第320話


 黒い影の集団が転がる向こうから、一人の男性が静かに歩み寄ってくる。

 それは、カイリが当たって欲しくないと願いながらも、きっとその通りだろうと推測していた人物だった。



 ガルファン・ライオネット。



 カイリにホテルで接触をし、ラフィスエム家に注意をおもむろに向けさせた首謀者だ。同時に、ホテルに仕掛けられた爆弾のヒントを与えてくれるという、相反する行動を取った犯人。

 彼の顔には、ホテルで出会った時の柔和な笑みなど影も形も見当たらない。ただ、虚無と言うに相応しいぽっかりした空洞を貼り付けていた。


「……ガルファン殿。何故、ここにいるのですかな?」

「何故、とは? お人が悪い。もう、フランツ殿達は分かっていらっしゃるのでしょう?」


 馬鹿にする様に口元に笑みを浮かべるガルファンは、本気でホテルで顔を合わせた時と雰囲気が異なる。

 今ここに相対しているのは、人を食らう様な狡猾さを纏う狩人だ。あれだけおどおどと優しさに満ちた瞳も剣呑に細められていて、カイリを突き刺す視線は刃の様に閃く。


「カイリ殿。分かってはいましたが、生き残ってしまいましたね」

「……。……ホテルの帰り道の襲撃は」

「あれは、私の協力者が。貴方が邪魔だったもので」


 明確に断言され、カイリは一瞬だけ怯んだ。かりっと、人差し指で親指を引っ掻いてしまう。

 だが、動揺を悟られたくない。あくまで冷静に、あごを引いてカイリは真っ直ぐ彼を見つめた。



「どうして俺が邪魔だったんですか?」

「だって、ここにかけられた聖なる儀式を、打ち壊してしまうでしょう?」



 両手を広げて、ガルファンが空を見上げる。

 おどろおどろしいだけだった声が、答える様に彼に寄り添う気配がした。姿も見えないのに、声が震える様に彼の元でたゆたうのが分かる。

 ならば、声はもう、完全に意思を持って彼の傍にいるのだ。

 己が今、どういう状態なのかも声は分かっているのか。カイリは判断がしたくて、必死に言葉を投げかける。


「聖なる儀式って、何ですか。ルーシーさんのお母様と関係があるんですか」

「そうだよ。ねえ、ルーシー。喜びなさい。お母さんが戻ってくるよ」

「……、え?」


 震える様に、ルーシーがカイリの背後で声を零す。その声音は、歓喜よりも恐怖に包まれていた。

 当然だ。きっと今のガルファンは、娘としてのルーシーが知らない在り方だ。それが、ガルファンの本性かどうかは、経験値の少ないカイリでは計り知れない。



「女王の使者がね、教えてくれたんだ。私の妻を生き返らせる方法を」



 生き返らせる。



 カイリはケントを振り仰ぐが、彼は無言で首を振った。フランツ達を見回しても、表情が厳しく変じていくだけで答えは返ってこない。

 だが、彼らの反応だけで分かる。



 それは、決してふれてはいけない禁術――五芒星のことなのだと。



「妻の骨で、五芒星を描き、その中心に人を置くんです」

「――、……え?」

「満月の日から、満月の日まで。最も聖なる気に満ちる日から、次の聖なる気が満ちる時まで、絶えず五芒星に月の光を浴びせ、しろとなる人に注げば、その者に妻が宿るのだと」



 恍惚こうこつとした表情で夜空を見上げ、ガルファンが幸福を抱き締める。彼が見上げる先では、角の一つもない綺麗な満月が慈悲深く微笑んでいた。

 しかし、その救いは絶望的なまでに残酷だ。柔らかな月明かりが、一瞬で暗い冷たさに取って代わる。


「ただ、妻が死んでから少し日にちが経っていたので。依り代となる人に月の光を浴びせる日にちを増やさなければならなかった」

「……依り代とは、村の者達のことですかな? ……依り代となった彼らは、どうなる」

「もちろん、私の妻の糧に。……フュリー村は、ルーラ村よりも子供が多い。幼き魂は、穢れも少なく抵抗も少なくて扱いやすいと聞いています。ラフィスエム家もファルエラという新天地に赴くことになった。ならば、用の無くなったこの村をどうしようと我らの勝手」


