第319話


 フュリー村の近くで待機しながら、カイリは夜空を見上げた。


 もう既に日は深く沈み、代わりにまんまるい月が清冽せいれつに浮かび上がっている。

 村や大地に降り注ぐ月明かりは繊細でありながら、どこか凛々しい輝きに満ちていた。染みる様に体を包み込まれ、体の中が凛とした音色で洗われていく様な心地良さを感じる。



 だが、視界に収まっているフュリー村は、禍々しい空気が陽炎の様に揺らいでいた。



 前に来た時は気付かなかったが、雑音の無い静かな夜が、眠る様に横たわっているからだろうか。村の周囲を、うっすらと薄暗い線の様なものが半円のドーム状に包んでいるのがカイリの目に映っていた。ゼクトールがこの場を退散してクリスの屋敷に移動する前に、あれが何なのか聞いてみれば良かったと悔やむ。


「……なあ、ケント、リオーネ。村の周り、何か見えないか?」


 自分だけだろうかと思って振り向くと、ケントは涼やかに、リオーネは厳しい表情で目を凝らす。


「見えるよ。前に来た時は見えなかったんだけど」

「私にも、うっすらですが。他の皆さんはどうでしょうか」


 リオーネが振り返れば、傍で待機しているフランツ達は難しい表情で目を細めていた。エディは早々に諦めたのか、ぽりぽりと頭を掻いて投げる。


「ボクにはさっぱりっす。フランツ団長達は、どうっすか?」

「俺にも見えんな。だが、あまり良くない気配は感じる」

「わたくしも見えません。ですが、同じく近付きたくない雰囲気ですわね」

「……一応、うーーーっすらと、な。前は、カイリやケント殿に見えなかったってくらいだ。力が強まってきてんのか、夜になると力が強まるかのどっちかじゃねえか?」


 レインが適当に推測するが、その通りかもしれないとカイリも同意する。

 以前の時よりも、遥かに伝わってくる不安定な波動が強い。距離も離れているはずなのに、あまり気分が優れなくなってきた。ケントが嘆息して、聖歌語を自身にかけている。


「……皆さん、そろそろ自分に簡易魔除けかけた方が良いですよ。あれ、現在進行形で強まってますから」

「……俺もかけるかな。ルーシーさんも、大丈夫ですか?」

「は、はい……、……」


 それまでひっそりと佇むだけだったルーシーが、カイリの声に何とか頷く。先程から、所在なさ気に落ち着かない素振りを見せていたのが気の毒だった。


 けれど、彼女は全てを聞いた上で、父と対面すると決意してくれた。


 彼女は強い。全てが終わった後に、顛末てんまつだけ聞くことも選択出来たのに、敢えてそれを選ばなかった。両親譲りの強さが備わっているからかもしれない。

 カイリが聖歌語でルーシーに簡易魔除けを施すと、彼女はお礼を小さく告げてから俯いてしまった。その瞳に宿る揺らぎは、父を信じたい気持ちとそうではなかった時の恐怖だ。



 自分の大切な人が、途轍とてつもない悪事に手を染めているかもしれない。



 どれだけ気丈な人間であったとしても、不安に駆られるのは当たり前のことだ。


「ルーシーさん。辛い思いをさせてすみません」

「……いいえ、カイリさん。これは、次期当主である私の覚悟でもあります。もし、本当に現当主である父が悪事に手を染めているのであれば、同じ血縁者として止める義務があるのです」


 きっぱりと言い切るルーシーに、カイリは押される様に口をつぐむ。

 クリスの屋敷で会話をしていた時は年相応の少女だったのに、今目の前にいるのは、間違いなく責務を負う凛とした後継者だった。放たれる覇気に気圧されながら、その向こうに見える不安と悲しみに、カイリは唇を噛み締める。



 自分とそう変わらない年齢の少女が、並々ならぬ覚悟を決めている。



 そんな彼女に、カイリの方が無様に落ち込んだ姿を見せるわけにはいかない。何としてでも、悪事を止めると誓いを立てる。


「……俺、全力で今回の悪事の原因を突き止めます。ルーシーさん、どうか一緒に戦って下さい」

「はい。よろしくお願いします」


 深々と頭を下げるルーシーに、カイリも気合を入れ直す。

 改めてフュリー村を振り返ると、確かにケントの言う通り暗いオーラが膨れ上がっている気がした。先程よりも禍々しさが倍増していて、空に満ちる凛々しい月の音色が、弾かれる様に外へ散っている。

