第318話


 ガルファンが妻に出会ったのは、ファルエラを旅行していた時だった。



 領主としてネット村を治めていたガルファンは、領民と一緒に毎日畑仕事や牧畜などに精を出していた。


 畑や動物は毎日愛情を持って世話をしなければならない。


 何より、ガルファンが愛着が湧いて離れられなかった。

 故に特にどこかへ出かけたいと思ったことはなかったのだが、領民が「働き過ぎだからたまには休んだり遊んで下さい」と心配してきたので、一人でのんびり小旅行に出ることにしたのだ。

 昔から村では家族ぐるみで仕事をしていたためか、年配の者からは子供や孫の様に扱われ、同年代は友人の様に接してくれていた。そのことをくすぐったくも嬉しく思ったし、ガルファンはこの村の領主になれたことを誇りに思っていた。

 その村を離れるのは少しさみしかったが、領民達が笑顔で送り出してくれたのだ。せっかくだし、紅葉が美しいと絶賛されているファルエラの観光地へ赴いた。その頃は秋だったので、絶好の観光時期である。



 そうして出向いた場所は、言葉に表せないほどの絶景が広がっていた。



 都市から離れたゼスという町の丘の上が良いよ、と現地の人に勧められて来たのだが、その丘は本当に色鮮やかな景色を見せてくれた。

 頭上を見上げれば包み込む様な黄金色の世界が広がり、その世界を真っ赤な景色が天の川の様にゆったりと流れていっている。向こうに目を向ければ、眩しい光を放つほどの黄金の海が視界の端まで広がり、遠くの山もまた様々な色を着飾って目を楽しませてくれる。