 まるで道具の様な言いざまに、カイリの頭が真っ白になった。フランツ達も一瞬呆然とし、次には武器を握り締める手にこれ以上ないほど力が入る。

 ケントとレインだけは淡々とした姿勢を崩していなかったが、ガルファンから決して目を離さない。隙を探しているのは明らかだ。

 ガルファンは、武人という感じがしない。武器も手にしていないし、簡単に捕えられそうだ。


 それなのに、今、彼から――正確には彼の傍の『何か』から放たれる圧倒するほどの迫力は、カイリの足を地面に縫い付けるのに充分だった。


「だが、貴方の目論見はもう終わりです。フュリー村の人達は既に避難させていますのでね」

「ああ……ここに来たら消えたと、協力者が報告してくれましたから。知っていますよ。……ですが、二ヶ月もかけたのです。満月の夜ではなくとも、五芒星が毎日毎日人の精気を微量ですが吸い取っていた。……充分な力が満ちていると聞いています」

「……ガルファン殿! 違います! 五芒星は」

「カイリ殿。もう既に愛しい彼女は『ここ』にいるのです。予定は狂いましたが、後はのこのこと表れてくれた貴方達を依り代にすれば、人の形を取り戻す」


 にっこりと笑う彼は、とても人の良さを思わせる。見るだけで人を和ませ、警戒心を解かせる様な柔らかさだ。

 しかし、話している内容のうすら寒さと狂気が、カイリ達を悪夢で抱き込む。夜というのを差し引いても、ここの空気は異常なほどに冷え切っていた。


「さあ、ルーシー。こっちにおいで。もうすぐ、お前のお母様が帰ってくるよ」

「……お父様。待って……待ってよ! そのために、ここの人達を犠牲にするの?」

「何を言うんだ。依り代になるだけだよ。みんなで、楽しく一つになるだけ。みんな、今度こそ消えるまで一緒なんだ。ただ、他の村の人達が加わるだけだよ」

「お、とうさま……」


 ガルファンの言葉に、ルーシーが言葉を失う。顔からみるみると血の気が引き、蒼白を通り越して真っ白だ。


「……駄目だよ、お父様! そんなの、私、望んでない!」

「どうして? だって、お母様が帰って来るんだよ? ルーシーだってひどく悲しんでいたじゃないか」

「そうだけど! でも、違う! こんな、……村の人達の命を奪って、生き返って来ても嬉しくない! お母様だって、他人を犠牲にしてまで生き返りたいなんて思わないはず! ……私だって! 自分なら絶対! 思わないっ! お父様っ! 目を覚まして!」


 ルーシーが必死に叫んでかぶりを振る。泣いている様な悲鳴に、カイリの胸がぎゅうっと握り締められる様に痛んだ。

 しかし、彼はどうして娘が否定するのか欠片も理解していない様だ。首を傾げて、ああ、と手をリズミカルに打つ。


「そうか。カイリ殿が邪魔なんだね」

「……、……え?」

「そうだよね。カイリ殿は、唯一この儀式を破壊出来る可能性を持つ人物。……彼がいるから、ルーシーも、こっちに帰って来れないんだよね」

「な、何言っているの? お父様っ。違うわ! 以前のお父様だったら、そんな残酷なこと、絶対に許すはずがっ」

「分かっているよ。カイリ殿は、一見すると無害に見えるからね。その実、裏では私達の幸せを壊そうとしているんだ。……大人しい見た目に反して、恐ろしい子だよ」


 支離滅裂だ。もう、理性が仕事をしていないのかもしれない。

 暴走した彼が本気であることは疑いようもなく、フランツ達が更にカイリを守る様に移動する。

 そんなフランツ達を嘲る様に、ガルファンは悠々と虚空に手を差し出して微笑む。まるで、そこに誰か愛しい人がいるかの様に――否。



 実際に彼が愛撫すると、そこから何か得体の知れないものがぐにゃりと生まれた。



 ぼこり、と不吉な音を立てて生まれたその塊に、ガルファンはとろける様に微笑む。幸せそうな笑みは、どこまでも愛しそうに深まった。

 だが、カイリの目にはとてつもないほどの不気味な闇の塊にしか見えない。ぐねりと、薄気味悪くうごめく闇が、ぎょろりとカイリを射抜く様に腰を曲げた。


 あれが、声の正体。


 人の形を成さない、けれど今の今までカイリに向かって殺意を向けてきた声の塊。

 ガルファンが愛しそうに撫でるたび、だんだんと――しかし狂暴的なまでに急速に膨れ上がり、見上げるほどの大きさになっていく。



「カイリ殿。死んでください。妻のために、……何より私のためにっ!」



 ―― シネッ! イブツ! シネシネシネシネシネシネシネシネッ!!