 村の中の薄暗さがだんだん濃くなってきていた。村に偵察に来た日から、徐々にこうなっていたのか知りたい。


「ケント。村って、一応俺達が偵察に行ってからは見張りを立てていたんだよな? その時って、ここまで酷くなっていたのか?」

「レミリア殿からの報告だと、そういうわけでも無さそうなんだよね。夜も相手の間者にばれない様に交代で見張っていたはずだけど……明日が満月だからなのかな?」

「え? ……あ」


 そういえば、クリスが満月の日はという様なことを話していた。

 満月の日の一日前に計画を実行するのが良い。夜だと聖歌の力も強まるかもしれない。

 日時の指定をしてくれたのは、クリスだ。

 つまり、相手にとっては完成間近の日であり、カイリ達にとっては聖歌の力が強まって対抗出来る時間帯。

 前世の物語でも、月に魔力が満ちるだの、狼に変身してしまうだのといった話があったが、それと同じ原理なのだろう。


「確か、夜だと聖歌の力が強まるんでしたよね。呪詛も同じ様に夜だと強まるんでしょうか」

「そうだな……。呪詛が聖歌を元にしているのならばありえるだろう。それに、満月は聖気が……元より聖歌の力が最も効果的に発揮される日とされているのだ。だから、関係はあるかもしれんな」

「しっかし、六月から画策してるんだったら、明日で合計満月三回目ってことだろ? 二回でも足りないとか、どんだけだよ」

「確かにな。ホテルの爆破を阻止出来たのは本当に良かった。だが、それだけ大きな何かを呼び寄せたいとなると……やはり、理を捻じ曲げるものだろうな」


 フランツの暗い推測に、カイリ達も全員押し黙る。ルーシーが益々ますます所在なさげに体を縮ませてしまう。

 人の理を捻じ曲げてでも、ガルファンが叶えたい願い。

 それは、もう状況証拠から考えても一つしか思い当たらない。


「五芒星を利用しているかもしれんということだが……カイリ。聖歌、もとい何か歌が聞こえたというわけではないんだったな?」

「はい。声が聞こえました。……それも、かなり殺しにかかってくる様な」

「……正直、また血を吐いて倒れたらと思うと気が気ではないが……聖歌に関して、俺達はあまり役に立たん。……三人とも、くれぐれも」

「お任せください。ケント様もいらっしゃいますから、きっと彼が楽勝にして下さいますよ♪」

「何だか他力本願な人がいますけど、ま、構いませんよ。カイリのことですから」


 リオーネとケントがそれぞれらしく答えてくる。リオーネがケントに腹黒い言葉をかけるのを、カイリは初めて見た気がする。それだけ、慣れてきたということだろうか。

 フュリー村の呪詛の解除の仕方は、カイリが中心となって原因を突き止める。そして、カイリの聖歌に合わせてリオーネが合唱し、ケントはカイリの聖歌の力をひたすら増幅させることに集中するというものだった。

 この期に及んでケントが一緒に歌ってくれないのはさみしいが、歌いたくない理由があるのならば仕方がない。無理強いをして、ケントを傷付けるのは嫌だ。



「……カイリ、結構顔に出てるんだけど」



 思っていると、ケントから苦笑が飛んできた。

 振り返ると、笑顔に苦味を混じらせて、ケントが「えへへー」と可愛らしく小首をかしげている。明らかに誤魔化している風体に、カイリは遠慮なく頬を引っ張った。


「い、いひゃい! カイリ、何するのさ!」

「何か腹立ったから」

「えー。……まあ、自覚はしてるけどさ」

「別に気にするなよ。いつか、一緒に歌ってもらうからさ」

「……。うん」


 ケントがつねられた頬を押さえて神妙に頷く。視線を下げて口元に笑みを浮かべる姿は、ほんのりさみしげだ。彼もカイリと同じ気持ちでいてくれているのだろうか。だとしたら、嬉しい。

