の涙が止まらない。マナは心底困った様に二人を抱き締めながら頬を膨らませた。


「ちょっと、もーう! 子供が二人もいるわよ! ガルファン、しっかりなさい! 貴方、これから大変なのよ!」

「わ、分かって、……っ、……分かっている……っ」

「ガルファン。それは、分かっている人の態度ではないわよ?」

「……っ、……すまなかった……っ! ……守れなくて、すまなかった……! あの時、一人で森に行かせたばっかりに……!」

「――っ」


 ぎゅうっと抱き締めながら、ガルファンが抱えきれぬ後悔を吐き出す。

 マナも一瞬息を詰めた様に口を引き結んだ。泣きそうになるのをぐっと堪えた姿は、カイリ達にしか見えなかっただろう。現に、次に聞こえてきた彼女の声は、震えてはいなかった。


「良いのよ、ガルファン。私も油断していたの。……死ぬまで狙われる危険があることを、私はこの幸せな生活の中で忘れてしまっていた」

「……マ、ナ……っ」

「大丈夫。私は、危険を忘れてしまうくらいとっても幸せだったわ。貴方と出会えて、諦めていた恋愛結婚も出来て。愛するルーシーも生まれて、死ぬまで本当の本当に幸せだったの。……危険を冒してまで私をこの地に連れてきてくれて、ありがとう」

「……っ、……っ!」


 二人の背中をあやす様に撫でるマナは、とても穏やかな表情をしていた。

 彼女の中にも、無念は眠っているだろう。もっと大好きな家族と一緒に過ごしたかったに違いない。

 それでも断ち切る様に伝える言葉は、愛と暖かさに溢れている。――カイリが、両親達にかけてもらった言葉もそうだったと、目の奥が熱くなっていくのを誤魔化す様に喉を動かして飲み込んだ。



「さあ、ガルファン。もう泣くのは終わりよ。……たくさん、たくさん、罪を犯してしまったんだもの。……私も、呪詛にさいなまれて、フュリー村を苦しめただけでなく、そこの男の子にたくさん苦しい思いをさせてしまったわ」



 マナが、申し訳なさそうにカイリに視線を向けてくる。

 まさか、そんなことまで覚えているのかと驚きながら、カイリは軽く頭を下げた。


「カイリさん、と仰ったかしら。ごめんなさい。貴方には、攻撃をしたり、血を吐かせたり、たくさん痛い思いも恐い思いもさせてしまったわ」

「いいえ。……俺も、最初の時、貴方に悲鳴を上げさせるほどの激痛を与えたと思います」

「あら、あれくらい大丈夫よ。自業自得だし、それに男の子はやんちゃな方が良いんだから」


 ねえ、と明るく笑い飛ばされ、カイリは戸惑うしかない。

 本当に、とても元気で朗らかな人だ。ガルファンが惚れたのも納得の包容力である。


「カイリさんが助けてくれなければ、私は更に罪を犯すところでした。本当にありがとうございます」

「……、いいえ。その、……マナさんがあんな風になったのはいつからですか?」

「死んだ後、私は魂のまま彷徨って二人を見守っていたのだけれど……ある日、ファルエラの者達が私の骨を盗んだの」

「……マナさんの骨で、五芒星を描いたんですね」

「そうです。その時に、呪詛……なのでしょうね。貴方が歌ってくれたあの言葉と同じ様に聞こえたけれど……耳にするだけでおぞましかったわ。彼らのその言葉を聞くたびに、憎悪や慟哭どうこくや無念や悲嘆が……一つ一つ深く刻まれて。私の感情ではない、別の作られた感情を植え付けられていく様な感じがして……とてもではないけど、正気を保つことが出来なくなってしまった」


 マナから理性を奪い、狂わせ、ただひたすらに何かを憎む存在へと化した。


 それでもガルファンやルーシーを認識出来たのは、マナの二人への想いが強かったからだろう。カイリも、その怨嗟や憎悪の声の奥の奥に、別の声を見つけられた。それは、マナが正気を失くしながらも必死に抗ったからだろう。