 声の呪詛が、牙を剥きながらカイリに向かって猛スピードで突っ込んできた。

 フランツ達が防ぐ間もなく一瞬で目の前に迫り、カイリは呑まれる様に闇に絡まれる。


「あ、ぐっ! ……【離せ】っ!!」

「――【離れろっ! 貴様はカイリに触れられない】! ……カイリ!」


 ばりいっという激しい炸裂音と共に、ケントがすぐさま手を掴んで引き上げてくれる。

 カイリが喉を押さえて見渡すと、闇は痛みにもだえる様にぐねんぐねんとのた打ち回り始めた。苦しみもがく跡が、地面に大蛇が通った様に這って刻まれる。

 その、のたうち回る振動すら地面を激しく揺るがし、脅威にしかならない。現にフランツ達が、足場を確保しながら武器を振るって応戦していた。もはや彼らにも見えているらしく、間違いなく声へと視線を向けている。


「お父様! やめて! カイリさんは正しいことを言っているだけよ! 私だって望まない! こんなの、……こんな……!」

「ああ、ルーシー。ならば、この母をもう一度亡き者にすると言うのかい? それは……もう一度、彼女を殺すという意味になるのだよ?」

「……っ、どうして……っ!」


 ルーシーが尚も詰め寄ろうとするのを、シュリアがかばう様に立ちはだかる。ルーシーがこれ以上前へ出ると、『協力者』だという影に狙い撃ちにされる可能性があるからだ。

 むしろ、まだまだ湧いてくる影にぞっとした。どれだけの数がいるのか。かつての故郷の村を思い出して、カイリはぎゅっと胸の前で拳を握り締めた。


「ガルファン殿。……もう、『それ』は人ですらないですわ。それなのに、妻と仰るんですの?」

「……てめえの妻を生き返らせるために、他の奴ら犠牲にしてんじゃねえよっ」

「何を言うのです。ここはもう、用済みになるんです。良いじゃないですか。打ち捨てられた平民など、路頭に迷って野垂れ死ぬだけですよ」

「彼らは、用済みなんかじゃないっす! ……彼らは! どれだけあんた達に裏切られようと! どれだけ虐げられようと! 間違いなく! 自分達の力で日々を生きてるっす!」


 エディが血を吐く様に絶叫する。同時に、ガルファンに向かって銃剣を鋭く振り下ろした。

 しかし、それを阻む様に闇の塊が前に滑り込んで銃剣を巻き取る。ちいっと舌打ちしながら、エディは掴まれたままの銃を容赦なく引き金を引いてぶっ放した。がんっがんっと、地面まで鋭く撃ち抜く音と共に、塊が揺れる。

 だが、それだけだ。まるで効いた様子もなく、ゆらりと不気味に揺れ動く。


「おいおい……何か、攻撃効いてる感じがしねえんだけど?」

「ええ。まだ、満月までに時間はありますが、満月にならなくとも、ここまで妻は復活したのです」

「してねえだろうが! 人の形をしてねえだろ!」

「いいえ! 彼女は妻です! 妻なんです! ……五芒星の力を使って、今日の満月の日! 完全に復活させます!」

「この……! させないっす!」

「っ! エディさん! 離れて! ――【防いで下さい】!」

「――っ! な、何っすか……!」


 リオーネが切り裂く様に聖歌語を放つ。エディも、巻き取られたままの一丁の銃から手を離し、思い切り後方に飛びのいた。

 途端。



 ぶしゃあっと、勢い良く塊から液体が吐き出された。



 間一髪、リオーネが張った壁にぶつかって防がれたが、絡め取られたままだったエディの銃は瞬く間に溶けて形を失っていく。ばしゃっと、壁に突撃した飛沫しぶきが、恨めしそうに地面に落ち――蒸発する。