 しかし、顔に出るくらいふて腐れていたのかと思うと体中から火が出そうだ。子供っぽいなと自分自身に呆れる。


「てか、もう日付変わったぜ。……てことは、満月の日ってことかね」

「ですが、完全に丸になるのは、次に日が昇って落ちた後ですわ。……それでも、充分聖気が満ちるかもしれませんけれども」

「でも、不完全っす」


 エディの断言に、カイリも頷く。

 本日の夜は、晩餐会の日だ。それが奇しくも満月の夜ということに、意図的なものを感じざるを得ない。

 本命は、フュリー村。

 カイリの判断が正しいかどうか。当たって欲しい様な、欲しくない様な、微妙な気持ちで見守る。


「……来るかな」

「来るでしょ。今夜、日付が変わる頃に解除するって宣言したんだから。……月が満ちる様に、満月の日に目的が成就するって言うんだったら、妨害するしかない」


 ケントの確信のこもった明言に、カイリは一度目を伏せる。

 直後。



 ふっと、空気が遠くで揺れた。



 蝋燭ろうそくの炎の様に小さい変化だったが、常に全体を見渡す癖が付いていたおかげで拾えた。隣にいたケントの表情もにわかに引き締まる。


「……来た。移動しよう。体と一緒で、内部から破壊する方が確実だから、村の中に行くよ」

「ああ。……フランツさん達、お願いします」

「分かった。……正直、あの村に入るのには胆力がいるがな」


 苦々しく唸りながらも、フランツが迅速にカイリ達に先んじて移動を開始する。レインとシュリアは遠く円を描く様に両端から、ルーシーはカイリ達聖歌騎士三人と共に、エディはしんがりを務めて走り出した。

 村と呪詛の境界線を乗り越える時、一瞬びりっと肌が焼ける様に痺れる。尋常ならざるくらみに襲われ、カイリは気合を入れてパイライトを握り締めた。

 ルーシーは何とも無さそうだったが、嫌な空気は感じるのか表情が優れない。フランツ達は一瞬足取りを重くし、すぐに持ち直して村の中央を目指した。


「……うわー。予想以上に、体重いね。簡易魔除けの重ねがけが欲しいな。僕とカイリはこれ以上消耗したくない」

「分かりました。もう二回ほど、皆さんに簡易魔除けを重ねがけします」

「ありがとう。リオーネ、お願い」


 リオーネが玲瓏れいろうたる響きで聖歌語を放つ。もはや視界が真っ黒に染まりつつある中、リオーネの聖歌語の輝きが、流れ星の様に清らかに流れ渡っていった。

 夜空に煌めく光の様な道筋に、カイリは一瞬だけ状況を忘れて見惚れる。


「本当だ。聖歌語の効果が、こんな風に光になって見えるの初めてだ」

「うん。聖歌に満ちる気が増幅されている証拠だね。……さて。……思ったより多いなあ。これ、全部ガルファン殿の私兵もとい協力者なのかな?」


 ケントの面倒くさそうな呟きに合わせ、気配の数が周囲から発生した。膨れ上がる様な殺気に、カイリは身をすくませる。

 途端。



 目の前に、黒い影が飛んできた。カイリを目掛け、鈍い光が不気味に疾走してくる。



 思わず木刀を掲げたが、その前に銃弾が炸裂した。がんっとこもった音が弾かれると同時に、エディがもう一発後方から銃を放つ。

 正確無比に狙いを定めた銃弾は、見事に影に命中した。くぐもった声と共に、地面に重々しく転がり落ちる。

 近くでルーシーが息を呑む音がしたが、彼女にはリオーネが目隠しの様に佇んでいた。全ての視界を塞ぐのは無理だろうが、なるべく最小限に抑えたい。


「……カイリ、始めて。相手は待つつもりないみたいだし」

「分かった。――っ」


 呪詛の解除に集中しようとした矢先、前方から複数の影が飛来してきた。薄暗い闇の中を踊る様に舞って、影がカイリを目掛けて襲い来る。

 だが、すぐにフランツが力強い一閃で叩き飛ばした。大剣を振るった一撃で、影が軽々と吹っ飛んで行く。右ではシュリアが、左ではレインが、それぞれ縦横無尽に飛び回り、素早く暗躍する影を斬り伏せていっていた。