 彩られた自然のアーチの先には、心洗われるほどにまっさらな青空がたゆたっており、胸の内に染み渡っていく。


 あまりに美しい景色に、心をひどく揺さぶられて泣きたくなってしまった。


 フュリーシアにも綺麗な景色が見られる場所は多いが、これほどまでに圧倒されるほどの眺めは初めてだった。風光明媚とは、まさしくこの目の前の神秘を指すのだろう。

 世界は広い。ここが桃源郷だと言われても信じてしまいそうだ。


「いやあ……凄いなあ。……みんなにも見てもらいたかった」


 せめて写真をと思ったが、小型の写真機という高価なものはあいにく持ち合わせてはいない。

 だったら絵でもどうかと考えたが、残念ながら絵心はまるで無かった。


「……この景色を切り取って、持ち帰られれば良いのに」


 自分のためにと送り出してくれた村人達にもこの景色を見せたい。

 そう思いながら、両手の親指と人差し指で簡単な額縁を作って雄大な絶景を覗いていると。



「ここの景色、素敵ですよね」



 不意に声をかけられ、ガルファンは首だけをそちらに向ける。

 視線を向けた先には、栗色の髪を綺麗になびかせた女性が佇んでいた。快活な空気を醸しながらも、柔らかくて優しい眼差しを宿した人物だ。

 そして、この壮大なる一枚絵に、とても自然に溶け込んでいる。空から降り注ぐ陽光を受けて密やかに、けれど輝く一凛の花の様に煌めいていた。



 あまりに美しい風景に、ガルファンは一目で全てを持っていかれた。



 ばくん、と心臓が口から飛び出そうになったが、根性でガルファンは飲み込んで何度も頷く。


「あ、えっと! ……は、はい。……ファルエラには初めて来たのですが。ここはとても良い景色だと聞きまして」

「ああ、そうだったんですね。私もここの景色がとても好きで。時々一人で見に来るんですよ」


 朗らかに笑った顔は、幼いながらもふわりと花びらが開く様に麗しい。彼女が笑うだけで、周りの景色も一層輝きを増していった。

 こんな経験は初めてで、ガルファンはぱちぱちと何度も忙しなく瞬きをしてしまう。どこか心臓もばくばくと落ち着かない。首も熱くなって、軽く混乱した。


「あの? どうかしましたか?」

「ああ! いえ! えーと……そ、そう! 貴方はこの国の方なのですね。ここは、ファルエラでも人気の場所なのでしょうか? その割に、人がいない気がしますが」

「ええ、そうなんです。ここは、旅行本で紹介されているところではないのですよ。知る人ぞ知る、という絶景スポットで。地元ならではの特権というやつですね」

「なるほど……。そんな秘密の隠し場所があるのですね。では、私はとても得をしました。貴方の様な方にも出会えましたし」

「え?」

「え?」


 相手がきょとんとしてしまったので、ガルファンもつられてきょとんと瞬いてしまう。何故、そんな驚いた様な顔をするのだろうかと思ったが。



「――! ああ! い、いえ! すみません! これじゃあ口説いているみたいですね!」



 己の言葉を振り返って、ガルファンは慌てて否定した。いや、否定するのも失礼だろうか。口とは恐ろしい生き物だ。

 女性の方も、顔を心なしか朱に染めてぱたぱたと両手で仰いでいる。そんな仕草も可愛らしいと思ってしまうガルファンは、頭が沸いたのかもしれない。


「ああ、あの。……いや、……その、こ、ここここここの景色がとても綺麗で! そこに貴方がとても馴染んでいましたので、つい!」

「え? あ、ああああ、ありがとうございますっ」

「それに、……ああ、そう! 絵を描かれていたのですか?」

「え? ……! あ、えっと! その、趣味で描いているんです! は、恥ずかしいところをお見せして!」

「へえ、凄いですね。私は全く絵心が無いので……、……うわあ……っ」


 彼女が手にしていたスケッチブックを見ると、見事な景色がいっぱいに広がっていた。この圧倒されるほどの鮮やかな景色の一面が、そっくりそのまま映し出されたかの様だ。

 ガルファンが見惚れていると、彼女は真っ赤になってスケッチブックで顔を隠す。それもまた可愛いな、と感懐を抱いてしまった。


「凄いです。プロみたいだ」

「そ、そんなことは! ……、ありがとうございます……。野原を駆け回って遊び回る私の、唯一の文化的な趣味なんです……」

「へえ! ということは、とても活動的な方なのですね。私も普段は畑仕事や牛の世話をしていますが、文化的な趣味は……壊滅的なので。羨ましい」

「まあ! 畑に牛⁉ 素敵ですね!」

「え? そ、そうでしょうか……」

「もちろん! 大地の恵みも植物の息吹も動物の温もりも、全ては私達が日々生きていくための大切な糧であり、何よりの友です。その輪に自ら入り、慈しみ、共に生きていく。素敵なことだと思います」


 そんな風に言われたのは初めてだ。ガルファンは、ぽかんと馬鹿みたいに目と口を丸くする。

 交流のあるクリストファーには「土や生命に触れると癒されるし、大切なことだよね」と肯定されるが、彼は少数派なのだ。彼は何しろ、趣味で裏庭に畑を持っている奇特な人物である。他の貴族には大抵、「領主のくせに畑いじりなど」と揶揄やゆされることの方が多い。


 だが、生き方など変えられるはずもない。何より、ガルファン自身が畑仕事も牧畜も好きだった。


 こんな性格だからか、お見合いをしても上手くいかないことも多い。最初は相手が乗り気でも、ガルファンが「畑のミミズは種類にもよりますが、良い土を作るパートナーみたいなもので……」とか、「牛を育てているのですが、彼らのフンから堆肥たいひを……」とか自分の仕事の話をし始めると、大体は去って行く。汚いし嫌だと思われるらしい。

 だから、こんな風に目をきらきらさせて興味を示してくれる女性もいるのか、と視界が開ける思いだ。この数分で初めての経験をたくさんしたな、と何だか春の陽気の様に胸がぽかぽかしてきた。

 この縁を大切にしたい。

 思って、ガルファンは改めて彼女に向き合った。


「そういえば、名乗りがまだでしたね。私はガルファンと言います。フュリーシアから来ました」

「お隣の方だったのですね。私はマナと言います。……、普段は孤児院でお手伝いをしています。孤児院では、野菜を作ったりもするのですよ」

「へえ! そうなのですか。だから、畑仕事にも理解があるのですね」

「ええ。大きくて太いミミズがいたら、みんなで手を合わせて拝みます」

「おお、それは……素晴らしい」


 そんな風に自己紹介をし、その日は別れた。


 だが、その後もこの小旅行の間に、毎日の様にここで逢瀬を交わす様になった。後から知ったことだが、互いに一目惚れだったらしい。ガルファンからすれば、自分のどこに一目惚れする要素があったのかと首を傾げるが、素直に伝えたら「貴方が一番貴方の良さを分かっていない」と駄目出しをされた。今でも謎である。