 蒸発した煙がおぞましく揺らいで空に昇るのを、カイリ達は息を呑んで見守った。ぐねりと体を持ち上げるその巨大な塊は、真っ黒な色をした巨大なスライムの様だ。


「……触れたもの何でも溶かすとか、反則じゃね? ただでさえ周りの雑魚が鬱陶しいのに……よっ!」


 どっと、レインがカイリに向かう人影を一撃で叩き落とす。

 どこから湧いてくるのか、倒しても倒してもきりがない。あの塊でさえ厄介なのに、ファルエラの支援者の数は鬱陶しかった。

 エディが更に塊に向かって銃弾を放つが、塊を通り抜けて遥か向こうへと消えていく。


「……本当に効いていなさそうですわ」

「ああ。これは、ここで待ち伏せて正解だったな。……外に出したら洒落にならないだろう」


 シュリアの言葉に、フランツも同意しながら油断なく大剣を構える。

 みんなの言う通り、闇の塊には傷一つついていない。全くダメージを受けていない現実に、全員の顔が引きつった。


「あー……周りの影を先に何とかするべきか?」

「いえ、影を排除しようと、塊には一切影響がないに決まっていますわ。……ですが、攻撃が効かないとなると面倒ですわね。武器じゃ歯が立たないってことになるますわ」

「いいえ。私が、聖歌語で聖気を皆さんの武器にまとわせ、持続させます。……すみません、カイリ様、ケント様。呪詛の解除、お二人だけにお任せしてよろしいですか?」


 リオーネが悔しそうに懇願してくる。

 呪詛の威力は、カイリが想定していたよりもずっと強い。

 だが、ここでフランツ達が対抗手段を失ったら、もう為す術がないのも事実だ。


「……分かった。ケント、良いよな?」

「うん。良いよ」

「ありがとうございます。――【勇敢なる彼らに、慈悲の光を】」


 リオーネの玲瓏れいろうなる声に応え、フランツ達の武器が刹那的にだが淡く発光した。見ていると心洗われる様な清らかさを感じ、実際それを目にした闇の塊が怯む様に一歩分引く。