 強い人だと思う。

 何故この人が、とやりきれなくなるが、もう過去は取り戻せない。生きた者達は進むしかないのだ。


「皆様、本当に申し訳ありませんでした。その、……怪我はされていないでしょうか?」

「ええ、大丈夫ですよ。冷や冷やはしましたが」

「銃だけでしたし、どうにかなるっす!」


 マナが苦しそうに謝罪をするのには、フランツとエディが明るく答えた。レイン達も言葉は無かったが、同意する様に微笑んでいる。

 みんな、かなり危機感を覚えていたはずなのに、笑って受け流していた。凄い人達だと感嘆する。



「それから、……ケント殿、ですよね。この度のこと、誠に申し訳ありませんでした」



 マナが、ケントに向き直って謝罪する。

 ケントがぴんと来ない顔のまま、体を彼女に向けた。


「……。何故、改めて僕に謝るんです?」

「主人の大切な方だけではなく、その息子殿である貴方まで巻き込んでしまいましたから」

「――」

「ま、マナ!」

「……謝罪を受け取ってもらえなくても構いません。ですが、どうか謝らせて下さい。本当に申し訳ありませんでした」


 深々と頭を下げるマナに、ケントはどこか戸惑った様に気配を揺らした。横顔は無表情だが、動揺はしているらしい。ぽん、とケントの背中をカイリは軽く叩く。

 ケントの返事はなかったが、最初から期待はしていなかったのだろう。

 マナはカイリに向き直り、改めて頭を下げてきた。夫と娘、二人の背中を押す様に包み込みながら、感慨深そうに告げてくる。



「ありがとうございます。……私に、家族と話す最後の機会を与えて下さって」



 彼女に残された時間は少ない。

 知った上で、その限りない時間を使ってカイリ達と会話をしているのだ。

 彼女の折り目正しい誠実さに、カイリは緩く首を振った。


「いいえ。俺は、こんなことしか出来ませんでしたから」

「あら。死者を苦痛から解放した上に、会話をさせることは、『こんなこと』ではないわよ」

「でも、……俺、結構ガルファン殿にも酷いことを言ったと思います。余計に、……」


 言葉を濁したのは、ガルファンやルーシーへの言い訳になると思ったからだ。苦しい結果を与えたかもしれないと口にすれば、二人は確実に意識する。

 だが、マナには正しく伝わってしまった様だ。悪戯っぽくウィンクしてくる。


「良いのよ。ガルファン、気が優し過ぎてヘタレだから、あれくらい尻叩いてあげないと」

「ま、マナ……」

「本当に心から償いたいなら、生きるしかないの。被害者全員に向き合わなければならないの。自ら死ぬんじゃなくて、せめて誰かに討たれるまで。そうでなければ、命尽きるその時まで。……生きて、償い続けるしか道は無いのよ。……私も、その覚悟で貴方に嫁いだのだから」