 それから、たくさんの話をした。

 彼女は、孤児院で子供達と野菜や果物を栽培したりすること。子供達のぬいぐるみや衣服を縫ったり、聖夜にはサンタクロースに扮して夜にお届け物をしたりすること。孤児院総出で茶碗やお皿を一から作り、バザーで売ったりもすること。鬼ごっこをして本気になり過ぎて、男の子達に仇に挑む様な形で毎日喧嘩を売られること――など。

 本当に色々な話をしては、驚いたり笑ったり、互いに遠慮なく言い合った。


 一度孤児院を訪れてみると、彼女は子供達と一緒に本当の楽しそうに遊んだり掃除をしたりしていた。


 微笑ましくてガルファンも共に遊んだり掃除をしたりすると、子供達に「けっこん? けっこん⁉」「かれしだー!」と冷やかされたりして、彼女が元気良く追いかけ回すという一幕もあったが、それすらも楽しかった。

 帰り際に子供達に「かえっちゃうの?」と引き止められた時は、ガルファンも淋しくなったのを覚えている。彼女もよく引き止められて、子供達が寝てから家に帰るということも多いそうだ。それもまた彼女らしい、と自然と顔が綻んだものだ。



「ちなみに、これが私が作ったカップ」

「おおう……何というか、……前衛的だ、ね?」

「もう! それって、褒めるのに困った時の常套句じゃない!」

「あはは、ごめんごめん。でも、本当に個性的だと思うよ。このええっと……持ち手? あたりは、ゾウの鼻みたいで」

「これは! 猫の手!」



 どこが。



 笑顔で無言のツッコミを入れると、ますます彼女は膨れて――最後には噴き出して笑った。ガルファンも遠慮なく笑って、そのカップを持ち帰ることにした。本当に面白くて気に入ったからだ。

 それを告げた時の彼女は、一瞬目を丸くした後。



「……、……私の作品を買ってくれたの、貴方が初めてよ」



 くしゃりと、どこか泣きそうに笑った。

 空から差し込む日差しが、彼女の笑顔を綺麗に照らして真っ白な花の様に広がっていく。その光景に、ガルファンはまた見惚れてしまった。

 そう。彼女は、ふとした瞬間に、絵画の一枚絵の様な儚くも美しい笑顔を見せる。

 彼女は孤児院の近くの小さな家で暮らしているとのことで、一市民だと聞いた。



 しかし、付き合っていく内に、彼女が市井しせいの出でないことは分かった。



 彼女は言葉を交わすごとに砕けた口調になっていった。とても自由な振る舞いをする女性でもあった。

 けれど、仕草一つ一つが洗練されている。指の先まで筋の通った立ち居振る舞いは、一朝一夕で身に付くものではない。

 何か事情があるのだろう。

 そう思いながらも、ガルファンは彼女と近付く別れに、我慢が出来なくなっていった。


「まあ。では、ガルファンさんは、領民の方達ととても親しいお付き合いをされているのね」

「ええ、まあ。もう両親は亡くなってしまったけれど、家族ぐるみで村人達と畑仕事をしていたから。祖父母の様な、親の様な、子供の様な、距離が近い付き合い方になっているんだ」

「そうなのね。とても理想的な空間だと思うわ」

「……そう言ってもらえると嬉しいなあ。私の様な考え方は少数派だから」

「……。そうね。……、……貴方の様な方が多ければ、どれほど良かったことか」


 ふと見せる彼女の影は、普段の明るさからは到底かけ離れたものだった。

 どれだけの事情を背負っているのか。どれほどの重責を抱えているのか。

 たかだか一週間ていどの付き合いだ。おいそれと踏み入って良い領域ではない。

 だが。


「……マナさん」

「え? 何?」

「……。私はもうすぐフュリーシアに帰る。……、……短い付き合いではあったけれど、それでも、私は、……」


 一体自分は何を言おうとしているのだろうか。強引過ぎて引かれはしないだろうか。

 だが、やらぬ後悔より、やる後悔。

 誰かと共にいて、こんなにふんわりと包まれる様に温かく、前に進む気力が湧くほどに明るい気持ちになれるのは初めてだ。そんな気持ちを与えてくれる彼女との縁を、これっきりにはしたくない。