 よく見ると、全てカイリを狙って突っ込んできている。



 つまり、彼らの狙いはカイリということだ。



 その事実に、カイリは一瞬だが無防備になることに恐怖した。ぎゅうっと無意識にパイライトを握り締めてしまう。

 しかし。



「――大丈夫」



 言い聞かせる様に、カイリは敢えて声に出す。

 フランツ達第十三位がいる。傍にはケントもいる。

 彼らは、カイリとは違って一流の騎士達だ。カイリを守ると言ってくれたからには、何が何でも守り通してくれる。

 だから。



 安心して、命を預ける。カイリは全力で目的を果たすだけだ。



 強い意志を込め、カイリは頭上を睨み据える。先程から遠く、微かに叫ぶ様に乱反射する声の乱舞に、カイリは意識を集中していった。



 ―― ク、イ……、……ニ……! ………………ッ‼



 覚えのある声と言葉が降りかかってきた。

 あまりの強烈な憎悪に、カイリは歯を食いしばる。意識を丸ごと食い尽くされそうな暴力に、目を閉じながらも目を凝らす。

 聖歌を歌うにしても、目標や方向性を定めなければカイリの力は上手く乗らない。

 故に、声の力をまずは暴く。

 聞こえてくる響きを頼りに、もぐり、更に深く潜って行く。彼らが触れては欲しくない場所へと泳いで渡り、カイリは深淵の口を覗く様に意識を滑らせていった。



 ―― ニク、イ……ニクイニクイニクイニクイッ! イブ……ニクイイイイイイイッ‼



「――っ」



 今度ははっきりと聞こえた。

 己に迫る危険を排除するかの様に、真っ黒な声の怒気が膨らむ。カイリの意識を鷲掴みにしようと、抱き込む様に迫ってきた。

 だが、カイリも負けない。抱き込もうとする声の手を避け、その真っ暗な叫びに向かって手を伸ばし――。



 ―― イブツイブツイブツイブツイブツイブツイブツッ! ホロビヨオォォォォォオオオオオオオオオオッ‼



「あ、ぐうっ!」



 ばちいっと、意識を弾かれる様に殴り飛ばされた。思わず悲鳴が漏れてしまったが、カイリは足を踏ん張ってもう一度声に潜っていく。



「お、れ、……は……あなた、と、話、が……っ」



 ―― ダマレッ! ……イブツ ハッケン。イブツ ハッケン。



 必死に声に向かって話しかけるが、相手はまるで聞いていない。子供達の時と同じで、ただただ己に渦巻く感情を爆発させていく。



 ―― セイイキ ケガス。セイイキ ケガス。


 ―― ユルサナイ。ユルサナイ。


 ―― ワタシタチノ セイイキ。ダレニモ ジャマサセナイ。


 ―― ジャマサセナイジャマサセナイジャマサセナイジャマサセナイジャマサセナイイイイイイイイイイイイイイッ‼



 どん! っと、岩石で鳩尾をぶん殴られた様な衝撃がカイリの身を貫いた。何重にもなって襲い掛かってきた声の暴力に、意識が一瞬飛ぶ。

 それを見抜いてか、更に牙を剥いて四方八方から襲い掛かって来た。しゃっと、滑る様に喉元に噛み付かれる。



「――っ! あ、が、……あああああああああああっ‼」

「……カイリッ!? ――【弾け、彼の敵を排除せよ】!」



 ケントがカイリの背を支えながら聖歌語を放つ。

 だが、『声』は数秒動きを止めただけで終わった。カイリの喉元に食らいついたまま離さず、更に牙を深く食い込ませていく。尋常ならざる執着に、カイリも意識を保つのに必死だった。


 しかし、その声の奥の奥の――本当に奥底に、何か憎悪とは違うものが見える。



 ―― ……、ネガ、……イ……ッ。



 最初に声を聞いた時も感じた。

 さみしいという泣き声の様な、悲しいという訴えの様な。

 あの時は何となくという感覚だけだったが、今度は微かに声という形になって見えてきた。

 その正体を知りたくて、カイリは朦朧もうろうとしたまま手を伸ばす。


「……っ、ぐっ! あっ、……、……あ、なたは、……誰……っ」


 ―― ダマレ ガイチュウ! シンデワビヨ!


 ―― シネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ ……シネッ!!


「あっ⁉ が、は……っ!」


 圧倒的な暴力に、カイリは堪らず何かを吐き出した。ごぼっと口から零れ落ち、服を濡らしていく。

 カイリ、と叫ぶ声が近くに聞こえた。泣きそうだなと、意識の遠くで息も絶え絶えに思う。

 しかし、答える余裕はない。ひたすらに手を、足を、頭を、腹を、心臓を貫き続けてくる声に、カイリは震えながら手を伸ばす。

 声は、幾重にも響いてくる。まるで不協和音の様に重なり合っているが、しかし声の質は全て同じだ。

 ホテルの時とは違う。



 この『声』は、全て一人に集約されている気がした。



「……っ、……あなた、は。……誰、ですか」



 ―― シネシネシネシネシネシネ。イラナイイラナイイラナイイラナイ。



「……、女性、です、か。それとも、……いえ、女性、ですよ、ね、……っ」



 ―― キサマ シネ。ヨクモ ココニ。ヤハリ コロス。コノ イブツガアアアアアアアアアアアッ!