 カイリと同じ言葉だが、重みが全然違う。

 彼女の諭しに、ガルファンは感じ入る様に目を伏せた。ああ、と重々しく頷く。


「……そうだな。……その通りだ」

「そうよ。カイリさん達に真実は伝わったの。ルーシーのことも、きっと見捨てないでいてくれるわ。……そう、信じても良いですよね?」

「……約束しましょう。ガルファン殿の罪は、娘殿には負わせません」


 ケントが代表して声を上げる。この中で、裁きの権利を持っているのは彼だ。

 マナもそれを理解していたからか、ケントに向かって確認していた。聡明な女性だと、カイリは感嘆してしまう。


「ありがとうございます。貴方の慈悲に、感謝を」

「いいえ。それより、家族との会話に時間を割いてあげて下さい。カイリがせっかく全力を出していたので」

「……はい」


 ケントの勧めに、マナはもう一度頭を下げる。カイリにも感謝の意を示してから、ガルファンとルーシーに向き直った。


「ルーシー。貴方はこれから、とても大変な責を負うことになるわ。それに……お母さんの経歴のせいで、貴方を傷付けることになるかもしれない」

「いいえ、……いいえ、お母様。どんなお母様でもお母様に変わりはありません。私の大好きな、明るくて、優しくて、強い、誇り高きお母様です」


 ルーシーが真っ直ぐにマナを見据えて断言する。

 迷いの無い言葉に、マナは一瞬だけ泣きそうに顔を歪めた。ぎゅうっと抱き締める腕に力をこめ、次いでガルファンに視線を向ける。


「ガルファン。貴方はこれから、何を置いても牢獄行きね。たくさんの命を奪ったこと、奪おうとしたこと、どうか背負って生きてちょうだい」

「……ああ。そうだね」

「……ごめんなさい。私の出自のせいで。……それでも、さっきも言ったけど、私は幸せだった。貴方と一緒になったことを後悔していないって言ったら、怒るかしら」

「何を言うんだ。私の生涯の誇りだよ。君と結婚出来たことと、娘を授かったことはね」

「……、……そう」


 はっきりと言い切ったガルファンに、マナは今度こそ瞳を潤ませていた。目尻から流れる濡れた跡が一筋だけなのは、彼女の意地だったのかもしれない。


「私も、貴方と、そしてルーシーと共に生きられたこと、誇りに思うわ。……例えどんな最期だったとしても、それは変わらない」

「……っ、マナ」

「だから。どうか、前を向いてちょうだい。人は、いつか必ず死ぬもの。……それが早まっただけのこと。だから、……そう思ってちょうだい」


 ぎゅっとガルファンの手を握り、マナは強い眼差しを向ける。

 その瞳に憎悪は無い。だからこそ、ガルファンも目を瞑って深く息を吐き出した。



 彼女の言葉は、「復讐を望むな」。



 そう暗に明言しているからこそ、――最後の遺言だからこそ、ガルファンは受け入れざるを得なかった。


「……分かった」

「なら、良いわ。……ルーシー、ガルファン。愛しているわ。例え、どんな姿になっても、二人のこと、見守っているから」

「はい、……はいっ。お母様。私も、愛しています。ずっと、ずっと! 愛しています!」

「私も愛してるよ、マナ。生涯、ただ君だけだ。ずっと、ずっと……っ。君だけを愛している」

「……馬鹿ね。本当に、馬鹿ね。……でも」



 幸せよ。



 太陽の様に輝く笑みを見せた後。

 マナの体が、透けていく。時間が来たのだと、カイリは悟った。

 ガルファンとルーシーが、苦しそうにマナを追いかける。手を伸ばして、離れていく彼女を必死に掴んだ。

 マナは、そんな二人に優しく微笑んで、今や背景が見えるほどに透き通る手で握り締めた。


「ほら、笑ってちょうだい。最後に見せる顔がそんなんじゃ、私が安心出来ないじゃない」

「……っ、……お、かあさま……っ! お母様、……ありがとう……っ」

「マナ、……っ……、……分かったよ。……ちゃんと、笑って生きるから」

「あ、ガルファンは笑ってばかりだと刺されるから。神妙にもしてね」

「……、ああ。……まったく、君は相変わらずだね」

「だって私は、ガルファンの妻で、ルーシーの母だもの。それは死んでも変わらないわ」


 屈託なく笑う彼女に、目を見開いて。

 次には、泣きながら二人が破顔した。ガルファンも、ルーシーも、堪えきれない様に笑いだす。

 それを見つめて、マナは安心した様に頭を下げる。カイリ達に感謝を示したのだと、苦しくなった。

 そうして、三人は笑い合って。



 最後の最後まで笑いながら、彼女は夜空に溶け込んでいった。


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