 確かめたかった声の正体が、ルーシーの母親だと確定した。ガルファンやルーシーの名前に呼応したのならもう間違いないだろう。

 しかし、ならばこそただ消滅させるだけなのは、あまりに不憫だ。ルーシーのためにも、何より本人のためにも何とかしたい。


「……カイリ、いけそう?」

「……」


 ケントの確認に、カイリは即答を迷う。

 一応、一つ考えていることがあった。

 だが、そのためにはあの塊であるルーシーの母をもう少し動揺させるか、力を削ぎたい。

 ちらりとルーシーに目を向けると、彼女は青褪めながらも必死に立ち続け、父であるガルファンを見据えていた。

 見据えたまま、足だけがかたかたと小刻みに震えていた。

 それでも唇を噛み締めて、ルーシーはカイリ達との戦いを見据え続けている。それは、どれほどの苦痛と絶望だろうか。



 ――覚悟はしていても、見せたくは無かったな。



 家族が堕ちる姿を、誰が好き好んで見たいだろうか。カイリは改めて残酷な決断をさせたと悔やむ。

 だが、悔やんでも後には引かない。彼女を傷付けた罪は、生涯背負っていく。

 そして。


「……すみません、ルーシーさん。そのまま振り返らずに聞いて下さい」


 ガルファンから少しだけ隠れる様に立って、ルーシーに話しかける。

 彼女は戸惑う様に揺れていたが、指示通りにしてくれた。声も上げないあたり、彼女は本当に度胸がある。


「少し、恐い思いをさせます。……付き合って下さい」


 確認ではなく、強制だ。酷い物言いに、カイリは落ち込む。

 だが。



 ルーシーが、微かに――本当に微かにだが頭を縦に揺らした。



 何て強い人なのだろう。カイリが何をしようとしているかも分からないのに、それでも身を預けてくれるのだ。父を、止めるために。

 腹は括った。

 彼女の覚悟に、カイリも足に地を付けて前を向く。



「……ガルファン殿。貴方がその気なら、俺からもお願いがあるんです。良いですか?」



 カイリの静かな問いかけに、ガルファンは紳士に微笑む。その柔らかな笑みが、月光に照らされて青白く光る。

 病的なまでに白い微笑は、ガルファンの生気が抜け落ちていくかの様だ。この呪詛に副作用があるのかは知らないが、あまり時間は残されていないかもしれない。


「何でしょう、カイリ殿。冥土の土産が欲しいのですか?」

「いいえ。……俺も、貴方と同じことを望んでいるんです」

「……え?」


 ガルファンの顔に、初めて笑顔以外の表情が混じる。眉尻が微かに上がったのを目にし、カイリは彼を真似てにっこりと優しく微笑んだ。



「――俺、ルーシーさんを使って、母を生き返らせたいんです」

「――――――――」



 カイリは宣言すると同時に、ぐいっとルーシーの腕を乱暴に掴む。

 彼女は一瞬体を強張らせたが、そのまま何も言わずに大人しくしてくれた。本気で頭が上がらない。

 フランツ達も目をみはって振り返るが、彼らならすぐに意図を理解してくれるはずだ。カイリは目を伏せて、ゆっくりとなるべく妖しく見える様に口元を上げた。


「俺。この聖地に来る前に、両親を亡くしたんです。……目の前で、狂信者に、むごたらしく殺されまして」

「……、……それは、……お悔やみを、……っ」


 ぶれた。


 ガルファンの笑みがあからさまに強張こわばり、カイリは内心で眉をひそめる。今までは見事なまでに狂気的な雰囲気が漂ってきたのに、今の反応はひどく人間らしい。

 ちぐはぐな印象を覚えながらも、カイリはルーシーを更に引き寄せながら続けた。



「だから。俺も、この呪詛を見よう見真似で行使して、せめて母を生き返らせようかと」

「……、……何故、ルーシーを? 別に、他の者でも」

「何故? 俺、聖歌の力が他の誰よりも強いから分かるんです。……ルーシーさんの魂って、俺の母と似てるなーって」

「――」



 初めて、ガルファンの顔から笑みが消し飛んだ。全くの無表情は、衝撃を受けて絶望に塗り替えられた様にカイリには映る。

 彼が動揺したからなのか、闇色の塊もぶるぶると痙攣けいれんする様に揺れ始めた。この二人は確実にルーシーを認識しているのだと、カイリは改めて確信する。


「俺の力なら、生贄がルーシーさん一人だけでも生き返らせられそうだなって。貴方の元妻を見て思ったんです。……なあ、ケント? 俺、間違ってるか?」

「……ううん。カイリなら充分だね! おつりがくるよ! どうせなら、お父さんのこともチャレンジしてみたら?」

「ああ、そうだな。それが良い。……ねえ、ルーシーさん。協力してくれますよね?」

「……え、あ……の」

「もちろん協力してくれますよね。……ねえ?」

「……っ、……それ、は……」


 ケントの低い問いかけに、ルーシーは言葉を詰まらせる。

 カイリを見上げてくる彼女の顔には、困惑の中に同調する様な悲しみが混じっていた。カイリの境遇を初めて聞いたからだろう。

 彼女はカイリの手を振り払うこともしない。訳が分からないながらも、カイリを信じてくれている。

 後で謝罪しようと改めて心に決めて、カイリは芝居を続行した。流し目が不穏に見える角度を必死に調整しながら、ガルファンに微笑みかける。



 もはや今の彼は、憑き物が落ちたかの様に愕然としていた。



 その様子にカイリはもうひと押しと手応えを覚えながら、ルーシーの髪を一房ひとふさ持ち上げる。

 そのまま軽く口付ける――フリをいた。流石に、一人の女性の髪に勝手に触れた挙句、変態無礼を働くのは気が引ける。

 だが、ガルファンには充分だった様だ。かっと、獰猛どうもうに目を見開き、カイリを穴を貫くほどに凝視してくる。


「カイリ殿……っ!」

「だって、貴方だって、他人の命で大切な人を生き返らせようとしたじゃないですか。俺だって、やって良いですよね? 貴方と話していたら、何だか真面目に生きるのが馬鹿らしくなってきました」

「な……っ!」

「どれだけ馬鹿正直に生きても、貴方みたいに外法を使ってまで自らの幸福を得ようとする人が山ほど溢れているんですよ? じゃあ、良いじゃないですか。俺がやったって」

「だからって、ルーシーを……!」

「誰かが悲しんだって、俺が幸せになれば良いんだって、貴方を見たらよく分かりました。……俺だって、……父さんに、母さんに、……生きてて欲しかったんだから……っ!」


 演技なのに、最後は気合が入り過ぎた。声がみっともなくぶれるのに内心舌打ちしながら、カイリはガルファンを睨みつける。


「でも、戻って来ない。生きるしかない。頑張ろう。……そう思ってたのに、貴方は平気でそんな俺の努力を馬鹿にするんだ。……正々堂々と生きてる奴は泣き寝入りして、人の命を犠牲にする外道は笑って生きるなんて。……俺が母さんを生き返らせようとして何が悪い!」