「……っ、……ガル、ファン、どの、の」



 ―― ――――――――。



 瞬間。



 どっと、カイリの意識をぶち破る様な衝撃が全身を駆け抜けた。



 途端、意識が暗転した。そのまま落ちそうになって、寸でで何かに引き上げられる。



「カイリッ!!」

「――、……ケ、……っ」



 ケント、と呼びたかったが、声にならなかった。代わりに何か熱いものが口から溢れ出て、目の前で悲鳴の様な吐息が触れる。

 視界が暗くてよく見えない。ケントが支えてくれているのは分かっているのに、彼の顔が何処にあるのか全く区別出来なかった。

 ただ、右手に何かが触れている感触があったから、ぎゅっと握り締める。更に強く触れてくる感触があったが、もう意識が遠い。

 とろとろと落ちていきそうな感覚に、カイリは抗おうとするが急速に落下していく。絶えず刺し込まれた激痛までが、だんだんと鈍いものに変わっていって焦り始めた。痛みがあるのに意識を落とせば、どうなるか分かったものではない。

 嫌だ、と必死にもがいていると。



【――カイリ! 起きろっ!】

「――――――――、っ」



 ぱあんっと、闇の中でまばゆく弾ける音がした。

 直後、カイリの意識が開かれる様に広がっていき、光を取り戻していく。視覚も感覚もよみがえり、はっと荒く息を吐いた。


「カイリ! 目、覚めた!?」

「……、ケン、ト、……っ」


 必死の形相でケントが覗き込んでくる。泣きそうだな、と申し訳なくなりながら、カイリは彼の手を握り締めた。今度は、きちんと己が握り、相手が握り返してくれたのも実感出来た。

 握ったケントの手から、何か冷たいものが注ぎ込まれてくるのが分かる。その冷たさが流し込まれた先から、意識が神経を回復する様に目覚めていく。

 まだ、正直起きるのも辛い。このまま眠ってしまいたいくらい、心も体も疲弊に塗れている。

 しかし。



「……、あな、た、は、……ルーシー、さん。……彼女のこと、が、……分かります、か?」



 声に、語る様に呼びかける。

 もう一度、殺意に貫かれるのを覚悟して、カイリが腹の底に力を入れると。



 ―― ――――――――。



 先程と同じ様に、声が絶句する。

 だが、今度は暴れる様に襲いかかっては来なかった。ただ、戸惑う様に声の気配が揺れたのを感じる。

 何故、と思うと同時に、やはり、とやり切れない思いがカイリを支配した。

 わずかに視線を逸らせば、ルーシーが蒼白顔で空を見上げていた。呆然と、けれど信じられない様なものを目にしたと言わんばかりに、彼女はひたすらに空を見上げ続けている。

 そして。



「……、……おかあ、さま?」



 濡れた様な声が、薄暗い夜空に、一つのささやかな星を刻み付ける。



 あれだけ真っ黒だった声が、不気味なほどに静まり返った。声なく悲鳴を上げている様に、空気が尖る。目に見えない、聞こえないはずの声があちこちを突き破る様な感覚を肌で感じ、カイリは息苦しさで目を閉じた。必死に呼吸を整える。

 ルーシー、という単語に反応した。その前には、ガルファンの名前を出して撃ち抜かれた。

 つまり、この声は二人に深く関係する者の持ち主なのだ。

 そう。

 カイリ達の最悪の想像が、当たってしまった。



「……、……どうして、来てしまったんだい。ルーシー」

「――」



 観念した様な、諦めきった様な、悲嘆に暮れた低い声が辺りに満ちる。

 大量の影が地面に転がる中、躊躇いなく歩み寄ってくる一人の男性。

 そうであって欲しくないと、ずっと願いながらも、想定していた人物が、音もなく目の前に現れる。



「……、……お父様……」



 ルーシーの声が、誰もが否定したかった存在を、確かな形にしてしまった。


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