「わ、私は、その! あ、貴方に、惚れました!」

「――!」

「だ、だから、……よ、よろしければ、その、……一緒に来ていただけませんか!」

「……っ」

「あ、ああ! 一緒にって、急すぎますね! あ、その、お友達からでも……良いので。その場合、その……文通を……」



 だんだんと弱気になって段階を下げていくのが、我ながら情けない。しかも尻すぼみになっていくのが自分らしかった。勇気が無い自分が恨めしい。

 しかし、彼女の反応は終始無言だった。

 やはりドン引きされただろうか。ガルファンがさめざめと心の中で泣いていると。


「……、私……、……私も」

「え?」

「……、でも、………………迷惑をかけてしまうわ。だから……っ」

「え? あ、え? め、迷惑? いや、それより、私も、とは? ――」


 言われている意味も分からず混乱しきっていると、ぼろっと彼女は大粒の涙を零し始めた。

 益々困惑しておろおろと右に左にと振り向いたが、誰もいない。助けてくれるはずもない。

 故に、ガルファンは取り敢えず持っていたハンカチを差し出す。告白して泣かれただけではなく、彼女の言葉に焦ったり期待したりと、頭の整理が追い付かない。

 ひとしきり泣きしきった後、彼女からぽつぽつと聞かされた事情に、またも脳が爆発したのは懐かしい汚点だ。



 彼女は、確かにかなりの問題を抱えた女性だった。



 正直、話の全貌を聞いたガルファンは一瞬迷った。一応の決着を彼女の一族の間では付けているし、心強い後ろ盾もいる様だ。今は何事もなく暮らしていけている。

 それでも最近、彼女は亡命先を考えていたという。

 つまりは、それだけ生きていた場合の彼女の存在を危険視している人物がいるということだ。


 当然だろう。権力を持つ者も求める者も、貪欲に過ぎる輩は少しの可能性でも排除したくなる。


 彼女は両親の計らいで幼い頃に死んだことにされ、よく似た風貌の少女の亡骸と入れ替わったのだそうだ。そうして権威に目がくらんだ親戚の目から逃れ、都市からは離れたこのゼスで暮らしていたという。

 両親は既に亡き者となっている。彼女自身は詳細を知らない様だが、彼女の守り人となっている一族が口を割らないということは、推して知るべしだ。

 現状は彼女の存在を悟られていないが、自国にいるには危険なことが起こり始めている。

 ガルファンは下手をすると、ファルエラの火種をフュリーシアに持ち込むことになるだろう。もちろん、彼女がその本人だと証明するものは今や存在しないらしいので、知らぬ存ぜぬを通せば済む話だ。


 しかし、ガルファンも片田舎の領主とはいえ、国を守る貴族。


 万が一彼女の存在が知られたら、村も危険に晒すかもしれない。それは領主としては悪手だ。

 けれど。



 ――いつ殺されるかと怯えて暮らす目の前の人を、見殺しにするのか。



 しかも、惚れた女性だ。

 ずっと心のどこかで怯えて震えながら暮らし、それでも明るく振る舞い、子供達のために尽くし、懸命に日々を生きてきた立派な人だ。

 そんな健気な人を、何も聞かなかったことにして突き放して帰る。

 それは、ガルファンには到底無理な話だった。


「……、……一度、貴方の後ろ盾という方と話をさせてくれないかな?」

「え……?」

「これからのことや、条件などを話したいんだ。……それで駄目だったとしたら、私の方でフュリーシアのしかるべき者達に相談する。ただ、……それが貴方達にとって都合の良いことなのか、私には判断が難しいので。……お願い出来ないかな」

「ガルファンさん……」

「貴方は、どんな過去があれど今を生きている。……今を死んだ様に生きるよりも、貴方らしく生きるのが一番だ。……例えそれで私と一緒になれなくても、私はそのお手伝いをしたい」