 空を切り裂く様に吼えれば、ガルファンは興奮しながらも喉を詰まらせた。

 何か反論しようと口を開くが、させない。畳み掛けてカイリは絶叫する。


「あんたは妻を生き返らせてそれで嬉しいんだろ!? あんたはそれで満足なんだろ!? だったら! 俺があんたの娘使おうがどうでも良いだろ!」

「そん、……っ」

「良いじゃないか! 用済みの命を使って、あんたは愛しい人を生き返らせる! 俺は、それを見逃す代わりに娘を差し出せって言ってるだけだ! 何で迷うんだ! 何で反論する!? あんたも俺も、大切な人が生き返って幸せになる! そうだろ!?」

「……っ、ち、が」

「違わない! あんたはさっきから、娘がやめろって言ってるのに、やめないじゃないか! それはつまり! あんたは、娘のことより妻のことを愛しているんだ! ……娘のことなんて、どうでも良いから! だから、娘の言葉を聞かないんだろ!?」


 カイリが叫べば叫ぶほど、ルーシーは唇を噛み締めて俯いていく。

 そんな彼女を目にし、ガルファンが、闇の塊が、叫ぶ様に目と口を見開いた。

 だが、容赦はしない。――どれだけ、ルーシーが傷付いたか。きちんと思い知るべきだ。



「だったら、俺にくれよ! 娘の命を使って、……俺の大切な人! 母さんと、……父さんを! 俺に返してくれっ!!」



 カイリは手を振り上げ、月に吠える。歌を歌うためを装って、カイリは息を整えるフリをした。

 何を歌うべきか。脅しでも童謡唱歌を使いたくないから、何か適当な言葉を適当にフレーズに乗せよう。

 思って、カイリが息を大きく吸い込み、吐き出そうとした。

 その時。



「――やめてくれ……っ!!」



 ガルファンが、金切り声で絶叫する。闇の塊も、合わせる様にカイリを目掛けて飛びかかってきた。

 しかし、分かりやすすぎる動線に、フランツ達は迅速だった。レインが滑る様に滑走し、シュリアがしなやかに空に飛ぶ。フランツも真正面から大剣で迎え撃ち、塊に向かって綺麗で豪快な一閃が次々と振り下ろされた。

 リオーネが聖歌語で祈るたびに、彼らの武器は星の様に光る。闇のとばりを引き裂く流れ星の様に、世界が開かれていく。エディも残った銃剣で素早く懐に潜り込み、蹴り上げる様に銃剣を斬り上げながら宙で一回転した。

 塊の劣勢を悟ったのだろう。ガルファンもがむしゃらに前に飛び出してきた。カイリに、というよりはルーシーに向かって必死に駆けてくる。



 だが、それを許す彼らではない。



「――【ひれ伏せ】、ガルファン殿」



 ケントの聖歌語は、正しくガルファンの頭を地面に埋没させた。フランツ達が彼を拘束する様に各々得物を突き付ける。


「……鬱陶しいなあ。まだいるよ。何でこんなにいるわけ?」


 ケントは周囲に目を配り、まだ黒い影が潜んでいることを示唆する。フランツとレインがガルファンから距離を取り、ケントとは違う方角にそれぞれ立ちはだかった。

 ガルファンは頭を地面から抜き、尚もルーシーの方へと駆け付けようとする。

 だが、そうすればすぐにでもシュリアやエディの刃に首を刺し込むことになる。どうしようもないと理解したのか、彼の顔が絶望に落ちた。



「……っ、お願いします、カイリ殿! 娘は、……娘だけは! お願いです! 代わりに私の命を差し上げますから! だから、せめて、娘だけは……! お願いです!」



 地面に額を擦りつけて、ガルファンが土下座をする。

 それをカイリの腕の中で呆然とルーシーが見下ろしていた。「お父様」と泣きそうな声に、カイリも胸が握り締められる様に痛んだ。

 この状態の彼を見るに、先程の狂気が嘘の様に鳴りを潜めている。ケント達も同じことを思ったのか、視線が冷たいものからいぶかしげのものに移り変わっていった。


「……ガルファン殿。……どうしてですか? どうして、この様なことを」


 堪らず聞いてしまってから、カイリはフランツを窺う。本来なら、団長であるフランツやケントが問い質すところだろう。

 しかし、彼らは黙ってガルファンを見つめるだけだ。カイリに話の主導権は渡すと、無言で豪語された。

 ガルファンはしばらく項垂うなだれていたが、やがて、ぽつりと。カイリ達の想像を突き破る様な言葉を、落とした。



「――だって。カイリ殿達はもう、その時、ここにはいなかったではないですか」


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