「――っ」


 何が何でも一緒になる、と心では決めたものの、彼女の持つ過去や血筋が複雑なため、強引な駆け落ちはしない。

 そう決めて伝えれば、彼女はまた泣き出してしまった。それでも、今度はどこか嬉しそうな笑顔が見られたのでホッとする。



 話し合いは、思ったよりはすんなり終わった。



 ガルファンの統治する村が、聖都には近くても田舎だというのも良かった様だ。彼女の血筋については誰にも話さないという条件で、自分達守り人の一族とも面識がないということにしてフュリーシアに連れて行く。


 秘密を墓場まで持って行くことを約束し、ガルファンは彼女を連れ帰った。


 帰った時に、村の者達から「旅行に行ったら……嫁を連れて帰って来た!」と大騒ぎで胴上げをされたのは、別の話である。それを見て、彼女が楽しそうに笑っていたことに安堵したのも内緒だ。

 本当は、親交のあるクリストファーにだけは打ち明けようかと悩んだ。彼ならば絶対に秘密を守ってくれるし、色々と手も打ってくれるだろう。彼は優しいし、力になってくれるかもしれない。



 けれど、ガルファンは相談をすることを止めた。



 彼はちょうど第一位の団長に就任したばかりな上に、家でかなりのごたごたがあったからだ。彼の息子とは少し面識があったが、どこか大人に怯えている様な節があって、ガルファンはほとんど交流が出来なかったのを覚えている。

 クリストファーは、そんな傷を抱えた息子を支えるのに専念しなければならない。それに、彼に何でもかんでも頼って、火種の共犯者にするのは気が引けた。

 数ヶ月後に小さな結婚式を挙げ、翌年に娘のルーシーが生まれた。ガルファンがあまりにも感激してしまって泣いたのを、マナは苦笑しながらも幸せそうに見守ってくれた。

 何事もなく娘は育ち、妻もすぐに村に打ち解けて家族の様に過ごして十七年。



 今年の春、妻のマナは亡くなった。



 近くの小さな森に野草を取りに行った時のことだった。毒蛇に噛まれて処置が遅れ、そのまま亡くなってしまったのだ。

 森では時折ではあるが、確かに毒蛇が現れる。不幸な事故だったと、みんなが嘆き悼んだ。


 ガルファンは、突然の愛する人の死に、立ち直れないほど塞ぎ込んでしまった。


 畑の面倒を見たり、牧畜に精は出したが、領民との会話もどこか上の空だった気がする。娘との会話でさえ苦しくて、顔を見るたびに妻を思い出してしまって、一人で過ごすことが多くなってしまった。

 このままではいけない、と頭では理解していた。亡くなった妻も今のガルファンを見たら「何してるの」と叱り付けるだろう。

 そして、悲しそうに見つめてくるに違いない。

 分かっていたからこそどうにかしなければと思っていた矢先、クリストファーから晩餐会の招待を受けた。人数の少ないパーティだったし、恐らく心配して外に出そうと画策してくれたのだろう。気遣いが嬉しくてひっそり泣き、出かけた。



 その先で、ガルファンはかつての妻に出会った。



 正しくは、妻と出会った時の紅葉と再会したのだ。

 一面に広がる鮮やかな紅葉に、山の裾を流れゆく美しい川。

 それを見せてくれたのは、一人の聖歌騎士だった。名を、カイリと言う。今年聖歌騎士になったばかりの新人で、クリストファーの息子の親友だと聞いた。

 彼の聖歌はとても優しい。穏やかに人の心を包み込む様な温かさに満ちていた。歌い手の気質をそのまま表したかの様な歌声で、ガルファンの心にそっと静かに生きる気力を注がれた気がした。


 もう一度、頑張ろう。


 そして、今年の秋は娘と一緒にファルエラへ行って、妻と出会ったあの景色を見てこよう。

 屋敷へと帰り、娘にも今までのことを謝って、展望を打ち明けた。久しぶりに娘と笑い合い、新しい一歩を踏み出す清々しい一日となった。

 それなのに。



「――貴方の奥方は殺されたのですよ」



 正しくは、我々が殺しました。



 突然訪れたファルエラの使者に、残酷な真実を告げられて、ガルファンは十七年前の火種が一気に噴き上がる音を聞いた気がした。


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